1975年
五月中旬から16連勝と好調。主戦木村は本格派の速球投手。
木村ー上杉のバッテリーは一年の時からとあって呼吸もピッタリ。今大会屈指の好投手として各チームからマークされている木村は、打者の手もとで伸びる豪速球とカーブをおりまぜ、評判通り安定したピッチングで伝統の早鞆打線から三振11を奪い散発3安打に抑えた。
1975年
五月中旬から16連勝と好調。主戦木村は本格派の速球投手。
木村ー上杉のバッテリーは一年の時からとあって呼吸もピッタリ。今大会屈指の好投手として各チームからマークされている木村は、打者の手もとで伸びる豪速球とカーブをおりまぜ、評判通り安定したピッチングで伝統の早鞆打線から三振11を奪い散発3安打に抑えた。
1964年
東京オリオンズは九日本県糸魚川商工の中谷剛投手(17)の入団を発表した。176㌢、67.5㌔、右投げ右打ち。中谷投手は新潟国体の県代表チームのエースとして活躍、二回戦で北海高を3-2で破り、準決勝では選抜大会準優勝チーム尾道商と互角に渡り合う力投を見せて一躍注目を集めた。速球、カーブを主とする本格派。なお本件出身の現役プロ野球選手は昨年電気化学から大洋入りした平野投手と二人となる。
1989年
2番手は左腕・東瀬。昨秋までの実績はさほどないが、切れのいいスライダーと左腕独特のシュート気味のクセ球を持つ技巧派。卒業した中川の穴を埋める投球はできそうだ。
ヒーローは3安打でリーグ戦初完封をやってのけた東瀬だ。1球ごとに帽子がズレるダイナミックなフォームで打者の内角を突くケンカ投法が実を結ぶ。エース舟山を通り越しての初戦先発。本人は「きのう先発を言われて戸惑いました」と言うが「あいつの持味は強気一本」(高尾コーチ)という性格、燃えないはずがない「打者の顔を見るとむかつくんです。だから攻めるのは内閣の速球だけ。まだ完封の実感はわきません」と自らの快投を振り返った。 先発・東瀬も8奪三振の力投を演じた。
初回・黒須にカーブを本塁打されると「逃げてはダメ、ストレートで押そう」と開き直りの投球で先の早大戦に続き今季2勝目に結びついた。
ガッツポーズをやりかけてあわててやめた。今季無傷の3連勝。それも4年目にして初めて味わう完封勝利にうれしさをこらえるのに懸命だ。「まだ勝ち点を取ったわけではないのでやめたんです。無我夢中で投げていたらいつの間にか終っていたんです」これまでの左の横手投げの変則フォームを今春の宮崎キャンプで上手投げに改造してから急に球威が増した。この日もストレート1本やりで法大を3安打。三塁を踏ませない力投だった。「カーブの投げ方がよくわからないのでインコースのストレートだけ。それを打ち上げてくれたので球がノビていると勝手に錯覚した」という。気の強さはチーム一。特にエース舟山への対抗意識は相当なもの。ふだんはピッチングにしてもランニングにしても決して一緒にしない。投げ込み不足の舟山を押しのけて東瀬が初めて第一戦先発の大任を果した。「バッターの顔を見るとムカつく。相手を抑えるよりバッターと1対1の勝負で投げた」向こうっ気のちう良さが東瀬の真骨頂だ。
1990年
契約金6000万。3年生春に2勝1敗、秋は肩を痛めて0勝0敗だったが、昨年復活、春は3勝0敗、秋は2勝4敗で、6大学通算7勝5敗。140㌔は出るという速球が武器で、6大学左腕№1といわれた。将来性は十分。
「最高のレベルのユニフォームを着られるチャンスを逃せばバチが当たる」と、強い意志でプロ野球にチャレンジだ。今久留主ともバッテリーを組んだ明治大では通算7勝だったが、4年生になってからメキメキ成長した大器。速球の威力十分で将来性ゆたかなサウスポーだ。
1991年
須藤監督をはじめ首脳陣への恩返しがプロ2年目のテーマだ。昨年8月に一軍昇格し10試合目の登板(10月10日)でプロ初勝利。「チームプレーをマスターしきってない僕を我慢して使ってくれて、1勝させてもらった。感謝しています」自分をヘタクソ、発展途上と言ってはばからない。その素直な気持ちと、しなやかな腕の振りから繰り出すスピードボールで期待度、丸特印のサウスポーだ。
1992年
昨シーズンはケガに泣いた。「最も楽しみにしていたのに、それを奪ったひとりですよ」須藤監督の評価も厳しかった。しかしそれは裏を返せば、東瀬耕太郎に対する期待の大きさを表している。12球団一とも言われるホエールズ左腕投手王国の 一角に食い込むだけの実力は十分にある。「今年はもう待ったなしですから、とにかくやるだけです」須藤監督のそしてファンの楽しみが今年はひとつ増える。
1994年
本格的な左腕ピッチャーとして入団時から期待されながら、持病の腰痛をはじめ、毎年のように故障に泣かされ、この3年間は勝ち星からも遠ざかっている。今年はファームスタートになったが、幸い腰の状態もよく、ようやくフルシーズンの活躍が期待できそうだ。サイドからのクセ球で左バッターをキリキリ舞いさせる。
1997年
大洋(現横浜)時代には中継ぎとして活躍し、広島戦でも再三、好投した。ロッテ時代に左のワンポイントとして横手投げに転向したがファーム暮らしに終わり、7年間の通算成績は1勝6敗。一度はユニフォームを脱ぐことも考えたが、広島からの 誘いに「必要とされている。声をかけてもらい、うれしい。その一言」ともう一度挑戦することにした。今年は自分の原点である上手投げに戻しての再出発。巨人の松井、中日の大豊ら左の強打者をどう料理するかも楽しみ。
1998年
移籍1年目の昨季は37試合に登板。しかし防御率5.26が示すように中継ぎとして 安定したピッチングを継続することができなかった。しかし、ピッチングスタッフが確立していない広島にとって、他球団での経験や変則的左腕であることなど、貴重な戦力であることに変わりはない。それを試合の中でどう生かすか。カープ2年目の今季が楽しみだ。
1998年
目標はもちろん開幕一軍。コーナーを突いて打たせて取るピッチングを、球場に見に来てください。
球種 カーブ、スライダー、シンカー
得意球 シンカー
最高速 133㌔