プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

落合勤一

2019-05-22 17:23:54 | 日記
1965年

東映は来シーズンの新入団選手を五人予定。荒井健スカウトが交渉しているが十五日、このトップをきって落合勤一投手(18)=右投げ右打ち、身長1㍍81、体重83㌔中野実践高=の入団をきめた。落合は十五日午後五時三十分から、およそ三十分、東京・新宿西大久保の「第三松田ビル」で母親のフミさん(46)とともに荒井スカウトと最終的な話し合いをし、東映入団を了承した。契約金は推定三百万円。なお正式には十八日、落合の卒業試験が終ったあと契約書にサインをしたとき発表される。落合はスピードボールを武器としてナチュラルなスライダーを投げ、高校時代には五番を打っていた。八王子市元本郷町二の三五の自宅で母フミさんと弟公夫君(16)の三人ぐらし。
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高岡英司

2019-05-22 17:17:52 | 日記
1965年

中日ドラゴンズは十五日午後零時三十分から名古屋市中区南外堀町の同球団事務所で、大沢常務、近藤コーチ、柴田スカウトの立ち会いのもと、ノンプロ富士鉄広畑の左腕投手、高岡英司(たかおか・えいじ)選手(26)=東筑高出、1㍍72、62㌔=の正式入団を発表した。高岡選手は今夏の都市対抗では松下電器の補強選手として出場、準々決勝で八幡製鉄に1-0(エラー)で敗れたが、大昭和製紙、立正佼成会戦で力投、24イニングで自責点1と好投。球速があるうえ、シュート、カーブに威力があり、現役時代の荒巻投手(前阪急コーチ)そっくりのフォーム。

近藤コーチの話 「貴重な左腕投手だ。根性もあり、すぐ戦力になるものと期待している」

高岡投手の話「野球をやるならプロでとかなり前から考えていました。これからは野球がすべてなので、やりがいがあります。力いっぱいやります」
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渡辺賢二

2019-05-21 21:00:29 | 日記
1960年

東映では十三日午後駒沢球場で渡辺賢二投手(18)=中京商中退、1㍍80、74㌔、右投右打=を多田ピッチング・コーチが立ち会いでテストした結果、入団をきめた。契約は近日中に行なわれる予定。同投手は本年六月家庭の事情で退学、名古屋商科大に勤務していた。

渡辺投手の話「まだ採用とは聞いていないが、合格したら一生けんめいやる。雨あがりでグラウンドが悪かったので思い切って投げられなかったが、スピードには自信がある」

多田コーチの話「水原さんに全部まかされてみにきたが採用することにした。まだ下半身にもろいところがあるが、投手として理想的な体をしているのが気にいった」
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選抜優勝投手その後

2019-05-19 17:21:30 | 日記
1983年

水野良一 上から下から、変幻自在の投球ぶり 慶大ー中日新聞社ー中日ー中日新聞社ー中日興業取締役

村松長太郎 スローカーブあやつった技巧派 セネタースー翼ー大洋(戦前)-戦死

野口二郎 全4試合完封の超A級剛速球 法大ーセネタースー大洋ー阪急ー毎日、近鉄、阪急各コーチ

松本貞一 歴代V投手中、最も球の遅い軟投型 阪神ー愛知産業ー中日ー三共陶器社長

大島信雄 全身これバネ、の体から剛球ピシリ 慶大ー大塚産業ー松竹ー中日ー現野球評論家

玉置玉一 速球自慢の本格派打撃も一級品 阪神ー大洋ー国鉄ー近鉄ー大洋ー会社役員

北本重二 速球武器の本格派 太陽ロビンスー田村駒ー自営(北本金糸店)

東泉東二 しり上がりに実力発揮の速球派 東映ー日本石油建設部工務課

田所善治郎 横からカーブ、上からドロップ 国鉄ー山崎運輸業務課長

広島尚保 本格派の速球投手 元中日。中日在籍は33年~36年。改名して「衛」(まもる)

平沼一夫 カーブ、ドロップがよい技巧派 中京大ー東京ーグローバルリーグー自営(歌詞卸売業)

池永正明 超高校級の剛球で度肝抜く 西鉄ースナック経営

加藤英夫 技巧派。制球のよさ誇る。 近鉄ー近鉄配送センター

吉良修一 伝家の宝刀・ドロップさえる 阪神ー自営
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丸山隆男・山本英規

2019-05-17 13:49:54 | 日記
1965年

巨人は二日から中央区銀座西の球団事務所で契約更改を開始したが、第一日は来季の活躍が期待される若手左腕コンビの吉沢、高橋一らが更改した。両選手とももち代程度の昇給があったらしい。なお、丸山(富山商出)山本(広陵高出)は自由契約を言い渡された。
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土井正博

2019-05-17 09:59:28 | 日記
1961年

パ・リーグ近鉄バファローは二十日午後三時大阪市阿倍野の同球団事務所で土井正博外野手(17)(大鉄高中退)の入団を実父亀太郎氏立ち会いのもと永江球団社長から発表した。土井選手は身長1㍍78、体重79㌔、右投、右打、背番号51、昨年春の選抜大会には大鉄高の四番打者で出場。大型打者として注目されていた。しかしまだ二年生なので、プロからの勧誘はなかったが、家庭の事情で中退したため、近鉄、大洋、国鉄、南海が獲得にのり出し、近鉄への入団がきまったもの。同選手の高校二年間の通算打率は3割7分8厘、本塁打5本を打ち、大型打者として期待されている。

土井選手の話 家庭の事情で学校をやめることになったので、好きな野球をやれる道を選びました。近鉄を選んだのは地元だし、努力すれば出場できる可能性があったからです。

永江球団社長の話 外野陣が手薄なので土井君のような優秀な選手が入って来てくれたことは大変心強い。将来近鉄の中軸打者になるものと大いに期待している。
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福浦健次

2019-05-17 09:51:07 | 日記
1960年

東京の中央商といえば野球よりも国体に連続優勝をとげたボクシングで名が売れている。福浦健次投手はその中央商が生んだ初めてのプロ野球選手だ。学校に彼をたずねタイガースのユニホームを着せると昼休みの生徒がワーッと彼をとり囲む。元野球部長の堀内校長、清水監督が目を細めてそれをみつめていた。学校中が彼の前途を祝福しているかのように…。甲子園出場の経験もない福浦であれば全国的な名声はないが都内高校界では本格派投手として一、二を争う実力の持ち主。早くから阪神のほか大毎、阪急、中日、巨人などプロ各球団のスカウトの目にとまっていた。この春の遠征には作新学院、宇都宮工と対戦しいずれも勝利。一試合14三振を奪い、夏の都予選でも日大二高に敗れるまで、毎試合完封に近い成績を残している。十一月八日から二十日まで大津での阪神トレーニングに参加、球団関係者が「今年の新人の中ではもっともいい」と学校あてに電話して来たという。「無口なヤツですから」と長兄興男氏がいうとおり、「硬式を握ったのは高校に入ってから、プロでやろうと思ったのはこの夏ごろです」の言葉もポツリポツリ。興男氏もかつて野球選手だったが、その兄について小さいころから野球をやっていた。早大から国鉄入りの徳武選手も家が近い関係でそのころの仲間とか、これも兄さんに聞いた話である。口数は少ないが、芯の強い男でもある。現在すでに来春のキャンプに備え、一人トレーニングに励んでいる。腰がやや弱いといわれた彼は連日ボクシング部員に交じってランニングを行ない、校舎の一階から四階まで階段をかけ上がったり、かけおりたり、一日も欠かしたことがないという。「小山さん、村山さんのような投手になりたい」と抱負を語る彼の表情から、初のプロ選手として母校の名を汚すまいとする決意がはっきり読みとれる。七人兄妹の三男。西部劇をみるのが好きというティーン・エージャーである。昭和十七年九月十三日生まれ、十八歳。右投右打。現住所=北区上中里二ノ二八。

阪神佐川スカウトの話 僕は今年春から夏にかけて九州、四国、中国など全国にわたって高校チームを見てきた。徳久、岩本など四国、九州には本格派の好投手がいたが、福浦君はこれら全国に名の通った投手以上の素質があると思い、球団に報告して入団してもらったわけだ。バネもあるし、これから育つ年だから下半身はもっとしっかりしよう。一、二年の時を与えればきっと大成する投手だ。

長兄興男氏の話 父をはじめ家の者は、大学へ行かせたかったのだが…。プロに入った以上は、家のことは心配いらないのだし、監督、先輩のいうことをよく聞いて一生懸命やって欲しい。一日も早くレギュラーになることが、健次をここまで育ててくれた学校の先生方に対する恩返しだと思う。

中央商清水監督の話 芯のある男だが、反面人がよく、誰にも引っぱられてしまう性質がある。この性質をいい方にのばして欲しい。スピードはあるし外角低目にきまれば相当の威力がある。努力次第では二、三年先といわず、来年からでも阪神のローテーションに加われるだろう。
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成田光弘

2019-05-17 09:29:33 | 日記
1960年

かねてから大毎、中日両球団の間で激しい争奪戦が行われていた秋田商の四番打者成田光弘捕手((18)=右投右打、1㍍73、75㌔)は、二十三日正午にパ・リーグ大毎入りの意志を表明した。同選手はことしの春、夏甲子園大会に出場、高校球界随一の大型捕手として折り紙をつけられ、その長打力は注目されていた。なお正式契約は近々のうちに有楽町の大毎球団事務所で行われる。

成田捕手の話 片岡さんには熱心にさそわれた。大毎は前から好きだったし、先輩の三平さんもいることだしお世話になることにきめました。プロ入りに踏み切った以上一日も早くレギュラーとなって活躍したいと、ただそれだけを考えています。
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幡野和男

2019-05-17 09:24:11 | 日記
1960年

セ・リーグ阪神タイガースでは、このほど今夏の高校野球選手権大会に優勝した法政二高の主将幡野和男外野手(18)=右投右打、1㍍76、73㌔=を獲得した。同選手は今夏の大会で五割の高打率をマークした好打者である。正式契約は十二月の予定。
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押尾健一

2019-05-16 15:58:27 | 日記
1997年

今年7年目の押尾だが、野球選手としては極めて印象が薄い。4年前の春、甲子園でのオープン戦で阪神相手に好投。女房役が野口だったので若いバッテリーとしてスポーツ紙を賑わせたくらい。あとは、ヤクルトの一軍が神宮で試合のある時は、ほぼ2日に一度、打撃投手として裏方さんの手伝いをする。二軍で投げても、中継ぎがメイン。このままでは選手として、いつ消えてしまっても不思議はないと内心思っていた。昨年、浅野二軍投手コーチの提案でサイドスローに。押尾当人は納得している風ではなかったが、試合になると相手打者のタイミングが合わないのか、初めのうちは結果が出ていた。ところが、疲れて来ると球種も分かるし球威もガクンと落ちる。おまけに、ヒジや肩にも影響が出て来て、押尾から笑顔が消えて行った。元々、シュートは良くキレる。タテに曲がるカーブでもタイミングを合わせにくい。しかし、サイドにしたことで特長であるカーブも影を潜めてしまった。それでなくても球種は少ない。スピードも速い方ではない。スライダーでも投げられなきゃ、一軍では通用しないと思っていた矢先だったので正直これで押尾も終わったかという気持ちになり、それっきり押尾のことは忘れてしまった。ところが5月14日、押尾は投手としては一番嬉しい1対0の完封勝利をマークした。オーバースローから繰り出されるタテのカーブはサイドの時からは比べ物にならないほど、威力があったし、シュートも相変わらずキレていた。しかし、マウンド上での押尾はいつになく堂々としていたのと、スライダーを投げていることだった。「昨年、サイドになってクサっていた時、このままでいいのかって思ったんです。イヤイヤ練習しても何の意味もない。だったら何かしなきゃって、1年間ずっとスライダーの練習をしていた。そして10月、男の子が生まれたんです。そうしたら人生観が一挙に変わった。逃げちゃいけない。ピンチになると子供の顔が浮かんで結果が出るんです」確かに、投手にとって気の持ち方がピッチングを変えることもある。しかし、押尾の場合は技術が伴っている。今年のヤクルトは故障者続出で一軍昇格も夢ではない。一粒種の将輝クンのためにも、この追い風に乗ろうじゃないか。
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福地経人

2019-05-16 15:45:47 | 日記
1987年

昨年、福地とともに米ルーキー・リーグへ参加した3年目の山崎慎太郎は、さきごろ阪急戦では無四球で完投、一軍での初白星をマークした。3年目といってもこちらは高校出。それにひきかえ福地は大学出の2年目。年齢的には先輩であり、キャリアも上のはず。当然一軍での活躍が先であっても不思議ではないのだ。山崎にお先に失礼とばかり、してやられた。そこで私がいいたいのは、ファームでこそ防御率2.15の成績を残せたが、一軍で通用するピッチングを心がけていないことである。速球のスピードもさほどあるわけでなく、カーブ、スライダーのコントロールのよさだけで何とか耐えている感じの、もどかしいピッチングなのだ。もっと「若さ」を前面に押し出したピッチングをしてもらいたいとつねづね思っていたので、神部二軍投手コーチに聞いてみた。そうすると「穴吹さんのおっしゃるとおりです。でも米国に行く前はコントロールもイマ一だったのです。ようやく低めの、狙ったコースへ投げられるようになったのです。もちろんもっとスピードがあって、現在のコントロールも生きてくるわけですが、そこまでの訓練はなされていなかったというわけですわ」と苦笑いしていた。福地を指名して獲得した河西チーフスカウトは「はがゆさはあります、いまのところはね。でも地肩の強さは人並みはずれたものをもっているようなので、それに期待しています」とのことで、コントロールに自信がついたいま、秋季練習ではもう一度基本からやり直すぐらいのつもりで、フォームを大きくすれば、速い球も投げれるようになることだろう。ピッチングの組み立てなどをみていると、プレート度胸もよさそうであり、まだまだ磨きがいのある素材とみている。ただ、聞くところによると、身分はファーム暮らしなのに、早くも合宿を出てマンションで一人暮らしをしているようだ。一人前になるまでは合宿で暮らした方がいい。そういった甘さが、ピッチングにも出てきている。自分自身をきびしくいましめる意味からも、進んで苦しい環境の中からはい上がってやろうとする気概をもたねばなるまい。福地の場合はいいモノをもっており、それなりに成長してきている時期だけにあえて苦言を呈させてもらった。
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土屋正孝

2019-05-16 15:31:21 | 日記
1965年

阪神タイガース土屋正孝内野手(30)はかねてから退団を希望していたが二日午後一時から大阪梅田の球団事務所で岩間重役と話し合い、円満に退団した。同選手は左対策の代打要員として昨年暮れ補強されたものだが、シーズン後半から自分の体力の限界と一身上のつごうにより藤本総監督を通じ任意引退を申し出ていたもの。今後はマスコミ関係で働きたいといっている。

土屋選手の話 長い間着ていたユニホームを脱ぐのは残念だが、これからは報道関係で働きたいと思うのでじっくり勉強する。

岩間球団重役の話 四、五日まえ正式に決定し、きょう任意引退とした。
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長谷川一夫

2019-05-15 11:25:09 | 日記
1962年

チームの大黒柱長谷川投手は、二十五日こそ肩ならし程度のピッチングだけだったが二十六日には百球ほど伸びのある速球を投げ込む。「二十五日は決定戦の疲れが残っていたが、二十六日には肩が軽く、ストレートも伸びています。だいじょうぶやれます」と打の中心でもある長谷川は打撃練習に打ち込む。出口監督は相変わらず勤務の関係で、土、日曜にしか顔をださないが、山崎部長、横沢四郎コーチ、それに大宮市教委の長持氏が目を光らせている。二十六日には同じ市立校のよしみで大宮北高の昼間ー石綿のバッテリーが友情出演?山崎部長も「普通のバッティング・ピッチャーにはない、生きたタマが打てるので練習の効果が上がる」と大喜び。

三振奪取王長谷川はいまや絶好調、伸びのある速球、球質の異なった大小のカーブを駆使すれば、そうそう点はとられまい。県内はもちろん、東京、千葉あたりの強豪チームと対戦して3点以上奪われたことはないという長谷川投手は自信をもっている。
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長谷川一夫

2019-05-15 11:21:42 | 日記
1962年

左では県下随一の豪球の持ち主長谷川投手を看板にした好チーム。ことしの成績は12勝3敗。苦汁をなめたのは春の大会三回戦で上尾高(4-2)と千葉商(1-0)鹿沼農商(2-0)の練習試合でいずれも1点差に泣いている。注目の的、長谷川は速球をビシビシほおり込む本格派で、難点だった制球がフォームの安定で解消しつつある一試合平均投球数が百十前後と少なく、連投も苦にならない。長谷川のカーブをねらえとは各校の合いことばだが、上位校と当たる場合、速球一本ヤリではなく、変化球を駆使するようになるだろう。しかしこの点を山崎部長はお茶をにごす。はたして、どれだけ身につけたか興味深い。「長谷川におぶさるようではダメ。あくまでも打ち勝つことだ。とにかく3点をとれば絶対勝てる」と同部長はいい切る。

十六日の対秩父高戦で三振奪取21という新記録を樹立した左腕長谷川は、この日も一大会三振奪取記録、連続三振記録を更新、三振に関する記録を全部書き変えた。一大会三振奪取は昭和三十四年大会で川越高の吉田富保投手(現早大)が奪った46三振(五試合)を上まわる50個。長谷川の50三振は三試合の記録なのでこの先、勝ち進むと驚異的な記録ができそう。また連続三振は同大会で吉田投手が二回戦の対大宮工でノーヒット・ノーランを記録したときに6連続三振を破る8連続三振。「きょうより21三振をとったときのが楽に投げられました。きょうは全力投球はしませんでした」頼もしいことをいう。七回ごろから左手の指を気にしたので聞いてみると「ツメがすぐ割れるんです」と苦笑いするが「ピッチングには影響はありません」というから一安心。横沢四郎氏のコーチを受けてからピッチングに幅がでてきた。ツメが割れたり、手の皮がむけたりするのは体質で、本人も気にしていない。いままで浦和工、秩父高、羽生実と比較的楽な相手と対戦しているので七分ぐらいのピッチングをしているが、これから真価が発揮されるときだろう。またバッティング面で五番打者として活躍している。「監督さんたちに引っぱれといわれていますが、試合になるとどうしても左の方へ流してしまいます」と申しわけなさそうに頭に手をやる。昭和二十年一月三日生まれ、三年、左投左打、身長1.73㍍、体重63㌔。
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竹屋三郎

2019-05-14 15:48:45 | 日記
1965年

中日は二日、市内御幸本町の愛知県産業貿易館で来シーズンの契約更改交渉を行ない、千原一塁手など三選手が更改した。また、さきに自由契約になっている竹屋三郎外野手(24)はこの日、吉江代表と話し合った結果、サブ・マネジャーとして球団に残ることに決まった。

更改 野口勝治、千原陽三郎、水谷実智郎

保留 木田優、門岡信行、佐野卓郎、法元英明、島野育夫
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