1965年
「大将、電話ですヨ」「大将、お客さんですヨ」そのたびに大将は気軽に返事して、階段をかけおりる。東京・練馬区桜台にある自動車整備工場「球興業株式会社」の大将が、かつての松竹ロビンスの名三塁手として鳴らした三村勲さん(39)だ。もっとも正式な肩書きは専務取締役。だが三村さんは白い作業服に身を包んで、工具さんといっしょに車を押したり、もちあげたりー。肩書きなんか、クソ食らえといわんばかりだ。西部池袋線桜台駅から歩いて二分、工場のすぐ前を十三間道路が走っている。土地柄からいくと、申し分ないはずだが、三村さんのことばは意外だった。「ここじゃ、駐車禁止だし、だいたい、こういう商売にはむきませんヨ。敷ち地もないしネ。もう少し、広いところを見つけて、移りたいですワ」三村さんが、小鶴誠さん(前サンケイ・コーチ)といっしょに「球興業株式会社」を創立したのが三十八年。まだ生まれてまもないが、昨年あたりから軌道にのりはじめたという。三村さんが商売をはじめたのは早い。現役時代の二十六年、松竹ロビンスの同僚小鶴、金山、五味さんらと、ロビンス交通を設立した。いわばプロ野球選手が副業をもつようになったハシリでもあった。だが結局はロビンス交通とはなれて、三村さんたちは独立したわけ。ロビンス交通、球興業とクルマには親類づきあいの三村さんだが、戦時中は戦車学校にいたというからますます因縁深い。「しかし、実際に商売やってみると、深刻ですねエ。机上論というのか、思いどおりいきませんヨ」そう話してくれている間にも電話はかかってくる。工員が伝票をもってくると、みむらさんはそのたびに指示する。球興業の従業員は八人。だから三村さんは、自分で帳簿をつけるし、力仕事もやる。あさ八時三十分に仕事をはじめて、よる一段落するのが八時すぎ。一日十時間以上も、働くというのだからたいへんだ。だが三村さんはいたってほがらかである。「タクシー会社をやっていたときは六人も仲間がいたから、自然たよってしまうようになる。でもここでは自分ひとりだから、責任も重い」それだけにやりがいもあるわけだろう。「小鶴さんが、ウチの社長だからネ。もう野球やめるといったらここへ帰ってくるわけですヨ」事務所には、小鶴さんや三村さんをスターにのし上げた恩人、故赤嶺昌志氏と故田村駒次郎氏の大きな写真が額にはいって、飾られてあった。その写真の下で三村さんの、現代プロ野球の感想をきいてみた。「むかしは岩本義行さん、苅田久徳さん、千葉茂さんのように、どこのチームにも個性的なプレーをみせるプレーヤーがいた。いまはそれがいないですものネ。ひとつの方程式にはめてしまっているみたい。コーチの罪なのかナ」
「大将、電話ですヨ」「大将、お客さんですヨ」そのたびに大将は気軽に返事して、階段をかけおりる。東京・練馬区桜台にある自動車整備工場「球興業株式会社」の大将が、かつての松竹ロビンスの名三塁手として鳴らした三村勲さん(39)だ。もっとも正式な肩書きは専務取締役。だが三村さんは白い作業服に身を包んで、工具さんといっしょに車を押したり、もちあげたりー。肩書きなんか、クソ食らえといわんばかりだ。西部池袋線桜台駅から歩いて二分、工場のすぐ前を十三間道路が走っている。土地柄からいくと、申し分ないはずだが、三村さんのことばは意外だった。「ここじゃ、駐車禁止だし、だいたい、こういう商売にはむきませんヨ。敷ち地もないしネ。もう少し、広いところを見つけて、移りたいですワ」三村さんが、小鶴誠さん(前サンケイ・コーチ)といっしょに「球興業株式会社」を創立したのが三十八年。まだ生まれてまもないが、昨年あたりから軌道にのりはじめたという。三村さんが商売をはじめたのは早い。現役時代の二十六年、松竹ロビンスの同僚小鶴、金山、五味さんらと、ロビンス交通を設立した。いわばプロ野球選手が副業をもつようになったハシリでもあった。だが結局はロビンス交通とはなれて、三村さんたちは独立したわけ。ロビンス交通、球興業とクルマには親類づきあいの三村さんだが、戦時中は戦車学校にいたというからますます因縁深い。「しかし、実際に商売やってみると、深刻ですねエ。机上論というのか、思いどおりいきませんヨ」そう話してくれている間にも電話はかかってくる。工員が伝票をもってくると、みむらさんはそのたびに指示する。球興業の従業員は八人。だから三村さんは、自分で帳簿をつけるし、力仕事もやる。あさ八時三十分に仕事をはじめて、よる一段落するのが八時すぎ。一日十時間以上も、働くというのだからたいへんだ。だが三村さんはいたってほがらかである。「タクシー会社をやっていたときは六人も仲間がいたから、自然たよってしまうようになる。でもここでは自分ひとりだから、責任も重い」それだけにやりがいもあるわけだろう。「小鶴さんが、ウチの社長だからネ。もう野球やめるといったらここへ帰ってくるわけですヨ」事務所には、小鶴さんや三村さんをスターにのし上げた恩人、故赤嶺昌志氏と故田村駒次郎氏の大きな写真が額にはいって、飾られてあった。その写真の下で三村さんの、現代プロ野球の感想をきいてみた。「むかしは岩本義行さん、苅田久徳さん、千葉茂さんのように、どこのチームにも個性的なプレーをみせるプレーヤーがいた。いまはそれがいないですものネ。ひとつの方程式にはめてしまっているみたい。コーチの罪なのかナ」