プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

原之後富則

2021-12-08 22:02:11 | 日記
1961年 

守っても原之後投手が重い球質の速球と鋭く曲がるカーブを投げわけ、時おり落ちる球も混じえる変化のある投球で、鹿屋打線を8三振、3安打散発に封じ完投した。
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渡辺政仁

2021-12-08 21:20:21 | 日記
1992年

好調に首位を走る巨人に、また一人頼れる左腕が復活。背番号65の渡辺政仁投手だ。昨シーズン前半に4連続完投勝利を挙げ、一軍入りも検討されながら左ヒジ痛が再発し、戦列を離れていた同投手が、17日の大洋戦で打線を散発の4安打に抑え、今季初勝利を無四球で飾った。140㌔台のストレートに大きなカーブを交える小気味のいいピッチングで、ツケ入るスキを与えなかった。「天に見放されていたけど(4試合雨で先発を流し、一ヶ月ぶりのマウンド)自信はあったんです。ヒジも今年こそは大丈夫ですよ」2年ぶりの完封勝利に完全復活宣言。北陽高時代、大阪では「右の桑田、左の渡辺」といわれた逸材が、入団7年目にして初の一軍マウンドに挑戦だ。

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平田洋

2021-12-08 16:26:01 | 日記
1993年

とにかく球が速い。昨秋は146㌔だった球速が、今は148㌔にまで増したという。基礎体力のアップ、下半身の強化を含め、「いっぱい練習してきたから」と笑った。中日ドラゴンズの法元英明スカウトは「高校生の中で、あれほど速い球を投げる子はいない。体格もいいし、体にバネがある。群を抜いてるね」と高く評価している。チームは創部五年目と若い。昨秋の明治神宮大会出場が、初めての全国レベルでの試合。そこで平田の名前が、中央球界でも知られるようになった。ことし三月中旬。打撃マシンでバント練習中、ボールを直接右肩に当て、けん板損傷の亜脱きゅう。春の県大会を棒に振り、周囲をヒヤッとさせたが、五月初めには復調。練習試合を重ね、六月中旬に行われた三河地区の公式戦では、被安打4、1四球、10奪三振、自責1の八回コールドで完投勝ちを収めた。自分の武器は速球だと分かっている。しかし、「力で抑えてやる」という気持ちは薄れた。転機は二年生エースだった昨夏の予選。力でねじ伏せベスト8まで進出したものの東邦(昨夏代表校)には通じなかった。被安打13、失点10の六回コールド負け。ポンポン打ち込まれた。「打たれれば打たれるほど、抑えてやろうとムキになった。打たせて取ることも考えなきゃいけない」ことに気付いた。米大リーグの奪三振王、ノーラン・ライアンの著書も、意識改革の参考になった。変化球に磨きをかけたのはそれから。三振を取るカーブとストライクを取るカーブを使い分け、今年になってフォークボールもマスターした。後藤篤監督は「打たれてたまるか、というタイプだが、精神面ではかなり成長した」という。中学校の卒業文集に「プロ野球選手になりたい」と書いた将来の夢。でもその前に「甲子園のマウンドに立つ」という大きな目標がある。その第一関門は十八日午前十時から、半田球場での知多東戦ー。


平田洋 1975年11月25日生まれ。180㌢、78㌔。小5から野球を始め、豊田市・崇化館(そうかかん)中でも投手。目標とする選手は桑田(巨人)、家族は両親、姉、兄、弟。弟の勝君(15)は、松平高一年で投手。

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安達智次郎

2021-12-08 16:05:28 | 日記
1992年

村野工の安達は大会屈指の大型左腕。スライダー、カーブの配球がうまい。

誰が名付けたか神戸の星といわれているのが村野工の安達智次郎。身長185㌢、体重75㌔の大型左腕エースだ。計算技術検定、情報技術検定ともに3級のこの神戸の星、新チーム結成以来12試合に登板して8完投。うち5完封で負け知らずの9勝。投球回数82回2/3で自責点13、防御率1.42。奪三振は72を数える。しかも投げた試合にはPL学園や天理、東洋大姫路、神戸弘陵、育英といった、全国にその名を知られている強豪が含まれている。昨年の近畿大会初戦の大産大高との試合ではイニングごとに球速を増し、後半の7割、なんと球速142㌔。スピードガンで手にしていた各球団のスカウトたちが思わず顔を見合わせ、うなったとか。「負ける気が全然、しないんです。負ける気が・・・」本人がこういったのは、センバツ出場の抱負を語ったときだった。体もでかいし、球速もすごいが、いうこともまた大きい。「昨年の夏、ものすごく悔しい思いをしたので、センバツでは絶対にゼロで抑えてやろうと心に決めている。だって、あの日のことがあったから、春のボクが・・・」そういう話もしてくれた。昨年の夏とは、野球部創部68年目で初出場した甲子園大会のこと。安達は初戦の専大北上との試合で、8回裏にピンチをつくってマウンドを降りた。そして敗戦ー。「あの悔しさは忘れません」と、いまもまだ口にする。気が緩んだ練習をしたときなど、自宅に戻ると専大北上との試合のビデオを見て反省もしてきた。「あのときのビデオはもう20~30回も見ました。何度見ても悔しい。そして、ようしというファイトを湧かせた」140㌔台の速球のほかに角度の鋭い縦のカーブ、スライダー。そしてシュートが、これまた威力がる。とくにシュートは抜群のキレ味だ。が、県大会でも近畿大会でも一球も投げなかった。「シュートを投げるのは春の甲子園大会のマウンド。その日まで封印しているんです」シーズンオフにウエートトレーニングとランニングに意欲的に取り組んできたというだけあって、実に逞しい体つきだ。「ボクの目標は優勝。この二文字以外には何もありません。その前にまず、初戦で内容のあるピッチングをして、昨年のうっぷんを晴らさないと・・・」優勝の二文字を胸に力強く語る安達。この大型左腕の好きな球団は日本ハム。憧れの投手は今シーズンに復活を賭ける近鉄の阿波野だそうである。今大会№1の左腕投手にあげられている村野工のエースが神戸の星から甲子園の星になるか。その左腕に注目したい。

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中西有希人

2021-12-08 08:47:59 | 日記
1995年 

速球と落差あるカーブを効果的に投げ分ける。ダイエー1位の斎藤には3戦全勝。
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北川晋

2021-12-08 08:38:12 | 日記
1991年


控えの北川投手は130㌔を超す速球を投げ、近藤投手との継投も多い。


北川も「出番は早い」と思っていた。すでにブルペンで30球ほど肩慣らしをしていた。「直球で攻めよう」心に決め強気で向かった。無死一塁。走者を得点圏に進めようとするスリーバントを失敗させ、続く二人を内野ゴロ。ピンチを切り抜けた。北川は速球に威力はありが、制球力が課題だった。秋からウエートトレーニングと走り込みで下半身を鍛えた。昨年秋の近畿大会府予選で、一試合を完投し自信をつけたが、不安はまだ残っていた。四回、四球を出し、連打で1点を加点された。しかし、この日は動揺しなかった。得意の直球が外角に決まる。「絶好調だ」後半からは変化球を組み合わせ、次々と打者を打ち取った。八回まで被安打3。チームの期待にこたえた。「最高の投球だった。思い切りいったのが良かった」甲子園で投げる夢が実現した。「夏また投げ、こんどは勝ちたい」


エース北川は低めの速球に威力があり、藤本、辻田らクリーンアップに長打力がついてきたのも心強い。


選抜出場校の浪速が17安打で大勝。新エース北川が近藤につなぐ六回まで被安打3、失点1、奪三振5と好投。「六、七分の力で投げました」と、いい感触をつかんだ様子。選抜大会の市川戦で、エース近藤を二回からロングリリーフ。夏には背番号「1」で、との約束を果しての登板で、小林監督の目にも「落ち着きが出てきた」とエースらしく映っていた。


継投はいつものこと。試合前、小林監督から「前半から行くぞ」と指示されていた浪速・北川はブルペンでエース近藤と入念にウォームアップ。だから近藤が二回、市川の先頭打者に中前打され、交代を告げられてもあわてなかったし、むしろ「やるぞ」と闘志をかき立てた。見事な内容だった。ストレートが伸び、カーブは切れていた。不運といえば四回だ。簡単に二死を取りながら、次打者に四球。この後「投げ急いで」連打され、1点を失った。反省点とすれば、これだけだろう。近藤を上回る球威を持ちながら、制球にやや難があり、守備力を生かして中堅手に甘んじたリリーバー。7回を投げて被安打3、2四球。「僕個人としては満足しています」と言い切れるだけの内容だった。一年生の時から制球には苦しんだ。「狙ってもストライクが入らなかった」ほど。それを走り込みと、徹底したウエートトレーニングで下半身強化に努め、「昨年の秋ごろから、制球はよくなってきました」と振り返る。そして迎えた晴れ舞台での好投。「貴重な経験だったし、自信にもなりました」という。北川には大きな目標が出来た。「夏、もう一度来たい。背番号「1」をつけて」-その言葉にも十分期待を持たせる投球だった。

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森岡裕之

2021-12-08 07:43:05 | 日記
1992年

180㌢、70㌔。細身の体には、意地が宿っている。オレたちが、大阪で一番強かったんだ・・・・という、強烈な思いだ。それを証明すれば、夢舞台へのキップもまた、手に入る。「いまは、夏に甲子園へ行くことしか、頭にありません」エースは、言葉に力を込めた。今春センバツは、その挑戦権すら与えられなかった。悪夢のような出来事に襲われたのは、昨年9月初めのこと。8月に当時の野球部員が起こした不祥事が発覚。秋の府大会辞退に追い込まれたのだ。以来、11月初めまで、部活動を自粛。グラウンドの草むしりに明け暮れた。しかし、その間に、また冬場の間にウエート・トレーニング、走り込みで体作りに専念。それが結果的には、森岡に幸いしたともいえる。下半身にグッと安定感が増したのだ。そして臨んだ春の大阪府大会。準決勝で上宮に3対6で敗れたが、上宮強力打線を6回まで2安打に抑える好投。浅黄監督が「6回で交代させてやろうか、それとも夏に備えてもっと投げさせようか」と考えていた矢先に集中打を浴びたのである。この集中攻撃による敗戦が、森岡にとって苦い良薬になった。翌日からの練習ではランニングが増え、ピッチング練習もさらに熱がこもっていた。140キロ近いストレートに、鋭く切れるカーブ。「素質は抜群。近畿地区では屈指の投手だろう」とプロのスカウトは口を揃える。「フォームに無理がないし、腕の振りもシャープ。とくに感心するのは、いいピッチャーの条件の、ギリギリまで球を持っている。いわゆる、球離れが遅いんですよ」浅黄監督は、目を細めて話す。まだまだ成長途上。夏までに、上宮を、PL学園を、押さえ込めるようになれる自信が、森岡にはある。「いま努力しないと、するときはありませんからね。速球とカーブ、スライダーに一層、磨きをかけたい。とにかく、悔いだけは残したくないです」参加予定186校。全国でも最も激戦といわれる大阪夏の陣。ラスト・サマーに賭ける森岡の意地が、甲子園への道を拓くか・・・。


森岡の粘り強い投球も光った。再三にわたりピンチを招いたが、速球とカーブ、シュートで切り抜けた。


1993年

中学時代にシニア全日本選抜に選ばれるなど、チームで唯一の高卒ルーキーといえども経験は豊富。キレのいいストレートに加えてカーブ、スライダー、フォークと球種も多彩で、将来的に楽しみな選手。

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