想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

亡国のシナリオ…?

2016-02-22 23:13:08 | Weblog

子育て成功した江戸ちゃん。
ようちえんもがっこも、縁側でした。

世界の教育水準が上がってくるのに比して
教育百年を標榜したかつての日本は
どこへやら‥…、でも百年ってつけて
喜ぶのは官僚や政治家であるわけで
百年安心年金、百年安心健康保険、も
風前の灯火となった今、ガッコまでも
犠牲になっておりますなあああああ。



金がかからないことを優先して進学や
就職をすると、往々にして後悔するが
いったん社会に出たあとに自力で克服
していく人は少ない。生涯にわたって
学歴も教育の質も尾を引くのである。

金がかかりすぎる高等教育は青少年の
未来を閉ざすという問題、まるで
後進国みたいな話がいまこの国の問題に
なっている、ティーンズソウルや
シールズに集まって若い子が騒いで
あたりまえである。
(彼らの目下のテーマは戦争反対だが)



馳文科省大臣は、岐阜大学が国歌斉唱
しないと決めたことを恥ずかしいと
のたもうたらしいが、大学授業料を値上げ
しないと経営できない教育制度を
なんとかしないほうが恥ずかしいのよ、
仕事、してくださいよと言いたいが
まあ、届かないこと雲の上~~。
馳大臣が言った言葉は「国立大学
として運営費交付金が投入されて
いる中であえてそういう表現を
することは、私の感覚からすると
ちょっと恥ずかしい」(朝日新聞)
だそうです。馳氏にはもっと感覚を
磨いていただきたい、な?

世界潮流としては、授業料免除である。
あたりまえだ、教育こそ国家経営の
礎となるとわかりきったこと。

日本は百年かけた礎を先の戦争で
焼け野原にして、五十年かけて復興
した戦後のインフラはコンクリート
が腐食して、おまけに大震災でガタが
きている。



ひさしぶりに更新するかと思えば
バアさんの繰り言みたいな話に
なっておりますが、すみませんねえ、
遅筆で予定が狂いまくっており、
キーボードをたたきすぎて、もう
手が指が勝手に動いてしまうのですよ、
あとで読み返すのが恐ろしいことに
なるのですよ~、でもたぶん
今書いたことはみんなが知っている
ことで、みんな共感することだと
思います。

株価暴落で、日本の年金原資が
金融マフィアがてぐすねひいて
待っているところへ洪水のように
送りこまれていくのでありますね、
彼らは上がっても下がっても損は
しないのですから。



日本人は国の根幹を喪失してもう
長いことたちます。
古伝を研究していて気づくのは
中東の砂漠の国で起きていることは
そのまま日本の未来、いやすぐ先の
ことではないかということ。

日本人の多くはどこかで自分たちは
必ず復活すると信じているのかも
しれないけれど、それは復活でも
再生でもなく、模造の国にすぎない
わけで、そこに住む者は、何者か?
国名は誰の何のためにあるのか、
もはや意味を喪失しています。
そこで国歌、君が代ってなんすか、
なんすか、と若いモンのように
拗ねてみたいですよ、おばちゃんも。

はて、日本って何なのでしょうか。
と問う本を、春が来る頃には書店へ
届けられればいいのですが…

追記のメモ:国家君が代とは何か。

「君が代は千代に八千代に微些砂石
磐世と成りて 苔の終まで」これは
人皇二十九代、欽明天皇の時代に
庶民が詠んだ歌。
いかにも、その時代ならありうる歌。

現在は、古今和歌集出典の歌で
元は「わが君は」と詠んだ木地師の
歌が、いつからか君が代に変わった
という説が流布している。
古今和歌集は平安時代の勅選和歌集
で、藤原摂関政治に牛耳られており
君が代もわが君もない、かような歌
を庶民が詠めるような時代でもない。
苔終(むす)まで続くと思われた
時代は遙か昔のこと。
そして、サムライを止めた明治時代、
欧州の真似をする政府が、林広守に
曲をつけさせ、明治二十三年に国歌と
公定した。
さて、なんのための国歌だったのか?
今ならわかりますね。
富国強兵、臣民一丸となりて陛下の
ためにはたらき、新国家建設、列強の
仲間入り作戦。

けれど、かような歌が庶民に詠まれた
時代があったという証としてなら、
この歌を心から歌いたい、懐かしんで。
ちなみに欽明天皇の時代に、庶民は
臣民などと呼ばれていない。
皇室にとって人々は「おおみたから」で
ありました。










コメント
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