1958年
近鉄が二月の終わりに近い二月末に元大洋の小林経旺投手と今年度の契約を結んだ。セリーグの大洋を整理されたロートル投手もパリーグのドン尻では通用するのかといった厳しい陰口も聞かれたが、小林が近鉄へ入団した裏には涙ぐましい話がある。小林が近鉄のトレーニングに参加したのは、花園ラグビー場で第一次トレーニングを開始した一月半ばからで、以後藤井寺、宮崎と約一カ月半、近鉄からテスト生並みの扱いを受けていた。当初の小林は三十二歳という実際の歳より老けて見えていた。キャッチボールするのでさえ、他選手に気兼ねした様子で、近鉄との契約は難しいのではないかというのが大方の意見だった。ところが宮崎キャンプへの参加が許され、近鉄のユニホームを貸与された小林は必死に精進を続け、その熱意に同僚の投手連が目を見張った。真面目な練習態度が首脳陣に買われるところとなった。結局近鉄と晴れて契約を結んだ小林は「51」という新人選手がつけるような背番号をつけて再起を期している。抱負は多く語らないが、とにかく自分の野球生命を賭けて頑張るとの事だ。10勝、20勝といった期待は寄せられないが、豊富な経験を生かしの老巧なピッチングが待たれるところだ。
近鉄では九月はじめの首脳部会合で十数選手からなる整理リストを作ったが、このうち六選手にはすでに自由契約選手とする旨を申し渡した。小林経旺、青木孝夫、西野叡治、藤田俊雄の各投手と君野健一内野手、伊川義則外野手である。小林は昨年、大洋ホエールズの自由契約選手となってから今春の近鉄のスプリング・キャンプに参加、キャンプ中ずっと球団幹部のテストを受けたような恰好で入団が決まった。真面目な練習態度とサウスポーであるということが買われたのであったが、年齢的にすでに峠を越していた。青木も昨年巨人を整理され、新田二軍監督の奔走で入団したが、体力的に難があった。西野は昨年、藤田は今年、ともにテストで入団し、大きな希望を抱いていたのだが、その望みはかなえらぬまま寂しくプロを去る。君野は昨年末の契約更改では一番後回しだった。渡辺、加藤晃両一塁手が新たに入団するかも知れないという時であったからである。もし渡辺の入団がもっとスムーズにいっていたら、彼は昨年既に整理される運命にあった。球団の構想では、来シーズンは加藤昌外野手を本職の捕手に戻し、佃を加藤晃、渡辺らとともに一塁に使う構想で、君野は当然一塁からはみ出ることになる。伊川は一昨年、近鉄が伊香とともに迎えた期待の選手であった。入団当初は、同じ左打者でも、伊川のほうが伊香よりバッティングが巧いと言われたものだが、野球に意欲を欠いて、かすんでしまった。以上の六選手は既に年末までの給料を受け取って自宅に帰っているが、毎年何人かの選手がこうして姿を消していくのは淋しいことである。十一年もプロの飯を食い、かつては洋松のエースとして鳴らした小林投手などが去っていくのには、いかにプロが力の世界であるとはいえ哀れをもよおすのである。
近鉄が二月の終わりに近い二月末に元大洋の小林経旺投手と今年度の契約を結んだ。セリーグの大洋を整理されたロートル投手もパリーグのドン尻では通用するのかといった厳しい陰口も聞かれたが、小林が近鉄へ入団した裏には涙ぐましい話がある。小林が近鉄のトレーニングに参加したのは、花園ラグビー場で第一次トレーニングを開始した一月半ばからで、以後藤井寺、宮崎と約一カ月半、近鉄からテスト生並みの扱いを受けていた。当初の小林は三十二歳という実際の歳より老けて見えていた。キャッチボールするのでさえ、他選手に気兼ねした様子で、近鉄との契約は難しいのではないかというのが大方の意見だった。ところが宮崎キャンプへの参加が許され、近鉄のユニホームを貸与された小林は必死に精進を続け、その熱意に同僚の投手連が目を見張った。真面目な練習態度が首脳陣に買われるところとなった。結局近鉄と晴れて契約を結んだ小林は「51」という新人選手がつけるような背番号をつけて再起を期している。抱負は多く語らないが、とにかく自分の野球生命を賭けて頑張るとの事だ。10勝、20勝といった期待は寄せられないが、豊富な経験を生かしの老巧なピッチングが待たれるところだ。
近鉄では九月はじめの首脳部会合で十数選手からなる整理リストを作ったが、このうち六選手にはすでに自由契約選手とする旨を申し渡した。小林経旺、青木孝夫、西野叡治、藤田俊雄の各投手と君野健一内野手、伊川義則外野手である。小林は昨年、大洋ホエールズの自由契約選手となってから今春の近鉄のスプリング・キャンプに参加、キャンプ中ずっと球団幹部のテストを受けたような恰好で入団が決まった。真面目な練習態度とサウスポーであるということが買われたのであったが、年齢的にすでに峠を越していた。青木も昨年巨人を整理され、新田二軍監督の奔走で入団したが、体力的に難があった。西野は昨年、藤田は今年、ともにテストで入団し、大きな希望を抱いていたのだが、その望みはかなえらぬまま寂しくプロを去る。君野は昨年末の契約更改では一番後回しだった。渡辺、加藤晃両一塁手が新たに入団するかも知れないという時であったからである。もし渡辺の入団がもっとスムーズにいっていたら、彼は昨年既に整理される運命にあった。球団の構想では、来シーズンは加藤昌外野手を本職の捕手に戻し、佃を加藤晃、渡辺らとともに一塁に使う構想で、君野は当然一塁からはみ出ることになる。伊川は一昨年、近鉄が伊香とともに迎えた期待の選手であった。入団当初は、同じ左打者でも、伊川のほうが伊香よりバッティングが巧いと言われたものだが、野球に意欲を欠いて、かすんでしまった。以上の六選手は既に年末までの給料を受け取って自宅に帰っているが、毎年何人かの選手がこうして姿を消していくのは淋しいことである。十一年もプロの飯を食い、かつては洋松のエースとして鳴らした小林投手などが去っていくのには、いかにプロが力の世界であるとはいえ哀れをもよおすのである。