1993年
ドラフトへ向けての巨人の誘いに、「逆指名」でこたえるまでの二週間、悩みに悩んだ。今月初めの社会人、大学計三チームとの練習試合で、めった打ちにあって15失点。「プロに入っても通用しないのではないか。社会人チームに進もう」一度はこう決め、それまでに誘いがあった広島、近鉄に断りの電話を入れた。その後、思いもかけなかった巨人からの勧誘。小さいころからのファンだけに心が動いた。「大好きな巨人」という理由だけでなく、同窓のライバル、関根裕之の日本ハム指名受諾も微妙に影響した。名門の東京・岩倉高時代からエースで鳴らした関根は、大学に入ってすぐに登板、二年生の時には大学日本一にも貢献する投球を見せていた。対して、一、二年生では鳴かず飛ばずだった三野。ブルペンで並んで投げている時、「いつか越えてやる」と常に思っていた。その関根がプロ入りするのならオレも、となったのだ。雌伏の間にやったことはただ一つ、自分の体を徹底的にいじめ抜くことだった。本来、今どきの若者には珍しいストイックな性格で、ランニングや筋力トレーニングといった苦しい練習もいとわない。授業や練習以外の時、寮に姿が見えないと、グラウンドか室内トレーニング場を探せば必ず見つかる、という練習の虫。下級生たちは「天性の関根、努力の三野」と評した。球速は高校時代より10キロ近く速くなって147キロ、コントロールも安定してきた。カーブ、スライダー、フォークをまぜながら、速球主体にグイグイ押すタイプ。大学の先輩、横浜・斎藤隆に似ているが、本人の好みは広島の北別府、元西武の東尾のような「投球術を持ったピッチャー。ないものねだりですかねえ」粗削りの面もあるが、逆に未知数の魅力も十分。まだ肩を酷使していないこともプロで成功する要素の一つだ。