1960年
去る六日行われた対国鉄戦で東映に新しいヒーローが生まれた。栃木高から明大を経て三十三年に東映入りした岡田である。九回完投して3安打散発に押えて完封、この調子なら今シーズンは大いに活躍できるだろうと岩本監督はじめ関係者の目を細めさせている。明大時代の岡田は準硬式野球で国体で準優勝、東京六大学準硬式リーグ戦では優勝を二度明大にもたらしたが、プロ入り後はコントロールに難があり、入団の年は三試合12人の打者に登板、1安打2四球、二年目の昨年は四試合23人に投げて4四死球という成績に終わった。岡田は「キャンプで足腰を鍛えたのがよかったのでしょう。今まで悪かったコントロールがつき、きょうは思うようにボールをほうれました」と、ご機嫌だ。岩本監督も「きょうぐらいなら十分いける。フォームも今までよりスムーズになっている」と、ことのほか上機嫌。早くもペナントレースでの活躍を胸算用している。
1961年
「どうもオレみたいなのに後援会ができるとは…。頑張らんといかんな」白い後援会の名簿を手にもって、テレているのは岡田。郷里栃木県の市役所の人が中心となって設立されたもので、わざわざ上京して岡田を激励したりしており、現在では百名を上回っている。心から岡田の活躍を祈る人たちばかりで、駒沢に百名そろって応援にくることもある。岡田は後援会を契機にはりきっている。
1963年
典型的なオープン戦男だ。ことしも広島投手としてデビューとなった。三月十七日の阪急戦では6回を投げ無安打に封じたのを皮切りにオープン戦5試合で防御率3.24をマークしていたのに、公式戦ではまだ勝ち星に恵まれない。東映時代も、オープン戦では60年は34イニング投げ防御率1.32、61年2勝1敗、2.80、昨年も3勝0敗、1.88と毎年好投していながらもシーズンに入るとサッパリで、61年の3勝1敗が公式戦の総決算。その初勝利となった4月20日の西鉄戦終了後、「零封したかった。でも実力がないのだから…」とつぶやくように話していた気の弱さが本領発揮のさまたげとなっているようだ。
去る六日行われた対国鉄戦で東映に新しいヒーローが生まれた。栃木高から明大を経て三十三年に東映入りした岡田である。九回完投して3安打散発に押えて完封、この調子なら今シーズンは大いに活躍できるだろうと岩本監督はじめ関係者の目を細めさせている。明大時代の岡田は準硬式野球で国体で準優勝、東京六大学準硬式リーグ戦では優勝を二度明大にもたらしたが、プロ入り後はコントロールに難があり、入団の年は三試合12人の打者に登板、1安打2四球、二年目の昨年は四試合23人に投げて4四死球という成績に終わった。岡田は「キャンプで足腰を鍛えたのがよかったのでしょう。今まで悪かったコントロールがつき、きょうは思うようにボールをほうれました」と、ご機嫌だ。岩本監督も「きょうぐらいなら十分いける。フォームも今までよりスムーズになっている」と、ことのほか上機嫌。早くもペナントレースでの活躍を胸算用している。
1961年
「どうもオレみたいなのに後援会ができるとは…。頑張らんといかんな」白い後援会の名簿を手にもって、テレているのは岡田。郷里栃木県の市役所の人が中心となって設立されたもので、わざわざ上京して岡田を激励したりしており、現在では百名を上回っている。心から岡田の活躍を祈る人たちばかりで、駒沢に百名そろって応援にくることもある。岡田は後援会を契機にはりきっている。
1963年
典型的なオープン戦男だ。ことしも広島投手としてデビューとなった。三月十七日の阪急戦では6回を投げ無安打に封じたのを皮切りにオープン戦5試合で防御率3.24をマークしていたのに、公式戦ではまだ勝ち星に恵まれない。東映時代も、オープン戦では60年は34イニング投げ防御率1.32、61年2勝1敗、2.80、昨年も3勝0敗、1.88と毎年好投していながらもシーズンに入るとサッパリで、61年の3勝1敗が公式戦の総決算。その初勝利となった4月20日の西鉄戦終了後、「零封したかった。でも実力がないのだから…」とつぶやくように話していた気の弱さが本領発揮のさまたげとなっているようだ。