プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中山雅行

2021-04-18 13:52:10 | 日記

1993年

2年目の大野、遠藤がいまひとつ伸び悩む中、「予想外の活躍」(清水監督)を見せたのが183センチ、83キロの大型ルーキー中山(中大)。140キロ台の速球とフォークのコンビネーションがさえ、ヤマ場の二回戦・東芝府中戦では2点に抑える力投。代表決定戦のプリンスホテル戦では、巧みなけん制も披露した。

大物ルーキー中山が両手をVの字に高々と広げ、中堅へ舞い上がるウイニングボールを目で追った。強打が看板の加古川市を5安打1点に抑える公式戦初の完投。名門・東京都が若い力の台頭によって久々につかんだベスト4。「言うことなしのピッチング」就任1年目の清水監督の言葉が弾んだ。フォークボールの連投だった。中山自身は「半分ぐらい」というが、7割近くがフォークではなかっただろうか。今年四月に清水監督が初めて見た時、「低めのストライクゾーンに集まるから三振が取れる」とほれ込んだという独特の変化球。中大時代はほとんど二部リーグにいて知られていないものよかった。一回、先頭の鈴木に二塁打され、バントで一死三塁とピンチに立たされたが、三、四番をフォークで投ゴロ、空振り三振。二回はスコットに「弱いというデータ通りに投げたのに」(中山)という内角高めの球を本塁打され、唯一の得点を許したが、三回一死二、三塁を味方の好守で切り抜けてからは、八回まで1人も走者を出さない完ぺきなピッチングだった。九回に連打をあびてヒヤッとさせたものの、後続をこれも自慢のフォークでピシャリと断ち切った。

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片瀬清利

2021-04-18 13:41:01 | 日記

 1992年

「辛抱が実りました」人のよさそうな顔を少し崩し、遠くを見るような眼を一瞬した。五年目にしてプロ入り初白星。「やっぱり遅かったんでしょうね」3点リードされた五回の頭から登板。負けに近い雰囲気が漂っていたのが、マウンドでの心の負担を軽くしたのかもしれない。左打者の内角ひざ元をスライダーで果敢に攻め、右打者には内懐にシュート。達川の好リードに導かれ、常に逃げない姿勢が成功した。六回、駒田を内角スライダーで空振り三振に仕留めた投球は度胸満点。「コースうんぬんより、真っすぐを思い切りよく、スライダーを低めに、と念じながら投げました。満足です」社会人の東京ガスを経た二十八歳の苦労人は、喜びをあふれさせるのが照れ臭い様子。年棒の五百五十万円(推定)をはるかに上回る貢献ぶりに、山本監督もただ感謝の表情だった。

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関根裕之

2021-04-18 13:35:00 | 日記

1993年

関根は145㌔を超える速球を主体にカーブ、スライダーを投げ分ける大学球界屈指の右の本格派投手。ここ数年、同大学は佐々木、斎藤隆(ともに横浜)らプロで活躍中の好投手を送り出している。伊藤監督も「(関根は)技術的には申し分ない。低めに投げ切れる体力が付けばプロでも十分やっていける」と太鼓判を押した。

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