森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。
昨日、前日夕方からの雪が積もり
森庭は白くまばゆいばかりだった。
庭で写真を撮ろうと歩いていると‥
小川のS字曲線が好きで季節ごとに
定点撮影しているので、何度か同じ
場所で撮って、ふと顔をあげると、
数メートル先にいた。
タテガミがあまりに立派で、一瞬誰?
と思った。大きな豚鼻が正面にある。
そしてヤンキーが念入りに逆立てて
盛った例の髪型そっくりのが頭上に
あった。短足である。
イノシシにちがいないだろうが‥
かわいいというかおかしいというか。
ウリボウを連れた母イノシシがきた
のは前に書いたが、単独のタテガミ
ぼうぼうのイノ君は初めてだ。
そうだと気づいて笑ってる場合では
ないと後ずさりした。
しながら、ダメ! きちゃダメ!
と大きな声で言った。
するとイノ君はゆっくりとターンした。
少し先の木の根元で盛んにシイの実を
食べている。
一本、二本、三本、移動しながら
40分間、おひとりさまの食事をして
帰りはどこから出ていくのかと
見ていたら道路沿いの丸太を積んだ
垣根のすき間から出て行った。
そして道を下って行った。
走り方が小走りで、いまさらな感じ
がした。
なんだか嬉しい。
野生の生き物が近くにくるとその分
人間界からあちら側へと近寄ったような
気がするのである。
この山の入り口にはクマ注意の立て札が
あるし、少し離れた沢で山菜採りの村人
がクマに襲われたという話は聞いている
けれども、敷地内にはまだ現れていない。
生ゴミなどを外に置かないように気を
つけているが、ずっと犬の匂いがして
いたからかもしれない。
そろそろその匂いも薄まり、クマが
やってこないとも限らない。
この面々が私の顔をみるとなんかくれ〜
と揃って鳴くとけっこう大きな音量だ。
イノ君を観察している間も足元で鳴く
ので、イノ君は顔を上げて周囲を見る
ような動作をした。
なんだ、気のせいかというふうにまた
食べ始めた。猫は脅威にならない。
猫はいても、貂も逃げなかった。
秋から冬へ、すでに真冬になった。
下書きフォルダの中に置いていたら
子猫がずんずん育って、ふわふわの
赤ちゃんのかわいらしさがなくなり
やんちゃ盛りへと以降しつつある。
こんなだったのに…
この堂々たる背中…同一猫である。
催促の仕方も母親を真似て覚えてきた…
食欲旺盛。
気温が下がりオーバーコートが無く
ては歩けない頃になると、時刻表と
地図を眺め始める。
まだ行っていない場所、再び訪れたい
場所と、地図上で旅の予行演習。
遠いところほど真冬にでかけている。
国内外とも祭のあとの籠りの頃が
いい。
去年は事情あっておとなしくして
いたので、旅の虫が増殖中なのだ。
野良猫はいいがベイビーを預けて
行くのがいやで十年くらい旅程を
短くしていた。
もう身軽だから行きたいところへ
行けるはずだったが。
礼文島は悪天候で欠航し断念した。
花も咲いていないのに、なぜこんな
時に来たのかと案内してくれた知人
が呆れた。旅だからと言うと彼は、
そうか、そうだなとうなずいた。
(その時は大河と荒波を見ると
いうテーマだった。)
予測不能のことに出会うのが旅だね
と言うと気持ち元気ならね…と
返ってきた。
利尻富士を望む岬に立つのはお預け
になったまま、三年が経った。
先日、八ヶ岳へ行く用事があった。
標高は高いが、まだ冬の感じには
なっていなかった。で、そそくさと
帰ってきた。遊びで行ったわけでは
ないからあたりまえだが、行く前は
泊まってこようかなどと思っていた。
営業時間が冬仕様になる直前のホテル
やレストランにはまだ観光客の姿が
あった。
日暮れる時間は確かに早くなったが、
陽射しが中途半端に明るい。人の気
がまだ濃厚に漂っていた。
ひとりだと寂しくない? と聞く人
もいるが寂しくはない。
陽の翳った曇天の下、帽子や手袋、
身体をくるむコートで防寒して歩く
足取りはだいたい軽く、ずんずんと
行く。乗り物は遅い方がいい。
静寂と寂寥感に包まれる景色を
わびしいと思わなかった。
誰もいない公園のベンチに座ると
解放感が胸の底から湧いてきて
笑みが浮かぶ(唇は閉じて)
ひとりだという意識は旅先では
ないが、日常生活の中でふと
感じる方が多い。
ベイビーの量子的存在感が脇に
はりついていた時にはなかった
独り身の現実感を時とともに
味わうようになってきた。
あの満たされた感じを思い出し
不思議な気がする、犬と二人、
一つだった。
冬とは、騒々しく見苦しく、汗を
かきながらあくせくと駆け抜けた
日々を決済した後、汚れや残滓を
次の春に持ち越さないよう鎮め、
濾過し、新たな縁を待つ刻という。
備えの時だ。
猫はこたつで丸くなるというが
ほんとうは雪のなかをワシワシ
歩くのは嫌いではないらしい。
いつも秋に生まれて冬に育つ。
だんだん大きく逞しくなる。
おっかあと懐いてくれるわけでは
ないミルクが欲しいだけの猫たち。
量子的存在感は希薄だから、
気軽に留守にして冬旅に行こう。
元気を取り戻すとしよう。
ミルクを飲んでブルブルっとする
のでガラスはいつもこんなふう…
福島県の水環境センターは浜通り、
中通り、そして会津の猪苗代湖の
そばにも設けられた。
2地域にあって会津にもあった方が
いいから作ったという話だったが、
2016年に開所なので、3.11以降、
放射性物質の検査とその広報活動
が急務になったからであろう。
センターにあったデータによれば
セシウム134、137ともに不検出
となっていた。(限界値が記載されて
いないので詳細は不明)
同席した地元の方の話では、会津は
原発から100km離れている。
汚染されるわけがない、それなのに
福島というだけで避けられている、
というのだった。
そしてそっちは「心配ないべした」
と言われた。
東京のお台場や埼玉などに放射能汚染
スポットがあることは全く知られて
いなかった。このまえは東京有明の
タワーマンションに泊まってきた、
正倉院展に行ったら70人待ちだった、
と東京見物の自慢話を聞きながら
お互いさまなのだなと思う。
きちんと調べて広く伝えて対策を
講じるべきは行政の仕事だが、
原発事故後に放射性物質の検査を
熱心に取り組んできたのは民間有志
だった。それは今も変わらない。
行政はなかったことにし、安全だけ
アピールすることを優先課題として
きた。
事故直後から現在も変わらない。
自分の目的しか考えない観光客、
8年も過ぎたからというドライバー、
キャンピングカーで宿泊できる道の駅
猪苗代湖では地元産の食品が大人気で
売り上げ好調だという。
絶景をみて温泉に入り、おいしいものを
食べてという3拍子そろって会津はいいよ
来たらわかるべしたという話だった。
裏磐梯の湖沼を取り囲む雑木林が枯れ、
獣害も出て一時期はどうなることかと
案じられていたが、どう解決したのか。
本当に解決しているのか。
猪苗代湖の水の半分近くが裏磐梯の湖沼
から流れこむ長瀬川から入っている。
そして日橋川から会津盆地、阿賀野川へ
と流れ込む。
周辺の土地が湖でつながっている。
この水質が保たれることは安全の一つの
目安になる。
湖美来(みずみらい)クラブは
猪苗代湖と裏磐梯湖沼群の水環境保全
活動に取り組む団体を寄付金(会費)
から助成している。
猪苗代水環境センターに行った帰り道、
波打ちぎわを歩きたくなって天神浜へ
車を走らせた。
駐車場はガラ空き、浜辺には誰もいない。
裏返しにしてロープで結わえてある貸し
ボートが夏の賑わいを思い出させる。
オートキャンプや湖水浴客で賑わう時は
近寄らないが人気のない季節に行きたく
なる。冬空の日やまだ雪解け前の早春、
肌を刺すような風が吹いている頃だ。
ときおり小さな雪粒が混じる冷たい風
に吹かれながら砂の上を歩く。
水辺にいると気持ちが安まる。
山肌の斜面が迫るような威容の磐梯山も
すぐそばに見え、大きなものに抱かれて
頑なな私がほどけていく。
浜辺の松の木は、樹皮に張りついた雪が
融けないままだ。
もう夕刻になった。
今夜もまた雪まじりの風が吹きつける。
ここに立っている木。