プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田中辰次

2023-11-29 22:10:59 | 日記
1966年
球団首脳部が浜村(高知商)についで期待をかけている田中辰次内野手(21)=鷲宮製作所=が二十日から個人トレーニングを始めている。十九日に来福し、中西監督の顔を見ての第一声が「監督さん、これでいいのですか。他の球団はみなトレーニングにはいっています。西鉄は二十七日(全員参加)からと聞きましたが…」だった。これにはさすがの中西監督も目を白黒。「うーむ、評判どおりの根性男だ。これならスター間違いなしや」とほめることほめること。田中辰はその翌日から個人トレーニングを行ったが、合宿では浜村と同室。これを知ったときも一言「浜村君と同室ですか。彼は有名だから二十四時間、野球と同居…いいですね。ぼくの趣味は野球だから」とニヤリ。ノンプロ時代から「人に負けたくない。プロにはいって負けるくらいならプロには行かん」といっていた田中辰らしい言動に中西監督またびっくり。

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小林義治

2023-11-29 21:59:47 | 日記
1965年
新入団の小林義治投手(18)=松阪商高=の両親、栄太郎さん(65)ゆきえさん(56)が、初日から毎日スタンドで、わが子のトレーニングをしている。末っ子なので、心配して、わざわざ松阪からついて来たそうだ。栄太郎さんは「あの子は負けずぎらいなので、がんばってくれると思う。早く第一線で活躍する日を楽しみにしています」と話していた。

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吉成昭三

2023-11-29 10:50:34 | 日記
1966年
昨年末巨人を自由契約になった吉成投手(秋田商出)がテスト生として東映のトレーニングに参加した。同投手は左右両ききという異色投手として話題をまいたが、二年間で整理された。「もう一度なんとかして再起してみたい」と水原監督にテストを申し出たものだが、巨人での先輩坂崎にハッパをかけられて懸命に汗を流していた。伊東キャンプも自費で参加するという。


サンフランシスコ・ジャイアンツのキャピイン・原田スカウトは二十五日、当地で昨年、巨人を自由契約になった吉成昭三投手(20)=秋田商、1㍍78、70㌔、右左投げ右打ち=が、カルフォルニア・リーグ(A級)のフレスノ・チームと試験的に契約したと語った。吉成投手は右左両方で投げられる、スイッチ・ピッチャーという珍しい存在、昨年、巨人を自由契約になったが、ジ軍の極東担当スカウトである原田氏がテストした結果「コントロールがいいし、カーブ、スライダーなど変化球がいい。アメリカで勉強したら…」と勧誘したもの。吉成投手は三月十日、渡米、アリゾナ州カサグタンテで行われるサンフランシスコ・ジャイアンツのキャンプに参加する。


吉成昭三投手の話 「契約書にサインして、はじめてうれしいという実感がわいてきた。むこうには巨人でいっしょだった古賀さんがいるので心強い。スイッチ・ピッチャーでいくつもりだが、どちらで投げても確実味のあるピッチングをしたい」

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辻善之

2023-11-29 10:32:49 | 日記
1963年
大洋の辻は一回日下の二塁打で1点、四回松原の左越本塁打でとった1点をバックに、ていねいにボールを散らし東映を寄せつけなかった。カーブが外角にうまくコントロールされ、ボールも重い感じ、四安打で三塁を踏ませず初の完封を記録した。

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東条文博

2023-11-29 10:26:16 | 日記
1966年
昨年暮れ、南海から移籍して湯之元キャンプははじめての東条がスター並みの歓迎にホクホク顔。グラウンドでの歓迎会では選手のなかでただ一人花束を受ける光栄にあずかった。というのは東条の出身地がこの湯之元。正確には東市来町字美山でグラウンドへ車で十分とかからぬ隣町。グラウンドに両親の姿こそ見えなかったが「東条さん、しっかり」の声援に大いにハッスルした。「ヒマなときには必らずウチに帰る」と東条はいっているが、うれしいキャンプ・インだった。

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