想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

スリーショット

2011-04-30 23:46:27 | Weblog

野仏さんです。


すみれさんです。


ぼくちゃんです。


おっかあです。
っというわけにもいかないのである。お目汚しなのである。
つつしんで、ひっこみます、うんそれがいい、それがいいの
陰の声‥。

母が88才で、米寿の祝いを老人会やら市やらで花束をくれたり
するらしく、写真など撮ったのを姉が送ってくれた。
野菜の箱に一緒に入っていたのだが、野菜はとっくに平らげて
今ごろになってシゲシゲと見たのであった。

なぜならば、うさこは米寿まで生きる予定はいまのところない。
しかしそのちょい手前くらいまでは用事があるので生きるかも
しらん。だったら、どんなバアさんになるのか、そう思って
母の顔をシゲシゲ見たのであった。

親子だかんね、顔が似るでしょ。
米寿の母の顔を見て、う~ん、こんなんになるんかな~?と
著しく疑義を抱いたのであった。
父さんは本格的おじーさん顔になる前に亡くなったからハンサム
の記憶しかないのである。できれば父に似たバアさんになりたい。

ぼくちゃんは、最近とみにじーさん兆候が顕われ、かわいくなって
いる。赤ちゃんと年寄りはしみじみ、神さまに近いわけで憎めない。
いいもんだ。
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春との旅

2011-04-28 08:41:01 | 
飾りたてて生きてる日々、たまに裸んぼになってみたい、
そんなときに 春との旅という映画お勧めです。

昨年5月公開なのでDVD化されています。監督は「愛の予感」の
小林政広。主演仲代達也、そして春役の徳永えりがすごくいい。
老境の男と孫娘の道中に出会う人々も、そうそうたる役者達が揃っている。
(田中裕子、大滝秀治、柄本明、淡島千景、香川照之等々)

昭和の風景を背景に、ふたりの旅は一見静かな川のように流れる。
うちに秘められた肉親との絆、人と人とを結ぶ縁(えにし)の切なさや
温かさが画面いっぱいに、ほとんどセリフなく展開される。

一人で暮らして、ちょっとサミシイなって時、なんとなく元気ない時、
ちょっとだけ元気の源になる映画かもしらんなあ。
セリフで説明しない演出と長まわしのカメラはとても落ち着くし。

人生は長いようで短い。短く感じだしたらあっという間にゴールにさし
かかる。ゴール手前に胸突き坂が一つ二つとあったりする。
人はみな似たような道を通る。なだらかな道だけなんてないんだ。
鈍くても神経質でも坂道のない人生はない。
飾っても、飾らなくても、飾れなくて嘘つけなくてもおんなじで、
そこがいいんだ。
短いんだからギュッと濃く生きよう、生きなきゃダメさと思うなあ。

今ギュッと濃い時間を過ごしている人を想って。









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おつかれさまとありがとう

2011-04-27 15:49:25 | Weblog

あと数日で一気に芽吹くんだろうけど、先週はまだこんな感じでした。



ベイビーのこと、お心づかいありがとうございます、ぼちぼちでんねん
って感じでやっております。
宅配便のお兄ちゃんに一応ワンワンと言ったり、おっかあ、はよ来いと
声かけしたり役立っております。任務終えたらガムは貰います!

震災で九死に一生を得た犬の写真を見ると、犬らしさより、ヒトみたいな
いやヒトと同じ目をしていることに気づいた。
潤んだ目、顔全体にあふれた悲愴感、そして背中の疲労。
凛とした犬はどこにもいない。

だいじょうぶだ~ってな顔の犬は生き残り同士、避難所でヒトに囲まれ
なでたりさすったり、ご飯のおこぼれもらったりしていて、ぽやんとした
顔になっているんだね。

潤んだ目、おびえひきつった目より、ぽやんの方がどんなにいいか。
彼らが幸福でないときの姿は、ヒトの不幸より幾倍も悲しみを誘い
だれもが衝撃を受けずにはいられない。

彼らの命はヒトの手のなか。
ヒトを信じて寄り添っている。
胸をつきさしてくるのは、信じるひたむきさなんだろうな。
信じた裏返しなんだろうな。

信じるということを、生きものは誰に教わるんだろうか。
信じるか信じないかをいつ決めるかは、うさこにはわかる気がして
あ、今信用してくれてんな、この猫(野良ネコ)とか、あ、ぜーんぜん
相手にしてくれてないわこの犬(よそんちの犬)とか観察しつつ学習
させてもらって、思うに、人のほうが犬猫より高尚で気高いなんてこと
全然ないなあ。

ヒトは賢いのか愚かなのか、どっちなんだろうって考えなきゃならん
くらい愚か者が目立つんだもんなー。
震災後、ヒトの正体が丸見えになってきて、いやらしいヤツはいやらしさ
をさらに全開にして走り回ってる。
珍しくおまわりさんがやってきたと思ったら、詐欺に注意とのこと。
震災募金、震災振り込め詐欺が横行中ですとさ。

うさこが知ってるのは詐欺っつうか、なんつうか、支援物資を中継地に
滞らせて放置したバカのことくらだけど、ああいうのもいわゆる広い意味
では詐欺に入るんじゃなかろうかね? いやただの怠慢っていう声も
あるかもしらんけど、今はそんな悠長なことを言える状況か考えれば
わかるっしょ。(いったい誰が誰にしゃべってるのか、おまけに…しょって
どこの方言よ? 変な憑きモノに陣取られたみたいなうさこであるね)

犬猫鳥、牛さん馬さん、諸々よりえばって、あげく見殺しにするくせに
きれいごと言うってのは、下品以下。
あー、みなさん、おつかれさまでーーーーす。






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知らなんだ‥‥

2011-04-21 20:43:55 | 親分

ベイビーの担当医と手術前の打ち合わせをするため病院を訪れた。
待ち時間が長く、そのあいだ待合室の飼主諸氏より「元気ねー」
と言われ、「いい子ねー」と勘違いしているベイビーはシッポを
ますますバンバンと振りまくり鼻歌であった。

手術方法と切除予定部位、手順などを説明してもらった。
わかりやすくストレートな話し方をする医師なので早い。
同じ事を言い方を変えて聞いているとわかっていても答えてくれ
あいまいな返事をされないのでかえって落ち着いたのであった。

これから一ヶ月弱の間、薬の処方はどうするんだろうと尋ねると
「要らないです」という返事だった。
外科で対処する以外に方法がないってことが病理検査でわかった
わけなのに、それ以前の薬をくれるほうがおかしいのだけれど、
何もしないで待つことができないのはわたし‥、アホである。

アホではない医師は傷口に菌が入って悪くならないよう抗生物質は
前と同じものを使っておきましょうと笑いながら言った。終始、
笑顔なのは気遣いなんだろうな、たぶん‥。なのにわたしときたら
それでも気づかず「バキソはどうします?」と聞いてしまった。

「あれね、バキソはね、あれは腺癌には効かないよ」
「あー、じゃあこれまでは気休めだったってこと?ずーっと」
「ま、それはそれということで。これからどう対処するか方法が
はっきりした段階だからね、ようやく。次のことがんばりましょう」

医師の返事は当然のことである。鎮静(麻酔)して検査しなければ
ならないことを怖れ、これまで内服でやってきたのはわたしの責任
である。老犬の麻酔はリスクが大きいというのは医師とて考えない
わけではないので同意してくれていたわけだ。
だがある日の診察日、医師は工夫して切片を取り組織検査に持ち
込んでくれた。それはわたしに承諾を得たりもせずあっと言う間で
器用な人である。おかげで病気の正体が見えたわけで。


  (3/18撮影 地震から間もない時、門番してたなあ)

悪性腫瘍は2年近くもお腹のなかにあり続け、うさことベイビーは
いつもとおなじようにその月日をひっつき虫のように寄り添って
一日ずつ延長し、それがずっと続くと錯覚しそうなくらい平和に
過ごしてきたわけだ。

知らなんだ。
かみさま、ありがとうございます。
お願いしまくっていたのに、知らなんだ。
もうじゅうぶん、助けていただいているってことを。

CTで検査して転移がないかどうかを確認し、なければ腸を部分切除
し癌を摘出するのだが、見てみなければわからない。
まだ何も決まった訳でもなく、わかったわけでもない。
それでも、じゅうぶんにありがたいと思っている。
どういう結果であっても、ベイビーはもうじゅうぶんに生きてくれ、
うさこを守り続けてくれた。(今もそうだ)
あとは楽にする方法だけを考えなければと、自分に言いきかせた。

だって周囲の人(カメや医師)はそんなことわかっていて、うさこが
うろたえてばっかりいて、ダメだったんだ。
すまんこっです。ありがとございます。
(耳を折り畳んでおります)

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ひざまくら

2011-04-21 14:41:59 | Weblog

昨年の夏、朝早く起きて散歩したとき、ベイビーの尾っぽを
撮った。ゆさゆさ、振り立てて前を行く。
あごヒゲがまだ白くなかった頃、ついこないだのことだけど
彼にとってはどうなんだろう。

ひざまくらが好きである。


けれど、ipodを聞いていたおっかあはやおらカメラに切り替え
シャッターチャンスを狙う。(あざとい、うざい)

カメラを意識して固まるトーシローモデルの顔つきである。


意識しづかれ、うっかりヨダレを垂らしてうとうとしちまった。

うちの子はだいじょうぶ、なのに涙があふれるなあ。

明日午前零時から始まる警戒区域、立ち入れば罰金10万円とか。
残されたままの動物達は、保護も移送も間に合わないまま、
誰が助けるのだろうか。政府はまだ答えてくれていない。
活動していたのは民間ボランティア有志だけで、手が回らない
まま、次々に悲惨な状況になっていた。それはメディアでも
取り上げられたが、カメラは回すが助けはしない。

悲しいなあ。
そこらへんを歩いているペットの犬を見ても、悲しい毎日だ。
人間の罪は大きい。

ps:前日かかか更新したけどあれで終わらないでまだ続きあり。
「愛について」は結局、五五の話で人が人だと言えるための道筋だ。
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原子力発電所と書く

2011-04-20 18:37:01 | Weblog
放射能汚染地域で生活する人々 放射性物質ゼロの泉 チェルノブイリの爪痕描く映画が公開 - シネマトゥデイ

DVDは、今買うと高くなっているらしいね。
監督本橋成一氏の同タイトルの本も古書店で値上がりしている。
写真はこんなことが起きる前も、ときどき手にとって見ていたけれど
今はまだ、あれから、開いていない。

ところで、今後は原発と書くのを止めにして、原子力発電所と記す
ことにした。キヨシローは20数年前にラジオで「ゲンパツじゃなくてさ、
原子力発電所だぜー、核じゃなくてさー、発電所なんだよー原子力の」
とあの罪のなさそうな話し方で語りかけていた、それに倣って。

福島県内の学校で屋外活動を規制する措置がとられたと報道されてる
けど、ほんとうに福島市内と郡山市と伊達市だけでいいんだろうか。
猪苗代湖から南はだいじょうぶなのか? 放射能は飛んでいないの?
と気になる森の日々である。


 (どこでも寝る、そばで寝る、そういうお方です、ある種オジャマ犬~)

先週末は(もうすぐ今週末だけど)熊本の姉貴から段ボールいっぱいの
青物野菜が届いた。これで二度目である。
九州ならではの野菜を見て懐かしかった。土が違えば味がどことなく
違うので、ああ、これは南の味だわ~とか言いつつ食べる、食べる。
まるで長いことご飯たべてなかったヒトみたいに野菜ばかり食べている。
ほんとである。
なにせ、傷んでしまうからね。段ボールいっぱいだからね。

いつもはほどほどというか、ケチケチしてるのに、バンバン切って
ジャジャジャジャッと炒めたりザクザク刻んで押し込んで漬けたり。
金持ちになった気分であった。姉は心配して、送るからね、いつでも
言ってね、というが農家ではなく勤め人である。2度送ってもらって 
その気持も一緒にバンバン食べていただいたので、おなかいっぱい。
今後は風評被害の地元農家応援へシフトチェンジするんだかんね。
決めたからね。


 (カメラ構えても起きないから、また寝姿、寝る子は育つ!)

いただいた野菜を保存する。手間を惜しまずに働く週末だった。
食ってばかりいたわけではないよ…、ホント。
しかしここで問題が一つ。
ボイルして冷凍および塩漬けのほかに、やりたいことがあったけど
できないのですー。干せないのですー。

村役場広報から発表されている水質検査も放射能測定値も安全
レベル、だけどなあ、干すというのは外に出っぱなし風に吹かれっ
ぱなしのパナシ作業だかんね、勇気があるとかないとかの問題では
ないね。不安がどうの、風評がどうの、福島産の野菜齧パフォーマンス
してるエダノはインチキだとかいう問題でもないね。
気持が乗らないことをやっても無駄になるだけなので、ひたすら塩漬け
とボイルで保存したのであった。残念な気持ち。

なぜ残念かというと日本人の保存の知恵を活かせないんであるね。
なんちゃって、そんなこと今までだってやってこなかったけど、実は
前々から保存食生活に憧れの気持を抱いていたわけである。
ウオツカさんの真似したりしたいんだね。
ほんに、トーシロー的な思いつきだからたいした話じゃないけどね。

以下の写真もたいした被害じゃない証拠写真。
うちはダイジョウブイとか言ってほっとしてたら…余震で。
さらにあちこちにヒビが入りつつ…、う~む、漆喰の粉がこぼれてる。


でもダイジョウブイ、また週末は支援物資運びだい!
待ってる人がいるからね!








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紅梅が咲いてます

2011-04-17 12:54:07 | Weblog


森に戻ることを東京の知人や家族が心配して、よせば
いいのにと言い、止めても出かけるので心配で電話で
追いかけてくれます、ありがとう。
でも、原発への距離は近いけどやはり森は安らぎます。
東京で、情報だけの場所で感じる不安のほうが私には
大きい気がします。

梅の花が咲きました。
鹿児島紅梅とただの紅梅2本ともまだ幹が細いけれど
濃いピンクの花びらをつけて春を告げてくれてます。
れんぎょうも咲きかけています。

空色は、青に薄い膜がかかったようでゴロワーズの
パッケージの青。好きな色です。
真っ青ではなくやさしい青を背景に紅梅が映えています。

ひっそりとした森へ木の芽取りの村人は今年も現れたようで…。
誰が食べるのかなあ…。出始めのタラの芽はきれいに
摘まれていました。どうぞ、どうぞ、ですが…少し心配。

心配性のうさこは今年、ハーブの畑を作る予定でしたが
まだ原発が不安定なので中止しました。
郡山で不安なまま稲の作付けを始めた農家のことを思う
と気の毒でならない。趣味の畑じゃなくて生業なんだ。

午後からカメが地盤が緩んで倒れかけた樹を植え直し始め
た。あちこちで傾いた樹があるので点検している。
普通の日常の仕事をすることでかえって疲れがとれる今。
物資運びをするのは単に運ぶということ以上に精神的な
疲れが残る。
被災した人の暗澹とした眼と向き合う時、共有せざるを
えない。気持ちはそのまま乗り移る。
カメはやさしい人なのですべて受け取ってしまうだろう。

誰かが言ってた、疲れきった時、悲しい時にがんばらない
のがとても大事だと。激励などいらないと。
がんばってと傷ついている今言われるのはキツイよね…、
ほんとうに。ずっと呆けていたいだろうなあ…。
神経を緩めるために、深呼吸。
マスクを外せればなあ…。

追記:ベイビーの手術の日程が医者の都合であと一ヶ月
も先になってしまってその間に進行しないか心配である。
カメが「いやー、その間に小さくなることもあるよ」と
言ってくれたのが救い。
そんな一喜一憂しているおっかあをよそにベイビーは
なんかくれーなんかくれーとつきまとって、いつもと同じ。
平穏無事の意味をしみじみ感じる昨今。




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春の小川で

2011-04-16 14:42:25 | Weblog

戸外へ出るのがうれしい、というのが不思議。
森にいてあたりまえなはずなんだけど、出てて
どこか開き直りながら歩いたりするんだもの。
天気がよくて、風が温かいので敷地の奥まで歩いた。



ベイビーはこの頃はあまり歩かないからひさしぶりだ。
森だとテンションがあがり歩きまわり、あとは寝込む。
まるで人間のジージと同じでムリがどこからなのかが
わからないんであるね。
後ろ足がだいぶ弱ってるけど、このくらいの斜面なら
まだだいじょうぶ。降りて水を飲んだね、うまいね。

水、こんなにうまい水、この水でおいらは育った。
おっかあもここの地下水で風呂に入ってビジンだぜー、
とは言わないが、聞こえた気がする(幻聴幻聴)

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野菜になって集まろう

2011-04-15 09:42:49 | Weblog
被災地の動物達


上杉隆氏たちの自由報道協会の会見も必見だがこちら。
辛すぎて最後まで見れず何度も中断したわたしはダメなヤツです。
あげく夢でうなされて眠れなかった。
それでも見ないより見たほうがよかった。知ることは義務であるから。

何もできないから募金、という考え方はやめなければと思う。
何もできなくはないだろう、お金を出す以外のことも。
現政権のやり方に異議を唱えること、真剣に考える事、
意志表示をすることが募金をする以上に重要では
ないだろうか。



泣いているだけでは誰一人救えない。
犬も猫も豚も牛も助けられない。
それどころか、人は生きていけない。

東京も神奈川も、福島からたった二百数十キロしか離れていない。
チェルノブイリを忘れてはいないだろう。300キロ地点の不幸を。
風は吹いてくる、望まないモノも運んでくることを日々思いつつ
森を歩く。

樹のことを思うと辛い。
草を思うと切ない。
悪かった悪かったヒトが悪かったと草木にむかって懺悔してもなあ。
近くの牧草地は今年はどうするのかと人ごととは思えず‥。
すでに低レベルではあるがヨウ素もセシウムも検出されて、それを
言うなと近隣の農家は怒る。これ以上汚染されないようにと願うだけ
しかなすすべがなく、怒る。

牛は怒らない。
犬は怒らない。
猫は怒らない。
ヒトを信用している彼らをどうして裏切れようか。
いや、怒っているか‥、彼らは無力か‥。
そうではないだろう。
天は静かな生きものたちを見離しはしない。

電力会社は民間企業になってこのかた自民党と深く癒着してきたわけだ。
政権交代しておいてよかったとほくそえんでいる年寄りもいることだろう。
電力労組から出て与党になった民主党議員は、さてさて、電力会社組織の
内がわから反乱する気はないんだろうか。
やってくれればカッコいいヒーローなんだがなー。
数集めの烏合の衆なら金で飼われていると言われても仕方が無い。
悔しかったら恥と思うなら内乱起こせよ、である。

しかしだ、恥など知らぬ者、義などない者が悪事をなすのですね。
同じ飼われても家畜動物にも劣るヒトであるよ。

追記:映像に出てきた犬たち、次々にレスキュー隊に保護され、
すべてではありませんが助かった子は安全な場所へ移送されました。
悲しむばかりでなく立ち向かい命を救っている人々が今も働いていますから。
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テレビ以外の「原発事故」取材の報告

2011-04-14 20:28:04 | Weblog

刻々と状況は変わり、もうレベル7まで行っている今だが、
こういう経過であったという情報である。

画像をクリックするとスタートします。
さらにクリックするとYOUTUBEに飛びますので、
パート4、5と続けて全部見れます。

pt4 上杉隆氏ら自由報道協会による「原発事故」取材の報告



スポンサーに気兼ねして情報操作しているテレビ。
重要なことは映らない。いや映さない、流さない。
みんなわかっているだろうが、知る手だてがないという人も多い。

地獄の沙汰も金次第、現実に起きている地獄の様相を前にして
まだ金にまみれている人たちがいるのである。生き地獄だなあ。

政治ネタを扱わない方針でやってきたブログなのに。
生きてて政治に関わらないで済むということはむしろムリという
ことだと改めて思う。

今はツィッターもあるしSNSもあり昔と違うんだから日本も変わる
可能性はじゅうぶんにあると思う。(と思いたい)
何をしたらいいのかわからないという方はこういう方法もあるので

個の力、特に女性の力を信じているんだが。
なんたって、生んだのは女だし。
一方で雌鳥鳴いて国滅ぶとも言うが、そんな女は女を忘れて権力に
執着した鬼である。
本来、母は強い。強い母が集まれば国は変わるんじゃないか。

泣いてばかりいると本当に力が失われてしまうから、前へダッと出る
しかない。無力感が一番の敵だし、悪党の思うつぼだ。
小さな善では巨悪に勝てない。小さな善から鋼の強さを持つ善へ。
行動することで悲しみを超えるんだ、自分に言い聞かせているうさこだす。

取り急ぎ、明日の告知を拡散するための更新です。
うさこは福島へ向かいますので参加できませんが。
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カラダと心

2011-04-13 19:28:43 | Weblog

東京で、ひさしぶりにJ's治療院に行ってカラダをほぐして
いただきやした。
固まって感覚が鈍くなっていたことがわかるのは、ほぐれた
からである。

なんでもそうだが、あとからわかることってあるね。
緊張でバリバリになっていた肩、首、足腰、結局全部。
ほぼ和らいだが、石田センセの診断だとまだもうちょっと足りん
ということで半分回復、普通の人の倍は凝ってるんだなあ。
実感としては全快復だし、モー楽ちんだーなんだけど。

地震の話、被災地の話ってことに自然になったし、都知事再選
への疑問とか、どうしても時事的な話題になってしまう。
帰りに寄った本屋さんの店員さんも「おひさしぶりー」と挨拶の後
余震が怖くて不安でーと同じことを繰り返し言うんだもの。
ほんとうに不安気な顔してるからホントなんだろうなあ。

けれどなー、被災地の人の目が腫れている。
きっと、夜になると、一人になると涙がこぼれてしまうんだろう。
そういう夜がずっと続いているんだろう。
うさこの目、腫れぼったかった昔を思い出すから想像してしまう。

明日って、明るい日と書く、あした。
明日をみんなで迎えたい。
すっきり瞼で目覚めたい。
できれば笑って眠りにつけますように。
一日に一個づつでいいから、被災地にいいことありますように。
みなの心に小さくていいから灯がともりますように。
心底、そう思う。

追記:かかか更新しました。
愛、愛、愛が必要なんだよ、今一番。
そういえば「愛は勝つ」って歌ってたのはKANって人だった、
好きな歌じゃなかったけど流行歌だったから覚えてて…。
皮肉であるね、カン違いでカンが一番愛が足りないっつうの!
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闘病中のオイラを

2011-04-13 09:16:25 | 親分

おっかあは勘違いをしていると、周囲の皆が忠告している模様。
「ずーっと生きてると思ってるとチガウ?」
そうそう、ずーっと生きてると思われてるオイラ。
病名がついてしまったのでオイラはホンモノの闘病犬になっちまって、
おっかあの大好きな歌手と同じなんだぜーーー、ホッホッホ。
あっちは口の近くだったけどオイラはお尻の近くなんだぜー。
どっちもどっちだぜー、闘うんだぜー、上でも下でもおんなじさ。

オイラは切り取るらしい。歌手は切り取らなかったなあ‥。
おっかあは考えに考えてと決めた‥じゃないんだぜ、ほんとうは。
「癌であーる」と医者が検査報告書を読み上げたとたんに、
で、それって切らないとどうなるわけさ? どうどうどうなる
わけさ? と詰め寄って「そりゃウンチが出にくくなるさ」と
医者が言うと、「さっさっと切り取ってくだせえ」と即答。

ウンチ大事。
そうなんだ、おっかあに「ウンチと愛の考察」を教えたのは
オイラである。



毎朝毎晩オイラのウンチを拾い続けたおっかあは、その温もりで
オイラが生きていることを感じたんだなー、できたてだもんな。
ご飯をちゃんと食べてちゃんと栄養になってることがわかると
おっかあも張り合いがあるってもんさ。

そこに赤い模様が点々入り始めてからは、おっかあは十年以上も
何事も無く黄色一色のウンチしか眺めてこなかったことを
変わらなかったことを、あらためて思い知るんだなあ。
オイラのウンチが黄色であることはしあわせの証であると。

赤の点々、少しだったのが段々増えて、点々から腺になり、
薬を飲んで減ったり消えたりしながら、結局赤は赤のまんま。
一年かけて、おっかあは赤でも黄色でもいいと思い始めた。

おっかあは練習しているのである。
生きているオイラとオイラがそば居なくなった時のオイラ。
どっちもオイラであることを、おっかあは想像する。
どこがどうチガウのか‥。
なぜ泣きたくなるのか‥。

おっかあはオイラのアホな笑い顔を一生懸命憶えていようとして
ベイビーベイビーサンダーの名曲を歌ってくれる。
オイラはダンスをするっつうか、足をちょっと上げるね。
跳ねてる気分で。
オイラが踊るからおっかあも笑い、ふたりでダンス。

おっかあは笑ったり泣いたりして、そして、消えないオイラが
いることを、ある朝気づいた。
それを消えないように、どこへも行かないようにと思うことも
必要ないことを、その翌朝に気づいた。

オイラはウンチをしておっかあに愛を教えたわけである。
生まれてきてよかったのである。

まだ手術の日は決まらないので、シッポは自由に振れるんだぜ。



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第四便届けました

2011-04-10 18:01:17 | Weblog
家へ帰れない人たちの楽しみにと、高校生の吹奏楽部が
慰問演奏に来ていた。しかしいるはずの人の多くは
風呂へ行ったり、片付けに出たりで閑散としている。
それでも吹奏楽部は音出しの練習をして、人々が帰って
くるのを待っていた。
帰ってくる場所、ではない。
けれども、行くところ、がない。




白河市中央体育館には白河市内在住の被災者と浪江町
から避難してきた方々百余名がおられた。すでに会津
の受入れ先へ移動した方もいるので体育館内はブルー
シートの空きが目立った。
先月までは布団と衣類と人で埋め尽くされていたブルー
が見えている今が、良くなったと言えるのかどうか…、
何が変わったともいえないのが現状である。



どうしたらいいかと思案に暮れる大人をよそにお菓子を
パクつく女の子たち。撮らないでよ、撮ってよ、あたし
が前よー、と元気がいい。笑顔だった。
おしゃべり、ずっとしていた。
救われたのはこっち側である。でも子どもとて何も知ら
ないわけでもないのを感じる。子どもの力はわからない
でいられることなんだろう。それに大人は救われる。



支援物資を届けに行くと衣類は要らないといわれたが、
よく確かめてみると、管理にあたっている人の意見であり、
被災の当事者たちは欲しいし必要であることがわかった。
特に着の身着のままで逃げてきた浪江町(その他原発
から避難の人々)の人にとって無い無いづくしだった。

古着も集めて頂いたんです、要らないと言った人はたぶん
言葉がちょっと足りなかっただけで…とフォローした人。
何を話ししても頭を下げられる。
近くまで行って耳を傾けないかぎり聞こえない声、今は
それを聞くときなのだと思う。
私たちは古着ではなく新品を届けているが要らないと何度
も言われ、要る人を捜し歩いたのだった。
(註:古着はボロという意味ではないので)

今回も支援でいただいた菓子類が非常に喜ばれた。
宇都宮の宮司さんが尽力下さったラスクと日光の老舗
ひしやの羊羹はどこも大好評で、おおおっとどよめき
笑いがこぼれる。
付添いの人に駄菓子の袋をあけてもらい行儀よく待つ
子たち。大人もお茶だけよりおやつはありがたい。
必要最低の物資や食物を配るだけで足りるとする官の
考えは、人が生きて暮らすということと隔たりがある、
実際に足を運べばいつもそう思うのであった。

誰だってどこだって、同じだ。
自分が欲しいものは人も欲しい。
自分がうれしいものは人もうれしい、単純、素直なら
わかるんじゃないか?ちょっとした想像力で。

果物はないな、ずっと食べていないみたいだな…、
そうだ、缶詰ならどうにかなるだろう。ミカン缶、
杏仁缶、桃缶、いろいろあるけど同じ物を持ち寄りで
集めれば箱いっぱいになるだろ、とりあえずどれで
行く? 帰りの車の中でカメがそう言った。

う~ん、まずはミカンから行きましょう、一番手に
入りやすいから。そう言ったうさこは戻ってすぐに
メールリストで手配した。
次回はミカン缶詰1個、杏仁入り豆缶1個、合計2個
持ち寄りであーるよ、と。

今日の森は野鳥がよくさえずっていた。
ひさしぶりだった。窓を開け、鳥の声を聞いたのは。
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見えないから怖くない

2011-04-07 23:34:14 | Weblog

見えぬゆえに怖れるもの、それは放射能?

以前から放射能漏れはたびたびあった(非公表なだけで)、汚染水の垂れ
流しもあった。魚の奇形がみつかっても隠してきたのは関係各社諸々で
水俣病の構造となんら変わりはない。
オール電化に踊っていた国民はバカ者なんだな、何がエコだ、ムリムリと
思わないのだから。原子力発電がエコなわけはないでしょうが!

原発から遠くにいる一般人はそれを見る機会はたしかにない。見て取材した
記者が意外に安全、安心した等と書いてきた、悪気はなくて?
専門家研究者で危険を問題視するものはアカデミーに居場所はなくなって
広瀬隆氏は長く干されていたのと同じだ。おなじく小出氏も存在すら
知られていなかったのににわかに注目され取材を受けている。
ご当人は静かに闘い続けてきただけなんだが。

見えず、だから恐れず。
見える、だから怖い。
今は見えている状況だ。だから怖がっている。
考えなかったからだ、見えないから怖いんじゃなくて、考えもしなかった
ことにあたふたと怯えている。

神に祈るとき、神は見えない。見えないが怖れない。
畏れはしても怖くはないから拝んでいられる。
見える、見えない、見える、見えない、見えない‥。
見えないものも在ることを、今、体験しているわけなのだ。
原子という極微の見えない存在を、制御できないものを手に入れ、
操っていると思い込んでいたわけだ。

人は神を拝むとき、もしや操れるとおもってやしまいか。
己の欲のままに。

きょうあたり、かかかを更新予定。


コメント (2)
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一番素直だったころ

2011-04-06 10:57:13 | Weblog

10歳のわたくし。
一番素直だった頃、そしてまた素直を失う下り坂に足をかけた頃。

その小さなわたくしを、おぼえているのはわたし自身であった。
先生についた嘘。
ごまかしはそのままとがめを受けずに済んだ。
あれから数十年、嘘の刺がささったままである。

ときどき、その痛みが情景とともに思い出された。
唐突に、それはやってきて、からだを固くさせる。
とりかえしのつかない悲しみに打たれるわたしを嘲笑って、消えるのだった。

ある日、故郷の姉から知らせが届いた。
H先生に会いました、ご病気ではありますが‥、あなたのことばかり
憶えておいでで、わたしの話など少しも出てこなくてがっかりだったけど
あなたはとてもかわいがられていたんですね。

先生の名が時を超え、はっきりと目の前に現れ、小さな10歳の女の子に
なってしまったわたしは、滂沱の涙。
なぜ涙が出てくるのだろうか、と思ったりする歳をとった女も少しいて
涙はしばらくして止まった。

生きているとは思わなかった。
取り返しがつかないと思っていた。
あの子はとてもいい子、あの子はわたしを慕ってくれて、泣いて引き止めて
くれたのよ、と先生は言ったのだった。

年々、胸にささった刺が太くなって、悲しみも深くなっていたのは
先生がわたしを叱らなかったからだった。
叱らずに、やさしくやさしくやさしく。
わたしは先生に抱かれていたのだった。

素直だった10歳の女の子を先生は憶えていらっしゃるのだった。
「どうしているのかしら?いま‥。
なんにもしてあげられない、わたしはこんなになってしまって‥」
そうおっしゃったのよ、教師なのね、いつまでも。姉が伝えた言葉が
さらにわたしを打って、刺は輪郭を無くすほどに広がる。
もうわたし自身が刺になってしまったようで、あの教室の隅の情景が
ぼんやりとかすれていくのだった。




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