プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

マイナー選手 生年月日

2020-01-13 20:29:39 | 日記
山本英規(巨人) 昭和20年3月25日
周防清(巨人) 昭和21年1月7日
中原薫(中日) 昭和23年9月13日
望月喜雄(国鉄)昭和20年1月15日
安次嶺栄七(大毎)昭和19年10月10日
愛甲徹(大毎)昭和20年7月6日
金村勝利(阪急)昭和20年6月15日
柴田信夫(大洋)昭和22年3月16日
山田正陽(南海)昭和17年10月25日
林孝彦(大毎)昭和19年2月16日
太田稔(南海)昭和19年7月16日
佐古良雄(大洋)昭和19年8月5日
植田健作(大洋)昭和19年3月26日
向井修三(国鉄)昭和18年5月18日
坂本泰三(南海)昭和18年11月29日
伊藤則男(南海)昭和15年9月22日
岡村和男(南海)昭和20年3月20日
松崎宏紀(大洋)昭和17年8月13日
河野薫(西鉄)昭和18年5月21日
福沢幸雄(中日)昭和12年6月4日
長友安宏(南海)昭和15年5月26日
矢野敬義(南海)昭和17年4月25日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1956年 中日 退団選手

2020-01-13 12:46:50 | 日記
1956年

中日ドラゴンズでは八日名古屋で契約を済ました選手と第一次整理者を次の通り発表した。名古屋地方で契約を済ましたもの原田、加藤、山崎、本多、徳永、石川勝、河合、井上、仁羽、伊奈、早川、酒井、中山、田原、戸田、石川緑、島津の十七名で、さきに東京で契約を済ました西沢、服部、杉下、牧野、杉山の五名を加えて完了した選手は二十二名である。他の大矢根、空谷ら遠隔地の選手は書類で契約を済ませ、整理者は第一次の児玉、大島についで第二次十四名が発表された。(カッコ内は退団後の行先)

移籍選手 太田敏(東映)
自由契約選手 山本文哉(東海理化学電機)吉岡秀雄(CBC)伊藤健(未定)高山邦男(自家営業)田代政利(自家営業)千葉英二(未定)佐々木元治(知高加KK)金子文弘(ダイハツ)尾崎時雄(ダイハツ)水谷工(東海理化学電機)奥原為雄(東海理化学電機)伊藤正志(東海理化学電機)
任意引退選手 船津亨

平岩代表の話 来年度の構想は天知監督と話して十二、三日ごろまでに決定して発表したい。もちろん幹部もどうなるかいまのところは決まっていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本英規

2020-01-13 12:29:37 | 日記
1962年

さきに巨人入りが決まっていた広陵高の山本英規選手(18)=1㍍75、80㌔、右投右打=の入団発表が、三十日午前十一時から銀座西の読売本社五階会議室で行われた。巨人側から高橋社長、正力亨副社長、川上監督が出席したが、さすがに大物選手の入団とあって首脳陣もえびす顔。両親の山本銀一さん、コサミさんにつきそわれた山本選手は、記者団の質問に顔をあからめてボソボソ。いかにも純朴そうな表情に川上監督が助け舟を出す一幕さえあった。

同選手は高校一年のときから広陵に山本ありとさわがれた強肩好打の選手で、高校での通算打率は四割強をマーク、特に長打力も備え、ことしすでに5本のホームランを飛ばしている。なお同選手は午後二時から多摩川での練習を見学した。研修期間は百試合。背番号は未定。

ー巨人入りの動機は。
山本 小さいときから巨人が好きでしたし、同じ野球をやるなら巨人でと思っていました。
ー野球をはじめたのはいつか。
山本 中学一年からです。そのころはずっと投手で、内野をやるようになったのは高校に入ってからです。
ーいままで当たった投手でこわいと思った投手は。
山本 ありません。下関商の池永君ともやりましたが、たいした投手とも思いません。
ーベース・ランニングはどれくらいか。
山本 16秒です。あまり早くありませんが…(笑い)
ー目標とする選手はだれか。
山本 やはり長島さん、王さんです。そのためにも一生剣舞がん張ります。

川上監督の話 山本君がウチに入ってくれたことを喜んでいる。体もいいし、これから大いに伸びる素質を持っているので、近い将来有力な五番打者となるだろう。

長島選手の話 いままでボクのあとがまがいなかったので山本君の入団はうれしい。体もいいそうだし、立派な選手になるだろう。控えがいると思えば安心してプレーできるからね。当分は追い越されることもないだろうが、若い人が入ってくれることはいいことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田治之

2020-01-13 11:15:13 | 日記
1964年

カープの第二次秋季練習に指名参加しているのは来季の飛躍が期待されている若ゴイばかり。そのなかでもとくに注目されているのが山田外野手。この春、名古屋電工から捕手としてテストを受け入団、打棒を生かして野手に転向、持ち前のファイトと馬力でグングンと頭角を現わし、早くもレギュラーへあと一歩。秋季練習以前にはこれだけ台頭するとは予想されていなかっただけに、コーチ陣の喜びもひときわ大きい。山田の魅力はすごい馬力だ。1㍍75、75㌔のがっちりしたからだは、巨人の池沢をひとまわり大きくした感じ。その丸太ん棒のような腕からはじきだされる打球はまるでピンポンダマのよう。真っシンに当たれば軽くオーバーフェンス。最近では打撃フォームもすっかり安定、それだけ確実性が増した。4分間のバッティング練習中、ポップフライはわずかに4、5本。ほとんどがライナーだ。ケージの後方で見つめる平山、上田両コーチの目も一段と光る。「とにかくよい素質を持っている。12球団を捜してもあれだけ力のある選手はざらにいないだろう。からだも柔らかいし、目もいい。だから多少ポイントが狂っても打てる。ただ変化球を打つとなると疑問もある。いまやかましくいっているのはわきのあまさだ。それに腰で打つことをマスターしたらまだまだ打球ははやくなるし、変化球にもついて行けるようになる。もともと柔軟性はあるし、覚えも早い。とにかくうちになかった魅力のある選手だ」と目を細めて平山コーチは話す。根性もいい。すごいファイトの持ち主だ。ナインからトッカン小僧の愛称で呼ばれているほど。タマをまったくおそれない。スライディングも頭から突っ込んでいく。打球にたいしては体当たり。からだにボールの当たったあとが赤くはれているが「ボクは未熟でしょう。それを補うにはタマにくいつき、からだで覚える以外にないですよ」とすましたもの。上田コーチも「あいつの根性には頭があがる。それに性格もいい。肩も足もなかなかいいよ。うちとしても右の外野手が少ないので大いに期待しているんだ」と話す。山田と大の仲よしの安仁屋は「トッカンといっしょだと苦しみなんて忘れてしまう。だからトッカンのへやはいつも満員。これまでは女の子の話や、映画、パチンコととりとめのない話が多かったのですが、最近はすっかり変わって野球のことばかり。欲が出たんですね。朝は七時からバットスイングや体操をやっていますよ。ボクもうかうかできません」とにかく現在の山田は希望でいっぱいだ。英才グループに残されたことが転機となり、大きな励みになっている。「こんなに野球が楽しいと思ったのは初めてです。いまでは安仁屋、西川さんたちはまったく別世界の人のように思えもしたが、いっしょにプレーしていると、自分でもできるんだ、いや、やらねばいけないんだと自信らしいものが自然に植えついてしまって…。努力すればそれだけむくわれる世界にいるのですから張り合いがありますよ。グラウンドに、名声もお金も落ちているんですものね」話す表情も底抜けに明るい。まだ十九歳だが、すでにプロ根性がしみついている。「基本をまったく知らずプロ野球にとび込んだ僕にはさびしさだけがいやに目につくんです。でもそれが一層ファイトを盛り上げるし、それらを突き破らねばこの世界といわずどこでも通用しませんから。とにかくだれにも負けないようがんばるだけです」と話したあと「ボクは最近一軍でバンバン打ったーなんていう夢をよく見るんです。早くファンの前でプレーして見たいです」これも現在の彼ならそう遠い日のことではなさそうだ。平山コーチがそれを裏付けてくれた。「来年はとにかくキャリアをつけさせる意味で、二軍戦、オープン戦をとわずどしどし出したいね。あいつの馬力とファイトはきっとゼニになる。代打といわず、常時出場を目標にやってほしい。トッカンならやれる」と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田忠男

2020-01-13 11:13:07 | 日記
1960年

大洋ホエールズはこのほど、九州高校№1のキャッチャー、日南高の山田忠男(18)選手の入団を内定した。日南高は春の選抜高校野球大会出場のポイントとなる昨秋の県高校野球では決勝で大宮高に破れ、夏の予選では都高に準決勝で負けるなど、大きな大会には出場していない。しかし山田選手は九州高校球界では強肩強打のキャッチャーとしての名が高く、大洋をはじめとして、西鉄、近鉄などからマークされていた。大洋は田村スカウトが、七月大分中津東高の原田投手獲得に九州に飛んだときから、執ように食いさがり、他球団をケ落として、このほど入団の内定をとったもの。契約はちかく田村スカウトが宮崎に行き、両親と会ったうえで正式に行う。(身長1・73㍍、体重65㌔、右投右打)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グリヒン

2020-01-13 11:12:35 | 日記
1963年

近鉄バファローズは、さきにテスト中だったウィリアム(通称ビル)・グリヒン投手=1㍍83、80㌔、左投右打、ワシントン州立大出=の採用を決め、パ・リーグおよびコミッショナーに届け出た。グリヒン投手は十日の対大毎戦(東京)から出場できる。同投手はPOL(3A級)ポートランド・ビーバースで活躍していた。背番号28。

グリヒン投手の話 昨年はパシフィック・コースト・リーグのポートランド(3A)で3勝4敗だった。リリーフがおもだったが先発もOK。ストライク・ゾーンも米国と変わらないし、大いにがん張りたい。

別当監督の話 うちは投手難だし左投手が一人(井上)だけしかいないこと。それに、いろいろな種類の球を持っているので採用することにした。左打者に使うつもりだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする