プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石谷訓啓

2020-01-12 21:42:22 | 日記
1960年

大毎球団では五日正午、大阪の球団事務所で石谷訓啓遊撃手(18)=島根大田高=の入団を発表した。石谷選手は春の選抜大会の対倉敷工戦に三打数、二安打、しかも、この二安打がすべてスリーベースという長打の持ち主で西鉄、東映と三球団で競りあった。東映は松木コーチが直々乗り出して、説得したが、時すでにおそく、石谷は大毎の魅力にひかれて入団のはこびとなったもの(右投げ右打ち、身長1・74㍍、63㌔)
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平井誠一

2020-01-12 15:35:52 | 日記
1962年

近鉄バファローズは、十三日午後九時、日生球場で小倉工定時制中退の平井誠一内野手(22)=西部ガス小倉支店勤務、1㍍79、74㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。背番号は69。
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七森由康

2020-01-12 15:26:43 | 日記
1961年

七森投手は今夏の大阪府予選の三回戦で市岡高に1-0で敗れたので中央球界の脚光を浴びるまでには至らなかったが、大阪府下ではPL学園堀川、市岡高加納、吹田高西川投手とともによく知られていた。そして早くから南海、巨人からの交渉をうけ、八月九日には大阪球場で鶴岡監督と合ったが、数日後甲子園球場で巨人軍幹部と会い「条件的に有利な方を選ぶ」という希望にそって好条件の巨人に踏み切ったものである。

七森投手の話 優勝可能なチームが第一の希望でした。条件のことは全部父親にまかせています。

七森親一郎氏の話 南海、巨人、広島から正式に話がありました。親子二人きりの生活ですし、そのうえ私が病身ですので息子に気がねなく野球をできるようにしてやりたいと思っています。二十五日の夜、伊東さんから初めて条件が出されましたが、不満な点もあり、もう一度三十日に会うことになっています。
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周防清

2020-01-12 09:11:20 | 日記
1962年

巨人ではこのほど群馬県富岡高のエース周防(すほう)清投手(18)の獲得に成功した。周防投手は今夏の県下予選一回戦で渋川高に敗れたが、上手投げの速球を武器とする本格派投手。1メ㍍74、64.5㌔、右投げ右打ち。
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佐藤寛二

2020-01-12 09:11:05 | 日記
1956年

毎日オリオンズでは東北高の佐藤寛二(18)捕手と正式契約した。五尺八寸、十九貫、右投右打、東北高校球界随一の好捕手で攻守ともに将来性は十分と小野スカウトも語っている。
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国貞泰汎

2020-01-12 09:09:17 | 日記
1961年

かねてからプロ入りのうわさがあった広島県呉港高校の国貞泰汎遊撃手(18歳、167㌢、70㌔、右投、右打)はこのほど南海ホークスに正式入団が決定。同時に契約をおえた。同選手は攻、守、走三拍子そろった中国地方唯一の遊撃手といわれていた選手。バッティングも力があり長打力も秘めている。ちなみに今夏高校広島県予選では1本塁打、打率四割二分九厘をマークしている。
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山本恒敬

2020-01-12 09:01:53 | 日記
1960年

来季の補強工作に積極的な意欲をみせる東映フライヤーズは、このほど九州ノンプロ球界№1の学び声高い山本恒敬捕手(21)=日鉄北松=の獲得に成功したもようだ。山本捕手は今春の岡山大会に出場恵まれた体格からの強打、強肩ぶりは早くからプロ各球団の注目の的であった。山本獲得には瓜生スカウトが熱心に動いたといわれている。山本恒敬選手は飯塚商業出身で身長1㍍71、体重70㌔、右投げ右打ち。
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