想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ひとやま百文の地

2021-08-08 17:12:14 | Weblog

なんかちょうだい、なんかちょうだい、
根気ではかないません。
ミントの上に乗らないように注意しないと
どっかと座ったりして、収穫前に台無しに
されてしまう。
暑い夏はミントティーが体調を整える
のにとてもいい。
スペアミントは一晩置くと甘くて美味しい。



前回は山桑の話をするはずが
太陽光発電所を造成中の写真ばかりに
なってしまった。
中国資本は水源地のある山林を買う
のをやめていない。
経過を記録しておくために書いた。
この世での時間もそう多くはないと
思うとあとは野となれ山となれと
気楽に構えて…
とはいかない。そうはいかない、
と思うのである。

山桑の若木をみつけて思うのは
この地にまつわる歴史である。
切実なことを犬猫に回避し本題に
入らないのはいつものことだが、
愛犬の代わりには頼りなさすぎで
役不足のジョリ子おまえではなし。

白河市は奥羽の起点、見所の小峰城や
南湖公園をささっと廻って観光客は
会津へ向かう。
戊辰の頃、白河以北ひとやま百文と
蔑み闘わざるをえないように仕向けられ
あげくのはては朝敵扱い、
ばかにするなと言いたいと怒ったのは
藤沢周平であった。

新幹線新白河駅構内には戊辰戦争の絵が
描かれた立て看板がいつごろからか
おかれている。
その文章から説明書きを担当したのは
関東以西の者ではないだろうというのは
穿ったみかたになるだろうか。



移住前に土地を探していた時に知り合った
地元の人が「中央とは違う」という言い方
をするのが気になった。
何?と尋ねたとき返ってきたのが戊辰戦争
の顛末、彼らのご先祖の話であった。
以来、余所者の私になにくれと親切に
してくれたが、東西の線引きが解かれた
わけではないことをことある毎に感じた。
私は九州の出といっても官軍ゆかりでは
なく流浪の民だと伝えても、
おっかさんに聞いてみと言う。
母に聞いた話はしなかった。



百年たとうが何年たとうがおかしなことは
おかしい、ならんことはならん、
どっちが曲がったことか、
中央では違うだろうがという。
何につけ、そんな話になり、あなたには
わからないだろうがとも言う。
言われれば知らねばなるまい、
というわけで仲間に入れてもらった。

史学研究、郷土史研究、東北学などの盛んに
学習会があった。
誘われるままに行き、年配の方の話を聴く。
散会後の方がおもしろかった。
問わず語りの昔話は確かに中央、つまり
表側には出ていない。
大きな歴史は小さな営みを飲み込み
美談で覆われる。
明治という苛政の時代に日本人はそれまで
かろうじて根源にあった仁も義も喪失した。
そしてうわっつらの義理が蔓延っていき
それは今日を作っている。

一次史料を用いた新しい研究成果と、
それを裏付ける土地の直の記憶を伝承
すべく努める人々はまじめだった。
明治維新の虚飾を剥がす学者も現れ、
地元の強い思いを託された。

2013年の大河ドラマ「八重の桜」は
観光事業者を潤しはしたが、しこりを
融かすにはほど遠く、概ね不評だった。



戊辰戦争に敗れた藩士たちは会津降伏人
と呼ばれ、最北の寒冷の土地へ追われた。
蝦夷地でロシアの盾にせよという木戸孝允
の策略は反対され南部におちついたが、
生きるに適さない土地であることには
変わりなかった。
移住して死んだ者、食えずに戻り、
このあたりを開墾した者(知人の一族は
そうだ)それでも食えず散っていった者の
話を聞いた。
百数十年ではまだ生々しい。


(これは山桑とは別品種)

山桑、山椒、ヨモギ、蕗、オオバコ、
ウコン、藜(羮にする)、アサツキ、
山牛蒡、みなこのあたりにある。
蕨は保存もするが、根からとる澱粉が
貴重だった。
春夏のささやかな実りでは子を養え
なえず、親もまた病で困窮した。

長い冬、積雪の多いこの土地に見切り
をつけて町へ出て日雇いになるしか
なかったと言った。

土地に染みこんだ人々の悲哀を偲び
ながら歩く森庭で、草木を撮り、
調べ、ああこれを食べたのかと想う。
鳥と同じだな、
飛べない人は、土に這うようにして
生き、しがみつき倒れたんだと
想った。誰も根づくことができず、
自然がそのままに残った土地だった。

それにしても福島はなんと因果な土地
かと嘆かざるをえない。
中央政権は福島を電力開発にかっこうの
適地とし、戦後すぐから水力発電ダムを
多数造った(奥只見)。それからまた
10年後には原子力発電所を浜通りに造った。

電力は関東地方の発展を支えた。
出稼ぎをしなくてよくなった男達は
原子力発電所と関連施設ではたらき
現金収入を得られるようになった。

そして2011年。
そしてまた10年後のいま、
放射能まみれになった福島は、
どうなったか。
ショックドクトリンまっただ中だ。
外資がそれとわからぬように、
大挙やってきている。

再生エネルギー政策による土地買収は
経産省経由で県が許可。
スマートシティ構想も経産省肝いり、
会津若松市で目下進行中。
便利、合理的、過疎や人口減に対応
できる未来志向、と謳っている。

先頃、「デジタル・ファシズム」の
の出版記念講演をオンライン視聴した。
ノンフィクション作家の堤未果氏の
話し方はスマートで聞きやすい。
FAGA(ファーガ)+Microsoftの
ビッグテックが何を仕掛けているか、
今、起きていること、その先の危険
について刊行を控えてかいつまんで
話された。

わたしは福島を好きだ。
この情けなく、いじらしい土地。
ファシズムから守るにはどうしたら
いいのだろうか。

阿武隈川、阿賀野川があり猪苗代湖、
吾妻山、磐梯山を仰ぐ会津地方から
城下町の風情がのこる中通り、
そして太平洋をのぞむ浜通り、
開放的で美しかった海岸線。
海山河すべてがあった。
ただ、貧しかった。
人々は懸命に生きてきた。
災厄はいつも外からやってきた。





コメント
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