1992年
契約金7500万。昨年の都市対抗では住友金属の補強選手としてリリーフで活躍し、ベスト4進出の原動力になった。日本選手権では準優勝、敢闘賞を受賞。コントロールがよく、スライダーもよくキレる。即戦力で若手投手ぞろいのヤクルトに刺激を与えそう。
(ユマ)ルーキー左腕の西岡洋の評価が高まっている。切れのいい球をコース際によく投げ分け、野村監督も「安田(現コーチ)二世」と絶賛。本人の方も「全力で投げても打たれてしまうもの。ごまかし人生です」とまさに安田二世を地でいっている。
西岡洋のオープン戦デビューは鮮烈だった。7日、千葉マリン球場でのロッテ戦、3番手として7回からマウンドに立った。そしてマックス、ディアズの両助っ人からの連続奪三振。2イニングを打者6人、3三振の「パーフェクト」投球をやって見せた のだった。どんと胸を張ってコメントも弾んだ!?「まあ持ち味の、低めへのコントロールはよかったんですが、まだまだ。文句なし?とんでもない。文句ありありですよ。リリーフで出たからにはパッパッと行かないと、ボールが先行しましたからね」周囲の予想に反して、実に厳しい自己採点だった。それだけに投球内容以上に、「これは行ける」「使える」の頼もしさを印象づけた。ユマ・キャンプにはルーキーの3投手が参加したが、首脳陣の即戦力評価が一番高かったのが、この西岡洋だった。制球力、スライダーの切れに、140㌔のストレートも目を引いた。加えて左腕、社会人出身の精神的ズ太さも、評価を上げた要因となった。オープン戦登場も3投手では一番乗り、そして2回「完全」の結果はその評価の正しさを証明していた。「次は先発テストをさせたいね」といったのは石岡投手コーチ。開幕一軍はもう大前提として、起用法決定のテスト段階に突入していたはずだった。だが、その先発テストどころかオープン戦も、中盤を過ぎて2試合目の登板が巡ってこないのだ。予定では15日、大分での広島戦が先発登板になるはずだったのに‥。「西岡?いや、ねえ。故障じゃないって?まあまあ、いいじゃないの」登板機会が流れ続ける西岡洋に対しての石岡コーチのコメントは、徐々にトーンダウンして要領を得ないのだ。故障?春季第2次西都キャンプ終盤、西岡洋は両足のふくらはぎにハリを訴え、紅白戦登板を回避したことがあった。その再発も十分に考えられる。西岡洋がオープン戦から遠ざかる間に、ドラフト1位・石井が150㌔近い速球を披露し、すっかり「主役」の座を奪われてしまった。とはいえ、キャンプ中の故障以上に悪い状態になっていなければ、決して致命傷とはいえない。実力的にはすでに、一軍の力は実証済みだ。チームに不足の左腕、という魅力もある。石井ほどの派手さはないが、確実な戦力として、首脳陣の評価に変わるところはない。「西岡洋、石井と2人が(一軍枠に)入ると、(戦力的に)大きい」と石岡コーチの、左腕ルーキーへの期待は大だ。
1994年
昨年ファーム7勝。ジュニア球宴にも出場。緩急をつけて打者のタイミングをはずす投球が持ち味。
1995年
台頭が期待される左腕。昨年ファームで防御率4位。多彩な変化球で一軍定着を目指せ。
1997年
ヤクルトから、テスト入団で、猛牛軍団の仲間入りを果たした。ヤクルト時代は左肩の故障に泣いたが、一昨年、手術を受け経過も良好だ。豊富な球種と投球術は、 中継ぎ左腕としての期待も大きい。新天地で、もう一花咲かせるために、心機一転、一軍定着を狙いたいところだ。
1998年
昨季はわずか1試合の登板に終わったが、左のワンポイント・リリーバーとして評価は高い。左殺しの代名詞だった清川が広島へ移籍。ポスト清川の座に、名乗りを上げる。ヤクルト時代に手術した左肩も、今は不安が解消された。繊細なコントロールとクセ球で一軍定着を狙う。
1999年
ヤクルトを自由契約になり、近鉄入団2年目の昨季9月17日のロッテ戦(大阪ドーム)では延長10回一死二・三塁の危機を切り抜け、同点劇を演出。チームを優勝争いに残す貴重な働きを見せた。左腕を生かした頭脳的な投球が持ち味。今季は柴田、西川らの中継ぎ陣に割って入る。