想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

安寿と厨子王と猫と

2015-06-23 14:26:08 | Weblog

猫のゴロゴロ音は人間の脳みそに良き影響を
与えるという研究結果はよく知られている。
居るだけでじゅうぶんヒトサマにお役立ちである。
かわいい顔かわいい仕草。居るだけでいいとは
ヒトはなかなかそうはいかない。
猫はそのあまりある可愛さを武器にして横着になったり
はしないし仁義や礼節もあるわけで、猫は勝手気ままと
いうのはヒトの驕りからくる誤解のようである。

猫には猫の礼ってのがありまして…。

カメは人だけでなく(いや人よりもかもしらんが)
猫犬鳥獣一般に一目置かれていることは前にも書いたが。
つい先日、縁側のお皿のそばにシッポのようなものが見え、
もしやと思ったら、そうだったという話で…。
白い小さなねずみ。貢ぎ物はこれで三匹目。
これ、江戸からカメへの仁義である。
理由は歴然、ママの愛ゆえの溢れる思いだと察した。
直後に、江戸は赤ん坊をつれて来たから。
一つよろしく大勢ですが…、というご挨拶である。
しっかりしとるわ。

カリカリと缶詰に加え、猫用ミルクを奮発しても
惜しくはないと思うのである。

あちきには御礼はいらない。
カメにばっかりと僻んだりは決してしない。
じゃあこれで、と細長いオオモノでも運んでこられたら大変で
話に聞くだけでじゅうぶん嬉しい。
シッポつきコモノを正視することもできないのだから。



芝生はそもそも猫の運動場用にというカメの構想で植えた。
当時の愛猫シマコは赤ん坊を隠してなかなか連れてこず、
半年以上たってかなり大きくなってからぞろぞろ来るという
ことが多かった。だから運動場はもっぱら親猫が昼寝する
くらいで子猫が跳ね回る景色を眺めることはできずにいた。

変化したのは一年半くらい前からである。
生まれて一ヶ月くらいの歩き始めの子を江戸が連れてきた。
ようよう歩く脚を絡めならがじゃれあうのを見て、
やーやーやーと、ヒトは皆、遠巻きにして盛り上がった。
いまや、定番となりつつあるが…

江戸の子、江戸の子の子、と赤ん坊五匹、大ママとチイママ、
そしてチイママの姉妹たちと大所帯でしあわせそうだ。




増え続けると猫屋敷になりますよ~という来訪者の警告は
この地の自然の厳しさを知らないゆえのことで聞き流し
つつ、そうゆうことは想像しないことにしている。
彼女たちは野良である。自由猫である。
人ならばサバイバルだが猫にとってはそれがあるがままである。
そうはいっても姿を見なくなると心配して声など張り上げ
呼んでみる。

しばし待つともなしに庭をみていると、来た来た、
と安堵して、なんだいるじゃないの、となる。


(まみれてない、真っ白だね~)

朝から頭のストレッチでそらにころがっている本を
読む癖がある。
今朝は鴎外の文庫本(ちくま刊全集)を手にした。
これはこのところ漢詩づいて色々拾い読みしていた
からで、中にある「魚玄機」を読んだなごり。
しおりが挟んであるところを開いたら「山椒大夫」の
最後の頁であった。(次が魚玄機)

偶然にしても、山椒大夫を朝からとはいい日(私にとって)だ。
小学生低学年時か、安寿と厨子王の物語と
習ったけれど、今の子どもたちも同じだろうか?
人身売買の話あるいは仏教説話的だと括られているかも
しれないが、これは壮大なテーマがぎゅっと圧縮された
珠玉の物語だと思っている。

あらすじは旅に出た母と幼い姉弟が人攫いに合い、
母は佐渡へ、姉弟は丹後の分限者へ売られる。
月日は過ぎ、脱走を企てた姉は安寿が大事に持っていた
持仏を弟に託しその導きで弟厨子王は助かるのだが安寿は
入水して果てる。
逃げのびた厨子王は助けられ姉の悲願通りに母を探し出す、
というもの。

粟の鳥追いの女、盲目の婢となっていた母を偶然見つけた
厨子王の驚きの情景。
現れた厨子王に気づいた母はその目が開き「厨子王」と
叫んだ。鴎外が描いたこの場面は感動的だ。
厨子王のその時の姿、ボロをまとった母の姿が神々しい。
朝から清浄な気持ちになれる話なのであります。

読む前から実は「嗚呼」と思い、この最後が目に浮かび、
そのくらい強く記憶しているからか、不覚にも読んでもない
のに涙がにじんできた。
思いなおし、最初の頁から開いて読み、う~む、
これはやっぱり深い話だと思う。
人の世の塵芥善悪無常、現代に通じる人間の業が
つまっている。

旧事紀研究つながりで古典を読むが、鴎外は歴史ものを
多くてがけ、その中で歴史を超越したいとしてこれを
書いたらしい。超越とは科学的実証主義という束縛を
離れたいということだろう。
拘っていると、神々しさは見失う。
人間味もなくなる。
それは旧事紀も同じで、写本の年代や表記にだけ囚われて
いると、肝心の深奥にあるものになかなか触れることが
できないまま、周辺をうろつく始末となる。

頭のストレッチに鴎外の短編はぴったしであった。

江戸のママらしい写真、むりやり厨子王の母の愛に
つなげたわけでもないけど、よろぴく。












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故郷の土は誰のものか

2015-06-14 14:27:12 | Weblog
いろいろとびっくりした。
「帰りたいが還れない…」ことについての諸々。

火山噴火ではない。首長やら国会議員やら
バッジつけてる人たちのことだ。
まあ、その裏でいいスーツ着て実務やってる
高級官僚にもだ。いまさら~と言わないでほしい。
超弩級なんだから、毎日毎日、保守の国会ネタが
驚かしてくれる。


福島県内堀知事は2017年3月の、帰還困難区域を
除く避難指示解除へ向けての動き。
政府に対し環境整備の支援を求めた。
事業者向けの施策、自立支援を特別に
手厚くという内容のようだ。
自立自立と盛んに言っているが…
とうてい無理だとわかっていることを期限だけ
先に決めるというやり方は、廃炉作業と同じで
ある。賠償補償を打ち切るための期限設定と
勘ぐられても致し方ない決定だ。
(福島復興指針=12日に閣議決定されたもの)


2017年2月で打ち切られる地元への営業補償に
合わせ、3月から自立せよという一方的な話を
ごまかすために官主導でどんどん形式ばかり
決めていく。こうするんだろうなとは思っていた
けれど…、まったく予想通りじわりと住民の
財産を収奪していく方向へ進んでいる。


住民の数が激減した場所で商売が成り立つわけも
ないから廃業する事業主が多い。
子どものいる若い世帯は帰らず親世代だけしか
帰らないと税収は減る。支援に頼ることになる。
支援というが…、取引に使われるのは何だろうか。

汚染地域に高校作ったり野菜工場(大熊町)作ろうと
したり、とてつもないバカなことを思いつき、助成金を
つぎ込んでやっていく。
その野菜はどこで誰に消費させるのか。
放射能と同じように全国にうすーくばら撒かれるのか?
子どもはなるべく地元に縛りつけるのか?
相馬市の子どもの年間被爆量が1mSv以下だったという
発表は正しい測定か?


原発を作ると町が潤うという大昔の詐欺的手法が
くりかえされているようにしか映らない。


政府決定の方針には年間被ばく限界値の変更も含まれて
いる。原発事故後に変更されたが、再び変更する。
避難解除に合わせて、帰還しやすい数値に引き上げた。

現在20mSv
2017年4月から50mSvへ。
現在行われている除染基準は0.23μSv/hだが
変更されると、 5.7μSv/h が許容範囲になる。 

原発事故以前は1mSv/h。事故から7年後には50倍に
する。そんなことをする理由は何だろうか。
大丈夫だとお墨付きを出せるように、数値を動かした
ということだろう。詐欺師みたいな手法なんだが政府が
決めたことだ。


この数値は行政のあらゆることを左右していくから、
やっかいである。たとえば…
子どもの屋外活動の制限はなくなるだろう。
学校の教職員が自主的に判断するなど期待できない。
除染が必要だと住民に要求されても行政は応じなくていい
ことになった。帰還して安全に健康に暮らせると思う人は
少ないのではないだろうか。


憲法に定められた国民の生きる権利を政府に否定され
妨害され続けている。
避難解除、被災住宅問題、賠償保障問題、廃棄物処理
諸々、何も解決していないことが、国会の密室で決定
されていく。

再生エネルギー政策は後戻りさせ、原発電力をベース
ロード電源とするなどと愚策を堂々と展開する自民党、
民主党の仲間たち。
この悪と戦うには、おひとよしではいけないだろう。

善を知らないと、悪は正せない。これは昔昔から
たびたび書かれてきたあたりまえのこと。
それは、悪を悪だと気づき、断罪できないからだ。
目の前にあっても、悪と気づかない理由は善を知らない
からである。
自分を善人だと思い込んでいる阿呆。
わが身に痛みを感じて初めて驚き慌てても、遅い。

お上に頼る風土は江戸時代の圧政で盤石になったが、
仏教がそれを助長し悪人に利用されまくってきた事
は周知の事実だ。
けれど教団としての仏教ではなく、おのが身一つに
ある仏を信じた人は、善が何かは見抜けたのだった。


しゃくなげの花がようやく咲いて、花弁のしずくを
ジョリの子が舐めていた。
花ごと食べちゃうんじゃないかとハラハラした…
毎年咲いてくれるようになって、今年は虫のごちそう
になる前に拝むことができました。
福島は米どころというだけでなく花栽培農家も盛んで
したし、農家の庭先はいつも季節の花々で彩られて
それがあたりまえにある風景でした。

この花を、あなたへ。








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「家路」の人々、その後

2015-06-13 19:36:20 | Weblog
(子猫、ちょっと毛がしっかりしてきた)

小鳥のさえずりで目覚めた朝。
森庭では鶯が盛んに鳴いて、前頭葉が肥大したヒトの鈍感な
感性にも刺激を与えてくれる。
起きなさいと誘われた鶯の声に、そうなんだ、とにわかに
ひらめいた事があった。


映画「家路」は忘れがたく、胸に刺さっていた。
それを数日前にビデオで再び観ていた。
そして、一周遅れで手にした日々の新聞を一昨日開いた。
そこには《秋元さんちの田んぼ》が特集されていた。

映画のエンドロールに秋元美誉(よしたか)さんの名前が
あったのは覚えていた。
秋元さんは農業指導その他諸々を担っただけでなく撮影に
大きく貢献した方だった。
この映画は秋元さんの「生きざまと重なった映画」である
と新聞の記事は伝え、これまでの五年と現在の暮らしぶり
について聞いていた。

脳裏に焼きついているのは、主人公役の松山ケンイチと
その母親役の田中裕子が田植えをするラストシーンだ。
映画の舞台は原発事故によって避難区域に指定された地域、
人が住んではいけないとされた警戒区域である。

秋元さんは警察や役場に退避を促されたが、屋内退避区域
であることを盾にして断った。
六頭の牛と仔牛に餌と水をやりに毎日川内村の家へ通った。
そして一か月ほどして奥さんと母上も一緒に家へ戻った。

秋元さんの稲作は有機農法である。
化学肥料から有機農業へ転換するのは容易なことではない。
田んぼの命は土なのだが、化学肥料で硬化した田んぼに自然
のめぐりを取り戻すのに数年かかる。
その間、雑草や害虫との闘わねばならないし、地続きの
周辺農家は化学肥料を使っていれば軋轢も当然ある。

秋元さんは独学で学びアイガモ農法を選択した。
収穫量が減っても続けた。その苦労がようやく実ってきて
今年こそはと期待したのが2011年の春のことだった。
放射能が降り注ぎ、秋元さんの田んぼのある地域も
作付禁止になった。

けれども秋元さんは作った。
制限を受けながら、米を作ることをやめなかった。
止めずにいたからわかることがあった。
試験的に作った田んぼを秋に稲刈りをして調べると
放射能は不検出(検出限界値以下)であった。



役人が禁止することに抗うことができる人は少ない。
ダメだと言われたら従うしかない、たいていの人が
そう思い、しぶしぶと諦め、未練をどこへ持っていけば
いいのかわからないままに立ち止まってしまう。
秋元さんはそれをしなかったのだった。
映画の主人公二郎もまたそういう人間であったが…。

二郎は農村から一度は逃げ出し、そして望郷の念断ち難く、
人が誰もいなくなった故郷へ帰ってきたのだ。
もちろん咎められる。けれどこっそりと苗代をつくり、
雑草が生い茂り荒れ放題の田をひとり人力で起し、
水を引きこみ、田植えをするまでこぎつける。

映画には、突然あわただしく故郷を捨てていかねば
ならなかった人々の暮らしがいくつか描かれているが
受け入れがたい現実に納得している人など一人もいない。
なにごともなくあたりまえに日が昇り、光と風と水と
先祖代々育んできた土があった。それが人生の土台で
あったことなどふだん考えもせず、都会に憧れたりも
しただろう。けれど、考える間もなくそれを奪われて
誰が奪ったのかも、誰に怒ればいいのかもあいまいに
待たされ続ける日々だ。

自死する人も描かれた。
実際に映画ではなく、実際に絶望の果てに納屋に書き置き
をして死んだ人のニュースがあったことを覚えているだろうか。

今なお自宅を失い仮設住宅や借り上げ住宅にいる人は
たくさんいる。
県外に避難したまま、けれども住民票を残したままの人も。
未来を描けないままの人生は、補償金だけで解決できる
はずもないのに、復興の文字ばかり前面に押し出されている。
復興はありがたいと心からいえる「復興」がそこにあれば
それに越したことはない話だが。
 
放射能汚染の土は剥がしても、もともと山に囲まれた土地
が多いのだから山の木々を撫でて吹き寄せてくる風、また
廃炉工事中の原発からたちのぼる不気味な蒸気や雲、粉塵
への疑念と不安は拭い去れない。
農民の田んぼだけではなく海も住宅地も暮らしていける
ようには戻らないまま、国の原子力政策は何事もなかった
かのように再び安全安心と繰り返している。
日々の新聞の一面はK排水路の問題であった。




朝の覚めやらぬ頭に鶯の声が響いたとき、あの主人公の
母親が田植えをする姿が脳裏に浮かんだ。
その時、人が生きることの条件がひとつづきの絵のように
わっと私の中に像を結んでいた。

自然の恵みというのは、人が作り出せないから恵みである。
恵みの中から、より宝物になるものを人は選びだしタカラを
我が宝とするのではなくタカラを大きく育てることを知った。
そして大きくなったタカラを喜び、喜びを天へ向けて感謝し
お天道様を忘れずに生きてきたわけだ。
百姓は、その昔、タカラから知恵を得て、その智慧を伝播
させていく役割であった。百の知恵が百の仕事を生んだ。

時とともに人が増え、知恵は売り買いされるようになり、
タカラを独り占めにする者も出てきた。
だが、お天道様が一番であることをわすれない人々もいた。
子々孫々、努力が無駄になることもあったが大事なタカラの
ことだけは伝え続けてきた。言葉でもしきたりでもなく
おじいさんおばあさんの知恵として。

土に触っていればいい。
土に触れないと、病気になる。
水は山から引いた水、土を掘って汲みあげた水がいい。
水道水は便利だと思ったが、病気になってしまった。
う~んと背をそらし、大きく胸を広げて息を吸う。
毎日、外へ出て風にあたり、雨にあたり、したい。

金を貰っても、土はない。
境界線を引かれて、景色が消えた。
そこでどうやって生きればいいのか、知らない。
わたしの身体はお天道様からいただいたから、
それ以外のことは知らないのだと、惚けていく母親が
訴えていた。

古道では、日本には言挙げしないという伝統があるという。
しないのではなく、しなくてもよかったからだということを
忘れ果てて、何もいわずにいたら放射能は降ってきた。
後悔と遺恨。

秋元さんの作った米は美味しいそうだ。
米がまったく作れなくなった人からすれば腹立たしい話
かもしれない。不幸中の幸いだと皮肉をいうかもしれない。

けれど、僻ごとを言うより、人がどう生きればいいかを
思い出すほうがいい。
なんとかやりようも見つかるのではないか。
目先の交渉だけでなく、今度こそ日本人のタカラを
胸に思い出し、出直すときだ。
福島の人も黙ってばかりはいなくなった。

米を買うだけの人(私もだが)も、米だけでなく、
命の糧がどういう廻りで我が元へ辿りつくのか、
銭金でどうにかするという方法以外のことも知っては
どうだろうか。子どもたちに教えてはどうだろうか。



お天道さまと古来から日本人が拝んできたのは
天神のことではなく地神であった。

人は地神の内にあって、渡り鳥のようではなく、地に
根ざした来し方をしてきた。
恵みをタカラとする智慧を天神に授かり、知ったからだ。
誰に教わらずともそのことを感じられた時代はとうの昔に
終わっている。
けれど、言挙げしなくても、行いによってそれをたぐり
よせることができる。ではどういう行いか。
それは内なる神が教えてくれる。


福島の困難は福島の人だけの問題ではなく、思えば
息が詰まりそうだが、かわいらしい声でさえずって
いた鶯だって安全無事というわけではないだろう。
福島で採取したツバメの巣(藁)からは高濃度の
放射能が検出されている。(ちなみに山形は不検出)
それでも夏を喜んで思い切りさえずる野鳥たちに
うなだれてばかりいては、申し訳が立たない。

森には金になりそうなものは何もない。
けれども生きていることを感じられる。
それがなによりもタカラである。








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わたしの赤ちゃん

2015-06-04 02:26:22 | Weblog
ジョリの子がママになりました。
可愛いシッポが三つ並んでるの、見えますでしょうか。
ママもいい顔をしています。
「わたしの赤ちゃん」自慢している…。

ジョリの子は雪解けの頃までデカイ図体して江戸ママの
お腹の下に潜り込んで甘えてました…。
江戸ちゃんが子育て中と先日書いたところでしたが、
こんなことが起きていようとはつゆ知らず…



無防備にもちいちゃい面々が現れました。
こんなに小さい時に連れてきたのは初めて、ジョリは初産で
なんか勘違いしたのか、それともカメを頼りきっているのか
他の誰でもなくカメがいるときにやってきました。

江戸の赤ちゃんがやってきたときもそうだったけど、
ふわふわした産毛の残ったちいちゃな子たち、どうして
この前わたしがいたときには出てこなかったのかー(残念)



ジョリがガラス戸を叩いてミルクくれと甘えてくるので抱っこ
した時、お腹が丸見えでおっぱいがよく見えて、あら?っと
思ったことは思ったけど、気のせいか太ったのか、食べ過ぎ
じゃないのおまえ、と軽く流したのが先週のことでした。
まったく気づきませんでした。
ミーミーと声がしたのは江戸ちゃんの赤ん坊だと思ったし。

カメが道場で研修が終わってやってくると犬小屋の中から
何か白いものが見え隠れしているので気にしていると
出てきたそうでした。

ジョリの兄弟のチャップリン髭みたいな模様があって
チャプと呼ばれている雄が縁側の近くで見張っていて、
写真を撮ろうとしたカメに向かってハーッと威嚇したのが
可笑しかったんだそうです。
   
   (チャプです)

目に浮かびます。妹の子の子守してる兄ちゃんってとこ、
猫家族の暮らしが想像を超えていて、いろいろと興味深いです。
大家族になってきましたが、譲り合うんですね。



動き回るので携帯で撮るのは実はとても骨が折れるのですが
このふわふわの時期はこのときでなければ見られないわけで
貴重なショットを撮っていただきました。




猫アレルギーなのも忘れさせる魔女パワーで、江戸ファミリー
の思うつぼ、芝生も犬小屋も縁側のお立ち台も親分のために
作ったのだけれど、ちゃっかり占拠してくれてます。
和むことのこのうえなし。

手鞠遊びに興じた良寛さま…


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