1960年
大毎球団では五日正午、大阪の球団事務所で石谷訓啓遊撃手(18)=島根大田高=の入団を発表した。石谷選手は春の選抜大会の対倉敷工戦に三打数、二安打、しかも、この二安打がすべてスリーベースという長打の持ち主で西鉄、東映と三球団で競りあった。東映は松木コーチが直々乗り出して、説得したが、時すでにおそく、石谷は大毎の魅力にひかれて入団のはこびとなったもの(右投げ右打ち、身長1・74㍍、63㌔)
大毎球団では五日正午、大阪の球団事務所で石谷訓啓遊撃手(18)=島根大田高=の入団を発表した。石谷選手は春の選抜大会の対倉敷工戦に三打数、二安打、しかも、この二安打がすべてスリーベースという長打の持ち主で西鉄、東映と三球団で競りあった。東映は松木コーチが直々乗り出して、説得したが、時すでにおそく、石谷は大毎の魅力にひかれて入団のはこびとなったもの(右投げ右打ち、身長1・74㍍、63㌔)