想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

被害か、加害か

2019-10-31 08:39:31 | Weblog
元徴用工訴訟は韓国の最高裁判決から
一年が経ち賠償金支払い期限が迫って
いる。差押えられた日本の現地企業の
資産売却を阻止したい日本政府の言葉
に違和感がある。

政府は日本企業に「実害」が及ばない
ようにしたい、しなければならないと
いうのである。

ネトウヨは賛成するだろうが、普通の
感覚で考えれば日本統治時代に起きた
ことだから、日本企業も戦犯である。
加害者の立場で、賠償を被害のように
言えたものではない。
また今だからこそ、言ってはならない。

現政府のおかしな言動の根拠は、
1965年の日韓請求権協定である。
それに反した判決だから賠償はしない、
謝罪もしないということだ。
三菱重工と日本製鐵は政府の意向に
従っているが‥

「実害」という言葉はどこから出て
くるのだろうか。
「身の丈」もそうだ。
つい口から出てしまったのだろう。

そして、先の二社以外に古河機械金属、
熊谷組が新たに提訴されたようだ。
戦前に強制的に徴用された韓国人とその
家族、遺族たちが納得しないのは謝罪の
言葉がないからとも言える。

謝罪すれば、それみたことかと足元を
みられて賠償を迫られる。
だから認めてはいけない、という考え
をする人もいるだろう。
愚かな綱引きしかできない者を選挙で
当選させたのは国民である。
慰安婦問題も含めた政府のこのところ
の一連の姿勢に賛成し認めなくていい
と応援する人たちが少なからずいる。
それは辺野古基地建設への無関心にも
つながる。



他人ごとという言葉があるが、近頃
自分ことという言い方も見聞きする。
我が事にして考えるというのは、想像
力と共感する感性があってのことだ。
しかし物事を自他の対立や損得で捉え
る習慣がついている人は、想像力の
アンテナを折りたたんだまま使わない。
アンテナがないのではなく、自分こと
でなければ起動しないのである。
そのうち錆びて使いものにならなく
なるから、片意地ばかりになる。

日本企業から献金を受けている政府は
資産売却されてしまうのは自分こと
なので「実害が及ぶ」と考えたわけで
かつて我が国が何をし、かの国の人を
どのように扱ったか、人生を奪われた
側の人がいかに苦しみ嘆き地獄を見た
かについては思わないのである。

二国間の対立で漁夫の利を得るのは
米中だろう。日本はどこまで没落する
のか。底が見え始めている気がするが。

彼らのいう身の丈の低い人たちが
労働力となって国を支えてきたこと、
非正規雇用が拡大し今、さらに安い
賃金で働き支え続けていることと、
徴用工がなかったことにされること
の根っこは同じだ。

元徴用工問題は、対岸の他人ごと
ではないし、対岸に舟を寄せ人々が
行き来して往来を活発にしてきた
長い歴史は憎悪だけではなかった。
どちらの岸にも美しい花があり、
哀しみの歌はあった。
腐敗した権力に庶民が搾り取られ
虐げられてきたのも同じなのである。






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あかね空の下で

2019-10-28 14:48:49 | Weblog
風の谷と名づけたこの森の写真を
プリントして母に送っている。
以前撮ったこの一枚は刻々と変わる夕景
を連写したもの。母の故郷にそっくり
なので、母は私が撮りに行ったと思い
ほんとうにありがとうと喜んでくれた。

原発事故から1年後の秋のある日、
まだベイビーといつも一緒だったから、
iphoneではなくカメラで撮っていた。
このブログはベイビーとの森の暮らしを
綴っていた数年間は毎日更新していた。
犬と暮らすということは、心動かすこと
感じることがたくさんあって、それだけ
書きたいことがあったということだ。
今にしてわかる。

縁側の野良猫ちゃんはかわいいし、
文句なしにフォトジェニックなんだが、





日記のように更新する理由にはならない。
ベイビーほどには気持ちを揺さぶらない。

ベイビーが逝ってから6年経ち少しずつ
涙が溢れて困るということはなくなった。
しんとした胸のなかで思い出の風景を
ぱらぱらとめくる。

母が東北の森の景色を見ながら
九州の山里にある我が家を思い出して
いるとき、ほかのどのときよりも
柔らかな笑みが浮かんでいる。

稲穂のうえを風が渡っていく。
風が吹いて夫婦になる、そうして実る。
母は語ってくれた。
風通しの悪い林の陰にあるような田は
人の手でさわさわと稲穂を撫でてやる。
苗を植えただけで、稲が成ると思って
おっただろう、そうはいかんとよ、と。

百姓にも智恵がいる。
米が成らん成らんという人もいたし
よけいに採れて人の面倒まで見ていた
兄さんのような人もいた。
田の土つくり、草刈りの日取り、天気、
水の見張りと、毎日休みなく働いて
わからんときは、学者先生に習いに
行きよった。そうしてうちの田んぼを
広げていった。
兄さんはまじめな人だったと、祖父の
後を継いだ伯父を懐かしんだ。

末から二番目の病弱な妹であった母を
伯父はあまり働かせなかったことを
もう忘れてしまって、妹をこき使って
わたしたち女は大変じゃったという。

大変じゃった、大変じゃったと
それは楽しそうに田んぼや山仕事の
話をしてくれた。
母は農業とは無縁の父と結婚したから
わたしは農家を知らないし、これまで
聞いたこともなかった事ばかりだ。

生き、生きて、老いたいま
時間をさかのぼり
佳き日、たのしき時に遊んでいる。
苛烈な日々の記憶から解き放たれ、
このまま一番楽しかった時だけを
残してほしいと願う。




ベイビーの写真を見ると母はわたしに
あんたは世話になったねえ、という。
よくわかってらっしゃる。

















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大雨の前と後

2019-10-26 12:00:54 | Weblog
(新人です)

湧き水の渓流が敷地のそばを通っている。
ちょろちょろとした流れが、大雨が降ると
水嵩を増して勢いを増す。

カメ先生たちが夏から護岸工事を
せっせとしていたのが功を奏した。
だが、何か大げさだなあ、
小さな川をと思っていた、あちき…。
落ち葉を攫い、村道へ続く土管も掃除し
新たにコンクリで岸を強化してあった。



水量は信じられないくらい増えたそうだ
が、溢れずにごうごうと流れていった。
年中働いているのには理由があって、
自然を知り地を知り、暮らしていくと
いうこと、だからいつも備えだ。


(ふだんはこの位の水量)

壊れてしまったのはずっと道を下った先
の新しく補修されていた村道だった。
陥没した隙間に乗用車が頭から落ちた。
運転者が無事だったのが幸いだった。

復旧に時間がかかるので、そばに迂回路
を作ると村役場から連絡があった。
即動いてくれてありがたい。一本道
なので、気が気でなかった。
さらに険しい山道を行かなくてすんで
ほんとうに安堵した。
以前は数ヶ月間、細い山道を使ったから。


(縁側そばの犬小屋で育児中、雨天も
無事でした、いろいろ無事で嬉しい)


福島は8年経っても復興とはほど遠い。
風評被害という言葉をいまだに非難する
人がいるけれど、風評ではなく実際に
被災した現場を見て、どんな暮らしか
見てくれよと言いたい。それは誰かの
悪口のせいではなくて、東電が責任を
とらないからなのだから。
震災の復旧も被害者の救済もままなら
ないまま、また壊れた。


政治家は経済優先といつも言ってきた。
1964年のオリンピックからずっと。
大災害が起きて、大勢の人がいっきに
生活が立ちゆかなくなったら、自助と
言い出す政府が増税をした。

住宅ローンばかり増えていき、家族を
一人また一人と失う悲しみのなかで
どうやって立ち上がっていけばいいの
だろうか。
東北人は辛抱強いというけれど
強いわけではない。
とほうにくれて、とほうにくれすぎて
無口になっているだけなのだ。
長い冬を耐えて、春を待つのは
どうってことない。
作物も土も流されては、辛抱するにも
ひとりでは力が足りない。

それで、ちょっとでもよいことがある
とおおげさに喜んでしまい自慢したく
もなるが、ちょっとしたことでさえ
今はもうみあたらない。

新天皇の即位の儀式は大事だろうが、
国費を160億円も使ってやるこたあ
ないだろうと思う。
神道の儀式は、神事であるはずだが
国家行事にしてしまえば、それは人と人
のあいだの儀礼である。
神事を見世物にしてしまった。開かれた
皇室? 否、権威づけようと再び閉じて
いく気配がする。そもそも即位の儀式は
神との誓いのために行うもので秘儀だ。
古式に則ってと形と装束を真似てみても
そこに神は降りないだろう。

そして万歳三唱は神事には不適である。
なにも議論しないまま「閣議決定」で
事が進み、莫大な費用を使う。
誰かの懐が潤うのだろうが、事が神事
ならば、畏れを知らない愚というほかない。
思考停止してお手振りと作り笑顔を
賞賛するワイドショーを見ている人が
なんと多いことか・・、




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大雨の降る日に

2019-10-25 22:27:33 | Weblog


(夏のおだやかな日の川)

9月10月と関東と東北は台風の大雨で
甚大な被害を受けた。
大震災時の津波、放射能、今度は大雨と
川の氾濫、洪水だ。
家をまた失ったという人が何人もいて
言葉につまる。

母が病床からTVを見ながら深くため息を
ついて、どうしてかねえ、どうするかねえ
と独り言。長生きさせてもらって、何の役
にも立たん、と次は言う。
言葉をさがしても、間抜けなことしか思い
つかない。
いいの、たくさんやってきたから
母さんはいいの、
ありがたいだけでいいの、
と、また今日も言ってみる。

避難しようと声をかけた隣人に
おれはここでいい と言って1階で溺れた
おばあさんは100年近く生きてきた。
この30年は一人暮らしだった。
母も50歳で夫と死別してからもう45年、
近くに娘がいても一人で暮らしてきた。
母も多分、わたしはいい、と言うだろう。

おぶってでもいけなかったかと思ったり
するけれど、みな自分が逃げることに必死
だから他人に気がまわらない。
なんてこった、と胸の中でつぶやく。


雨が落ち着いてから、無事ですか?
という連絡を受け、無事ですと応える。
被害の大きさをニュースで知ってから、
無事ですというのが憚られる気持ちになる。
おかげさまで、とも何だか言えない。

東北は多くの人が3.11からの再出発
なのだから…またか、これはないだろうと
天を仰ぐ。
うなだれる。
だけど、うつむいていられないから
生き延びた者は黙って働く。
浸水1メートルから修理代が補助されて
99センチはどうなの?80センチ?
いや50センチでもダメなんだ、という話。
どれもみな、セシウム降下の汚染田んぼ
や牧場の話と似ていて、国は冷たい。


上の、黄色いバラは名前を忘れた…けど
ビニールハウスのおかげで、今年は春秋
二度咲いてくれた。
大雨のなか、しっかりと立っていた。
M君がスマホで撮って仕事で帰れない私に
送ってくれた。バラが心配だったから嬉し
かった。いや、バラも、心配だ。

東京は多摩川の氾濫と八王子あたりの被害
をニュース映像で見ながら翌日の約束が
多摩川近くだったことを思い憂鬱だった。
自分の都合がまず頭にあることの業。

交通機関が全て止まり、百貨店が閉まり
都心の人通りのない道は、雨風の音だけ。
早朝のまだ日射しを待っている前の静寂
とは違う灰色の静けさだった。

バラが無事なことも、家が無事なことも
ダムが溢れなかったことも。山が崩れて
こなかったことも。
ありがたかった、本当に。
この20年のあいだに通り道にある川が
氾濫し、なんども通行止めになった。
大きなブロックで護岸してあっても川の
勢いを知っているから心配だったのだ。


(四月、暖かくなった日の川)







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