1971年
昨年の五月中旬、中西ライオンズは球団史上またとないピンチに立たされていた。五月三日の東映戦から四十四日の阪急戦にかけて、球団創設いらい二度目の9連敗。チームの機運もどん底で不名誉な10連敗は免れぬものと予想されていた。五月十五日、西鉄は案のじょう、阪急に振り回されて大苦戦。先発の益田が退き、そして永易がめった打ちされるしまつ。だが、ここで救世主が出現した。それがことしプロ入り四年目を迎えた後藤だった。「あの時は死にもの狂いで投げました」と振り返る。「確か救援したのは七回からで、2点リードされていた。そしたら同点にこぎつけ、そして逆転です。最後まで投げぬいて思わず勝ち星がころがりこみました結果は8対6。「あの豪快さは絶対に忘れられません」というのも無理はない。後藤にとっては夢にまで見たプロ入り初勝利だったからだ。その後、後藤はただ一人でさわやかに祝杯をあげたそうだ。「あまり飲めないほうですが、むしょうに飲みたくなって…。でも、やはり飲めなかった」というのは「どうしたわけか、母親のことばかりが頭に浮かんだ」からだそうだ。母親カズさん(50)は郷里の多治見(岐阜)で一人住まい。「父親はぼくの子供のころになくなった。母親は働いてぼくを育ててくれた」親一人、子一人の生活が続いただけに、なおのこと母親思いとなるのかもしれない。「できれば、あの日の試合を母親に見てもらいたかった」後藤は当時の心境を素直にこう語ってくれた。「あの1勝で、ずいぶんと気分が楽になりました」ところが、せっかくのチャンスも芽を出したままで昨シーズンは終わっている。「こうやったらどうか、ああやれば、とにかく先にいろいろと考え過ぎてしまうのです。高校時代はそんなに考えたことはなかったのですが…」多治見工業時代は校内で一、二を争うけんか好き。激しい気性がそのまま投球にも現れて向こうところ敵なしの心意気だった。「ところが、ノンプロ(電電東海)に入社してちょっとおとなしくなったようですね」三年間のサラリーマン生活が後藤の性格をがらりと変えてしまったようだ。「目下やや消極的です」そんなことから、もう一度、高校時代のあばれん坊に性格を戻したいそうだ。「すばらしい速球を投げることがある」というのはマスクの目からみた村上捕手。稲尾監督も「もうひと押しすれば一本立ち」と推奨株の一人にあげている。そのためには「持ち味を最大限に発揮できるよう努力すること」という。「自分ではやっているつもりなのですが…。でも、やっぱり性格的な弱さが災いしているようです」技術的には一応のものを持っているのだから、あとは気力だけである。「ことしはきっとやってみせます」後藤はこう誓う。いつもは温厚な表情の後藤だが、話すうちに本来の強気が出てきて「絶対に売り出してみせますよ」とまで言い切った。「母を福岡に呼び、楽な生活をさせてやりたい」という孝行者の願いがかなうのはいつだろう。
昨年の五月中旬、中西ライオンズは球団史上またとないピンチに立たされていた。五月三日の東映戦から四十四日の阪急戦にかけて、球団創設いらい二度目の9連敗。チームの機運もどん底で不名誉な10連敗は免れぬものと予想されていた。五月十五日、西鉄は案のじょう、阪急に振り回されて大苦戦。先発の益田が退き、そして永易がめった打ちされるしまつ。だが、ここで救世主が出現した。それがことしプロ入り四年目を迎えた後藤だった。「あの時は死にもの狂いで投げました」と振り返る。「確か救援したのは七回からで、2点リードされていた。そしたら同点にこぎつけ、そして逆転です。最後まで投げぬいて思わず勝ち星がころがりこみました結果は8対6。「あの豪快さは絶対に忘れられません」というのも無理はない。後藤にとっては夢にまで見たプロ入り初勝利だったからだ。その後、後藤はただ一人でさわやかに祝杯をあげたそうだ。「あまり飲めないほうですが、むしょうに飲みたくなって…。でも、やはり飲めなかった」というのは「どうしたわけか、母親のことばかりが頭に浮かんだ」からだそうだ。母親カズさん(50)は郷里の多治見(岐阜)で一人住まい。「父親はぼくの子供のころになくなった。母親は働いてぼくを育ててくれた」親一人、子一人の生活が続いただけに、なおのこと母親思いとなるのかもしれない。「できれば、あの日の試合を母親に見てもらいたかった」後藤は当時の心境を素直にこう語ってくれた。「あの1勝で、ずいぶんと気分が楽になりました」ところが、せっかくのチャンスも芽を出したままで昨シーズンは終わっている。「こうやったらどうか、ああやれば、とにかく先にいろいろと考え過ぎてしまうのです。高校時代はそんなに考えたことはなかったのですが…」多治見工業時代は校内で一、二を争うけんか好き。激しい気性がそのまま投球にも現れて向こうところ敵なしの心意気だった。「ところが、ノンプロ(電電東海)に入社してちょっとおとなしくなったようですね」三年間のサラリーマン生活が後藤の性格をがらりと変えてしまったようだ。「目下やや消極的です」そんなことから、もう一度、高校時代のあばれん坊に性格を戻したいそうだ。「すばらしい速球を投げることがある」というのはマスクの目からみた村上捕手。稲尾監督も「もうひと押しすれば一本立ち」と推奨株の一人にあげている。そのためには「持ち味を最大限に発揮できるよう努力すること」という。「自分ではやっているつもりなのですが…。でも、やっぱり性格的な弱さが災いしているようです」技術的には一応のものを持っているのだから、あとは気力だけである。「ことしはきっとやってみせます」後藤はこう誓う。いつもは温厚な表情の後藤だが、話すうちに本来の強気が出てきて「絶対に売り出してみせますよ」とまで言い切った。「母を福岡に呼び、楽な生活をさせてやりたい」という孝行者の願いがかなうのはいつだろう。