知らないから、知るとおもしろい。
知らないから、知って喜べる。
知らなかったから、だから興味がわいて楽しい。
あるいは、知らないことで生きていられるという皮肉。
反対に
知らなかったら、恥ずかしい。
知らないから、できない。そう思う人もいるだろう。
または、知らないから犯した、しかし知は連続する。
間違いを犯したら終わり、ではない。
昔の人は「聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥」と教えた。
意味深いことを簡潔に言ってくれたものである。
知ることは楽しい、常々そう思ってきた。
余裕があるときの興味としての「知」を言っているのではない。
仕事上のことで何人かの弁護士とつきあいがあった。
彼らは物知りであるし、頭の回転が早く、嘘もつく。
言葉を武器に闘う職業なので言葉巧みはあたりまえだ。
しかし策士策に溺れる弁護士もいたし、詭弁が露呈してしまったときの
素顔はお粗末であったりした。
最初はおずおずと、しかし観察をおこたらずに彼らと接していた。
ある日、一人の弁護士を解任した。
解任通知を裁判所へ出すと、エラい弁護士はわたしをののしった。
私を誰だと思っている! と言うのであった。
だからあなたを解任した、とわたしは答えて丁寧に礼を述べた。
知った上での決断なのだ。
それからも、エラい弁護士に何人か会い、共に仕事をしたが、
その中には尊敬できる人はいなかった。
彼らはよく「知っている」が、足りないものがあった。
わたしが今もつきあいのある、仕事上は無論の事、私的にも心強く思う
職業、弁護士という人が二人いる。(二人もいる!)
経歴、キャリアがそれぞれまったく異なるが、共通しているのは
熱い人、知識を骨肉化し、血を通わせているのだ。
単に法曹の専門家ということでなく、人であった。
もう一つの共通点は大酒飲み、ふたりとも酒好きで酒に飲まれない。
ちなみにわたしは酒にめっぽう弱いので一緒に飲んだことはない。
彼らにわたしは本音を言い、彼らもまた正直で、嘘がなかった。
単なる物知りでも専門家でも法曹のエリートでもないのであった。
(弁護士の一人は知る人ぞ知る、偉いといえば偉いが‥)
死刑囚永山則夫の言葉「無知の涙」、これも文字通りに
受取ってはいけない言葉だ。
この涙は、知る喜びを含んでいるのだから。
知ることから、生きることは始まる。
知ることから、闘う勇気はわいてくる。
誰かに自慢するためでもなく、誰かに聞いてもらうためでもなく、
自らのために「知る」のである。
もしも「知」のよろこびがなければ、生きることはなんと味気ない
ことだろうか。
意識せずとも毎日が、新しい「知」にあふれ、それを無意識に享受し
感謝して生きてきた古代の人々は本当の意味でかしこいのではないか。
そういう思いで生きるならば、知らないことを知ったとき
今ここにいることを喜べるのではないだろうか。
苦しんでいる時に喜んでなどいられない、という声もあるかもしれない。
けれども、苦しいのはなぜだろう。
苦しみに深く沈む前に、まず智恵をさずかること、知ろうとすること、
それがあるではないか。
葛藤のとき、ぐるぐると渦巻き堂々巡りする脳みそに風穴をあけるのは
逃げ道を探すことでも言い訳でもなく、知ることなのだ。
(親分もいろいろ知っていますが、日々精進、日々楽し)
わたしは困難なときに、いつも新しい知と出会い、救われてきた。
死にたいとばかり考えていた若い日に、司法試験の浪人だったある女性が
「君、世の中は興味にあふれているよ、本をたくさん読みなさいよ」と
声をかけてくれた。その言葉はちょっと、いうなれば稲妻のように
わたしを刺し貫いた。
だからといってすぐに立ち直ったわけでもなかったけど、彼女の顔と声を
いくたびも思い出したのだった。
立ち直った後に、さらに大きな知との出会いが待っているのだとは、
その頃はなんの予感もなかったが、知の糸をたぐることだけは続けた。
人生はおもいもよらないもの、大きな知との出会いはその数年後であった。
知は、智であり、覚(ち)である。
初めのときは知、それが育っていき覚となったときの大きな喜びは
次の一歩を歩ませてくれる力となる。
知らないことは決して悪いことではない。
知らないは、知ることの可能性を秘めている。
「知っている何もかも」ならば、神サマになってしまう。
人は人、無知の自覚があれば、知るへ至るのだ。
ゆえに、無知のススメ。
(上の写真はねずみ師の門下生みんなで作った棟、冬景色もいいよ、
M君、S君、OBみんな忙しい仕事の合間を縫って寄っていきなせえ)