プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

原田亨

2015-04-16 22:04:18 | 日記
1957年

セ・リーグ中日ドラゴンズではこのほど関西大学の原田亨遊撃手(22)=市岡高=を獲得、近く正式契約を行う模様である。同選手は五尺九寸、十八貫五百の体格に恵まれた大型遊撃手で攻守にソツなく、特にシュアなバッティングは定評がある。今春の関西六大学リーグ戦でも最優秀選手に選ばれるなど先に巨人入りした同僚の難波選手とともに二、三のプロ球団から勧誘を受けていたものである。
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中村邦弘・栗野芳治

2015-04-16 21:27:33 | 日記
1960年

大毎オリオンズでは来シーズンの陣容強化のため在野の大物選手獲得に精出し、さきに松阪商の栗野芳治(18)外野手の入団を決定したが、このほど倉敷工の中村邦弘(18)外野手の入団がきまった。中村選手は昨夏の甲子園大会に出場、二年生ながら好打をとばしてアメリカ遠征の高校選抜チーム中ただ一人の二年生として渡米した。米遠征では朝井(現阪神)とならんで三番を打ち主力打者をつとめた。小学生の時、全国健康優良児に選ばれたこともあり、ガッチリした体格の持ち主。栗野選手は今春のセンバツでは三番打者として甲子園大会で活躍、8打数5安打を放ってプロ各球団スカウトの目にとまった。

和田代表の話 まだ正式契約はしていないが、ウチへ入ってくれることは間違いないとみている。栗野君とともに将来性のある選手だしプラスとなることだろう。
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永井進

2015-04-16 20:53:54 | 日記
1957年

永井投手は五尺九寸、二十貫の体格に恵まれた右投げ右打ちの本格派で来春、阪神入りが予定されている戸梶捕手とバッテリーを組みことしの春、夏の両大会に甲子園へ出場、春は2回戦(1回戦は不戦勝)で倉敷工高と対戦し九回を完投、三振6個を奪って6安打に押えたが、結局0-2で惜敗。夏の大会には同じく2回戦(1回戦不戦勝)で優勝した広島商高と顔が合い延長十回を一人で投げ抜き三振8個を奪って許した安打はわずか6本だったが4-5に惜しくも敗退している。春はサイドスローであったが、夏から純粋のオーバースローに変えたために春にくらべてややスピードは落ちたが、球質は一段と重くなっており、予選では六試合を完投して自責点0に押えている。まだ未完成ではあるがそれだけに将来大いに楽しめる投手といえる。
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辻村亘

2015-04-16 20:34:54 | 日記
1958年

なお同時にかねてから入団が内定していた同大の辻村亘外野手(22)=右投右打=と正式契約を行った旨発表した。同選手は八尾高ー同大を通じて打の主力選手として活躍、ことに同大では四番打者として昨年度関西六大学秋季リーグでは三割六分四厘の高率をマークして打撃ベストテン五位に入っている。また同選手は一時大洋入りと見られていたが、諸般の事情から近鉄入りとなったものである。
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黒崎武

2015-04-16 20:09:21 | 日記
1958年

東映フライヤーズではかねてから内野陣補強に重点をおき広範囲に手をのばしていたが、さきの久留米商松本遊撃手に続き桐生高の黒崎武選手(17)の獲得に成功した。同選手は最初は投手で今夏の群馬県大会でスライディングの際肩を強打して振るわず甲子園では外野手として出場したが大会終了後の対作新学院戦では7-2と完投勝利を飾っている。しかし東映では黒崎選手の横手投げのピッチングよりもフットワークのよいこと、打力があることから遊撃手としてのばすと岩本監督もいっている。一㍍七六、六七・五㌔、右投右打。なお正式契約は十一月初旬となる予定である。
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岸輝男

2015-04-14 21:47:37 | 日記
1957年

さきに国鉄入りした亀田三塁手とともに今夏の全国高校選手権大会に活躍した大宮高の岸輝男外野手(17)が二日、東京駅前、丸ビル三階の近鉄東京事務所で近鉄パールズ入団の正式契約を行った。岸選手は五尺七寸五分、十八貫、右投右打で大宮高の三番打者、高校三年間の通算打率は三割五分だがことしの甲子園大会では4試合に15打数4安打、打率二割六分七厘とアベレージはよくない。しかし確実性にとんだバッティングと快足がプロ野球スカウト間では早くから買われていた。近鉄は亀田と併行して積極的な勧誘につとめていたが、亀田の国鉄入りが確実とみてあきらめ、岸獲得に全力をかけたのが成功して国鉄、広島、毎日を押えて手中にしたもの。

岸選手の話 一番熱心に勧誘して下さった近鉄へ入ることにしましたが、そのハラがきまったのは国体前です。プロのゲームはよく見ておりますが、僕のように未熟では第一線に出るのも大変なことでしょう。それだけに今後は一そうの努力を重ねなければならぬと考えています。高校一年の時三塁手をやりましたが、これからは外野手として打撃向上に全力を注ぐ覚悟です。
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呉山義雄

2015-04-14 21:30:44 | 日記
1957年

パ・リーグ阪急ブレーブスでは十一日午前十一時大阪市北区角田町同球団事務所で近大の呉山義雄遊撃手(23)と正式に契約したことを午後一時発表した。呉山選手は近大付属高校から近大に進学、春のリーグ戦からクリーンアップトリオにばってきされ、遊撃手としてデビューした。一時手薄となった外野にも転向したが、この春から再び古巣の遊撃手にカムバック、近大リーグでは常にベストテンに顔を出している強打者である。しかもこの秋は長嶋(立大)難波(関大)にさきがけて八号ホーマーを記録、以後立て続けに九、十、十一号を放って一躍学生本塁打王としてクローズアップされた。関西ではさきに巨人入りした難波選手とともにプロ野球界から注目され阪急のほか巨人、中日、毎日、南海、近鉄などから入団の勧誘を受けていた。なお同選手は阪急ブレーブス初のボーナスプレーヤーとなり、来シーズンから出場する。五尺八寸八分、二十貫、右投右打。

木地阪急代表の話 私はまだ一度も呉山君のプレーをみていないが近畿大学リーグで11本の本塁打を記録しており、よい素質の持ち主と聞いているのできっと期待に応えてくれることでしょう。
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河野安男

2015-04-14 20:25:37 | 日記
1958年

近鉄バファローでは東鉄の河野安男一塁手(22)と十三日午後四時丸ビル内の近鉄東京事務所で契約を行った。河野一塁手は水戸農から昭和三十年に東鉄に入社、三十一年全国鉄野球で首位打者(12打数8安打)と最高殊勲選手になったのをはじめ、連続して産業大会に出場、昨夏の都市対抗ではニッポンビールに補強され、8打数4安打(本塁打1、二塁打2をふくむ)という活躍を示し、注目された。東鉄ではずっと四番を打っていたが、社会人球界でも屈指の強打者として定評があった。1㍍74、75㌔、右投右打。

河野選手の話 大洋からも話はあったが昔いっしょにプレーした近藤君もいることだし、働きやすく思い切ってやれそうだと思って近鉄を選んだ。近鉄のゲームはまだみたことがないが、一年生のつもりでがんばりたいと思う。
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拝藤宣雄

2015-04-14 00:08:27 | 日記
1957年

広島カープ入りの内定していた立大拝藤宣雄投手(22)は十二日午前七時三十四分着の特急さちかぜで来広。午後零時十分カープ事務局において伊藤カープ社長、河口代表、白石監督立会いのもとに正式に契約を完了した。身長五尺七寸五分、体重十七貫右投右打。

拝藤投手の話 カープの球団が非常に統一されていると思い、それに郷里(県内境市出身)が近いので父母ともよく相談の上入団することに決めました。プロではどれだけやれるか、自分には見当もつきませんが、とにかく一生懸命やるつもりです。いままでは直球とカーブを主に投げておりましたが、来年はぜひフォークボールをマスターしたいと思います。

白石監督の話 本格派投手の拝藤君の入団は非常に意義が大きい。直球、カーブを主武器に使っているようだが、プロではぜひシュートをマスターしてほしい。そして長谷川、備前に一日も早く近づいてくれるよう希望している。また六大学のスタープレーヤー小坂、拝藤にかける広島ファンの期待が大きいので、その点重荷にならないようできるだけ軽い気持ちでプレーをふませたいものである。
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福原勝

2015-04-13 23:48:30 | 日記
1958年

さきに近鉄入りが決定していた益田産業の福原勝投手(18)は二十六日実父孫市さんと大阪阿倍野の同球団事務所で大北代表立ち会いの下に正式契約を行った。背番号37。同投手はこの夏の甲子園大会に出場、一回戦で松阪商業に4-0で敗れてはいるが、本格派の速球投手として早くから注目されていた選手である。身長1㍍82、体重72㌔、右投右打。

福原投手の話 巨人、西鉄、大毎、広島からも話がありましたが近鉄にお世話になることにきめました。近鉄を選んだのは働きやすいチームだからです。これでプロ一年生になったわけですが、すぐに第一線に立ち、登板できるようまた板東、河村君などにも負けないよう努力します。

大北代表の話 夏の大会を終わったあと、すぐ交渉したが実にスムーズにいった。かれは本格派の速球投手だけにその将来を大いに期待している。
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河原田明

2015-04-13 23:33:19 | 日記
1958年

東映フライヤーズ入りを表明していた早実の河原田明(かわはらだあきら)投手(17)は三日午後三時京橋の東映フライヤーズ事務所で正式契約した。同投手は前橋一中時代からずっと投手をつとめ早実ではすでに巨人入りの決まった王投手を助けて昨年の選抜大会には優勝するなど四度甲子園の土をふんでおり、昨年オープン戦ではあるが対桐蔭高戦では十連続三振の記録を作ったこともある。シュートとドロップを武器とする投手で左腕投手難だった東映は河原田投手に大きな期待をかけている。1㍍83、75㌔、左投左打。

河原田投手の話 はじめ早大進学を希望していたのですが、家庭の事情でプロ入りすることになりました。東映を選んだのは王君が巨人に入りましたし、同じ東京チームにはり合いたいと思ったことと、先輩の相沢、内山さんがおられるので親しみをもっていたからです。どれくらいやれるかわかりませんが、筒井コーチの指導をあおいで一日も早く第一線に出られるようがん張ります。

石原代表の話 河原田君は王君の陰にかくれて花やかな存在ではなかったが、東映では早くから目をつけていた。ようやく正式に入団が決定し本当に喜んでいる。
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菅原紀元

2015-04-12 08:46:43 | 日記
1958年

大毎オリオンズ入りを決定した都内東洋商の菅原紀元(のりもと)投手(18)は八日有楽町の大毎球団事務所で入団正式発表を行った。菅原投手は1㍍82、77㌔の巨漢右腕投手で、オーバースローから伸びのある直球とドロップを武器とする本格派投手。都内高校球界でもスライダーを投げることで名が通っていた。今夏の東京都大会では三回戦(対小金井工)に点を取られてからリリーフしたため1-0で惜敗したが、二試合15イニングで22三振を奪っている。これで大毎は上条投手(足立高)佐藤二塁手(東北高)につぐ三人目の契約。同選手は契約後すぐ伊東に向かい大毎の選手として改めて合宿練習に参加した。

松村代表の話 片岡君が伊東につれて行き別当監督に見てもらったところなかなか素質があり有望だとのことだったので、すぐ交渉し契約した。うちは投手に補強の重点がおかれており、これが戦力の一つになってくれれば幸いだ。

菅原投手の話 大毎からの交渉は夏の大会が終わってすぐにありました。初めは立大進学を希望していたのですが野球に理解のあるおじが熱心にプロ入りを勧めてくれましたし、パ・リーグの中で大毎が好きだったので五月の終わりごろプロ入りを決意しました。昨年秋の東京都大会で試合したことのある上条君もいることだし上条君に負けぬようがんばるつもりです。
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井洋雄

2015-04-12 08:30:26 | 日記
1958年

日鉄二瀬のエース井洋雄(ひろお)投手(21)は八日広島カープと正式契約を結んだ。1㍍77、64㌔、右投右打、三十一年済々黌高から日鉄二瀬に入り、都市対抗出場三回、産業対抗大会出場二回、コントロールのよい外角速球とカーブには定評があり、今年度の産業対抗大会初優勝の原動力となった。
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東郷幸

2015-04-12 07:32:17 | 日記
1959年

国鉄スワローズでは十八日正午、千代田区丸の内の同球団事務所で天王寺鉄道管理局の東郷幸(さとゆき)捕手(24)=三重県上野高校出=と正式に契約した。同選手は身長1㍍78、体重78㌔、右投右打で今秋の産業別野球大会では全国鉄チームの主軸打者として活躍した。年間の通算打率は三割一分をマーク。長打力の持ち主である。なお同選手は三十二年度から二カ月間阪神に籍をおいたことがある。
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田中昌信

2015-04-12 07:01:13 | 日記
1961年

阪急ブレーブスでは二十八日西宮高の田中昌信投手(19)=右投右打=と契約した旨発表した。同投手は身長1㍍75、体重69㌔と体格に恵まれておりすぐ戦力になる投手ではないが、ストレートにはかなりの威力を秘めており阪急ではその将来性を買っている。過日のテストの結果採用されたもの。なお背番号は59である。
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