1967年
昭和十四年生まれの二十八歳。これから激しいプロの世界に飛び込むにはふけ過ぎている。しかしこれは一般論。彼の俊敏な、そして闘志あるプレーを見るとき、だれもが感嘆する。プレーニング・マネジャーの観念を逸脱した若々しいそのプレーぶりに。金はいう。「僕は人生に何度も落第した。理想を追い過ぎたんですね。それから得たことは、とにかく瞬間を大事に生きようということだったんです」この人生観が金の人となる…。帝都育英高を一年で中退。日大二高は再び一年から。卒業後明大に進学したが、まあ一年間でイヤになり、日大に編入。ここも二年と続かなかった。「自意識過剰というのでしょうね。野球をやっていても、勉強をやっていても、みんな自分のためにやっているのではなく、他に動かされているようにみえた。与えられたコースをなんとなく渡り歩いているような」三十六年九月、ブラブラ遊んでいた金を拾ったのは立正佼成会・光田氏(旧姓・鈴木)。このときも金は、入信することに抵抗を覚え、合宿入りしたその夜に逃げ出そうと思ったそうだが、同氏の「とにかく二、三日がまんしてみろ」というアドバイスで居残った。落後者が水を得た魚のように生き返ったのはそれからだ。野球に人生をかける金の前向きな姿勢。やる気のないものは去れ、金の精神野球が立正佼成会をリードしてきたといっても決して過言ではないだろう。ことしの三月、ある雪の日だった。グラウンド内を素足で走るなら十周、外ならクツをはいて二十周。ほとんど素足で走った。大方の選手がノルマを達成せずにダウンした中で、金だけは実に五十四周したという。こんなエピソードはザラにある。三大大会の成績が3割4分7厘。目を引くのは十八試合中無安打はわずか二試合。四球1と少ないのは瞬間にかける金が好球必打に徹していたからなのだろう。二十八歳でプロ入りすることについて金は「これから新しい仕事をやれといったって出来るわけがない」なんの抵抗もないという。だから発表の席で田村スカウトが「普通の新人と違うから、アパートにでもはいったら」といってくれたが「イヤ、僕は新人ですから合宿入りします」と断った。二十九歳の新人王を期待しても間違いではない。167㌢、67㌔、左投げ、左打ち。
中日・田村スカウト 年齢など関係なく取ろうと思った選手だ。ユニホームを着た金をみて、年齢を当てる人はだれ一人としていないだろう。パンチのあるバッティング、肩、足も衰えてはいない。プロに徹した考え方もいい。プレーニング・マネジャーとして苦労しながら実績を残した選手なので、精神的にも強い。ウチは江島(平安)もはいり、外野の層が厚くなったが、努力しだいでは、すぐ第一線に出てくるだろう。