プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

櫛笥厚正

2023-11-21 07:37:22 | 日記
1960年
川越市立古谷中学校PTA(秋山亨会長)では、十七日午後一時から古谷中で、同校から県立川越工業高校に進み、このほど中日ドラゴンズに入団が決まった櫛笥厚正君=県立川越女子高教諭櫛笥亮本氏(51歳)の次男の壮行会を開いた。櫛笥君は中学校時代から野球が好きで、古谷中野球部で活躍、高校に入っても一年生で早くも工業高校のエースとなり、秋、県体で同校を優勝に導いた。1㍍80㌢の長身から投げおろす速球は、チームの大黒柱として他の選手たちにも安心感をあたえていた。また打者としても常に四、五番を打ち、三年間を通じ大宮、初雁、前橋の各グラウンドで合計6本のホームランを放っている。この日海上には、秋山PTA会長、内田校長をはじめ、中学時代の同窓生、後輩、父兄ら約二百人が集まり、むかし話に花を咲かせたが、母まつさん(51歳)につきそわれた櫛笥君は、PTAから記念にトラをうきぼりしたタテを贈られ、嬉しそうだった。

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鵜飼克雄

2023-11-21 07:29:49 | 日記
1974年
鵜飼投手の両親昭良さん(52)操さん(49)祖母の敏子さん(75)の三人が車で五時間かけて徳島から激励にやって来た。鵜飼が球場入りしたときにちょっと立ち話をしただけで、あとは「どこに行って見ているのか、姿も見せない」と、さすがの二十六歳の女房、子連れのルーキーだけに甘ったれたところはみせなかったが、それでもナインはグラウンドママがやって来たーと冷やかした。「いやいや、野球が一番好きなのはおばあちゃん。プロに入るとき勧めたのもたった一人だった」とかで、鵜飼のいうにはグラウンドママ(祖母)というわけ。二十一日は休みとあって練習後、父親の運転する車で「女房じゃなく、子供の顔を見に行く」と念を押して帰郷した。

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