プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

泉嘉郎

2020-01-07 18:42:02 | 日記
1963年

高校球界の好投手として、プロ各球団から入団を誘われていた菰野高の泉嘉郎選手(17)=三重県三重郡朝日町字東芝社宅=は、七日パ・リーグの南海入団が正式に決定した。身長1㍍77、体重76㌔、右投げ、右打ち。
同選手は三重県明和中学時代から、速球投手として県下の中等野球のナンバーワンだった。菰野高に入学すると、一年生から登板しこの三年間エースとして活躍してきた。今夏の甲子園大会三重県予選では、南勢高を10-0、鳥羽商船を9-1とくだし、三回戦で優勝候補の四日市工に1-4と惜敗した。長身でオーバーハンドから投げ込むスピード球、シュートにすばらしい威力をもち、球界関係者はそのダイナミックなピッチングを高く評価していた。今夏の三重県予選で、三重高の監督をつとめた滝現中京大監督は「菰野高は泉投手のワンマンチームだった。彼のピッチングで一番魅力なのは、タマがすばらしく速いことだ」と語っている。ノンプロの各チームでは、同選手の勧誘に大ぜい集まり争奪戦を演じていた。同選手をスカウトした南海の伊東四郎氏は「泉選手は二年生のころからマークしていた。ことしの春ごろからうわさがひろまり心配したが、ようやく入団の話し合いがついた。泉投手はもと南海のエースとして活躍した服部投手のようなタイプだ。それに打力もいいし、だれにも負けない強い度胸の持ち主であり、野性味豊かなピッチングは魅力だ」といい、鶴岡南海監督は「みっちり鍛え込んだら一人前になる」とその力量を高く買っている。家族は正司さん(51)=東芝三重工場勤務=。とみさん(42)両親の長男。

父親正司さんの話 ノンプロの住友金属、三重交通、愛知マツダをはじめ大学は関西の各校から誘われました。はじめは大学へ進学の予定だったが、私も会社定年もあとわずかで、苦しいので、お断りしました。本人もぜひ一度プロで力をためしてみたいといっているので、むすこの希望もとりいれて、南海にお世話になることにしました。
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高尾正広

2020-01-07 18:27:52 | 日記
1963年

高校野球長野県ナンバーワン投手として、大洋、南海、中日から入団を誘われていた天竜高のエース高尾正広選手(17)=長野県下伊那郡天龍村字平岡八九八番地=は、パ・リーグの南海入団が決定。南海はさる八日同選手の下宿先飯田市で、正式に契約を結んだ。同選手は身長1㍍76、体重70㌔、右投げ、右打ち。今春、同校野球部が東海地区に遠征、名電工を6-0、岐阜高6-0、岐阜短大附高6-0、岐阜商を1-0といずれも総なめ。中京商には連敗したが、高尾投手は中商打線を3安打に押え、13個の三振を奪った。この活躍で好投手の評判をいっぺんに広めた。
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古井紘司

2020-01-07 18:20:07 | 日記
1962年

プロ野球セ・リーグ大洋ホエールズのテストに合格した元北陸銀行の投手古井紘司君(20)=富山市草島=の入団発表は三十日午後一時半から東京銀座の大洋球団事務所であった。古井君は父親の敏正さん=建設省高岡工事事務所勤務=の付き添いで上京、事務所では同球団の保井スカウト部長から「古井君は高校卒業後二、三のプロ球団からさそいがあったが家庭のつごうで北陸銀行に入社した。その間、県最優秀投手になるほどの活躍で速球型の本格派である」と紹介された。古井君はちょっとはにかみながら「私の得意なのはストレートですが、プロ野球で通ずるまでにはかなりの努力が大切だと思います。コーチャーの指導で基礎から勉強し直すつもりです」と意欲を燃やしていた。古井選手はきょう一日から川崎市等々力の球団宿舎にはいり、練習に参加する。
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谷口勝範、小林誠

2020-01-07 18:12:27 | 日記
1963年

国鉄球団は、十九日テスト合格者二名を発表した。これは国鉄で九月九日大倉山で東京、神奈川地区の応募者三十九人、同十一日大宮で埼玉など関東地区二十九人の応募者を集めてテスト、以来随時テストをくりかえして振りおとし、この両選手を選んだもの。

投手 谷口勝範(19)1㍍81、75㌔、東京駒場学園高出身、昨年三月卒業後川口の永幸工場に勤務、ことし七月同チーム解散とともに退社、応募したもの。右投げ、右打ち、速球もありテスト生の中では群を抜いていた。

内野手 小林誠(18)1㍍75、73㌔、福島保原高三年、右投げ、右打ち。
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山口春光

2020-01-07 18:05:00 | 日記
1964年

中日ドラゴンズは三日、中日球場内ブレスルームで三島南高の四番山口春光一塁手(18)の入団発表を行なった。同選手は、二月二十日からテスト生として参加していたが、脚力と打力が認められたもの。高校時代の通算打率は、3割5分、右投げ、右打ち。身長1㍍78、体重67㌔、背番号76。
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細田正彦

2020-01-07 18:00:47 | 日記
1964年

市川高校野球部のエース細田正彦投手はこのほどプロ野球国鉄スワローズと正式契約した。細田投手は横手投げの好投手で県大会でも活躍、今夏の西関東大会にも出場している。シュート、スライダーに威力があり、とくに奪三振が多く、一試合平均十個を記録している。国鉄のほか大洋、東京からも勧誘されていた。右投げ、右打ち、身長1㍍77、体重70㌔、打力もいい。中巨摩郡玉穂村乙黒。峡中中出身。
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