プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三村勲

2023-11-20 22:14:52 | 日記
1965年
「大将、電話ですヨ」「大将、お客さんですヨ」そのたびに大将は気軽に返事して、階段をかけおりる。東京・練馬区桜台にある自動車整備工場「球興業株式会社」の大将が、かつての松竹ロビンスの名三塁手として鳴らした三村勲さん(39)だ。もっとも正式な肩書きは専務取締役。だが三村さんは白い作業服に身を包んで、工具さんといっしょに車を押したり、もちあげたりー。肩書きなんか、クソ食らえといわんばかりだ。西部池袋線桜台駅から歩いて二分、工場のすぐ前を十三間道路が走っている。土地柄からいくと、申し分ないはずだが、三村さんのことばは意外だった。「ここじゃ、駐車禁止だし、だいたい、こういう商売にはむきませんヨ。敷ち地もないしネ。もう少し、広いところを見つけて、移りたいですワ」三村さんが、小鶴誠さん(前サンケイ・コーチ)といっしょに「球興業株式会社」を創立したのが三十八年。まだ生まれてまもないが、昨年あたりから軌道にのりはじめたという。三村さんが商売をはじめたのは早い。現役時代の二十六年、松竹ロビンスの同僚小鶴、金山、五味さんらと、ロビンス交通を設立した。いわばプロ野球選手が副業をもつようになったハシリでもあった。だが結局はロビンス交通とはなれて、三村さんたちは独立したわけ。ロビンス交通、球興業とクルマには親類づきあいの三村さんだが、戦時中は戦車学校にいたというからますます因縁深い。「しかし、実際に商売やってみると、深刻ですねエ。机上論というのか、思いどおりいきませんヨ」そう話してくれている間にも電話はかかってくる。工員が伝票をもってくると、みむらさんはそのたびに指示する。球興業の従業員は八人。だから三村さんは、自分で帳簿をつけるし、力仕事もやる。あさ八時三十分に仕事をはじめて、よる一段落するのが八時すぎ。一日十時間以上も、働くというのだからたいへんだ。だが三村さんはいたってほがらかである。「タクシー会社をやっていたときは六人も仲間がいたから、自然たよってしまうようになる。でもここでは自分ひとりだから、責任も重い」それだけにやりがいもあるわけだろう。「小鶴さんが、ウチの社長だからネ。もう野球やめるといったらここへ帰ってくるわけですヨ」事務所には、小鶴さんや三村さんをスターにのし上げた恩人、故赤嶺昌志氏と故田村駒次郎氏の大きな写真が額にはいって、飾られてあった。その写真の下で三村さんの、現代プロ野球の感想をきいてみた。「むかしは岩本義行さん、苅田久徳さん、千葉茂さんのように、どこのチームにも個性的なプレーをみせるプレーヤーがいた。いまはそれがいないですものネ。ひとつの方程式にはめてしまっているみたい。コーチの罪なのかナ」

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櫛笥厚正

2023-11-20 21:50:02 | 日記
1959年
川越工高の櫛笥厚正投手(18)=紡績科三年=は九日、名古屋市中区西川端町の中日ドラゴンズ球団事務所で、同球団と正式契約した。この契約には櫛笥選手の母親ま津さん(41)斉藤玉太郎同校野球部長が立ち会った。なお同校からのプロ野球入りは初めて。櫛笥投手には早くから川崎トキコ川崎重工などのノン・プロチームから交渉があったが、その後八月十五日にドラゴンズから斎藤部長を通じて話しがあり、本人もプロ入りを望んで、この契約となったもの。身長1・81㍍、体重75㌔、左投、左打という恵まれた体格の持主で、サイドスローからの速球、シュートを得意とし、大宮球場で行われた夏の大会での活躍が、同球団のスカウトの目に止まったもの。ことしの成績は十六勝四敗。また打者としても同チームの四番として活躍、同大会の二回戦に、熊谷商の村田投手からホーマーを放っている。球団側では投手としてスタートさせるといっているが、まだ調子の波が大きく、不安があるが、秀れた体格をいかせばかなりの将来性がある。現住所は川越市古谷本郷1、428で、川越女高で教べんをとっている亮本さん(51)の次男坊。


父親亮本さんの話 わたしはこどもたちに自分のことは自分でやれといっているので、今度のことも本人の意思にまかせた。しかし一度入ったからには中途半端なことはせずに、最後までやるようにいっておいた。

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浜口政信・山本寛

2023-11-20 21:36:15 | 日記
1965年
サンケイスワローズの新人選手入団第一号ー愛知高の山本、鶴見ヶ丘高の浜口両選手はともにオーバーハンドからの速球を武器とし、将来を高く買われている投手。さる十一月十七日のドラフト会議でサンケイ入団の交渉権を得てから小山スカウトが勧誘をつづけ、二十五日やっと正式発表にこぎつけたもの。学生服姿の両ルーキーは、記者会見の席上、ドッと押しかけた大勢の報道陣にびっくりしたようす。両手をヒザにきちんとのせて、まるで面接試験を受ける高校生といった感じだったが、報道陣からの矢つぎばやな質問がはじまると大物らしく堂々と応答。「一日もはやくローテーションにはいれるようがんばります。目標は巨人の金田さん…」左腕の山本くんがこういえば、一方、右腕の浜口くんも「ボクは村山さん(阪神)のようなピッチャーになりたい」と声をはずませた。そばでホッとした表情の小山スカウト、「どえらいピッチャーになるぜ。ワシの目には狂いはないサ」

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福沢幸雄・成田秀秋

2023-11-20 21:16:27 | 日記
1962年


中日を退団した福沢幸雄外野手、成田秀秋内野手は、名古屋市内の自動車会社の販売部に就職した。サラリーマンとして再出発。

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