プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大崎隆雄

2015-04-25 12:53:09 | 日記
1960年

大洋ホエールズでは大洋入りが決まった平安高の大崎隆雄投手(18)と、森代表、三原監督立ち会いのもとに二十九日正午から永田町グランド・ホテルで正式に入団の契約を交した。大崎投手は1㍍82、75㌔、右投右打の上手投げ本格派投手で、今夏の甲子園大会に金沢市高を1安打完封に押えて大きくクローズアップされ、大洋、巨人、大毎、南海、阪神などから勧誘されていた。大洋は江田スカウトが熱心にすすめ、三原監督も今月初め本人と会って説得、獲得に成功したもの。恵まれた長身から投げおろす速球、大きく落ちるカーブ(ドロップ)は威力があり、高校界でも豪球投手として定評があった。背番号は未定。

大崎投手の話 ボクはパよりもセの方が好きだ。大洋を選んだのは、一つの頂点をもとにすっきり一本通ったものがあり、まとまっているものが感じられたからだ。ボクは速球とドロップが武器で、時たま落ちるシュートを投げるが目標としては力のピッチングをしたい。近藤和さんを初め球界には平安の諸先輩方がいるが、先輩に負けないよう努力するつもりだ。

三原監督の話 大崎君は顔も体も別所君の少年時代にそっくりだ。またピッチングも上手投げで力強さがうかがえ、本格派投手として期待が持てる。しかしただ似ているというだけではダメで、大崎君自身の努力を望んでいる。
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関口一郎

2015-04-25 09:20:16 | 日記
1956年

かねてからプロ入りを伝えられていた明大野球部投手関口一郎選手(22)のセ・リーグ大洋ホエールズ入団が本決りとなった。同投手には大映などからの勧誘もあったが本人は秋山、土井はじめ先輩をしたって大洋入りを望んでいたもの。大洋球団との正式契約はまだ行われていないが契約金の折り合いさえつけば契約の運びとなるもようで迫畑大洋監督がきょう三日帰京することになっているので二、三日中には正式入団が決定しよう。なお関口投手は明治高から二十八年明大に入学、六大学リーグ戦では秋山(現大洋)の陰にかくれて目立たずブルペンエースなどといわれたこともあったが今春の対慶大戦で快投を演じシャット・アウトにほうむって脚光を浴びた。五尺七寸五分、十九貫。

関口選手の話 迫畑監督さんには高校時代から教えをうけていますし秋山さんや土井さんたちもおりますので大洋に入ることにしました。まだ契約はしておりませんが迫畑さんが帰京されたらすぐにでも契約しようと思っています。プロへ入ってどの程度やれるか分かりませんがただ一生懸命頑張りたいと期しています。
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亀田信夫

2015-04-25 08:34:25 | 日記
1957年

国鉄スワローズでは一日午前十一時半有楽町の球団事務所で埼玉県大宮高の強打者亀田信夫三塁手(18)と入団の契約を行った。同選手は今夏の甲子園大会で主将として、また四番打者として活躍、四試合16打数、10安打、打率六割二分五厘の最高打率をマーク、決勝戦進出の原動力となった。長打力もあり、チャンスに強いバッターとして国鉄のほか中日、南海、阪急、近鉄、大映からの勧誘の手がのび、さらに早大、慶大、立大、明大、法大などの各校からも進学をすすめられていたが同選手の実家が鉄道一家(父親の作治さんは二十九年まで水鉄機関区長、長兄寛さんは大宮機関区、次兄雅さんは関東地方資材部中央用品試験所三兄が水鉄局勤務)であったことから国鉄入りが決まったもの。五尺八寸五分、十九貫八百、右投右打。

亀田選手談 皆さんが期待するほどの活躍はできないかも知れませんが、一生懸命やります。大学へ進むことも考えてみました。しかしあと四年間勉強することは大変なのでプロ入りを決意しました。国鉄を選んだのはチームカラーに魅力を感じたことと、また町田さんのファンでもあるからです。
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渡辺稔

2015-04-25 08:24:21 | 日記
1958年

国鉄スワローズ入りを決定した埼玉県大宮高校野球部主将の渡辺稔選手(18)は三十日有楽町の国鉄球団事務所で入団の正式契約を行った。同選手は1㍍75、69㌔の体格に恵まれ昨年は遊撃手として、ことしは投手として夏の大会に連続出場将来を嘱望されていた。国鉄のほかに中日、近鉄からも勧誘されていたが、大宮高の先輩、高屋、亀田がいることから国鉄入りが決まったもの。右投右打でバッティングの才もあり、昨年は予選で三割五分、甲子園では二割五分、ことしも予選では四割二分の高打率をマークした。

渡辺選手の話 国鉄を選んだのはチームカラーが好きなことと先輩の高屋さん、亀田さんがいるからだ。投手となるか野手となるかは監督さんが決めてくださることですが僕としては内野手、特に一番なれた遊撃がやりたい。プロと高校野球にどのくらいの差があるか知りませんが、国鉄に入った現在別に不安はありません。あとは一生懸命努力すればよいと思っています。
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伊川義則

2015-04-23 11:01:49 | 日記
1956年

近鉄パールズでは十九日午後二時から大阪阿倍野の同球団事務所で大北代表、今村マネージャー立ち会いの下に近大伊川義則選手(22)=五尺六寸、十九貫、左投左打、大阪市立東商業卒=と正式契約を行った。伊川選手は近大の五番打者として近畿六大学リーグで昭和二十八年、三十一年の二度にわたって首位打者となり在籍中の四年間を通じても三割台をマークしておりシュアーな打法の持ち主、高校時代(東商業)は投手としてマウンドをふんだ経験もあるが、二年生の時から打棒を生かして外野手に転向、早くからシェアーなバッティングは注目されていたもの。

伊川選手の話 プロに入ってどれだけやれるか分かりませんが、松田さん(近大監督)からも近鉄はいいチームだと聞いていますし、全力を尽くして頑張りたいと思います。

大北代表の話 伊川君は大もの打ちではないが、首位打者を二度も獲得したシュアーなバッティングには大いに期待をかけている。
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指方輝雄

2015-04-23 10:26:48 | 日記
1956年

指方輝雄外野手(23)…同選手は長崎県大村高出身、高校時代は三塁手、四番打者として猛打を振ったが、チームが弱体だったため大きな大会には出られず従って注目されなかった。二十七年に門鉄に入った年は外野に回って猛烈に打ちまくり、全国鉄道大会で首位打者(五割四分五厘)となり、門鉄の優勝に貢献した。そのころから国鉄随一のスラッガーとして知られたが後楽園の土をはじめて踏んだ今年は、予選では三ホーマーを含む四割九厘の高打率をマークしている。1㍍72、68㌔の理想的な体格の持つ力と内角でも外角でも打ちまくる器用さがあり期待される選手である。内角の落ちる球に弱い欠点はこれくらいでプロでも立派に通用する打力の持ち主である。右投右打。

指方選手の話 どうせ野球をやるならとプロ入りを決意しました。毎日のほかにも二、三球団から誘いがありましたが、私は山内選手を心服しているので毎日ときめました。それと若い人たちが多いのも一つの魅力です。未知の世界ですが、きびしいことは覚悟のうえで自分のためにも叩いてくれるようお願いします。

別当毎日監督の話 実は毎日西部本社の推薦できくところによれば強肩強打俊足と三拍子そろった選手だというから期待をかけている。
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伊香輝男

2015-04-19 08:09:06 | 日記
1956年

伊香選手は大阪府下香里高校出身、五尺七寸五分十九貫五百、左投左打の選手でその強肩とスケールの大きいバッティングは早くから定評があった。今春のリーグ戦における成績は41打数11安打(3二塁打、2三塁打)の二割六分八厘で十五位、秋のリーグ戦でも現在で(27日)36打数11安打(2二塁打、1三塁打)の三割六厘と好成績をあげ、近鉄のほかにも数球団から勧誘の手が伸ばされていた。
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坂本宏一

2015-04-19 07:48:17 | 日記
1957年

セ・リーグ大洋ホエールズ入りが内定していた高知商坂本宏一捕手(18)は三十一日、東京駅丸ビル七階の大洋球団事務所で正式入団の契約を完了した。同選手は今夏甲子園の全国高校選手権大会には惜しくも出場の機会に恵まれなかったが、春の選抜高校大会に出場、巨人入りの内定している小松投手とともに活躍、決勝戦で早実と対戦する原動力となった。五尺九寸五分、十八貫五百の体格を誇り、高知商の主将、五番打者、強肩の持ち主で早くから高校球界の逸材としてプロ野球スカウト仲間からねらわれていた。現住所は高知県高岡郡佐川町甲、右投右打。

坂本選手の話 夏の予選が終ってから大洋入りを決意しました。どうせ野球をやっていくなら…と思ってプロ入りした。巨人に小松が入りますし、彼に負けないようがんばっていきたい。ことしを通じての打率は大体三割ぐらい。プロ野球ゲームはテレビでみるだけで、どの程度自分がやれるか全然見当がつきません。

迫畑監督の話 立派な体をもっているし、なかなかのファイターというからたのもしい。甲子園の舞台をふんだり、常に正捕手としてマスクをかぶっていた経験が本人の努力次第で大きくものをいうだろう。打力もあるから将来がたのしみだ。
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富田虎人

2015-04-19 07:04:05 | 日記
1956年

ノンプロ日本通運入りが伝えられていた中京商高の強打者富田虎人外野手(18)は十四日突然中日ドランゴンズ入りが決定、契約を終わった。同選手はこの春の全国高校選抜野球大会で7割6分5厘の好打率とともに8打席連続安打の快記録を打ち立ててリーディング・ヒッターとなった。左投左打の強打者。

富田選手の話 中日には中山さんや原田さんなどの先輩もおられるのでその人たちに負けないよう一生けんめいやります。プロ野球は九月に中日ー巨人のナイターを一度みただけですが、やはりプロは力もあり投手もいいコースを突いてくるので感心しました。入った以上は頑張ります。
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横地由松

2015-04-18 15:15:08 | 日記
1957年

中日ではこのほど中部地方高校球界の名遊撃手地元愛知商高の横地由松(18)選手と正式契約した。同選手は身長五尺七寸五分体重十七貫五百、内野手としては最適の体格に恵まれ、強肩で打撃も同校不動の四番打者として超高校級である。右投右打。
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菊地秀之

2015-04-18 13:20:57 | 日記
1958年

東北高(宮城県)の菊地秀之三塁手(17)はこのほど西鉄入団が内定し、近く正式契約を行う。同選手はすぐれたバッティングと強肩をかわれたもので、今シーズンの打率は三割七分五厘、夏の全国高校野球選手権大会にも出場した。身長一八二㌢、体重72㌔、右投右打。
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古川啓三

2015-04-18 13:13:10 | 日記
1958年

大阪タイガースでは八日午後一時から北区梅田の阪神本社内同球団事務所で先に入団が内定していた古川啓三捕手(24)と正式契約した。同捕手は三十二年法大卒、日本コロムビアに入社、三番打者として活躍、外角球が得意で右翼方面への打法を身上とし昨年の都市対抗野球には四割七分の好率を誇っている。最近は左翼方面にもしばしば好打している。昭和九年四月二十五日生れ、倉敷工から法大ー日本コロムビア、身長1㍍70、体重71㌔、右投右打。
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石井登

2015-04-18 12:55:00 | 日記
1957年

同選手は琴浦高から昨春岡鉄に入り、その年の春の選抜都市対抗野球に三番打者として出場、今夏の都市対抗野球大会には倉敷レイヨン岡山の補強選手となって二塁手、五番打者で活躍した。高校時代は投手をつとめていたが、岡鉄に入って打力を生かされて三塁を守って岡鉄攻守の中心選手だった。今シーズンの通算打率は三割を超す好打の持ち主で阪神の三宅、国鉄の田代両選手の後輩にあたる。五尺七寸、十七貫、右投右打で自宅は岡山県児島市田ノ口。

石井選手の話 プロ野球はあまり見ておりませんし、自分がすぐ一線に出られるとも思っていません。ここ一、二年は二軍にでも置いていただきプロの空気に早くなじみたいと考えています。プロ入りしたのはどうせ野球するのだったら…と決意したからで、大洋からは都市対抗前に話がありました。自分の希望は三塁手です。
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長尾辰雄

2015-04-18 12:41:34 | 日記
1958年

大分県日田高校野球部主将長尾辰雄捕手(18)は南海ホークスに入団することに内定した。二年生のときから同校チーム正捕手となり、十九試合に七本塁打を放った大型捕手。
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横山守

2015-04-18 12:37:27 | 日記
1958年

中京球界で多治見工の河村とともに並び称されていた岐阜工の横山守投手(17)は国鉄、近鉄、中日、大毎から入団を勧誘されていたが、このほど国鉄スワローズ入りが内定した。同投手は夏の高校予選で岐阜商をノーヒット・ノーランに押え、四十九イニング無失点の快記録を作っており、毎試合平均十二の三振を奪取した剛速球投手で河村より球質が重いといわれている。1㍍80、73㌔、右投右打。なお正式契約は十一月末になる予定である。
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