想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

立ち直りかた

2008-12-30 13:10:54 | Weblog
   転ぶ、また転ぶ、今日は何度転んだことか。
   そう、そんなころび癖というのがあります。
   うさこも成長期に、なったことがあります。
   高校に入ったばかりの頃、膝小僧を傷だらけにしてました。

   身体の成長と気持ちのバランスが合わなくて足がもつれる。

   もう一つ、焦って転ぶのが成長期でなく停滞期、人生の。
   その違いは、転んだあとの立ち直りかた。

   若い頃、転んだらすぐに起きます。
   なんでもなかったような顔をして。
   痛くない顔をして、すばやく。

   年を重ねて、転んだとき、みっともないのと痛いのとが
   同時にあって、同時にありすぎると収集がつかないので
   立ち上がるのもスローになります。

   立ち直れないこともあります。
   はいつくばって、ならいいですが、這いもせず倒れたまま‥の人も。

   でも、転んだだけです。
   起きるべきです。
   起きて、また歩くべきなのです。
   歩けば、また転ぶかもしれないが、それでも
   起きて、また歩くべきなのです。
   何度でも。

   べきという言い方は嫌いですが、あえて
   歩くべきなのだ、そうこの際はいわねばなりません。
   そうでなければ、生きている意味がなくなるから。
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犬といっしょである

2008-12-30 01:50:37 | Weblog

   犬と暮らして十年ちょっと、だいぶ犬の気持ちがわかるようになった。
   犬はわたしの気持ちをどのくらいわかっているか、ときどき考える。

   ソファの上、ベッドの上、じゅうたんの上に、犬がねそべっている。
   その上からおおいかぶさって、ねえ、ねえ、と聞いてみたりする。

   ぐーぐーというイビキがぐぃーに変わり、ちょっと苦しそうなので
   やめるけど、やめたとたん、シッポをばんばんと振る。
   あんた、寝てたんじゃないの? またシッポがばんと揺れて、
   ぐーぐーと寝息が高まる。
   やっぱり寝てるじゃない?

   触っているのが好き、触られているのが好き、なのね。
   いっしょにいるってことなんだろうな、と思う。

   明け方、ふいに目が覚めて、犬がわたしの鼻先に鼻先をくっつけて
   いることがある。
   わたしの寝息を感じている。
   生きている、と知って、ちょっと離れて自分の居場所に戻る。
   そっと目を開けてみてみると、ふつうの顔して寝そべっている。
   その目がわたしへ向けられたとき、目が合って、
   わたしは自分の男といるような、自分の兄弟といるような、
   あるいは父といるような、そんな錯覚におちいる。

   離れがたく、そばにいる。
   電車に乗れないので、犬は留守番する。
   あるいは車のときも、留守番する。
   そんな日は、わたしは何回も後ろを振り返り、そのたびに
   ああ、今日は留守番だった、と思い直す。
   いつも離れがたく、彼はそばにいる。

   愛するということにおいて、人も犬も同じ事である。
   わたしに愛される人は、犬といっしょかよ、と言うだろうが。
   はいそうです、いっしょです、1番がふたつあります。

   愛するということにおいて、人も犬も人も同じことである。
   いずれにしても、安らかな寝息をたてて
   離ればなれでも、まだ会うことがなくとも、
   生きていて、ゆっくりと眠ったり背伸びをしたりしていて
   ほしい。そういうふうに暮らしていてほしい。
   そう願うのは、同じことである。

 
   
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雪だるまな日

2008-12-29 00:45:53 | Weblog
   雪だるまにくんくんしている親分、あー、壊しちゃダメよ。



   一昨日の「かまくら」といい、この雪だるまといい、ちっさぃ!
   親分の背丈しかありません。
   作ったのは四十男、流行のアラフォーではありますが、元気なのは女性ばかり
   のようで。
   だって、雪だるまって転がしながら作るでしょ、
   彼らは坂の下から押し上げながら大きくしていくんですもの、そりゃキツいわ。
   遠くから見ていたうさこは、笑っただけで、決して手伝いませんでした、あははは。

   できあがったようなので、親分と近づくと、ちっさ! 
   これじゃ、小学生に笑われるけんね。
   雪はいっぱいあるのになー、体力のない都会の男なんぞ、つまらんぞ。

   あんたはどうなのさ? と言われそうなので。
   だるまは、最中、だるま最中くらいにしておきまして、
   よって雪は眺める、歩く、立ちつくして眺める、で楽しみます。

   体力勝負といえば、本日はホイップクリームを作るため、生クリームを
   ボールに入れ、必死でかき混ぜました。
   (かの通販生活CMに登場する道具、バーミックスなどうちにはないからね)
   なので、今、右腕の肘から下がパンパンだあ。

   出来上がったクリームを舐め、あまりのおいしさに大喜び。
   焼き損ねではあるが、柚子のケーキにつけて食べました。
   料理には体力が入りますな、はい。
   疲れたけど上手かったので、調子にのって正月にも作る予定なり。
   写真なぞ乗せると、料理自画自賛のアホブロガーと陰口をたたかれそうなので
   決して「料理作りました、これ」というのだけは載せません。
   (撮る前にお腹の中へ消えてしまうし)

   それにホイップクリーム、仕上げはねずみ師の右腕を借りたでやんす。
   N君もこっそり舐めにきました。
   雪が本格的に降り、森の外の仕事が終わりました。
   冬でも晴れ間には、ねずみ師はじっとしていないでしょうけどね。



   
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かまくらつくり

2008-12-27 23:16:48 | Weblog

  昨日からの雪、まだ降りつづいています。
  親分は雪が好きです。



  根雪になるにはもうちょっと、あと10センチくらい…



  東京と宇都宮からきた人たち、かまくら作りに励んでます。
  でも、作り方を知らないので……
  小さすぎて人が後ろ向きに這ってしか入れないのよねー。
  なんちゃってかまくら、でした。

  この場所には、やはり雪が一番似合います。
  人の諸々のつみけがれを白く白く白く被い、陽の中で
  溶かしていくようで。
  それに、ふだんから世間から遠いのに、もっと遠く隔絶
  したように静かになるから。
 
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マイナス5℃

2008-12-26 23:19:46 | Weblog

   雪が降った。
   雪の日はそう寒くはないというのがこれまで体験した
   冬だった。

   本日は、こたえる。
   温度計を見たら、納得。
   昼間積もった雪の上に、粉雪が風に煽られながら降る。
   吹雪のよう。

   明日は、もっと本格的に雪景色を撮っておきます。
   野暮な電話で仕事が遅れ、疲れた。
   よって今夜は簡略で。
 
     電話やメールでおしゃべりするのが当たり前の若者たち。
     大人になったらしなくなる。
     おしゃべりをする暇もないので。
     考え、つきつめ、そして実行に、それで忙しい。
     忙しいのは、生きている証であるという前向きな大人は
     電話でくっちゃべったりしません。
     話はちゃんと顔をみて、目をみて、確かめて、します。
   明日は忘念会である。
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ややカンロクです

2008-12-25 00:18:26 | Weblog
   午前11時くらい。



   午後3時、おやつたべました。



   午後7時の鐘、うちの柱時計はボーンボーンとそれはいい音色で時を知らせます。
   だからなに?それがどうした? という顔のシマコのほほえみ。
   猫は謎です。

   犬と話し、犬を笑わせる毎日ですが、猫のこころはわかりません。
   魔女です、まったく。
   ねずみ師が甘い顔をしているので、いちにちじゅう縁側を独占し、
   端っこにいた親分はしょうがないので家の中へひっこんでしまいました。
   シマコの貫禄勝ちです。

   かわいいので、許す‥‥

   追記:クリスマスにケーキを食べるのは子どもでーす。
   
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うまいハンバーガーが食べたい

2008-12-24 01:20:53 | 
 と思うこのごろ、アメ牛が恐くて遠ざかったまんまなので数年間は縁がない。
 その前からすこしづつ肉を食べなくなったので、食べたい気持ちだけが残り
 実際は手を出さないのであった。
 モスバーガーが国産牛国産野菜のハンバーガーを売り出すというニュースに
 そそられたりするが、わたしの居住区にモスバーガーの看板は見当たらない。

 たま~に、ごく稀に差し入れでハンバーガーを買ってくる人がいたりして
 大いに迷惑し、笑って受取るもすぐに手が出ないので冷めて固まってしまう。
 自分では捨てられず、誰か気づいて捨ててくれるのを待つ卑怯な手段をとる。

 本日の本題(ダジャレじゃないよん)
 【面白いことを とことんやれば 「起業」は必ずうまくいく】
 というあたりまえのタイトルをつけた本は、フレッシュネスバーガーの話。
 社長、栗原幹雄氏が体験を綴ったものでよみやすくわかりやすく、真似しにくい。

 あたりまえのことをやる人は広い世の中でも意外に少ないのである。
 たとえば、この本のなかで厨房を安くつくるために材料を自分で選ぶ、
 安いだけじゃなくて、既成のシンクやオーブンやレンジを使わないで
 自分のイメージ通りのものを探して、なければ作ってしまう。
 借金をせず、最初に決めた自己資金が尽きたら、そこで止め撤退すると
 限度を決めてから起業にチャレンジ。
 自己資金の範囲内で絵を書くけれども、もちろん成功が最終目的である。
 成功とは黒字であること。
 黒字になるだろうという見込みで拡大したりしないこと。

 などなど、ごくふつうのことが書いてある。
 だがふつうのことを人があまりしないことを、この人はよくわかっていて
 抵抗勢力(専門業者ですね)にあっても意志を曲げたりせず、決してめげない。
 反対されることも計算のうちなので孤軍奮闘する。
 人と同じことで安心するという人生に魅力を感じない人である。

 わたしの周囲にはあたりまえのことをあたりまえにやる人が
 少なからずいるので、栗原さんに共感はしても感動はしなかったし、
 これを真似ても、もう儲からないことも知っている。

 人が成功した本を買って読んでもためにはならない。
 なのにサクセス本を作って売ろうとする詐欺みたいな編集者が多いし
 アホなサラリーマンや大学生がメトロ改札口脇の本屋とかで無駄銭を
 使う。よって、けっこうこの手の本は売れ、おあしは回る。

 売れる本を書かねば喰えないライターがゴーストで書く。
 栗原さんはおそらく自分で書かれたろうが、この手の本専門ライターは
 月に一冊ほど書いてメシを喰うのである。
 他人がメシを食うために書いた本に金を使うような人が果たして
 他人を出し抜いて成功することができるかどうか、深く考えずとも
 自明である、よってちかしい人には勧めない。
 わたしのアホな話でじゅうぶんである。

 「うまいハンバーガーが食べたい気持ちだけは今も温存している。」
 これがアホの戯言、カシコイ人はこれだけでじゅうぶんヒントにする
 ものなのである。
 
 本日、はなはだ機嫌悪し、口が悪いの隠してました、すんません。

  ※ふるごとも、渋く更新しました。
 
 
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かなたには白銀の山

2008-12-22 02:15:44 | Weblog
 ベタなタイトルだけど、ほんとに見える白い山。
 や~ま~は しろがね あさひをあび~て~
 す~べ~るスキーのかぜきるはやさ~

 なんていい場所なのだ、しみじみ思いながら朝の散歩。
 なんちゃって、寝不足のまま親分の用足し散歩につきあっている我。

 南会津へ抜ける甲子道路が完成したそうだが、こちとら関係ない。
 那須方面にはおされなカフェとか雑貨店とか、リゾートスパとか日帰り温泉とか
 いろいろあるそうだが、それも関係ない。
 そういうところへ向かおうという輩が、この道であるはずがないのに迷い込む
 春から夏がようやく過ぎて、誰も通らなくなった。

 数件ある別荘を管理する事務所の巡回パトロール車と、うち一軒だけのために
 やってくる簡易郵便局のおじさんの車だけは真冬も通る。

 もとより静かなところが本格的に静かになった。
 我ひとり「オーッ」と叫ぼうと、ワーッと走り回ろうと、大の字で転がろうと
 だれもとがめだてしたりする人もなし。(さそう人ならあり)

 ふくろうが時々飛来して、前の木に止まるらしい。
 (目撃者はねずみ師、わたしの前には現われない)
 ふくろうは、わたしのアホっぷりを知っている、たぶん。



 霜柱を撮るのは、案外むずかしい。
 肉眼で見るときれいなのだけれど、観たと思ったものはここには写ってない。

 こんな日は夜は星空。星粒が大きく眼前に迫って見える。
 みあげていると首が痛い。痛いがまた見上げる。
 ずーっとみている。
 ぐるりとまわって上下がわからなくなる。
 そして、ちょっと浮かんでる。

 この人はきっとそれを知っていて、外で寝たがる。
 その気持ち、とてもよくわかります。

 
 
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子守りうたを

2008-12-20 11:24:05 | Weblog

  昨夜は冷え込みました。
  朝起きて、窓からキラキラ光るものが見えたので
  雪かと期待したら、霜柱でありました。
  5センチほどの霜柱も、今日は陽射があたたかいので
  昼頃には融けます。



  山の天気は変わりやすいので、雲行きがあやしくなる前に
  ベイビーの写真をとろうと寒いけど、外へ。
  もうベイビーって歳でもないですけど、親分はベイビーと
  呼ばれるのが好きです。

  先日、トイプードルを飼い始めた知人に
  「どうやったらいい子になるかしら?」と尋ねられて
  根気よく一貫した態度で指示すること、犬は賢いから人の行動
  が矛盾すると言うことを聞かなくなるよと話しました。
  話しながら、人と人も、犬と人も同じであるなと思った。

  そうなんだなあ、ベイビーが部屋の中を暴れまわっていた頃
  うさこはヒステリックに怒ってました。
  怒るのに疲れて、じっとベイビーの瞳をみつめたら、
  ベイビーもこちらをじっと見つめた、その瞳をみていたら
  怒る方がどうかしていると気づいたのでした。
  それからは、じっと、そっと、とベイビーが静まるのを待つ
  ようにしていたら暴れまわらなくなった。
  こちらの顔をのぞきこんで、話しかけるのを待つようになり
  ました。

  ベイビーベイビーサンダー、ベイビサンダー~
ベビベビベビベビ、ベビサンダ~ と歌っていると
  膝にもたれて眠ってしまった子犬の頃。
  今、おっさんになった親分ベイビーにこの歌を歌うと
  デレデレとして、すごくおかしい。
  子どもの頃の気分になるのかなあ、たぶん。
  それなら人も同じです、わたしは「おとさん」と声に
出して言うと悲しくさみしく、とても切ない。

  おとさん(おとうさんではなくて)と呼んでいた子どもの
  頃に瞬間に飛んでしまうのだと気づき、あわてて、戻って
くるのですが。
月が美しい夜には、呼びたくなります。


  
 
  
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丸太を積んだ日

2008-12-18 00:59:33 | Weblog
  想風亭を建てる以前の、みんなで作った1、2号棟だけのときには木製の塀と
  丸太をつんだ囲いが垣根でした。
  金属製のフェンスは森に似合わない、だからできるだけ周囲に溶け込む色を
  選んでやむなく建てたわけは、泥棒クンがやってきたから。

  こんな山奥で泥棒なんて思ってもみないこと。そりゃあびっくりしたけど
  泥棒クンもたぶん、びっくりしたと思います。
  侵入したら、なんにもなかったのだから、ほんと。
  あるのは本とか、ま、本、本、すこしCDとか茶道具くらい。
  ざぶとんとか、こたつとかもあるけどね、金目のものに見えるのは無いので。
  そうそう米を一袋持ち去り、それから虎屋の羊羹一竿とか。
  金属シャッター付きなのにそれをこじあけて、以前からある棟は木造雨戸、
  それは触らずじまい。みるからになんにもなさそうだと判断したか、
  さすがの泥棒クンも努力のしがいがないと思ったからでしょうが、それは正解。
  でも、たとえ盗られるものがなくても入られた形跡を見るのは不快なものです。

  丸太を積んだ垣根を越えて入ってきた泥棒クン、再びすぐに来て、今度は警報に
  驚いたと見えてあわてて逃げ去ったようでした。
  そんなこんなで止むを得ずフェンスを建てたのですが、積み上げた丸太は苔が生え、
  キノコが育って、いまも健在です。


      (湿った枯れ葉と積み上げすぎた草刈りの後始末は最初ガスバーナーを使って)

  丸太を積んだ日のことはよく覚えています。
  間引きして陽射しがよくあたるようにするので、倒した木を片付けます。
  同じ長さに切っていき、その丸太をしばらく井桁に積み上げて干して
  2、3年たって乾いたのを積んでいきました。

  先日、ひさしぶりに訪ねてきたM君が、丸太を積んでいた日のことを、
  昨日のことのようにうさこは思い出します。
  丸太は重いので、いくら力自慢のM君でもけっこう距離があるので、
  一日終わるころにはへろへろだったね。
  でもそれを言わない人でした。なぜなら力自慢、柔道一直線の人だから
  (M大柔道部出身、なぜか本戦に弱かったらしい、
      ふふふふ、その方がいいよ。脳みそ筋肉にならないから)

  積み上げた丸太は今も垣根の役割を果たしていますが、来年からここに榊を
  植えて垣根にしていく予定だと、ねずみ師から聞いてる。
  Mクンはどうやら立ち上げた会社を育てるのが目下の課題だそうで、
  手伝ってる時間はないだろうね。
  だいじょうぶ、「世のため人のため」という、口にするとちょっと恥ずかしい
  ようなことを本気で理念に掲げた会社を起こしたそうだから、大きく育てて
  いってくれ。
  「社長になるぞー」と言っては、アホだねえ、社長になってもモテないぜと
  うさこにからかわれていたMクン。
  いろんなことを思い出すけど、あのとき歯をくいしばってやっていた姿は
  たぶんスーツを着ても変わりないんだなあ。
  山あり谷ありなんだけど、冷たい谷底も一緒に歩いたし、ご飯も食べたし
  沖縄の浜辺でバカみたいに肩組んで撮った写真も、ガナハノウジョウも、
  みんな忘れていないよ。

  重い丸太を積んだ日、忘れないよ。

                  ※ふるごとじゅくも更新しました
  
  
  
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バラードを聴く FRAGILE

2008-12-17 09:45:03 | Weblog
 憂いのない瞳、無垢。みつめられると
 「我々はいかにもろいものであるかということを」と
 くりかえすこの歌 フラジャイル が流れているのが
 不似合いなのだが‥‥

 自民党などつぶれてしまえ、と検索すれば、あれよあれよと
 記事が出て来るのに、逆に驚いてしまったり世も末、ほんとに末期症状。

 元はスティングの曲の「FRAGILE」。
 わたしが好んで聴くのは、鈴木重子のヴォーカルで
 CLOSE YOUR EYES の冒頭に入っているもの。

 このCDは「静かな、眠るとき、耳元でかけておけるような」ものを
 という考えで作ったと、鈴木重子さんがライナーノーツに書いています。

 ハスキーで静かな低音が魅力的な彼女の歌声は、気持ちを落ち着かせて
 くれるので、もうずいぶん前に買ったものですが、ときおり取り出して
 流しています、昼となく夜となく。

 でも一番好きなのがやはりFRAGILE.
 こういう歌を日本人はあまり歌わないのは、なぜだろう。
 強いてあげれば、昔昔の中島みゆき? おもいつかない誰も。
 愛だの、恋だの、ポニョだの、そんなのばかり。
 
  On and on the rain will say
  How fragile we are

 そう、降る雨も、地を照らす月光も、
 人の愚かさともろさを教えてくれる。
 しずまりかえる森の夜は、自我の殻を闇のなかに溶かしてくれる。
 かえりみれば、悲しみばかりなのに、人は生きているなあ。
 
 

 「会えない時間が愛育てるのさ」by ひろみGO
 ブルースじゃないねえ、それは。
 目の前のものを愛せよ、悔いを愛せよ、であるな。

 PS: 大阪のAYAちゃん、エレカシがいるじゃないですかーって?
 はい確かに「武蔵野」、あったね、いい歌だ。
 でも昨夜はFRAGILE な気分だったのです。
 
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バラードを聴く BANG BANG

2008-12-16 09:31:03 | Weblog

 「バラード&バートン』から
  アン・バートンの歌う、バンバンを聴いている。
  (バンバンは、'66年のシェールのヒット曲だけど最近では映画
  「キル・ビル」でナンシー・シナトラが歌って再び注目された。
   アン・バートンのヴォーカルはあまり知られていない。
   ナンシーはフランク・シナトラの娘でがす)

 手元にあるのは、'89年のCDの復刻版。もとは'69年に発売された
 バートンの代表作。
 オランダのアムステルダムで1933年に生まれ、'89年に他界、享年56歳。
 アルバム三作を遺している。短命‥‥、でも歌声が今も聴ける‥‥。
 (他は、ブルー・バートン、Everything Happens)

 バンバンは、さよならも言わずに行ってしまった幼なじみの恋人を思う
 痛みを歌っている。バンバン、はもちろん撃つ音、撃たれた音。

 小さい頃、木の棒を股にはさんだ馬に乗って、バンバンと撃ち合って
 遊んだ、彼は黒い服、わたしは白い服を着ていた‥‥。
 彼はわたしを撃った、わたしは草原を撃った、バンバン
 とても恐い音、バンバン
彼はわたしを撃ち倒した。

 ジャズ・ヴォーカルが特に好きという人でなくても、染みとおる
 ような語りのような歌、
 一度聴けば忘れ難い歌だから、ああ、と思い出す人も多いだろうと
 思う。歌い手によってビミョウに違うけれども。

 撃つ、そしてバンバンという誰にでもわかる直接的な言葉が
 多くのことを表して意味深、単なる片思いの失恋歌と
 は思えない広がりを持って迫って来る。
 バートンの歌い方が特にそう思わせるのだろう。

 このCDは静かな気持ちでドライブしたい時にぴったりだ。
 盛り上がったり、張り切ったり、沈みこんで感傷的になったり
 感情過多にならずにすむ。
 オーティス・レディングの熱い歌もアン・バートンはスローバラードにして
 聴かせてくれている。
 原曲がすばらしいことは言うまでもないが、ヴォーカルの力というのを
 あらためて感じてしまう。

 3分間の旅、ときに歌は遠く高いところまで運んでくれる。
 生きることに倦む日には、歌を。

 
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ゆうやけこやけ

2008-12-15 14:36:37 | Weblog

  こやけ、って小焼け?
  夕焼けの始まり、真っ赤っかになる前に気づいてセーフ。
  あわてて表へ出た、とても寒いけど。






  静かすぎて、しあわせ
  だれもいない、ゆうやけ
  なんだか、おなかもむねもいっぱいになってきて
  なみだが こぼれてくる ゆうやけ
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焚き火だ、落ち葉焚き

2008-12-14 00:37:17 | Weblog
 焚き火日和は、曇り空の日。
 先々週までにかき集めた落ち葉を袋につめて作業小屋に
 入れてあったので、それを燃やします。
 落ち葉がぬれていて燃えないので、集めてすぐには
 できないのです。風が吹くので戸外に集めておくと
 また散り散りになってモトイとなるので、袋づめ。



 火を燃やすにも手順があって、この場所にあった方法が
 あって、火をつければいいってもんでもありません。
 簡単には燃えないし、炎があがりすぎても危険です。

 燃え始めたら、ときどき空気が入るようにしてあげるのが
 大事。落ち葉をいちどきに放り込むと煙ってくすぶります。
 くすぶって炎がなくなっても消えたわけではないので
 目は離せません。

 草刈り、草集め、落ち葉掃き、そして枯れ草と落ち葉を
 燃やしてしまうまで、けっこうな作業量があります。
 落ち葉はつぎつぎに落ちて、そりゃもう、空がみえないくらい
 の緑一色だったのが落ちてきたんだから、大変です。
 放っておくのは土のためにも木のためにもよくないので、
 冬の初めの大事な仕事です。
 でも一日中かかっても、袋五つか六つ分。根雪になる前に、
 すべてをやるには人手がたりないね。



 とはいえ、火の仕事はねずみ師におまかせ。
 親分とうさこは、その周囲をうろうろしている。
 火かき棒かわりの枝で、火をいじりすぎてすぐに
 くすぶってしまうので、手伝わなくていいからねと
 いうことなのでした。せっかちにはできません。
 焼き芋、焼き芋、ならば焼き芋、と別な意味で
 火のそばを離れられない二人なのでした。

 焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き、
 あたろうよ、あたろうよ、
  この歌、全部覚えている人、教えてくださーい。
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愛のかたち

2008-12-12 10:41:21 | Weblog
  遠赤外線入りという分厚い靴下に、防寒用ズボン。
  その上にさらに毛皮一枚です。
  ばっちし、防寒冬支度です。

  でも上に乗った毛皮は移動タイプ、約40キロほどです。
  重みもまた、ぬくもりです。

  逆に、毛皮を下にして暖を取るというのも、時々やります。
  毛皮はぜーぜーと荒い息をして耐えます。
  甘えん坊は、どっちなのか疑惑については灰色の決着です。

  このところ、ねずみ師は師走なので忙しいのです。
  走ってはいない、いつものように座して、ですが来客多し。
  だらだらだら、うさこは寒さにめっぽう弱いのに冬が好きなので
  親分に甘えてひっつき虫になります。

  日本の師走の風習に、お世話になった方への一年のご挨拶という
  のがありますね。
日頃、疎遠にしていたことを埋め合わせるための訪問でもあり、
  歳暮を贈るのもその一つですが、宅急便で送ってしまうのが普通
  になったこのごろ、その意味が薄れてしまってきたのかもしれません。

  うさこは子どもの頃、歳暮を持ってよそのお宅を訪問した記憶が
  あります。姉たちはわたしより大きくなっていたので、お使いで
  届けにいかされていました。
  風呂敷がほどかれて歳暮の品が取り出され、差し出される光景を
  鮮明に思い出せます。父のかたわらで、小さなわたしがそれを
  見ていたのですが、いま思い出すときは、なぜか小さなわたしも
  いっしょに見えるのです。

  父にはそばにいた短いあいだに一生分のことを教わったのだと
  思います。
  父へ、歳暮を届けられなかったけれども‥。

  お世話になった方を思い出す師走、品物は気持ちなので、何をと
  こだわらず、せめてご挨拶をして年の締めくくりをして、年越し
  をすることができれば幸せなことだと思います。
 


 
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