1963年
初登場の大洋は宮崎(三年)が先発した。得意のドロップがよく決まり、コーナー・ワークもうまくなったが、スタミナ不足。五回同点とされたあと、二死二塁で栗本にうまく右前に合わされて逆転。七回には斎藤に2-2から右翼席にたたき込まれて敗戦投手となった。大毎の栗本もプロでは宮崎同様三年目だが、ノンプロ(倉レ岡山)で七年という経験の持ち主。スライダーがよく決まり配球も群を抜いていた。四回味方のつまらない失策で点を許したが、被安打2本と大洋打線を押えた。「二十一日の巨人戦ではリリーフに出てさっぱりだったが、きょうは彼本来のピッチングを見せた。さっそくあすは一軍に送り込む」とは三浦コーチの話。栗本は三十六年七月十日に大毎入り、翌三十七年十五試合に登板して1勝4敗。六月三日の対南海戦で1勝を記録している。
初登場の大洋は宮崎(三年)が先発した。得意のドロップがよく決まり、コーナー・ワークもうまくなったが、スタミナ不足。五回同点とされたあと、二死二塁で栗本にうまく右前に合わされて逆転。七回には斎藤に2-2から右翼席にたたき込まれて敗戦投手となった。大毎の栗本もプロでは宮崎同様三年目だが、ノンプロ(倉レ岡山)で七年という経験の持ち主。スライダーがよく決まり配球も群を抜いていた。四回味方のつまらない失策で点を許したが、被安打2本と大洋打線を押えた。「二十一日の巨人戦ではリリーフに出てさっぱりだったが、きょうは彼本来のピッチングを見せた。さっそくあすは一軍に送り込む」とは三浦コーチの話。栗本は三十六年七月十日に大毎入り、翌三十七年十五試合に登板して1勝4敗。六月三日の対南海戦で1勝を記録している。
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