プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉川久一・富山大

2023-11-09 21:07:01 | 日記
1956年
パ・リーグ阪急ブレーブスでは四日午前十時大阪梅田の阪急本社で近大の吉川久一投手(22)富山大捕手(20)=三年中退=と正式契約を行った。吉川投手は興国高出身で左投、右打、五尺七寸五分、十八貫、ドロップをきめ球とする技巧派型。今シーズン二十試合で十二勝八敗の成績を残している。また富山捕手は尼崎高出身、五尺八寸五分、二十貫、右投右打。三十年春打率四割四分八厘で首位打者。今シーズン春秋のリーグ戦で六本の本塁打を記録しその長打力で阪神、近鉄あたりからも狙われていた。

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吉屋民夫

2023-11-09 20:58:50 | 日記
1958年


昭和13年11月29日生まれ
吉屋民夫(国鉄・投手)国鉄がテストの結果採用したサウスポー。千葉県総元中から大相撲に入り、玉乃海の弟子として三段目まで進んだが廃業して、丸い土俵から四角のダイヤモンドの真中に立つにいたった。力士時代に仲のよかった高崎山(幕下)は本名の服部にかえって大毎のテストをうけたが、不合格となったのに対し、この吉屋は筋肉もやわらかく、ユニホームをうまく着こなしているので、よく見ても元力士らしい臭みが感じられない。二所ノ関の猛練習に耐えてきただけあって、身体はガン健だし、練習のツカレを見せないあたりは大したもの。まだコントロールがないので、キャンプではもっぱらバント練習用の投手をやらされていた。五尺八寸五分、二十一貫。




吉屋民夫投手は、千葉県の総元中学の出身で、しばらく相撲をとっていて、序二段までいった。去年は実家の農業を手伝っていましたが、中学時代にやっていた野球で身をたてようというわけである。


1959年


吉屋民夫投手 国鉄退団・・自家営業。

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加藤康雄

2023-11-09 20:51:01 | 日記
1958年
加藤康雄(巨人・投手)昨年夏の全国学生選手権で第二位となった実績の持ち主。高校は和歌山の田辺高で、その時代は野球をやっていたが、前岡(現井崎ー阪神)がいる以上、甲子園進出は不可能と思っていた時、陸上部から誘われ、そのまま中大に進学したが、野球への情熱もだしがたく、巨人軍に投じた選手。高校時代に国鉄宇野監督から人を通じて勧誘されたことがあり、ヤリ投げの投げ方がピッチングに通じるものがあるので、加藤自身もヤリ投げの経験を生かして練習しているが面白いもので、ヤリ投げのフォームをそのまま野球に使えと教えられても、野球のピッチングフォームとなると、高校時代の「我流」が顔を出している。現在新田ヘッドコーチの手で欠点を一つ一つとりのぞいている最中。

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県真澄

2023-11-09 20:44:04 | 日記
1973年
県真澄さん(32歳)。元プロ野球南海ホークスの選手。39年から41年までライトを守った。その間の出場記録は50数試合。本人いわく「一軍半の選手」だったそうだ。41年12月に退団してからは、大阪ミナミでスナック「KEN」を開店。この店は長らく野球選手の溜り場として繁盛してきた。現在は、株式会社「アビ・ド・タイ」の専務である。

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木村軍治

2023-11-09 20:39:54 | 日記
1956年
パ・リーグ東映フライヤーズでは二十一日午後一字愛知県豊川高の木村軍治遊撃手(18)と契約を完了した発表した。同選手は東海一の高校遊撃手として地元中日を初め他球団からも狙われていた好選手で、百㍍12秒の俊足を生かしフットワークよく守備範囲も広い。打撃は高校時代三番を打ち常に三割四分をマーク、チャンスに強くチームの打点王となった。五尺七寸五分、十七貫五百、右投右打。

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