想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

やろっこはちまき

2016-09-28 04:26:56 | Weblog
夏にすっかり乾いて心配していた
敷地の北側を縁取るように流れる
小川だが、続いた大雨のおかげで
水嵩が戻った。
雨は川底に落ちた枯れ草や枝を押し
流していった。

小川が延びた先の方で、水が溢れて
村道が冠水した。
道の下に土管が横切り、川はその先へ
続いているのだが、土砂で詰まって
しまった。
以前にも同じことがあったが、
その時の台風は村全体に甚大な
被害を及ぼし、橋が壊れてしまった。
だから冠水くらいで済んでよかった
とほっとしたのだった。

村のシルバー事業団のおじさんが
やってきて、なんとかしようと
していたのだが、いかんせん
スコップとホースと小さなポンプ
くらいの圧では山砂は流れない。

そこでカメ先生は放っておけず
マイユンボで出動された。
大きな鉄の手でちょちょっと土砂を
掻き出すと、土管の中は貫通し、
勢いよく流れが戻り、道路の水が
引いた。
おじさんたちも喜んだ。



ついでに転がってきた大きな
岩石を片付けたりしてカメ先生と
ユンボ君はよく働いた。

しかし作業は見ているより難儀で
ユンボには負担がかかったようで
キャタピラが傷んでしまった。
くくく…笑っているわけではない、
がっかりの方だよ。

こういう時、電話してすぐに来て
くれる村人(農機具販売業兼農家)
の親父さんと息子二人組が、
いやーやっちまったな、といい
新品で片方30万くらいだかんな
どうする、どうする、と迫る。

どうもこうも、やがて積雪の季節、
除雪機よりよほど役立つこれが
ないと、一歩たりとも進めないので
仕方が無いのである。
雪が降る前に直せてよかったない、
そうおっさんは言った。けんど、
おらは稲刈りがあっからよ、
こっちの都合でしか直せないぺ、
いいが。とニッコニッコして
言うのであった。



やろっこはちまき、だー。
ここいらじゃ、やろっこだ。
そう言ってナツハゼの実を
つまんで、うめえな、
知ってっか? やろっこ。
知らないよ、やろっこ。
ハチマキって何?
ほ〜ら、この実のぐるりに
筋が入ってるべ、これ、ほら。

ああ、それ、そういうこと?!
やろっこはちまき、ね。
へえええええええ。
という会話をして、おっさんは
帰っていった。
30万円は、やろっこはちまきで
しばし忘れた。


山暮らし20年も、中古ユンボの
おかげで、いや、カメせんせが
操作しないと動かないんであるが、
藪と木立の原野が庭に変わった。

やろっこを摘まみながら、ええなー
ここは来るたんび、良くなってくべ
夏は一番いいべ、だろ? と
おっさんに言われるまでもなく
何にも代えがたいどこにもない
美しい場所だと思う。

しかし、今ここで成る木の実は、
3.11以降は放射能測定所でベクレって
いないかを確認しないといけない。
だから去年まで食べていない。

おっさんは、なんの200年も生きる
わけじゃあるめ、かまわん。と言う…
笑って応じながら、かまわんかも
しらんが、ナツハゼちゃんは
元の体に戻りたいと思うよ、な、
心でつぶやきながら一粒食べた。
甘酸っぱい。



赤く色づいた落ち葉と、
雨に濡れて緑が栄える苔。
柔らかな土を踏んで歩きながら
少し、樹々の傷が癒えてきたのを
感じる。

人もまた、それならいいのだが
なかなか人は立ち直れない。
自然を傷つけた報いを背負って
善良な人の方がよけいに苦しむ。

5年、6年、7年、時は過ぎ、
人の罪が露わになっていくばかりだ。

はちまき、します。











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天、…。「天、共に在り」

2016-09-17 19:16:24 | 
(日射しをよけて縁の下で昼寝)

古伝の注釈をしていると「天」が
頻出する。
天抜きは邪道の話になる。

いえ、抜きって蕎麦屋は主抜きで
天が残る。まあ、その方がよほど
理にかなっている。悪事をするのは
人だけだから。

天はテン、アメと読み上を指す。
じゃあ上は何かとなる。
天ぷらなんてのは上じゃなく
アゲ、揚げ。
世間の階級意識でお上と解釈すると
天ではない。



お天道さま、おてんとさま。
これをお日様を指すと思うのは
近代の人で、天道は神の道のこと
である。神道というとまた近代で
解釈を変えているので神道でも
古神道の方だ。
森羅万象をつかさどり、諸々の
原初にあるはたらきといった方が
いいかもしれない。それを神と
名づけたものが神道。

つまり天の字は神を指すが、
天をそのままカミ(神)と訳すと
現代人のイメージする神では
ないので、ほんとにややこしい。
おまけに漢字とやまとことばの
壁が立ちはだかっている。

おてんとさまが見ているからね
悪いことしちゃいけんよ、と
昨今の親は言わないだろうし
爺婆も言わないだろうなあ、
なんてこったの世の中に
なってしまった。


(ただの草、じゃないよ
野草それぞれにヒトが名づけた
名がある…日当たりがいいので
色々集まって賑やかだわ)

「天、共に在り」中村哲 著。
ペシャワール会の中村医師の本
タイトルがとてもいい。
そして、これは中村医師の実感
だろう。それに敬服し感動する。
天と共に在り、そう思えるのは
困難を前に逃げず、誠実に生き
働いているからこそである。

数キロに渡る最初の用水路が通り
やがてそれが延長されていく課程を
描いたドキュメンタリーをETVで
観た。

水路の両側に植えた柳が風に靡き
乾いた土だった麦畑が緑で覆われ
広がっていた。
驚きとともに、人はこうして水を
得て土を耕し生きてきたのだと
いまさらながらに感動し、そして
古代の人を連想した。
人の暮らしの原点を知った気がした。
農業機械を使わず人力で耕し
羊を飼い、空を見上げ、土に伏し
そして祈る人々。

しかし相変わらず空には米軍機が
飛んでいく。悪は絶えず、だ。

古代憲法を日々調べていると、
人が天から遠ざかり、天を忘れ
ついには天を撃つようになる事
への戒めが、繰り返し繰り返し
説かれている。

今の時代はその戒めにある事が
眼前の事実として現実にあって
いやというほど意味は知らされる。

だから恐ろしさに身体が震える。
悔しさに歯ぎしりする。

しかし今は、その怒りが
原動力となっている。
悔しさもなかったら、わたしは
のほほんと勝手に、生き恥を
さらしているだけだろう。

中村医師は古伝でいえば
さしずめ賢人より上の至人だろうか。
なぜわざわざパキスタンに、
アフガンに、という問いが
愚問であることがわかる。

さて、先日の福岡地裁の判決に、
即刻控訴を表明した翁長知事の
言葉。あれは、おてんとさんからの
言葉だと思って聴いといた方が
身のためだぜ、と思うばかりだ。

鼻の先にぶら下がったニンジンや
積まれた毒饅頭が身体に悪いと
早晩気づいても遅い。
天高く馬肥ゆる秋、
心痩せしヒトは負け戦かな。


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古い歌を聴くと

2016-09-14 17:04:55 | Weblog
(混み合ってます、変顔…)

涼しくなってきました。



車の中でipodに入れた古い歌を
聴いているといろんな思い出が
過ぎっていく。
室内で聴くのとまた違った感慨。
なんだか急に聴きたくなったのだ。

吉田拓郎のアルバムを友達に借り
ビートルズのアルバムは断られ
借り損ない、友人が聴かなくなった
頃に巷の中古レコード屋で買って
聴いたのがじっくり聴いた最初。

あの友達はガッコの先生になって
校長先生になったと噂で聞くけど
やっぱなあという気もする。
拓郎を貸してくれたのは、実は
その子ではなく又貸しだった事を
後で知ったが、持ち主の子は
看護師さんになったがその後は
知らない。

拓郎の歌を大人になって聴くと
詩の重みに驚く。
中学生の頃、意味をどんな風に
思って聴いていたのかと思う。

来年、同窓会をするよと何度も
幹事役のS君が電話をくれる。
あいつ知らない?
と尋ねられてもほとんど知らず
役立たずなんだが、話を聞いて
いるうちに名前と顔が一致して
ぼんやりとだが思い出されてくる。
けれど、同時にその頃の自分に
戻るわけで、苦くてもの悲しい
気分になっちまった。
 
「永遠の嘘をついてくれ」は
中島みゆきが拓郎のために
書いた歌。
この歌を何回も繰り返し聴きながら
待っている方が自分なのか
嘘をつきながら帰らない方なのか
どちらも自分のような気もしたり
しながら、何回も聴いてしまう。

しかし、ほんとうの世界には
こんなやさしさのある友人関係は
ほぼ、無い。
だから、同窓会は集まりが悪く
S君は会場決めが難しいとぼやき、
ドタキャンするなよと念押しされた。

人の集まるところへ行くのは苦手で
仕事でも極力控えるくらなのに
なにを同窓会なんぞ行くわけない
じゃん、と言うはずだったが
また言い損ねてしまった。

Sには子どもの頃に借りがあり
それを返さねばならん、ヤツは
忘れてしまっているようで別に
いいのだろうが…
返したぜと言って、も一回借りて
くるかな。













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ファミレスですか

2016-09-04 12:28:02 | Weblog
昨晩は夜更けにパタパタうるさいから
見に行くと、ジョリパパが江戸ちゃんと
来ていた。
いや、江戸ちゃんは夕方から来ていて
ご飯食べてミルクをねだって遅めの晩
ごはんまで済んでいる。



誰かを誘って二度三度とご相伴に預かる
という江戸風のおねだりには子猫軍の
他、パパも動員されるのである。
ジョリパパは私の中の一番人気なので
効果絶大なんだが、いったい何時だと
思ってるの! と無視…

無視はできないのであーる。
ジョリはひと月ぶりに現れたのだし。
しかし、考えてみると(考えるほど
のことかよと思うが)彼らはここでは
ないどこか、たとえばすぐ先の別荘
にはほとんど家主が訪れないので
あの高床式になったテラスの下や
薪小屋などを陣取っているのかも
しれない、と想像するのだが。

とすると、この縁側は何だ?
ここはダイニングでもリビング
でもなく、ファミレスなんじゃないか
「あそこ行こ、行こ、ファミレス」
「きょう何食べよか、いつもの
アレだよ、アレがいいよ」
とミルクやかつお祭りを期待して
走ってくるのだろうか。

門扉から車を進入させていると
どこからともなく猫の声、
そして玄関前あたりでわたしを
追い越していき、縁側に座って
待っている。
それを喜び、待ってたんだね、
とか言ってるけど。

ファミレスが開いた、と思われて
いるかもしらん、と思いつつ、
まあファミレスならまだいいかと
思い直した。
ファミマと言われないのがせめて
もの救いである。



「ぷ〜ちゃんと猫は違うんだから」
「猫アレルギーがひどくなるよ」
とか、自分に言い聞かせつつ
猫缶とカリカリだけじゃ飽きるよ
なあとか余計なお世話が頭を
よぎるのである。

今朝遅くに縁側へ行くと、江戸が
一人でダランと寝ていた。
足音がしても起きないところを
みると、腹一杯らしい。
おめざのミルク〜と言われる前に
仕事部屋へ急いで戻った。

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憲法の美文にふるえる〜

2016-09-02 23:37:33 | Weblog
(親子なんですよ、あたい達)

毎日、お暑うございます。
森は台風一過、山桜の葉がぽつぽつ
色づき始めています。


(さ、お散歩いきまひょ)

先の参院選が自民勝利で終わり、改憲を
是が非でもやらねばならぬ的な論調を
メディアがそのまま垂れ流し、人々が
それを聞き慣れ、あ、そういうことね
と受け流してしまうようになるのが
一番恐いことなんだけど。
戦前は、そんなふうにして戦争へと
ひた走り、ぶっ壊れていったわけで
ありますが…。

もちろん、いつか来た道をまた歩もう
としているぞ、と警鐘を鳴らす人々も
いるけれどマスメディアには少ない。

愛読している日々の新聞の8/31号、
「米倉明さんのはなし」は憲法学者の
米倉氏の誰にでもわかるやさしい講座
である。要点を諄諄と説くように
話されていてとても役に立つ。
今号は9条について考えよう(5)
ご紹介したい。
日々の新聞は月2回


(へいわへいわ、ねこのみち〜)

9条は「軍隊不保持を定めている」
条文は「日本国民は正義と秩序を基調
とする国際平和を誠実に希求し、国権
の発動たる戦争と、武力による威嚇又
は武力の行使は、国際紛争を解決する
手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍
その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。」


米倉先生の話は、わが国が法治国家
であるという前提、そして解釈論の
意味、注意点が説かれています。

・絶対平和主義が現行憲法によって
許されている。
・9条の文理解釈からは軍隊不保持
他方、9条以外の憲法条文には軍隊
はまったく現れない。これは論理の
一貫性が見られる正しい条文。


そして、結論として
「以上みました論理解釈、比較法に
より、9条は名目目的のいかんを
問わず、軍隊不保持を定めている
ということになれば、わが憲法上、
徴兵制・志願兵制は認められるか
どうかを論ずることはナンセンス
になります。これらの両制度とも
軍隊保持を前提にしているのに、
軍隊保持が憲法上認められないと
なると、両制度について論じてみ
ても無駄に終わるからです。」

現在すでに憲法はなし崩しにされ
国会の多数決によって、条文の
言葉が無力化されていることも
講義からわかり(安保法制然り)
ひしと再認識されて焦りますねえ、
焦りますよおおお。

自民党改憲案をツイッターで紹介
している@kenpouhikaku さんのは
イラスト付き説明ですよ。
9条改憲を狡猾にオブラートに包み
その他の条文をずるずると変えたり
削除したりして、現行憲法を骨格
ごと破壊している自民党案。
これが通れば法治国家から独裁国家
へと堕落しますけんね。

つまるところ、憲法とは人の生き方が
公に定められるもの。だから、無関心
というわけにはいかないわけで、
(いやオイラはアナーキストだかんな、
と思ってる人も逃れられないねえ)
意識しない人も実は憲法の下に
安全が保障されているということ、
ありがたや〜なわけです。

しかしながら戦後、長く長く続く自民党
政権下では政府の違法行為と闘っている
人もいるわけです。
闘えるのは憲法があるから。
なかったら即、死か死んだように生きる
しかない。
金も力もない普通の平和に生きたい人
が闘うための武器は憲法です。

自民党案で全削除されている97条の
「基本的人権」が今なかったとしたら…
突然お上の命令で拘束されたり土地や
財産を没収され奪われたり仕事を失くし
たりが日常に起きても不思議ではなく
なるわけで…
今現に起きてるとこあるし…
それが我が身にふりかかるとなると
恐ろしい。想像できないなら高江へ
行くといい。福島浜通りの無人町を歩く
といい。
かつてあった生活ができなくなった
現実がそこにある。

97条「この憲法が日本国民に保障する
基本的人権は、人類の多年にわたる
自由獲得の努力の成果であって、これら
の権利は、過去幾多の試練に堪え、現在
及び将来の国民に対し、侵すことの
できない永久の権利として信託された
ものである。」

この素晴らしい文章の日本国憲法は
生きることの土台を支えるもので、
国民主権と同時に絶対に失くしては
ならないものなんだが。
うかうかしてて、北朝鮮みたいになる
としたらどうううう?
シリアみたいになるとしたら…


この秋は憲法のおべんきょ〜〜〜
あちきは日々、古代憲法漬けですが
これまた現行憲法並みに良いのです。
大昔の人は立派でした、と過去形なのが
悲しくもあり、それがあったこと自体
嬉しくもあり〜の複雑な心境で行ったり
来たり。だからこそ古代憲法の現代版、
現行憲法を過去形にして失くしたくないと
強く思うのであります。
皆さんと共に死守せねばと。







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