プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山本一義

2020-01-14 13:01:58 | 日記
1960年

広島か南海かーその去就が注目されていた法政大学野球部主将の山本一義外野手(22)は、十五日午後三時、広島市基町、広島市民球場内、広島カープ球団事務所をおとずれ、正式に広島カープ入りの意思表示を行なった。なお正式契約は十七、八日ごろ行なわれる。

山本選手の強打力は広島商時代から早くも頭角を現わし、戦後、広島が生んだ最高の強打者といわれた。三十一年夏の全国高校野球広島県予選の三試合では、十三打席のうち十回敬遠され、残る3打席に死球1で、打数は2うち一本は10三振を奪って広島商を苦しめた三原の藤本投手から奪った2点本塁打だった。また県代表が決まったあとの準決勝、決勝でも、6打数4安打、3打点の高率を残しており、決勝戦では敬遠されないため一番を打ち、一回表、いきなり尾道商の左翼鎌田から福山球場の右翼場外にライナーの先制ホーマーをたたき出すという強打者らしいエピソードを残している。法政大学にはいってからも、一年生からレギュラーとしてリーグ戦に出場、今春は主将として法政大学十二年ぶりの優勝の原動力となった。また今秋のリーグ戦では3割2分7厘を打ってベスト・テンの五位にはいり、二度目のベスト・ナインにも選ばれた。自己の最高打率は昨年春の3割4分6厘。本塁打は通算2本。左投げ左打ち。身長1㍍76、体重73㌔。

山本選手の話 ほとんどの球団から話があったが、けさ両親と最後的な話し合いをし、カープ入りを決意した。広島で育ったのだから、地元広島カープにはいり、カープファンのもとで力いっぱい活躍することが自然だと思う。またこうした熱狂的なファンのもとで力をためすことのできるのは、自分としてしあわせだ。ご声援にこたえるため努力する。プロの身時は甘いとは思っていないが、いままでの大学時代の花やかだったことは、いっさい忘れて、一年生にもどり、カープの一員として一生懸命やりたい。

山本広島カープ球団代表の話 地元の選手だけに、ぜひほしいと思っていた。親孝行だし、郷土愛も強いから、広島にきてくれるとは思っていたが、これで安心した。ファンの皆さんにも喜んでもらえると思う。六大学きってのスラッガーといわれた選手だけに、相当な戦力増強になることは間違いない。きっと期待にこたえてくれるものと思う。

門前監督の話 南海入りの話もあったようだが、ウチにはいってくれてなによりだ。からだにも恵まれているし、あれだけの素質を持っているのだから、プロでも打てると思う。常時出場してバリバリ打ってもらいたい。これで外野は一応そろった。
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岩本勝

2020-01-14 11:27:28 | 日記
1962年

岩本勝(いわもとまさる)(18)投手は初の檜舞台に出たのは今春の高校選抜大会である。しかしプロのスカウトはそれ以前から目をつけていた。昨秋の中国大会で180㌢近い長身から、快速球を投げおろし、打者をつぎつぎと打ちとったことからである。しかも左投手であることも、岩本の存在を浮きたたせた。プロ球団では阪急をはじめ西鉄、広島、南海、近鉄、阪神、大毎それに中日が名のりをあげたのだからすごかった。一時は大変な争奪戦になったが、豊浦高校が阪急の戸倉前監督の母校でもあった関係からスムーズに阪急入りが決まった。ところで今春の選抜大会はサウスポーの当り年といわれた。中京の林、北海高の松谷、岐阜商の長縄、それに岩本この中で林、岩本、松谷がプロにはいったが三人を比較すると岩本が一番ひ弱だ。あれほどのスカウトが集まったのにと不思議に思われるほど。しかし実際は岩本をみたスカウトたちがからだの大きさ、サウスポーの利点にほれて集まったが「大きい投手にありがちな下半身が弱い」という結論が出たためである。いいかえれば足、腰が弱くそれほどでもなかったというスカウトが多く、途中でおりてしまったからだ。岩本は上背を利して真上から投げおそる本格派の投手で、スピードもあるし、左にしてはコントロールもよい。ところがいま一つの迫力に欠けている。そのためフォームにすごみがないし、速い球もただ速いだけでのびがない。その原因は下半身ができていないからである。みた目にも下半身が弱いとわかるほどだからストレートに威力があるわけでもないし、バネも生かされていない上半身だけで投げていたのではプロで通用しないことは目にみえている。かれの武器は大きく割れるドロップだが高校ではこのドロップも長身から投げるので角度があって通用したが、プロではそれだけでは通用しない。なぜならストレートが棒球では武器のウイニングショットを使わせてくれないからだ。これからの課題はとにかく下半身を強くすることで、下半身さえ安定すれば球も自然に生きてくる。

林(中京商→南海)との比較。

気性も正反対だし、フォームも正反対。まったく対照的な二人だ。しかし岩本は気力がないから林のもっている力強さをすべて吸収しなければだめだ。ただ岩本の利点は林よりもからだが柔らかいということだ。しかし、せっかく柔らかいからだをもちながら腰くだけになっては元も子もない。からだが固いといわれながらも林は「プロでじゅうぶんやってみせる」と根性のあることばをはいてビュンビュン投げこんでいるのに比べ岩本はスーッと投げてしまって打者に対して威圧感がない。これなど林の気概を大いに学ばねばならない。奮起が必要だ。
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谷野彰

2020-01-14 10:40:04 | 日記
1963年

「ウーン、やっぱりやってくれたか」河合社長の目に狂いはなかった。北洋水産の野球部解散を聞いて河合社長は高林監督を連れ立って谷野獲得のために上京したのは昨年の十一月のことである。「大昭和の天下をとるためにぜひ君が必要なんだ」と説いて強引に浜松に引っ張っていったといういきさつのある谷野だ。晴れの本大会で決勝の殊勲打を放って長年の苦労もようやく報われようとしている。海南高時代は投手としてその左腕を鳴らしたが、甲子園への夢は適せられなかった。プロ入り(大洋)してからも左人差し指のツメを割ってとうとう日の目をみなかった。「思い出といえば対中日戦での代打で杉下さんから左前に安打を奪ったことです。しかしきょうの方がそれ以上にうれしいですね」息をはずませて一気にまくしたてる。プロを退いてからは北洋水産に二年間主力打者として働いた。日本ビールに補強されたが、この時痛めた右足首のねんざもようやくいえたという。予選の山静大会では対日楽戦で逆転サヨナラ本塁打を初め昭和戦でも八回にダメ押し点をたたき出し、後楽園初出場を決定づけた。「東京に比べて浜松は住みいいです。好きなうなぎもあるし…」好物はうなぎとテキだそうだ。油っこいものが好物で若さで張り切っている。毎朝合宿から自転車で勤めに出ているのも足と腰を鍛えるためで、生活の信条がすべて野球と割り切っている。初出場の河合がダークホースにあげられていることももちろん知っている彼だ。「ことしはツイているので思い切りやりたい」と最後に自信のほどを披れきした。入社一年目、営業管理部勤務。二十四才。1㍍74、70㌔、左投げ、左打ち、背番号25。
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森本潔・野田征稔・矢野晃

2020-01-14 10:09:26 | 日記
1962年

社会人野球、高校野球はともに本大会、予選と激戦を展開しているが、それに敗れたチームから続々とプロ入りが決まっている。二十九日は森本(立大中退・三協精機)の阪急入り、野田(PL教団)の阪神入り、矢野(八女高)の中日入りがそれぞれ決まった。

三十四年夏の高校大会で優勝した西条高の遊撃手だった森本潔内野手(21)=立大中退-三協精機は、このほど阪急入りが確実となった。同選手は1㍍70、70㌔、右投右打で、西本監督もテスト済みの好選手である。また阪神タイガースはこのほど社会人野球PL教団の野田征稔二塁手(21)=PL学園出身=の入団を決めた。同選手はPL教団が今月初め都市対抗野球近畿予選で敗れたあとチームが解散したためプロ入りをのぞみ、二十四日から阪神の練習に参加、テストを受けていた。1㍍76、70㌔、右投右打。

九州地方で屈指の速球投手といわれていた福岡八女高の矢野晃投手(17)=1㍍77、70㌔、右投右打=はこのほど中日ドラゴンズ入団が確実になった。同投手は外角低目の速球が武器の本格派今夏の福岡予選では大濠高に敗れたが、予選前の対校試合では今春の選抜出場校小倉工、博多工に勝っている。昨年十二月に福岡県選抜軍のメンバーとして沖縄にも遠征した。昨年秋から地元西鉄をはじめ広島久野、近鉄瓜生、中日柴田、阪急丸尾スカウトが交渉していたが、中日柴田スカウトの熱意が実り中日入りが不動になった。
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荻野一雄

2020-01-14 09:52:12 | 日記
1960年

上手からの速球を買われて北海高から入団した荻野も今季はとうとうチャンスに恵まれず真価を発揮できなかった。素質はまず申し分ないが、速球一本ヤリの単調なピッチングではやはりまだプロの世界では無理なようだ。問題は変化球をどうマスターするかにかかっているがいまのところあまり細工をしない方がいいようだ。数少ない本格派投手として期待されているに、上手からの落ちるカーブさえマスターすればスピードがあるだけにかなりやれるのではないか。高校時代に連続17三振を奪った記録をもっているが、これはいかにスピードが豊かであるかということを如実に物語っているといえるだろう。入団一年目に注文をつけるのは荻野の場合酷だが、当の荻野投手は「まだまだですよ。いま勉強中です。一生懸命やってみます」と言葉は少ないながらそのファイトをみなぎらせている。
【北海高校出身、背番号38、身長1㍍76、体重74㌔右投げ右打ち】

中尾コーチの話=ストレートはかなりノビがある。ただカーブのないことがね・・・。
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根来広光・岡野久一

2020-01-14 09:36:58 | 日記
1956年

国鉄スワローズでは十一日正午、球団事務所でかねてから同チーム入りが内定していた東鉄の根来(ねごろ)広光投手(20)と岡野久一三塁手(20)と正式契約を行った。根来投手は広島県府中高卒、三十年東鉄に入ったころは捕手をしていたがスワローズの西垣コーチに投手としての才をみとめられ、今シーズンは夏の都市対抗で熊谷組に補強され、後楽園のマウンドを踏んだ。秋の産別大会でも全国鉄のエースとして活躍、スワローズのほか広島からも勧誘の手がのびていた。五尺六寸五分、十八貫五百、右投右打の速球投手。また岡野三塁手は茨城県下妻一高出身、根来投手とともに東鉄入りしたが、そのテストに立ち会った西垣コーチが岡野選手のバッティングに一目ぼれし、行く行くはスワローズにと約束していた。五尺九寸、十九貫、右投右打の長距離打者。

森国鉄代表の話 東鉄は国鉄全国大会に十年ぶりに優勝しただけあっていい選手がそろっていたわけだ。それだけにプロからねらわれたが、どっちみちプロへ行くなら国鉄へと話しをすすめた。すでに発表したとおり高校から六人の新人をとったが、この人たちはいわばあすの戦力で、すぐ役立つという意味からとったのが根来君であり、岡野君だ。

根来投手の話 どうせプロに行くなら国鉄へと前から決心していた。早くチームになじんで一生懸命やりたいが、何もわからないのでちょっと不安だ。
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栗本光明

2020-01-14 09:14:08 | 日記
1960年

今季、プロとの契約を破棄したせいか、敗退したチームの選手が、ぞくぞくプロ入りしていく。さきに、日鉄二瀬の財津選手の中日入りをはじめとし、このほど、倉敷レイヨンのエース栗本光明投手(25)も大毎入りが決定した。正式発表は今大会の終了後行なわれる模様。大会前から栗本投手のプロ入りは時間の問題とさえいわれていた。昨年は産別で初優勝するなど、すっかり栗本株は上昇したこのとき、西鉄、大洋、大毎、阪急、巨人などが、さそいをかけたが、栗本自身もふんぎりがつかず、今、都市対抗までのばしてきた。栗本にとって、年齢的にいっても今季が、最後のチャンスだった。今季は、大毎、阪急、巨人(正式には交渉していない)が熱心に、栗本をさそった。阪急は丸尾スカウトが交渉、最後までねばったが、ものにすることができなかった。巨人は直接的には交渉していない。大毎は、親会社を通じて、倉レの本田監督に交渉、栗本自身が身の振り方を本田監督に一任したためにスムーズに大毎入りが決定したわけだ。契約金は約八百万円といわれる。

栗本投手の話 すべては監督さんにまかせている。どの球団がきているかは監督さんが知っている。きょうの夜(三十日)でも、監督さんと相談するつもりだ。ボクの口からいえることは、今大会がノンプロ生活の最後であることはいえる。おそらく産別大会には倉レのユニホームを着て、後楽園へくることはないでしょう。

倉レ本田監督の話 栗本の今後の身の振りかたは本人とその家庭事情、それに会社幹部の意向などを合して決めたいと思っている。いままでに話のあった球団は二球団で巨人と大毎だけだ。それも話だけでこれから具体的な話を聞きたいと思っている。栗本はボクに一任しているので本人のために一番よいように取りはからってやりたい。そのためワタシはこの大会が終るまでこちらにいて栗本のことをなんとか決め帰りに大阪の本社によって会社首脳部に報告してから、最終的な決定にしたい栗本はプロにはいっても、二、三年は立派に投げられると思う。ことしはあまりよくなかった。栗本はあんなものではない。
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