1982年
日本ハムの川原が、プロ八年目でうれしい初勝利を飾った。五回、無死満塁でルーキーの田中をリリーフ。リーの二塁ゴロ併殺で1点を与えたがあとは上手からの速球と「曲るのと落ちるのと二種類ある」というスライダーを両サイドに投げ分けて好投。九回には勝ち急いでリーに2ランを浴びるなど2点差と迫られたが、どっしりベンチに座ったままの首脳陣を見て「これだけ信頼されているんだ」と自分に言い聞かせ、レオン、水上を連続三振に打ち取った。九州産業高からノンプロの丹羽鉦(にわしょう)を経てドラフト二位で入団した。「チームが大阪で負けていたし、江夏さんの故障ということで、チームのためにいいところで勝てたと思います」と言うあたりは、やはり入りたての新人とはひと味違うところ。ファーム生活が長く「今年は縁の下の力持ちでもいい。とにかく、自分に与えられた任務をきちんと果たそう」と、いわば開き直ってシーズンに入ったそうだが、昨年イースタンで213奪三振のリーグ記録を作った実績はダテではなかった。この川原だけでなく、初先発の田中が四球を連発しながら、よく踏ん張り、五十嵐が前夜に続く本塁打。大沢監督は彼らが活躍すると、チームに勢いが出て来るよ」とご機嫌だった。
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