プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鈴木哲

2021-04-17 22:22:32 | 日記

1990年

宿敵を意識してか、近鉄の先発メンバーにはBT砲をはじめ、主力どころがほとんど欠場。西武も似たようなオーダーとあって、焦点は西武のルーキー、鈴木哲の投球に。6回、80球投げて、後関に浴びた本塁打を含めて6安打、4失点。数字はもう一つだが、前半と後半の投球はがらりと違った。一回、飛球に対するバークレオの判断のまずさ、清原の一塁悪送球などで足を引っ張られての一死一、二塁。スライダーを後関に右中間スタンドへ運ばれる出足。二回も制球が高めに浮くところを痛打された。「四球を出すまいとフォームが小さくなっていた。打たれてもいいから思い切り良く」と、気持ちを切り替えた三回からようやく持ち味が見えてくる。スリークォーターから繰り出すスライダー、フォークと変化球が鋭さを増し、五回二死から六回まで4者連続三振に抑えて、ソウル五輪にも選ばれた実力派の一端を示した。結局、三回以降は1安打。しり上がりに調子を上げて「二回で終わっていたら荷物をまとめて帰るところでしたよ」と、苦笑いの中にも安ど感がまじった。慶大を卒業する年にかたくなにプロを拒否して話題をまいたが、新しい世界にも居場所を見つけて、波に乗りそうなデビュー戦だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田郁夫

2021-04-17 22:11:55 | 日記

1993年

広島に思わぬ掘り出し物が見つかった。ドラフト7位の雑草サウスポー、池田郁夫投手(18歳、花咲徳栄高)だ。高卒ルーキーながら、早くもオープン戦デビューを実現。3月6日の対西武戦(徳山)で3番手として登板。左のトレンティーノ、鈴木を右飛に仕留め、1安打は許したものの、無失点に封じた。無名に近い池田。同期には左腕が3人。2位・菊地原、6位・多田、8位・高橋顕。特に菊地原は、神奈川県下どころか高校球界の左腕三羽ガラスの一人として注目された素材だが、池田の方が先にデビューを果たしたのだから恐れ入った。しかも、左腕不足の広島だけに、秘密兵器としての期待も高まっている。「こんなに早くチャンスがもらえるとは思ってもみませんでした」その時点でまだ、卒業式も終わっていなかった池田は開幕一軍に意欲満々。上体の力に頼った独特のフォームは故障の不安も感じさせるが、終速139㌔、高校時代最高146㌔の速球は魅力いっぱい。さて、小林誠二以来18年ぶりの高卒新人投手の開幕一軍や、いかに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木健

2021-04-17 21:49:10 | 日記

1992年

3位では昨年の日本選手権で優勝の立役者となった鈴木健投手。今年こそ大洋ドラフト1位の小桧山の陰に隠れる格好となったが、ストレートはMAX148㌔という剛腕だ。社会人での実績もあり、即戦力になり得る素材である。

 

1993年

 

さすがに緊張した。5月4日の対巨人4回戦。4試合目の登板だったが、巨人戦登板は初めてで巨人の面々、常勝という宿命を背負って戦ってきた、あのユニフォームに、意識過剰となった。鈴木は巨人ファンだった。立ち上がりからコントロールが定まらない。先頭の岡崎を歩かせると、犠打のあと、連打を食らった。「特に気をつけなければ」と警戒していたはずの吉村に二塁打を打たれ、原にタイムリーを浴びた。2回にも先頭打者に四球。4回は、原への死球が失点を招いた。5回には岡崎に二塁打を浴びて、一死後に吉村を打席に迎えると、山本監督は鈴木をあきらめ小早川幸をマウンドへ。白星もなかったが黒星もなかった鈴木に、初めて土が付いた試合だった。「カーブはすっぽ抜けるし、コントロールは悪いし、真っすぐは走らないし…。スライダー主体の投球で活路を開こうと思ったんですが、それでもダメでした」山形県出身の朴訥とした若者は、東北人特有の粘りを発揮することができなかった。テレビで見続けていた巨人。好きだったチーム、あこがれていたチームと対戦していることが微妙に、精神を乱したのだろう。平常心で臨めなかったのが災いしたようだ。だが、失敗にクヨクヨしてはいない。范洋とした雰囲気を漂わせているが、実にしたたかで我慢強さを鈴木は秘めている。自主トレからキャンプ前半。同期入団のドラフト1位・佐藤剛が飛ばす。ブルペンでは隣り同士で投げるのだが、佐藤剛はビュンビュンと快速球を投げ込む。対照的に、鈴木はソロリソロリと投げ始めた。すぐに捕手を座らせながら低めに集中させるだけで、球速は抑えた。当然、注目は佐藤剛に集まる。それでも地道に、牛車のように肩作りに励んだ。目立たぬように、ハシャがぬように…。その調整の違いが、開幕からの立場の差となった。佐藤剛はリズム、フォームを崩して球の切れを失い、出遅れてしまった。しかし鈴木は一度、惨たんたる内容の投球をしても次には立ち直り、首脳陣の信頼を得たのだった。初登板が惜しかった。4月14日の対横浜戦(横浜)長富より先に先発。ローテーションの順序は北別府、川口、佐々岡に次ぐ4番目でスタート。6回に2点を失ったが4対2でリードしていた。勝利投手の権利を得て、あとを日本石油の先輩に当たる秋村に託した。しかし秋村が同点とされて、初先発初勝利は消えた。21日の対横浜戦(広島)では5回3失点で降板している。「早く勝ちたい」もちろん切実な願いだ。しかし、先発ローテーションを任されている限りは初白星も時間の問題だ。特に佐々岡が不調なだけに、鈴木の奮闘が期待されている。5月29日には、出身地である山形で対阪神戦が行われる。故郷に錦を飾れるチャンスが巡ってくるかどうかは分からないが、鈴木はその日を楽しみに待っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤剛

2021-04-17 20:51:33 | 日記

1992年

1位入札はバルセロナ五輪銅メダルの伊藤智仁投手だったが、クジで外れ、外れ1位として佐藤剛投手を指名。今年の都市対抗、NTT九州を完封して注目を浴びた投手だ。秋の日本選手権の出場権こそ逃したが、代表決定戦で東芝を1失点に封じる好投をみせた。ストレートは143㌔だが、中里監督によると「初速と終速がそれほど違わない。切れのいいストレートを投げる」そして備前チーフスカウトは「スライダーの切れ、一番の武器のフォークがいい」と絶賛する。いわば「隠しダマ」的存在だった。「ピンチをピンチと思わない。大事な場面で大胆になれる強気な性格」とは中里監督の評。頼もしい21歳なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加世田美智久

2021-04-17 09:56:45 | 日記

1987年

右本格派の加世田は公式戦8試合に登板、5勝3敗でうち完投試合3。

スコアボードにはゼロ行進が続いた。土壇場の九回裏。守備につく都城は一死二塁、一打サヨナラ負けのピンチを迎えていた。マウンド上は加世田。ちらっと走者に視線を送ってから投じた百二十一球目は都城商・西のバットにはじかれライト前に飛んだ。ヒット!二走の松下が三塁を回る。タイミングは微妙だったが、返球を焦った右翼手がボールをこぼし、中継のもたつきもあってか松下が生還。都城は痛恨のサヨナラ負けを喫した。「打たれたのは、どちらもまっすぐ」九回、空振りさせようと投げたインハイの直球を松下に二塁打されて招いたピンチ。次打者の西には前の三打席を二ゴロ、三振2と完全に投げ勝っている。加世田は2ストライクから力いっぱいストレートを投じ、そして敗戦投手になった。「八回まで、すべてがうまくいった。納得できる投球内容でした」前半はカーブを多めに投げたが、一度いい当たりをされたのをきっかけに直球主体に切り替えた。この試合、ピンチらしいピンチは四度。そのうち三度はまっすぐで打ち取った。「本格的な野球をしたい」という理由で高崎中から都城高野球部の門をたたいた加世田。「練習は厳しかったが、強くなるためには当たり前」とこの日の投球同様に一度も野球から逃げなかった。味方打線の援護はなかったが「それより、よく守ってくれた。そっちの方がうれしいです」その目に涙はなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅野智治

2021-04-17 09:45:47 | 日記

1989年

速球派で超高校級の呼び声が高いのが浅野(岡山南)。防御率こそ8位だが、被安打率0.59は1位、奪三振率0.92は3位、春の県大会優勝、中国大会ベスト4の原動力となった。本格的に投げ始めたのは昨秋からだが、プロのスカウトが熱い視線を送る140㌔台の速球に加え、カーブ、フォークと球種も増えた。細かな制球力を身につければ、甲子園でも十分通じる投手だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする