プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岩下光一

2020-01-19 16:38:18 | 日記
1961年

芝工大岩下光一遊撃手(21)は十七日、東京目黒の八芳園で行われた芝工大の祝勝会の席上、パ・リーグ東映入りを明らかにした。同選手は今秋の東都大学最高殊勲選手。春、秋の全二十五試合に連続安打という快記録を作り芝工大初優勝の立て役者となった。1㍍69、68㌔、右投げ右打ち、宮崎県大淀高出身。

岩下選手の話 熱心に誘ってくれた東映に決めました。力いっぱいやります。
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幸村徹哉

2020-01-19 16:31:49 | 日記
1961年

田中勉、与田、下川などの各投手を射止めた今シーズンの西鉄ライオンズは活発な補強ぶりをみせているが、さらにこのほど鹿児島県下で指折りの内野手といわれる照国高の幸村徹哉内野手(18)=右投げ右打ち=の獲得に成功したもよう。内野手と捕手をことしの補強目標にうたってきた西鉄としてはまず内野陣補強の第一弾に成功したわけだ。同内野手は1㍍75、70㌔、豊田ばりのファイトとリストをきかした鋭いバッティングで高校ばなれした迫力のある打棒の持ち主。一年のときからすでに同校の正三塁手として活躍、昨年の沖縄遠征には鹿児島選抜チームの一員として参加している。素質の点からいえば、今夏甲子園大会で活躍した鹿商の篠原三塁手をしのぐほどの大ものとさえいわれる。昨年から目をつけていた大毎と大阪在住の長兄の線から勧誘をつづけてきた阪急とがせり合ったが、同選手が、あこがれの豊田遊撃手のいる西鉄入りを強く希望したことから、西鉄入団がほとんど確実視されるようになったもの。正式契約は十二月上旬になるもよう。
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バークベック

2020-01-19 16:21:39 | 日記
1995年

「完敗ですね。完全試合をやられた感じ」最後まで打つ手がなかった広島・三村監督の言葉だ。野村や江藤のバットがあっけなく空を切る。リーグを代表する打者たちがぼう然と戻ってくるのだから、ベンチはお手上げだ。速球はせいぜい140㌔。一見、軽く投げているように見えるし、球威もない。だが、それがすべて打者の手元で微妙に変化する。さらに数種類のカーブとシンカー、チェンジアップもあって投球に幅がある。初球からポンポンとストライクを奪ってくる。広島は内野ゴロが実に14。5安打も内野安打が2本と、会心の当たりは1本もなかった。制球難で解雇されたシュワーズに代わり、シーズン途中の入団。七月二日に初登板で初勝利。そして、今度は大洋時代を通じ球団史上初という外国人投手の完封劇。「たいした投手が来たもんだ」と近藤監督。横浜にはうれしい先発要員となりそうだ。「これがプロでちょうど100勝目なんだ。うれしく思うよ。でも、完封なんて1984年の1A以来で、よく覚えていない」メジャーとマイナーを行ったり来たりの13年目のベテランは、キャリアの豊富さを、味のある投球で実証してみせた。
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ジェンク

2020-01-19 16:12:43 | 日記
1962年

近鉄バファローズに入団が決まっていたロバート・ジェンキンス一塁兼外野手=1934年8月15日カリフォルニア州メリーランド生まれの二十七才、1㍍90、90㌔、右投右打=は十七日午後九時羽田着の日航機で来日、十八日午後四時から大阪阿倍野の近鉄球団事務所で入団契約(1年)を完了した。背番号24登録名はジェンク、近鉄は先にマンコビッチ投手を決めていたが彼の来日が難航、そこで本人が来日を希望、またミケンズの推薦するジェンクに交渉、入団手続きを完了したもの。ジェンクは1957、8年の2年間3Aに在籍、59、60年の二年間は2Aに落ちている。1953年当時はブルームと同様にマックと同リーグで活躍、絶えず三、四番の中心打者であった。昨年はプレーをやめ家具製造の技師として働いていたため一年間のブランクがある。家族はリー夫人と子供二人がおり近く来日するが、それまではミケンズの宿舎初音荘に同居する。なおジェンクは十八日午後六時から日生球場で行われた練習に早速参加した。

永江球団社長の話 ジェンクは向こうでは絶えずクリーンアップを打っていたので近鉄でも中心打者の一人として期待にこたえてくれると思う。

別当監督の話 はじめ投手をとりたいと思っていたが、マンコビッチの来日がうまくいかなかった。
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青木勝俊

2020-01-19 15:59:35 | 日記
1962年

西鉄の新人の中でいちばん顔をきかせている。中西監督も豊田助監督も、みんながこの青木を知っている。「オォッス!」と気軽におえら方とことばをかわすほどだからたいした選手だ。それも道理この青木君はことしで二年めを迎えるからだ。新人でない新人。ちょっとおかしな話だが、その理由をただしてみよう。実はこの青木君、球界でも珍しいアルバイト選手だった。ことのおこりは昨年の二月のこと。捕手難に頭を痛めた球団が、キャンプ用にアルバイト捕手八人を募集した。このときに応募したのが青木君で、なかなか熱心に活躍した。捕球もうまく、しかも95㍍を投げるという強肩だ。球団側でも「ついでにシーズン中もやってもらおうか」ということになった。もちろん青木君としては願ってもないこと。「三度のメシよりも野球が好き。それに大好きな中西さんや豊田さん、稲尾さんらといっしょにおれるんですから…」ということで、大喜びで一シーズンをすごした。そうこうするうちに中西新監督の登場となったが、その中西監督から突然呼び出され「お前は来シーズンから正選手だ」とありがたいことば。青木君の驚きようは大変なもの。「ちょっとその間、息がつまりそうでした」という。アルバイトから本採用になったわけで、給料もぐんとあがった。いわばシンデレラ・ボーイとでもいうところ。それだけにいつも青木君の表情は明るく全選手からかわいがられている。「やるからには一度でもいいから試合に出たいがそんな欲をいってもはじまりません。しかし一生懸命やっておれば必ずチャンスがあると思う。だけど背番号をもらっただけでも満足です」と気合いを入れている。家業は燃料商で、母と弟の三人暮らしだそうだ。昭和十八年六月八日生まれ。1㍍73、75㌔、十二日から香椎の西鉄寮に入った。
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財津守

2020-01-19 11:48:09 | 日記
1960年

中日入りが内定していた日鉄二瀬の財津守選手(22)=大分県日田高出身=は、十五日名古屋市中区西川端町の球団事務所で正式に契約する。身長1㍍73、体重70㌔。左投げ左打ちで一塁手兼外野手。昭和三十四年、三十五年と二瀬の四番を打ち、二年間を通じて三割四分の打率を記録している。背番号は「54」。

中日ドラゴンズでは十五日午後二時四十分から、名古屋市中区西川端町の球団事務所で松田常務、濃人監督立ち会いのもとにノンプロ日鉄二瀬の財津守選手(23)と正式契約を完了した旨発表した。背番号は54番。財津選手は大分県日田高から昭和三十二年日鉄二瀬に入社。一年めから一塁手として現中日の江藤選手とともに第一線で活躍、江藤が四番、同選手は前半五番、後半三番を打った。翌三十三年から四年間は毎年三割台をマークしている。昨秋から外野を守り、ノンプロ球界では典型的な中距離ヒッターとしてならした。1㍍75、70㌔、左投げ左打ち。
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村上俊義

2020-01-19 11:38:30 | 日記
1960年

阪神タイガースでは三十日午後三時から大阪梅田の電鉄本社で村上俊義投手(19)=ブリジストンタイヤ勤務=の入団を発表した。 同選手は昨年東筑高を卒業すると直ちにブリジストンタイヤに入社、権藤投手(現中日)とともにノンプロで活躍してきた左腕の本格派で速球に威力がある。プロからは阪神のほか中日からも勧誘があったが阪神は藤本監督の強い要請で六月はじめから交渉、獲得したもの。左投げ左打ち、1㍍76、70㌔、背番号61。

戸沢代表の話 藤本監督とともにまえから左投手がほしいと思っていた。登録すみしだい戦力に加えるが、伏兵として楽しみだ。

村上投手の話 いま自信があるかといわれても困るが、プロに入った以上がんばるつもりだ。目標は権藤さんに負けないように、ただそれだけです。
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西脇興司

2020-01-19 11:28:44 | 日記
1962年

「高校のときは軟式野球でしてん。硬球を握ったのは経大に入ってからです。プロに入ることがわかってんねんやったら、もっとはよから、やっとったらよかった。えらいソンですわ」と大阪弁でまくしたてる。大阪のど真ん中。谷町の生まれである。ライオンズにずいぶんと浪速っ子が増えたものだ。坪内コーチ、難波、近藤、鹿谷、安藤、中峰と数えたてると七人になった。練習中に関西弁がとびだす一幕もめっきり多くなった。出身高校は浪商とならぶ野球の名門校興国商で中峰の二年先輩にあたる。しかし西脇が軟式野球部にいたため、二人ともあまり知らないそうだ。軟式から硬式への切りかえは、大阪の経済大学へ進学してからのこと。三年ごろから頭角を現し、その年の近畿六大学野球春季リーグ戦で三割六分の高打率をあげ、ベストテンの三位にランクされた。その後は毎シーズン三割台をマークして、連続四回もベストナインに選ばれている。ポジションは一塁。これが西脇の球歴だ。西脇はプロ入りについて「プロである以上は、実力が大きくものをいう。第一人者になれる自信がなければ、あつかましくプロ入りなどしなかった。しかし自信だけに終わらないよう、つねに努力をつみかさねたい」と力強くいった。現在の目標はウエスタンリーグで先輩の植田一塁手をライバルとして、一日もはやく追い抜くことだそうだ。深見コーチは「足が速く、肩も強い。技術的にはまだ未完成だが、努力さえすればものになる選手だ」と期待している。昭和十五年一月二十一日生まれ、身長1㍍81、体重75㌔、右投げ右打ち。
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荒木和成

2020-01-19 11:18:51 | 日記
1962年

近鉄バファローでは二十七日荒木和成投手(18)=大分県日田高二年中退=の入団を発表した。同投手は中九州地方では好投手といわれ、速球とドロップを武器とする本格派。門岡投手の高田高にも二度投げ勝っており、藤井寺球場で別当監督、野口コーチがテストした結果入団を決定した。身長1㍍73、体重69㌔、右投げ右打ち、背番号67。
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下川満康

2020-01-19 11:14:34 | 日記
1961年

西鉄ライオンズはこのほど大川高の下川満康投手(18)の獲得に成功した。同投手は右投げ、右打ち、1㍍80を越える長身から投げおろす速球には威力がある。同投手は上級学校への進学を希望していたが、最近になって西鉄入りを決意したものとみられる。
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梁川在雄

2020-01-19 11:09:50 | 日記
1961年

阪急ブレーブスでは十日午後一時半大阪市北区梅田の球団事務所で梁川在雄(ありお)外野手(21)の入団を発表した。同選手は広島県松本商高から関大経済学部に入学。一年秋のリーグ戦からレギュラーとしてリーグ戦に出場、三十六年度春季リーグ戦に三割三分七厘で打撃成績七位、同年秋二割九分六厘で十一位の成績を残している。去る五月一日阪急のテストを受け、このほど入団が決定したもの。昭和十六年一月十日生まれ、身長1㍍76、体重74㌔、右投げ右打ち、背番号「65」
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野崎洋

2020-01-19 10:58:25 | 日記
1961年

阪神タイガースでは二十一日、ノンプロ長崎大洋クラブの野崎洋投手(18)の入団を発表した。同投手は今春、長崎南山高を卒業、高校時代は投手兼外野手として活躍。大洋クラブでは主戦柴田投手にかくれて目立たたなかったが、打力を買われ五番打者をつとめていた。1㍍74、70㌔、左投げ、左打ち。
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モンテ

2020-01-19 10:53:06 | 日記
1995年

マジメ外国人といえばパウエル選手が代表的ですが、新外国人のモンテ投手も実にマジメ。びっくりしたのは7月3日、ナゴヤ球場でのブルペンでした。そのマウンド付近で、1個のボールを手に約10分間、鈴木コーチとブロークン・イングリッシュで何やら話をしていました。鈴木コーチに聞くと、「シュートの投げ方を教えてくれって言うんだ」と、来ました。モンテ投手といえば、1日の横浜戦で先発しながら6失点KOで沈んだ、実にその直後のことです。しかし、大リーグでは23勝投手、普通だったら鈴木コーチに「シュート」なんて言ってきませんよね。それが、モンテ投手は素直に言ってきたんです。「どうも、スライダーとチェンジアップだけではダメと思ったようだね。シュートの握り方を聞いてきて早速、ブルペンでやっていたから」(鈴木コーチ)そういえば、大相撲名古屋場所の場所前、モンテ投手は6歳と4歳のお嬢さんを連れて名古屋市西区の大島部屋に、相撲見学に行ったことがありました。鈴木コーチに頭を下げ、さらに相撲見学と、日本に溶け込もうという姿勢が十分見えるモンテ投手。こういう選手には、ぜひ頑張ってほしいですよね。
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河野薫・黒木勉

2020-01-19 10:44:44 | 日記
1961年

有力新人の補強に意欲的な西鉄ライオンズは、さらに宮崎県都農高の河野薫三塁手(18)=右投げ右打ち、1㍍73、71㌔=と、黒木勉二塁手(18)=右投げ右打ち=1㍍70、69㌔=の両内野手を獲得したもよう。河野は同校の主将で五番を打ち、定評のある好打者。またうごきのはやい守備をみせ、肩がめっぽう強い。黒木はやや小柄だが、長打力のある四番打者。両選手とも打力を見込まれての西鉄入りとなったもの。なお西鉄はこれで八選手(投手3、捕手2、内野3)を補強したわけだが、九州地区での補強は終わり、あとは東京駐在の宇高スカウトが、東北、中部地方から二、三人の補強を予定。
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