想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

温もりは消えない

2013-02-14 10:11:48 | Weblog
09.09のベイビー、まだマッチョだったなあ。

iphotoでベイビーの写真をゆっくり眺め、できるだけヤツが
笑っているのを選んでみた。
未使用のものがたくさんあるのでせっかくだからみんなに
君の笑顔を見ていただこうかな、と幾つかを書き出しした。

ベイビーが小さかった頃はデジカメよりビデオ撮影を主にして
いたので、幼い頃の写真は少なくて、ほぼ動画で残っている。
筆先が少し長くなったくらいの小さなシッポや短い足でよく
転ぶ、頭でっかちにまんまる鼻のチビがいたずらしたり、
みんなにイジラレてお腹を見せているのが映っている。

6月に生まれて8月には森の住人になっていた。
そして10月には開墾して間もない雑木林の一画でみんなと
サッカーをした。
岩ズリという石を入れ土を固め山土特有のブカブカとした
地面を頑丈にしていくのにサッカーはちょうどいいのだ。
遊びながらローラーで圧をかける手間を省くのである。
たった数ヶ月で柴犬より一回りくらいは大きくなったベイビー
はボールにじゃれて独り占めするので、ヒモでつながれて
しまって見物するようにと命じられ、不満で吠えている。
再生した動画からキャンキャンというその声が聞こえる。

サンダーは大人になるにつれ、ほとんど吠えなくなり、
時に彼が吠えるときは伝えるべきことが確実にある時だけで
危険や異変を教えてくれる時だけになっていた。
最期に車中で聞いた声はお別れだよ、もうすぐバイバイだと
わたしに知らせたのだった。
あまりに久しぶりの声は太く低かった。
わたしはバカなので別れなどないと思い込んでいるみたいに、
お家に帰るよ、もうじきだよと答え、必死で運転していた。

よく慣れた道なのにハンドルを握りしめていた。
心と脳みそはひどく乖離して、脳はむしろ現実を認めない。
たいていの場合、これであやまちが起きる。脳は予定調和で
執拗に進むようにプログラムされあきらめたりはしない。
意識しなかったが異変を察知して、わたしは動揺したのだろう。
いったん冷静に考えるということをしなかった。
現実を拒否し、プログラム通りに行こうとするスイッチの方が
先であった。
今、その時の自分がスローモーションのようによくわかる。


(伐採作業中にカメにじゃれて甘えるの図 '09秋)

ベイビーが亡くなったと直接伝えた知人は少ないが
その人たちが一様に、号泣してしまったのでこちらは
なんだか慰め役みたいになって泣きそびれた。
それぞれ理由があって思い出のように話しながら泣くのだった。
一様にサンダーちゃんに慰めてもらったと言った。
あんなにやさしくしてもらったのは家族にもないことなので‥
と言った人もいた。

そうなのよね、ヤツは慰めるのが上手だったね、と答えた。
人間はお悔やみの言葉を定型で、ボソボソと口にしたりして
なんだか形へのこだわりから抜け出せなくて、気持ちを表すのが
下手なんだけれど。ヤツはいつもそっと寄り添って優しく包んで
くれたね。悲しだり落ち込んだりしているとそばへ来てくれて。
言葉など使わないで無口な父親みたいな、ただただ優しい母親
みたいな、頼りがいのある仲良しの年上の兄貴みたいな、
なんでも知ってる親友みたいな‥‥君の鼻先でクンクンとすり寄られて、
大きな腕で抱かれたような温もりで胸のつかえを溶かしてもらい
素直な涙を流したんだったね。
うんうん、そうそう、と知人たちは思い出を語った。

君に出会った人たちがこっそり君にだけみせた顔があって、
弱くなった心を励ましてもらっていたことは、それがおっかあの
特権だったわけじゃないことに驚きもするけれど、たからものを
独り占めするより嬉しくて、なんだか誇らしい気持ちだ。

君はみんなの胸のなかで、ふっと明るい灯火みたいに生きて
いるってことだね。







コメント
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