1974年
十五日、大人に仲間入りしたなかに川崎市・菅のよみうりランドで自主トレを始めた巨人の金島正彦内野手の顔もあった。テスト生で巨人に採用され、正式に一員になったのが昨年のドラフト会議だった。足かけ三年目でつかんだ57の背番号。金島にとって数字の重さなど気にもならない。「野球をやれるだけでいいんです。」-。成人の日、晴れて一員と文字通り金島にとってはスタートである。午前だけのトレーニングを終えた選手たちが昼食をすませたとたん、食堂の扉がピタリと閉ざされた。扉越しに鈴木ランニングコーチの大きな声がひびいてきた。「小林、罰金五百円、西村も同じ」-。名前をあげられた選手の小さな返事が、すぐ同僚の大きな笑声にかき消される。のっけから鈴木ランニングコーチの雷。罰金を取られた理由は、約束違反だった。正月休暇で選手が帰る前、全員、ハカリの上に乗っている。「のんびりすごせば体重が増える。休みといえどもトレーニングは欠かすな」というわけだ。名前をあげられた小林が3㌔減、西村が逆に2㌔も増えていた。やせたのは不摂生とみられたのか、それが五百円の罰金の対象になった。鈴木コーチのユーモアをまじえた話が終わると、金島はホッと胸をなでおろした。正月休暇中、金島は神奈川県・茅ヶ崎の海岸で走り込んできた。ハカリは合宿を出るときと、ピタリ同じだった。「ボクなんか、遊んでいる身分じゃありませんヨ。やっと半人前なんですから…」テスト生で巨人に採用されたのが一昨年の十月、昨年十一月二十日のドラフト会議でリストアップされるまで背番号なし。むろんメンバー表にも載せてもらえず、金島がいうとおり半人前だった。武相高時代の堅実な守備とシャープなバッティングは関東では光っていた。ところが、専大に入って一年でやめている。「大学野球は肌に合わなかった」というが、それ以上に、あこがれていたプロの希望が強かったのだろう。中尾ピッチングコーチの紹介で巨人入り。昨シーズンはタマ拾いなど一軍の手伝いのまま終わっている。同じ選手でありながら、イースタン・リーグの試合にも出られない。何度、背番号のついたユニホームにあこがれただろうか。ドラフト会議の翌日、新聞に「内野手、金島正彦、19歳」の名前が載ったとき飛びあがった。「57番」-正式にもらった背番号である。ミーティングの後、同僚の板東、庄司、新谷とならんで立った。「成人式おめでとう」-。国松二軍監督の音頭で、温かい拍手と祝いの言葉を受けた。「成人式といっても…。きょうはこれから午後十時まで合宿の電話当番なんですヨ。好きな野球をできるんですから、何もいうことはありません」月給も八万円から二万円アップした十万円になった。「鶴見に住んでいる家族が十九日集まって入団祝いと成人式を兼ねて祝ってくれるんです。すぐ一軍といかなくても早く一軍のレベルになりたい」-。笑った顔にはまだ幼さが残っていた。
十五日、大人に仲間入りしたなかに川崎市・菅のよみうりランドで自主トレを始めた巨人の金島正彦内野手の顔もあった。テスト生で巨人に採用され、正式に一員になったのが昨年のドラフト会議だった。足かけ三年目でつかんだ57の背番号。金島にとって数字の重さなど気にもならない。「野球をやれるだけでいいんです。」-。成人の日、晴れて一員と文字通り金島にとってはスタートである。午前だけのトレーニングを終えた選手たちが昼食をすませたとたん、食堂の扉がピタリと閉ざされた。扉越しに鈴木ランニングコーチの大きな声がひびいてきた。「小林、罰金五百円、西村も同じ」-。名前をあげられた選手の小さな返事が、すぐ同僚の大きな笑声にかき消される。のっけから鈴木ランニングコーチの雷。罰金を取られた理由は、約束違反だった。正月休暇で選手が帰る前、全員、ハカリの上に乗っている。「のんびりすごせば体重が増える。休みといえどもトレーニングは欠かすな」というわけだ。名前をあげられた小林が3㌔減、西村が逆に2㌔も増えていた。やせたのは不摂生とみられたのか、それが五百円の罰金の対象になった。鈴木コーチのユーモアをまじえた話が終わると、金島はホッと胸をなでおろした。正月休暇中、金島は神奈川県・茅ヶ崎の海岸で走り込んできた。ハカリは合宿を出るときと、ピタリ同じだった。「ボクなんか、遊んでいる身分じゃありませんヨ。やっと半人前なんですから…」テスト生で巨人に採用されたのが一昨年の十月、昨年十一月二十日のドラフト会議でリストアップされるまで背番号なし。むろんメンバー表にも載せてもらえず、金島がいうとおり半人前だった。武相高時代の堅実な守備とシャープなバッティングは関東では光っていた。ところが、専大に入って一年でやめている。「大学野球は肌に合わなかった」というが、それ以上に、あこがれていたプロの希望が強かったのだろう。中尾ピッチングコーチの紹介で巨人入り。昨シーズンはタマ拾いなど一軍の手伝いのまま終わっている。同じ選手でありながら、イースタン・リーグの試合にも出られない。何度、背番号のついたユニホームにあこがれただろうか。ドラフト会議の翌日、新聞に「内野手、金島正彦、19歳」の名前が載ったとき飛びあがった。「57番」-正式にもらった背番号である。ミーティングの後、同僚の板東、庄司、新谷とならんで立った。「成人式おめでとう」-。国松二軍監督の音頭で、温かい拍手と祝いの言葉を受けた。「成人式といっても…。きょうはこれから午後十時まで合宿の電話当番なんですヨ。好きな野球をできるんですから、何もいうことはありません」月給も八万円から二万円アップした十万円になった。「鶴見に住んでいる家族が十九日集まって入団祝いと成人式を兼ねて祝ってくれるんです。すぐ一軍といかなくても早く一軍のレベルになりたい」-。笑った顔にはまだ幼さが残っていた。