プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

上原晃

2021-04-12 21:50:58 | 日記

1992年

眠っていた素質がようやく花を開くきっかけをつかんだのが昨シーズンだった。中継ぎのエースとして46試合に登板して、自己最多の8勝もマーク。年棒も堂々の2,000万円を獲得した。シーズン当初は、好投を続けていても首脳陣は不安顔。「いつ悪い時のくせが出てきてしまうか」とハラハラドキドキしていたように、技術的にも精神的も好調が維持しないのがこれまでの上原の最大の欠点だったが、1シーズンを乗り切ることができた。上原はその理由を「マウンドに上がったらフォームとかを気にしないで思い切っていくことにしたのが良かった」と精神面を挙げ、また技術面ではフォークを身に付けたのも大きかった。いよいよ念願の先発ローテ入りにチャレンジする今年、この1年間でつかんだ自信は何よりも大きな武器になるはず。ドラの浮沈も、この沖縄っ子の右腕に大きくかかっている。

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松永幸男

2021-04-12 21:49:02 | 日記

1992年

140キロのストレートに、カーブ、スライダー、シュート、フォーク、そこそこの変化球を持ち合わせていながら、それを生かしきれない。マウンドでのプレートさばき、プロ入り3年目で初勝利を目指す松永には、大きな課題だ。「攻めの気持ちを忘れないで投げると、そんなに勝てないような投手じゃないのに」と首脳陣が評価するように、先発、あるいは、中継ぎとふんだん使えるスタミナがあるのは魅力。結婚もした。熱子夫人に初勝利のプレゼントを胸に松永は張り切る。

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山田喜久夫

2021-04-12 21:46:45 | 日記

1990年

ご存じ甲子園の優勝投手。地元高校球界でのアイドル的存在だ。ドラフト5位指名。一時はその評価に反発したのを見ても、童顔に似合わず激しい闘争心の持ち主だ。172㌢の伸長を本人は気にも止めない。「マウンドに立って、大きく見られるようなピッチャーになればいんです」という言葉にも、ちゃんとした裏付けがある。速球、カーブの切れと、コンビネーションで勝負したのは高校時代だ。それに鋭いスライダーもマスターしている。坂口東邦高監督の命令で封印してあったのが、投げなかった理由。そして、目下新しい落ちる球を開発中という。小さな大投手になるために、万事抜かりはない。こんな山田に「さすがV投手だ。先発、中継ぎで、すぐにでも第一線で使えそう」と、前評判は早くも上々だ。

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高橋幸二

2021-04-12 21:43:22 | 日記

1991年

夢の一軍定着に、あと一歩のところまで伸びてきた。昨年は初めて一軍へ上がって、そこそこの結果が出せた。この自信は大きい。コントロールをつけるために速球の球威を多少犠牲にした。だが、再びスピードに挑戦だ。140キロ以上のスピード、それとスライダー、カーブは切れる。その変化球のコントロールはグングンとよくなった。「すべてに磨きをかけ、上で投げたい」、コウジが翔ぶ。

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小橋正佳

2021-04-12 21:40:52 | 日記

1994年

池山の高校後輩。山田勉より高くチーム日本人1のノッポ。高2秋に近畿大会ベスト8。長身から威力ある速球とフォークを繰り出す。自己紹介で「得意なタマはケン制球です」度胸もなかなか。

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西岡洋

2021-04-12 21:35:39 | 日記

1992年

 

契約金7500万。昨年の都市対抗では住友金属の補強選手としてリリーフで活躍し、ベスト4進出の原動力になった。日本選手権では準優勝、敢闘賞を受賞。コントロールがよく、スライダーもよくキレる。即戦力で若手投手ぞろいのヤクルトに刺激を与えそう。

 

(ユマ)ルーキー左腕の西岡洋の評価が高まっている。切れのいい球をコース際によく投げ分け、野村監督も「安田(現コーチ)二世」と絶賛。本人の方も「全力で投げても打たれてしまうもの。ごまかし人生です」とまさに安田二世を地でいっている。

 

西岡洋のオープン戦デビューは鮮烈だった。7日、千葉マリン球場でのロッテ戦、3番手として7回からマウンドに立った。そしてマックス、ディアズの両助っ人からの連続奪三振。2イニングを打者6人、3三振の「パーフェクト」投球をやって見せた のだった。どんと胸を張ってコメントも弾んだ!?「まあ持ち味の、低めへのコントロールはよかったんですが、まだまだ。文句なし?とんでもない。文句ありありですよ。リリーフで出たからにはパッパッと行かないと、ボールが先行しましたからね」周囲の予想に反して、実に厳しい自己採点だった。それだけに投球内容以上に、「これは行ける」「使える」の頼もしさを印象づけた。ユマ・キャンプにはルーキーの3投手が参加したが、首脳陣の即戦力評価が一番高かったのが、この西岡洋だった。制球力、スライダーの切れに、140㌔のストレートも目を引いた。加えて左腕、社会人出身の精神的ズ太さも、評価を上げた要因となった。オープン戦登場も3投手では一番乗り、そして2回「完全」の結果はその評価の正しさを証明していた。「次は先発テストをさせたいね」といったのは石岡投手コーチ。開幕一軍はもう大前提として、起用法決定のテスト段階に突入していたはずだった。だが、その先発テストどころかオープン戦も、中盤を過ぎて2試合目の登板が巡ってこないのだ。予定では15日、大分での広島戦が先発登板になるはずだったのに‥。「西岡?いや、ねえ。故障じゃないって?まあまあ、いいじゃないの」登板機会が流れ続ける西岡洋に対しての石岡コーチのコメントは、徐々にトーンダウンして要領を得ないのだ。故障?春季第2次西都キャンプ終盤、西岡洋は両足のふくらはぎにハリを訴え、紅白戦登板を回避したことがあった。その再発も十分に考えられる。西岡洋がオープン戦から遠ざかる間に、ドラフト1位・石井が150㌔近い速球を披露し、すっかり「主役」の座を奪われてしまった。とはいえ、キャンプ中の故障以上に悪い状態になっていなければ、決して致命傷とはいえない。実力的にはすでに、一軍の力は実証済みだ。チームに不足の左腕、という魅力もある。石井ほどの派手さはないが、確実な戦力として、首脳陣の評価に変わるところはない。「西岡洋、石井と2人が(一軍枠に)入ると、(戦力的に)大きい」と石岡コーチの、左腕ルーキーへの期待は大だ。

1994年

 

昨年ファーム7勝。ジュニア球宴にも出場。緩急をつけて打者のタイミングをはずす投球が持ち味。

 

1995年

 

台頭が期待される左腕。昨年ファームで防御率4位。多彩な変化球で一軍定着を目指せ。

 

1997年

 

ヤクルトから、テスト入団で、猛牛軍団の仲間入りを果たした。ヤクルト時代は左肩の故障に泣いたが、一昨年、手術を受け経過も良好だ。豊富な球種と投球術は、 中継ぎ左腕としての期待も大きい。新天地で、もう一花咲かせるために、心機一転、一軍定着を狙いたいところだ。

 

1998年

 

昨季はわずか1試合の登板に終わったが、左のワンポイント・リリーバーとして評価は高い。左殺しの代名詞だった清川が広島へ移籍。ポスト清川の座に、名乗りを上げる。ヤクルト時代に手術した左肩も、今は不安が解消された。繊細なコントロールとクセ球で一軍定着を狙う。

 

1999年

 

ヤクルトを自由契約になり、近鉄入団2年目の昨季9月17日のロッテ戦(大阪ドーム)では延長10回一死二・三塁の危機を切り抜け、同点劇を演出。チームを優勝争いに残す貴重な働きを見せた。左腕を生かした頭脳的な投球が持ち味。今季は柴田、西川らの中継ぎ陣に割って入る。

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沼田浩

2021-04-12 14:13:23 | 日記

1996年

初芝高からデュプロ入り。昨年は快速球を武器にチームを18年ぶりの都市対抗戦出場に導いている。昨年夏の京都市長杯対JR九州戦では最速152キロのスピードをマーク。筋肉質のバランスのいい体、サイドハンドからくり出す高速スライダーでローテーション入りを狙う。昨年のドラフトで日本ハムがその獲得に全力をあげた秘密兵器。

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平松省二

2021-04-12 14:10:47 | 日記

1996年

 

会津農林高からヨークベニマル入りし、3年目からエースとして活躍。平成5年の都市対抗東北大会では3連投の放れわざでチームの優勝に貢献。昨年夏の都市対抗戦にはNTT東北の補強選手として出場している。最速145キロの速球とカーブ、スライダー、フォークの変化球を駆使する右の本格派。制球力も安定しており、沼田、黒木との社会人三羽ガラスの先陣争いが見ものだ。

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高柳出己

2021-04-12 09:21:26 | 日記

1988年

待望の大型新人誕生!それはV奪回への切り札となる。187㎝の長身から140キロを超えるストレート。だがそれ以上の武器はフォークだ。人並みはずれた大きな手を授けてくれた両親に感謝をしている。社会人で5年間投げ抜いた男が、ひのき舞台に躍り出た。大きな手でつかむのは同い年の阿波野に続く新人王だ!!

1992年

ようやく来た、というのが猛牛党の偽らざる気持ちだろう。近鉄投手陣の中でもその実力は高く評価されていたのだが、今までは何故か闘志が前面に表われてこなかった。そして昨年、ようやく実力の一端が見え始めた。7月初め、ロッテに10安打されながらも完封勝ちをしてからは、連続完封を収めるなど大活躍。チームを首位に押し上げると同時に、プロ入り初の月間MVPを獲得。ピンチにも動じない精神力が、高柳に好成績をもたらした。プロ4年目で初めて規定投球回数をクリア。今年はさらなる飛躍を誓う。「今年こそ2ケタを」静かなる男が今季は熱く燃えている。

1993年

無欲の男が変身した。前半戦は白星と黒星が交互に続くオセロ状態が続いた。好不調の波が激しくベンチをイライラさせることもあった。だが高柳のピッチングはこれまで見られなかった粘りが確かに出て来た。シーズン前には「去年と同じくらい勝てればいいですよ」と答えていた。だがそれは本音ではない。先発ローテーションの一角として責任を果たしたい、という気持ちが高柳の心に「欲」を生んだ。2ケタは絶対に勝ちたいー。結果は8勝。目標には2つ足りなかったが、その成長ぶりは野茂に次いでチーム2番目の完封数「3」に現れた。これまではオリックスキラーといわれてきたが、それから、さらに成長。2年連続で規定投球回数をクリアできた自信は、93年シーズンに必ず生きてくるはず。7勝、そして8勝とゆっくりステップアップしてきた。高柳にとってはジャンプの年。92年に見せたキラリと光る投球術をコンスタントに出すことさえできれば、初の2ケタ勝利も自然に達成できるはずだ。「もうそろそろ結果を見せますよ」と熱く闘志をたぎらせる高柳が猛牛投手陣の浮沈のカギを握っている。

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