プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山本幸正

2021-12-11 22:21:39 | 日記
1992年


山本投手も、曲がり方とスピードを変えた数種類のカーブをコーナーに決める投球。


今春4月21日、山本は命の次に大事な右ヒジにメスを入れた。センバツ前から痛めていたヒジを治すには、ほかに方法がなかったわけではない。だが、山本は心身ともに完全な状態で夏に臨みたかった。もう一度、アイツと対戦する時、今度はオレが勝つために・・・。センバツ2回戦、松井(星稜)との真っ向勝負は多くの野球ファンを魅了した。初戦で2ホーマーの怪物に臆することなく立ち向かい、三振、一ゴロ、左飛。ここまでは、完全に山本の勝ちだった。胸を張って、試合後のお立ち台に立つはずだった。そして迎えた第4打席、「今まで打たれたことのない」内角低めを鋭くえぐるカーブを、ものの見事に右翼席へ。「あれを打った方がえらい。悔しいけど、このまま終わりたくないですからね」春季大会敗戦後、迷うことなく手術。その分、回復は早い。5月17日にはもうキャッチボールを開始した。「いつから投球練習ができるのやら。夏に投げられるのを願うばかりです」と桑原監督は不安顔だが、順調に回復すれば西東京大会にも十分に間に合う。「もう一度、松井クンに投げる。そして、目標は日本一」松井に決着をつける夏、それはもう始まっている。

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白鳥正樹

2021-12-11 22:13:49 | 日記
1993年

右投手のエース白鳥が大きく成長した。速球に切れのいいスライダーを効果的に織り交ぜる。課題は立ち上がりの制球難と得点圏に走者を進めた時の集中力か。

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古池拓一

2021-12-11 22:10:16 | 日記
1993年

昨年七月に結婚した。妻は小、中、高校の同級生。長い交際期間中「四回振られた」が、あきらめなかった。「プロになる」という幼い時からの夢も、決して思い切らなかった。こつこつと実績を積み上げて、時を待った。「一度口に出したことは、絶対実現する」。有限実行がモットーだ。会社の先輩潮崎(西武)が目標と言う。横からのスライダーとシュートが持ち球。しなやかな腕の振りが、球に切れを加える。三木トレーニングコーチは「筋力が弱いが、体の使い方がうまい。腕のしなり、腰の切れのよさは素晴らしい」と古池に今中のイメージを重ねる。合同自主トレ初日。プロの練習の洗礼にも「軽いもんですよ」と言ってのけた。「自分は気合で投げるタイプ」というだけあって、練習中も気力が充実している。入団発表の席、同期たちが「開幕一軍」「新人王」と口をそろえる中で「ファンに感動を与える選手になりたい」と胸を張った。スタート台に立ったばかりの古池。大きな目標に向かって、またこつこつと道を切り開くことになる。

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工藤慎明

2021-12-11 18:47:38 | 日記
1990年


十二回裏。決勝打を打たれた瞬間、うなだれ、しばらく顔を上げることが出来なかった。2点リードされた五回。監督の「次、いくぞ」の一言で左翼からマウンドへ。「これ以上点を与える訳にはいかん」負けん気で臨んだが、七回までに4失点。再びエース野口君にバトンタッチした。九回表、逆転。勝利をつかみかけた。が、その裏、同点に追いつかれ、さらに二死二塁のピンチ。再度マウンドへ走り、三塁ゴロに打ち取った。「この時は勝てると感じたのだが・・・」とくちびるをかむ。だがまだ二年生。「明日から投手一本。走り込んで出直します」来年は投打の大黒柱。涙はなかった。


1991年


四番でエースの工藤がチームを引っ張る。武器は速球。


主戦・工藤は右の本格派で130㌔を超えるストレートが決め球。


阪神からドラフト6位で指名された工藤慎明投手(18)=筑陽学園高=は三日、同球団と契約金二千八百万円、年棒四百万円(推定)で仮契約を結んだ。この日、太宰府市の割烹「大蔵」で行われた交渉には、渡辺省三スカウトのほか、両親、新田光乃助副校長、福吉誠野球部長が同席。「阪神は明るいチーム」と工藤投手は指名直後から好印象を抱いていただけに、すんなりと成立した。同校からは、なんと二年連続で三人目のプロ選手誕生。しかも伴義太郎(阪神)、野口理夫(近鉄)に次いで、またまた投手だ。「工藤はブルペンで二人の間で投げていましたからね」と福吉部長。高レベルの切磋琢磨(せっさたくま)が実を結んだわけだ。175㌢、75㌔の本格派右腕。「上背はないけど、体力がある。球速も140㌔近くでるし、早く一軍に出ると思う」と渡辺スカウトの評価は高い。福吉部長も「中日の森田タイプ。先輩の二人よりもデビューは早くなるのでは」と素質の素晴らしさに太鼓判をおす。目標はストッパー。「プロに入る実感がわいてきました。真っすぐをアピールしたい」と工藤投手はきっぱり。伴も秋の米教育リーグから頭角を現し、来季は中継ぎとして期待されている。近い将来、甲子園のマウンドで筑陽リレーが実現するかもしれない。

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川崎泰央

2021-12-11 18:29:14 | 日記
1995年


主戦・川崎は、最高140㌔の速球を投げる本格派。県内屈指の呼び声も高い。変化球の制球にやや甘さは残るが、要所での投球に粘りが出てきた。


主戦・川崎は右の本格派。187㌢の長身から投げ下ろす速球は、最高で時速140㌔を超える。球に伸びがあり、投球フォームに無理がない。プロ球団のスカウトが訪れるなど東海・北信越地区でも有数の投手の一人だ。


敦賀の川崎泰央投手が、8回を投げて毎回の11三振を奪う力投を披露、前評判通りの活躍をした。力があると言われながら、春の県大会前に右足の付け根を痛め、1回戦で敗退。持ち味の伸びのある速球を投げれなかった。今大会までに、治療に専念。走り込みで足腰を鍛え直した。万全で臨んだこの日は、143㌔の最高球速を記録し「完全復活」をアピールした川崎。6死四球を与えた点については「まだまだコントロールが定まらない」と話すが、全力で投げられる喜びをかみしてめていた。


140㌔台の速球を武器にした本格派右腕が、夏の舞台から姿を消した。ひじと肩をアイシングしながら、球場から出てきた敦賀の川崎泰央投手は「自分の力は出し切れた」と敗戦にもさばさば。納得いく投球ができたことに満足した様子だった。プロ野球のスカウトがバックネット裏に陣取り、注目を集める中での投球。「緊張はしていた」と言うが「コントロールもよかったし、効果的に変化球を織り交ぜることができた。今までで最高の投球でした」と自らのピッチングを振り返った。女房役の石原が「いつもより球は走っていた」と話すように、最高速は2回戦の試合よりも1㌔伸び144㌔に達した。10案だを浴びたものの、9三振を奪う力投だった。「相手は重量打線として名高い福井打線。何とか抑えてやろうという気持ちは終始持っていた」気負いを隠さない川崎だったが、立ち上がりを攻められて1点を失い、八回にも甘い球を打ち込まれた。「失投を逃さず打たれた。福井はやはりすごい」と相手打線に脱帽。その一方で「まだまだですね」と自分の力不足を悔しがった。「今後も野球を続けたい」という川崎。「プロへ行くかどうかは分からない。でも、上のレベルで自分の実力がどれだけ通じるか、試したい気もします」笑って話す表情に、ずぶとさものぞかせた。


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小原秀天

2021-12-11 18:16:11 | 日記
1987年


巨人はテスト採用の小原秀天(こばら・ひでたか)(21)(和歌山・新宮高ー松下電器、1㍍82、左投げ)と仮契約を結んだ。これで巨人の新人は、ドラフト指名六人、ドラフト外三人の計九人となり、今オフの国内での新人補強を終了した。小原は、今秋の新人テストで、左腕から力のある直球を買われ、採用が決まったもの。上背もあり、本格派としての成長が期待されている。


1988年


宮本、松原がオープン戦で乱打され、今季も左腕不足が心配される巨人の中で、テスト入団した小原秀天(21)(新宮高卒)1㍍82、83㌔という恵まれた体を生かした直球には力がある。フリー打撃に登板することもあったが、駒田や岡崎といった主力級の左打者が、「あいつの球は打ちにくくていやだよ」と、顔をしかめる場面も。まだまだ荒削りで、細かい制球やフィールディングには難があるものの、型にはまっていないところも魅力。「何とか一軍で投げてみたい」背番号94の雑草投手は、東京ドームのマウンドを目指している。


「1位の橋本君たちには負けたくない。一軍に上がるまでは家にも帰らないつもりだ」昨年11月のテストで140㌔台の速球を認められて入団。雑草魂の意地を見せるけるか。


1989年


左腕の本格派。将来性はある。雑草男の意地に期待したい。

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加茂川重治

2021-12-11 18:07:23 | 日記
1984年

3月29日、注目の水野(巨人)が多摩川でデビューした。さすが鳴り物入り、その投球には目を見張るものがあり首脳陣を唸らせたが、そのあと2回をピシャリと6人でかたずけた男がいる。加茂川重治(茨城東ー巨人1年目)である。投手歴は高校3年からと短いが、それだけに肩は若く、まだまだグングンと伸びる、大きな可能性を秘めている。その加茂川くん、いまの心境はー。「緊張したなんてもんじゃなかったですね。なにせ相手チームの日本ハムの選手の顔も見えなかったくらいですから。顔もひきつって青かったらしいし(笑)、もともと色白なんです。投げるということは3日前からいわれていました。先発は水野ということも、1イニングでいいから投げてみたいなと思っていたら2イニングもでしょ。1箇所バッティングも投げさせてもらっていたから、もうそろそろ(出番が)くるんじゃないかとの予感はあったんです。球種は持っているものを全部投げました。ストレート、カーブ、スライダー、シュート、フォークと。まあフォークは1球だけでしたけど。何が一番って?まっ直ぐが走っていたからドロンとしたカーブが生きてよかったんじゃないですか。先発の水野の投球は見ました。度胸があってボクたちが違うなあと思って見てました。ライバル!?イエ、それが全然なんですね(笑)香田(佐世保実)はライバルと意識しているようですが(笑)3人とも仲が良いんですよ。ボクたち。いまはまだピッチングについては、あまり細かい注意は受けていません。体の重心が左に傾く、頭もですけど。それとヘソがヘコんでしまう、この二つくらいかな、いまは。やはり自信を持っているのはストレートですね、それにシュート。でもそれにこだわり過ぎて、シュートは最近曲がらないんです(笑)スピードの最高は143㌔ですけど、それは少し前のときのことで、それ以後はなかなか出ないです(笑)キャンプはキツかったです。卒業試験で練習やってなかったからなおさら。チームプレーは一生懸命やっているんですが、どうもマウンドに上がるとコチコチになってしまって(笑)須藤コーチからリラックス、リラックスといわれているところです。性格ですか?チームの人がエラーしても明るくふるまうほうですね。投手はカッカしたら終わりですね。今度の登板ですか?イヤ、また緊張すると思いますよ。早く1勝したいですけど、先発したら、その試合は自分でなんとかできる投手になりたいです」緊張して相手の顔も見えなかったといいながら、ちゃんと自分の持ち球を全部投げている、たいしたものだ。球の力もさることながら、打者に向かって勝負していくタイプで、意外と高校生トリオ(水野、香田、加茂川)の中では、一番先に出てくるのではないかと思う。

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江坂政明

2021-12-11 17:09:22 | 日記
1991年 

万年ドラフト候補生江坂が一念発起したのは昨年のドラフト直後、平安高時代に自分の控え投手だった小島が中日に1位指名されてから。「小島が一軍であれだけやれるんだから・・・」持ち前の速球に加え、今年覚えたフォークボールで投球の幅が広がり、ドラフト直前には巨人、ヤクルトの隠れ1位に浮上したほど。もともと「高い評価なら12球団OK」の江坂、吉井の故障もあってストッパー起用もおもしろい。
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