1966年
球団首脳部が浜村(高知商)についで期待をかけている田中辰次内野手(21)=鷲宮製作所=が二十日から個人トレーニングを始めている。十九日に来福し、中西監督の顔を見ての第一声が「監督さん、これでいいのですか。他の球団はみなトレーニングにはいっています。西鉄は二十七日(全員参加)からと聞きましたが…」だった。これにはさすがの中西監督も目を白黒。「うーむ、評判どおりの根性男だ。これならスター間違いなしや」とほめることほめること。田中辰はその翌日から個人トレーニングを行ったが、合宿では浜村と同室。これを知ったときも一言「浜村君と同室ですか。彼は有名だから二十四時間、野球と同居…いいですね。ぼくの趣味は野球だから」とニヤリ。ノンプロ時代から「人に負けたくない。プロにはいって負けるくらいならプロには行かん」といっていた田中辰らしい言動に中西監督またびっくり。
球団首脳部が浜村(高知商)についで期待をかけている田中辰次内野手(21)=鷲宮製作所=が二十日から個人トレーニングを始めている。十九日に来福し、中西監督の顔を見ての第一声が「監督さん、これでいいのですか。他の球団はみなトレーニングにはいっています。西鉄は二十七日(全員参加)からと聞きましたが…」だった。これにはさすがの中西監督も目を白黒。「うーむ、評判どおりの根性男だ。これならスター間違いなしや」とほめることほめること。田中辰はその翌日から個人トレーニングを行ったが、合宿では浜村と同室。これを知ったときも一言「浜村君と同室ですか。彼は有名だから二十四時間、野球と同居…いいですね。ぼくの趣味は野球だから」とニヤリ。ノンプロ時代から「人に負けたくない。プロにはいって負けるくらいならプロには行かん」といっていた田中辰らしい言動に中西監督またびっくり。