想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

朝陽を浴びるきいろちゃん

2015-10-18 16:37:32 | Weblog
午前9時半頃。
森庭全体が明るい陽射しいっぱいになるには
まだ一時間くらいかかるけど、森の天気は移ろい
やすいのでちょっと慌てて撮りました。
昨日は昼すぎまで雨だったし…。

きいろちゃんは赤い小さな実をつけています。
黄色が一番きれいに見えるのは週明けくらい
までかなと思います。
風が強く吹いて、舞いながら散っていくのを
眺めるのもいいものです。

G.GOULDの…And Serenity
瞑想するグレン・グールドとタイトルのついた
アルバムに「ブラームス間奏曲イ長調118の2」
があります。
穏やかな情緒。瞑想と現実のあわい。
長くつづく幸福。

陽の光に照らされた樹々の間を歩きながら
ほとんど何も考えないでいられる時間。
何にも囚われない時を過ごす、生きているのに。
これ以上の幸せもない気がします。

去った者や失くした者の影さえ、明るく照らす
光のようで。



生きているものは何らかの競争をしながら
おのが命をつないでいくという因果を思うに
ならば、その逆を求めようというのもまた
何らかに抗うことで、競争の枠の中に入った
ままではないか。そんなことをぐるぐると
思うのを止めてしまう。

やめて、立つところの心極の中位。
これは天思兼命のハタラキゆえに
ただ瞑想のなかにあるのみ。
そのとき気は乱れず、競うも戯れ。
とらわれることなし。

「章句相い積んで五千余言」の学問を
遺された古の聖人の心に触れ、
義しむのみ。







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夢を観るには…

2015-10-14 19:50:09 | Weblog
腹が減っては夢を観ることができない。
さりとて腹いっぱいでは夢など観まい。

寝てみる夢とちがって、起きてなお観る夢は
そこそこ力が要る。
アミノ酸が不足した身体は適さない。
なのでタンパク質豊富な食物をとりあえずは
いただこうと…、豆腐と納豆があるはず、
…はずの冷蔵庫にそれがない…。
食べてしまったからである、な。
あいにく納豆もない…。

豆腐好きで思い出したのは、池波正太郎の
「藤枝梅安」の彦次郎、彦さんである。
鍋に豆腐を入れてあったまるのを待っている
時の彦さんの自慢気な満足そうなうれしげな
顔を思い浮かべることができる。
梅安は殺しの話なのだが、ふたりが仕事を終えた
あとに鍋をはさんで語りあっている場面の方しか
思い浮かばない。
人に戻ったときのふたりの顔だ。



殺しを請けて生業としても、夢はある。
いや、夢があるからそれを全うする男たちだ。
悪人を手にかけることが、おのが夢を果たす
ことにはなるなどと思うほど勝手ではない。
しかし悪と対峙する側に己を置いておくことを
選んだ小さな抵抗である。
されど、そのわずかな抵抗も所詮、人の欲得に
からんだことにすぎない。けっきょくのところ
湯豆腐の真っ白なやわらかな、湯気をみながら
何も思わぬ時間が続くことが夢である。
夢のまた夢である。

思うことが多すぎて、書くには重すぎて
とりとめなく夢談義などに逸れているけれど。
東京から戻ってみると、紅葉の森庭が夢は
ここ、ここ、と言っておりました。


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きいろちゃん

2015-10-05 11:30:00 | Weblog
黄檗がもうじき黄葉する頃、その前に撮っておきました。
紅葉はもみじ、こうようと読みますが、元は黄葉と書いて
こうようを表すようになったそうです。

きいろちゃんと呼んでいる黄檗の木、赤い紅葉も華やかで
秋らしいけど、ほんとに美しい黄色になるのです。
初めて見たとき、黄色ってこんなんだったっけと、
大好きな木になりました。
自然の色だから胸を打つのかもしれません。

少しづつ深まっていく秋の森庭は、物思いに耽るのに
ちょうどいいのです。
まだ肌寒くなく、上着だけ羽織れば何時間も座って
いられます。

夏からずっと続いている世間の騒々しさ、鬱陶しさで
かなり熱くなっていた脳みそが少しづつ冷ますことが
できて、我に返ってみると、反省するばかりです。





この小さな花の名は何だろうか。
去年は少しだったのが増えているのに気づきました。
かわいいので草刈りで刈らないようにしたいけど
草刈りの手伝いの人は雑草にしか見えないらしく
なんでも刈ってしまいます。

この夏は柿の木を伐られて、がっかりしました。
8、9年前に植えたのですが、日当りが悪い場所で
おまけに斜面で雪をかぶるので成長が遅かったのです。
それが今年はずんと伸びて幹が少し太くなっていて
よくがんばったなあ、と思っていたところでした。

伐った人はすみませんと言うしかないわけで、
すみませんすみませんと言いましたねえ。
でも、もう忘れています。





新しい苗木を取り寄せて日当りのいい場所に植えました。
「富有柿」のそばに「さえふじ」という実をつけるための
種類を植えました。花屋さんからのアドバイスです。

伐られた柿と一緒に植えたもう一本の木はこのすぐそばに
2メートルくらいの高さになっています。
でも一度も実をつけないので、さえふじを中間に植えた
わけです。

実の成る木には鳥がやってきます。
早朝、雀より小さな体の鳥が盛んに飛び交っていました。
なんという名かわからないけれど、来るのねえ、君たち
夏櫨の実が下にたくさん落ちているよ。

鳥の方が目がいいので、そんなのはわかってらい、という
感じです。落ちたのより付いているのが好きなようで…
それ食べるんかい、ぜんぶ食べないで…





鳥が運んでくるタネ、運んでいくタネ、森庭で循環する
いきものに触れていると、憎悪や悪意に淀んだ脳みそが
融けて消えていきます。

忘れることで生きることもできるけれど、
忘れることで罪をなしているわけでもあって。

忘れるのではなく、けじめをつけていくために
墓を造ることを、標を立てることを習ったのでは
ないだろうかと、古人の知恵を思ってみました。













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高いところが好き

2015-10-04 13:48:07 | Weblog

おんぶしているのではないです、後ろに隠れている
つもりの子猫。だいぶ成長したがチィママの子ども
で、この子だけ生き残った。べったりである。

で、なぜここにいるかというと…
↓ にいたのを見つかったからです。



壁にとりつけた配電用の木製函の上が好きらしく
いつも昼寝してたのは知っていたが…
或る日ガリガリと音がするので見てみたら
壁が無惨なことになっているではないか!



猫はしょうがない。
で、有刺鉄線を上に置いておいたのだが。

まるで効果がなかった。

見つかってもどかない。

カメラを向けて、近づくと子猫は逃げたが
ジョリコはどかない。
どかないったらどかない。



目をしっかり瞑って、見ないふり、寝たふり。
ごまかすのが上手なチィママである。

メッと言ってみる。
どかない。
降りない。

諦めて行こうとしたら、ひよいと鉄線をまたいで
車の屋根へピョン。
下に隠れていた子猫もピョン。

しょうがないです。
江戸ちゃんの子どもと孫に陣取られています。

江戸は久々に戻ってきてあいかわらずトカゲとか
上納しようとするので、必死で避けております。
縁側に置かれた貢ぎモノは、新顔のダーリンが
江戸ちゃんの目を盗んでもっていきました。
最近ちょくちょく来るぶさいくな雄、
あれがいいのか? 江戸? 










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