プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

杉田久雄

2022-06-12 14:28:56 | 日記
1970年
「プロで十分通用するだろう。性格的に細かいところを気にしない、いわゆるマイペース主義の男だ。技術的にも外角の速球という武器を持っている。欲をいえばもうひとつスピードと制球力をつけることだろう。杉田の育ての親、中大の宮井監督はこう評している。183㌢、75㌔、投手としてはまずまずの体格である。だが外見はヌーボーとしてとらえどころがないので、他人に強烈な印象を与えるタイプではない。ところが杉田はそのヌーボーぶりをうまく利用している。ピンチを迎えようとうまくいこうと、表情を変えないから相手に気持ちを読まれることが少ないのだ。合宿では「寝てばかりいる杉田」といわれるほど暇さえあればイビキをかいていた。また練習ぎらいでも通っていた。それが夏ごろから一変した。秋のリーグ戦に備えて自発的にランニングを開始、そのせいか今季は下半身がめっきり安定した。だから「あれが杉田か?」とネット裏の関係者はビックリしたものである。変化球のキレは見違えるほど鋭くなり、直球も打者の手元でグンと伸びるようになった。そして今季は4試合を完投。8勝1敗の成績で中大を七シーズンぶり十八度の優勝に導き、見事学生生活の最後を飾った。彼は早くから「プロでも通用する逸材」とスカウト連から認められていた。しかし好不調の波が大きいのと、体質的に故障が多いことが不安がられた。おおらかでノンビリ屋の半面、投手独特の神経の細かいところがあった。一部では「デリケートすぎる」とさえいわれたほどだ。それが最もよく現れるのが苦手な寒い日のピッチングだ。寒いというだけで寒さに弱いという気持ちを持ってしまい、自分で自分を苦しめるピッチングをやってしまう。こんな欠点はあるが、自分のペースで試合が進んだときは抜群の力を発揮する。決めダマの外角速球がビシビシ決まり、シュート、カーブの横の変化で打者を料理していく。それに打者の心理を読むのもうまい。宮井監督は「野球ばかりではなく人間的な面でも本格派らしく育てたつもりだ。俗にいう野球バカではない。杉田はもともと常識を持った円満な性格の男だ。だから彼がプロにはいってもなにも心配することはない」と太鼓判を押し「先輩の高橋善(東映)みたいなことはない」とキッパリ。投手としては一級品ともいえる素質がある杉田。本人も「プロの世界で力をためしてみたい」と意欲的だ。そして「プロに指名されるとしたら東映という気がしていた」くらいだからやる気は十分である。神宮球場で、杉田をよく知っている人たちにプロ入りについての注文を聞いた。するとだれもが気分屋を返上すること、「肉体的にも精神的にも常に安定したものを持つこと」という。さらに具体的には「投手としてのセンス、フォームはいいものを持っている。でも下半身を一段と鍛えることだ。現在のバネでは変化球のキレがまだ甘い、それと外角へ落ちるタマをぜひマスターすることだ」ときびしい。おっとり屋、ヌーボー型といわれる杉田がプロの世界でどこまでやれるか、それには本人の自覚と努力以外に特効薬はない、
幸い、素質に恵まれているし、夏には自分で練習をやったほどだから、今後が楽しみといっていいだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高頭時夫

2022-06-12 12:15:23 | 日記
1951年
名門長商も今年は大きな期待が寄せられないようだ、高頭投手は六尺一寸の長身から豪球を投げ下ろすがコントロールに難があり、春以来一勝八敗一引分のスランプにあえいでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松田守・芦刈達雄

2022-06-12 11:53:20 | 日記
1960年
東映ではこのほど二選手の獲得に成功した。松田守投手(18)(鹿児島県照国高)は1メートル78、70キロのめぐまれた体格から投げ下ろす速球とカーブが武器で南九州随一の定評があり。西鉄、国鉄からも勧誘を受けていた。左投左打。
芦刈達雄捕手(17)(大分県佐伯鶴城高)は投手の好リードと三番を打っていた長打力も大いに買われたもの。右投右打。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内田哲

2022-06-12 11:48:09 | 日記
1960年
ことしかぎりでフライヤーズのユニフォームをぬぐことになった内田は、今度ノンプロの名門川崎トキコへいくことになった。「プロの水が甘くはないということは覚悟はしていたが、名もなさないままプロから去っていくかと思うと淋しいですよ。しかし、ぼくなりにこれまで努力はしてきました。プロで果たせなかったことを、ノンプロでやりとげてみたい」と、再出発に際して抱負を述べていた。内田のほか三浦、山口、横尾、今井の四選手の退団も決定している。今のところまだ落ち着き先は決まっていないそうだ。退団選手のうち、三浦、山口の両選手は昨年入団したばかりの一年生、球団側も思い切った処置をとったわけだが、合宿でショゲきっている姿を見るとあわれである。ことしも十数名の新人選手が希望に胸ふくらませて入団するわけだが、甘い気持ちではプロはつとまれないということを改めて忠告して、新人選手のなかから、一人でも多くのスターの出ることを祈っておこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

溜池敏隆

2022-06-12 10:30:24 | 日記
1971年 また一人、トレードで選手が他チームに移っていく。荒川と同じ三塁手だった溜池がその選手だが、「ショックで涙がボロボロこぼれました」という外山(現ロッテ)とは違って溜池には覚悟ができていた。それに近鉄移籍で大阪に行くのは、里帰りするようなもの。なぜなら溜池はもともと大阪の人間だからだ。実家は大阪の泉南郡だし、高校も大阪の興国商で学んだ。大学の立大は東京だが、卒業後入社した日本熱学も大阪にある。「大阪の町なら目をつぶっていても歩けますヨ」というくらいだから、溜池本人にとっては、東京に住んでいるよりずっと暮らしいいかも知れない。「ヤクルトは好きなチームだし、やっぱり未練が残らないといったらウソになります。でもフロントの方では近鉄に望まれたということですし、気心の知れたミヤさん(宮原外野手)が先に移籍して近鉄のユニホームを着ているのも心強いです。こうなったら、絶対にレギュラーポジションを獲得して、岩本監督に溜池を指名したのはまちがっていなかったといわれるような働きをしてみせます。ただ女房が東京の人間なので最初のうちは地理がわからなかったり、生活上のこまごまとしたことで、とまどうかも知れません。でも、外国へ行くわけじゃなし、すぐに慣れてくれるとは思っていますが…」と洋子夫人へのいたわりをみせる溜池だったが、夫人もプロ野球の選手と家庭を持った以上いつかはこういう日のくることを覚悟していたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林勝巳

2022-06-12 10:26:17 | 日記
1955年
この二、三年北関東のノンプロ球界に君臨してきた大生相互銀行は福生、前橋、高崎など野球の盛んな土地の高校から有望選手を集め、都市対抗でもなかなか人気があった。昨秋野球部生みの親詫摩社長(セネタースの創立者)死去のためチームは惜しくも解散したが、小林はこの解散で国鉄入りしたものである。前橋高出身、昭和の初期に丸橋ー片岡(元東大監督)のバッテリーを擁して甲子園で活躍した前橋中の後身。戦後は不振つづきで小林がエースのときにようやく優勝候補の中に数えられるようになった。当時前橋に剛球投手がいるそうだという話をよく耳にした。本格的投手だということでちょっと興味をもってみたが、そのまま忘れていた。その翌年(二十七年)大生相互が結成され都市対抗予選でみごと優勝した。このとき結集尾で前年度代表桐生織物をシャットアウトに降した無名の青年投手が彼だったのである。小林はこの予選に桐生織物と対戦すること二度、一次予選は11-0、二次予選は6-0と連続シャットアウトしており、二次予選は五安打に完封した。二十八年には打力を生かして外野に転向、サン選抜、都市対抗などではセンターで五番を打っていた。藤倉左腕投手(前西鉄)の台頭があったせいもあろうが、塚越監督は「投手としては限界が見えてきたが、打者としてはまだまだのびる素質がある」と当時転向させた理由を私に話してくれたことを覚えている。こんどのプロ入りに当たっても、本人は投手を希望し、キャンプでもピッチングに専念しているが、藤田国鉄監督も「バッティングを生かして外野、あるいは捕手にしてみたら…」と評していることは偶然の一致とはいえ面白い。どうも投手としてはどこかに欠陥があるのではないだろうか、球歴はノンプロではA級だし、カーブのコントロールも比較的よかった。そして球も重いが、腕だけで投げているため身体が前にのらない欠点があった。これは腕の力に頼りすぎて身体と一しょに投げようとしていないため、また身体が固いからほかならない。そして最も大事な腰が入っていない。これはまた同時にバッティングの面にもいえるようだ。小林はなかなか長打力もある。持前の腕力によるものでこれで腰が入るようになればリキもあることなのでいい中距離ヒッターになることだろう。「小林は腕だけでもいい球は投げているが、右手の握りがちゞかんでいま一歩のスピードが出ない。いっそのこと捕手にでもした方がよいようなタイプだ」(藤田監督談)というし、腰がよいこと、ダイヤモンド一周十五秒台の脚力などを考え合わせると、私も打者になった方がいいと思う。父親は大の野球ファンで彼の試合は欠かさず見ているという熱心さだというから環境にも恵まれている。高校時代から気がやさしく力持ちなので金太郎さんとかリキさんと呼ばれていたそうだ。ひとつ国鉄の金太郎さんになってほしい。


プロ入りの動機 ノンプロで二、三年やってみて自分の力量をたしかめてからプロ入りするつもりだった。昨秋大生相互が解散してしまったので国鉄からの話もあり、プロ入りした。


まず勉強すること 身体が筋肉質で固いのでまず身体を柔らかくしたい。それに大生相互では外野をやって二年前ピッチングから遠ざかっていたので基本からやり直すつもりだ。バッティングでは第一に確実なスウィング自分は背が小さいので巨人の大友さんのようなフォームを真似したい。


趣味 映画。
身長・体重・投打・年齢・背番号 五尺六寸二十貫、右投右打、二十一歳、背番38
現住所 前橋市小相木町五四六

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多田羅敏彦

2022-06-12 10:00:28 | 日記
1961年
東映フライヤーズは十九日、四国高校球界屈指のスラッガーと折り紙つきの多田羅敏彦選手(18)=坂出商卒右投右打=と契約した。多田羅は身長1・79メートル体重79㌔と恵まれた体格の持ち主で、高校時代は投手で四番を打ち、三年生のシーズンは本塁打13本、打率三割五厘をマークした。フライヤーズがキャンプを張っている高松の市営グラウンドでも、3本のホームランを打ったことがあるという多田羅は、いかにも新人選手らしく、十九日の初日からバットのかたづけから、ボール拾いなど進んでやっていた。「きょうはじめてバッティングを見たが、東映としては、投手より、打者として使いたい」と水原監督はいっているが、多田羅も「ぼくは投手よりバッターとしてやっていきた。守備の方は外野でもどこでもいわれたところを一生懸命やるだけです。高校時代は投手と外野をやっていましたけど…」と、いっており、外野手一本で練習に励むことになりそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八木孝

2022-06-12 09:42:00 | 日記
1963年
「一軍ベンチに入ると、やはり気分的に引締るような気がしますね。まあ、どれだけやれるか、チャンスを与えられたら精いっぱい投げます」対国鉄6回戦からベンチ入りした新人八木は大張り切り。しかも自分の目の前で、ひと足先に研修期間を終えてベンチ入りした国鉄の別部(明大)が、プロ入り初ホーマーを放つなど、大活躍したのに刺激されたようだ「神宮でいっしょにプレーしたことのある別部が打ったので、ぼくも負けておれない気になりました。広島へ帰ると阪神戦では辻(佳)とも顔を合わせることになるでしょう。かつでの球友がぞくぞく第一線に出てくるので、ファイトがわきます」と八木が飛躍を誓っている。それはいいとしても、八木の左腕は期待と不安が交錯した目で見られている。プレート度胸はいいし、シュート、ナックルなど変化球をもっているが、肝心の球速がないからだ。「うまくチャンスを見て登板させたい。さしあたってショート・リリーフで使い、自信をつけさせたい」というのが白石監督の方針だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村越稔

2022-06-12 09:42:00 | 日記
1970年
「ことしこそ一軍でがんばるゾ!」とハッスルしているのが、村越捕手、昨年神奈川大から入団して二年目の大型捕手である。ノッポの村越が張り切る理由は二つある。一つは仙台商からドラフト1位で入団してきた八重樫へのライバル意識。もう一つは新婚早々で「女房の分まで働くゾ」というわけ。旧ろう十二月に新家庭を持った村越という男、よほどきちょうめんな性格なのか愉快なエピソードが残っている。昨年のシーズン中、ファームにいた村越は武山球場での練習が終わると、佐藤コーチにまじめな顔でこう尋ねたという。「佐藤さん、もしボクが結婚するとしたら監督の許可がいるんでしょうか?」これには佐藤コーチも口をあんぐり。「バカだなおまえも…。おまえが好きで結婚の相手に選んだ娘さんを監督がいいの悪いのというとでも思っているのかい?いくら監督の権限が絶対だといっても、そこまで監督する監督などいるわけがないじゃないか」と大笑い。「そうですか、ボクはまた一人前になるまで結婚なんておあずけかと思っていました」「でも、結婚したら責任が重くなるんだからいま以上にがんばらなきゃダメだゾ」というわけで、村越の意気込みは大変なものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本義司

2022-06-12 09:35:03 | 日記
1958年
東映フライヤーズの投手陣は両リーグを通じても、一、二を争うくらい充実した投手陣といわれているが、その投手陣にもなやみはあった。たよりになる左腕投手のいないところである。ここで左腕投手がおれば…と何度、岩本監督がなげいた場面があったことか、だが、ようやく山本義司投手が進境をみせてきた。その進境ぶりをいかんなく発揮したのが、十六日、駒沢球場での対近鉄24回戦であった。この試合の山本投手は、これまでに見られなかったくらい、いつものおどおどした態度は全然みられない。自信たっぷりである。速球にのびがあり、これを軸としてカーブ、シンカーのきれもよく、コントロールもよく低目にきまっていた。ピンチらしいものといえば、四回無死加藤昌に初安打され、木塚のバントで二進を許したときと、五回一死後大石に左翼線二塁打されたわずか二度だけ、4安打散発、1四球というみごとなピッチングで、六回、八回こきざみに1点ずつを記録した2点のリー碁を守りきったのであった。山本投手が完投したのはプロ入り以来これが二度目。最初の一度は、西鉄に完投で敗戦投手となっているから、完投で勝ったのはもちろん、シャット・アウト勝利は、プロ入り78試合目の快記録だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤友紀

2022-06-12 09:15:40 | 日記
1998年
契約金7000万。昨夏は兵庫大会の対神戸西高戦で19三振奪取。準決勝で優勝した報徳学園に延長10回、1対2で敗れたが、兵庫のドクターKの異名をもらった。しなやかなフォームからのスライダーがすばらしく、将来性豊かな本格派左腕。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉本潔彦

2022-06-12 09:13:10 | 日記
1998年

契約金6800万。MAX144キロのキレのあるストレートと高速スライダーが魅力のサウスポー。安定度が増せば先発ローテーション入りも可能だが、まずは中継ぎなどで、実戦経験を積むことか。星野を手本にしてほしい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田郁夫

2022-06-12 09:10:42 | 日記
1998年
ここ毎年のように期待の星として名前を連ねながら、どうしても最後の壁を超えられず、二軍暮らしが続いている。長身の左腕から少し変則気味に投じられるクセ球は、打者にとってタイミングが取りにくいといわれる。過去5年間で体づくりはしっかりできた。気持ちを前面に向かっていけば、プロ初勝利も夢じゃない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする