想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

光と陰、夕暮れまで少し

2010-05-31 11:25:18 | Weblog
冬が長い土地にいると、陽が長くなったことや日没の時間、月の出にとても敏感になった。
太陽が沈んでしまうと、地面を照らして明かりをくれるのは月だけである。
新月の夜、闇から始まり日を追って月は太り煌煌と照る光も冴えてくる。
人の気持ちもそれにつれ、なにやら勢いを増していくようだ。

デジタル一眼レフカメラ、写真データがフィルムなら巻ききって取り出すけれど、
それをしないからカメラを置き忘れたら困るんだなあ。

これからしばらく、カメラを取りに行くまでストックした写真しかない。
だからほぼ、無いと言っておいたほうがいいかんじで、ごめんなさいです。
新緑の、とてもいい季節を撮ったのだけど、こんなボンヤリをやってしまう。
なんか喉奥にひっかかった感じであったけど、車を降りてバッグを運び出してから
気づいた。一個足りない、カメラバッグだ!

ま、置いた場所がわかっているので心配はないけど、ブログ用に撮ったのでちょっと
がっかりしたなあ。
気ままに撮って勝手な思いを素で書こうと始めたブログだからどうでもいいような
ものだけど、写真を楽しんでくださる方がいるとわかっているので申し訳ない。
申し訳ないついでといっちゃあなんだが(難だ!)しばらく文章だけのクルシイ日々を
お楽しみいただくか、とか今考え中‥‥。

実は文章は他で立て込み中なのでここんとこブログで書く量を減らしていたりして、
なんだか、いろいろとあれこれと起きるなあ、人生だなあ‥‥。
脳みそがお疲れちゃんです、たぶん。

そんなときは、深呼吸。

新月の夜に願い事をすると叶うというのは占星術、天文占いで言われるけど、
月夜見尊は恵み育くむハタラキなので、あらためて新月パワーとか言われてもなあ‥。
あったりまえじゃん、ていうかなあ。願い事をするより、おのが身を正す日ですな。
パワーパワーといってなんでも頼ったり欲しがるその気持ち、別なハタラキも
同時に引き寄せてしまうことをなんちゃって占星術では言わないんだろうなあ。
片方だけ都合良くなるということはないのである。
陽があれば、陰があることを忘れないように。
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たんぽぽ撲滅作戦

2010-05-29 12:17:54 | Weblog

すごい勢いでテリトリーを拡大する西洋タンポポ軍団を地味に
根こそぎ取っていく作業、草むしりより大変である。



戦場ヶ原で外来植物のナントカを根こそぎ取る作戦を地味に
展開して成果があったというニュースをみて、やはりそうか
とあきらめて、地味地味根気必要撲滅作戦をはじめている。
夏のあいだじゅう、これ、続きそうな気がする。
はじめる先から負けている、気持ち的に。

春先に黄色がパッと咲く。なんにもない枯野に黄色が緑の葉と
ともに開いてくるのは明るい気持ちを誘う。
最初の2,3年はそんなふうにうれしさがあったのだが。
昨年あたりからヤバイかも…と気づいたのである。
遅かったなあ。

きっと来年も黄色がいっぱいになるんだろうなあ。
よって、一応春になったら「タンポポタンポポ」と喜んだ後、
作戦に着手しよう。憎き相手と思って眺めると春が台無しに
なるからな、余裕余裕、気のもちようである。
はい、咲きましたね、でも根こそぎ行きますよ、ごめんなさいよ。
とかいいながらやることにしよう。
そんなこと今から考えつつ、綿が飛んですごい風景になっている庭で
気をとりなおすのであった。ある種、妄想、現状逃避である。

バラの根元なんかに侵入しやがって…とか思うのがよくない。
はい、さようなら~と言って涼しい顔して根こそぎ、の方が
たぶん疲れないと思う。(先に負けている証拠である)
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雨の庭

2010-05-27 10:10:53 | Weblog
緑の洪水‥一日じゅう降りつづく雨に濡れ、濃い緑へ。



つつじが終われば夏の準備、梅雨とも夏雨ともつかぬ雨の季節がやってくる。
ここはとにかく雨に降られ、風が通りぬける森の谷間だ。
今年は、まだ若い木を雨風から守るのが仕事(カメが、ですけど)。

         

新参の山法師はたくさんのつぼみをつけていたが、元からいたほうの木が
元気がない。どちらも咲いてほしいのだけど‥新しい方ばかり贔屓にはしませんよ。
だいじょうぶかい?と聞いてまわる(だけのうさこ)。

久々に訪れた人が、冬の枯れた風景からあまりにも様変わりしているので驚く。
これが森の暮らしってもんよ。
でも、人はほぼ変わってません‥‥、進退いずれも無し‥‥みたいな‥ですよ。

雨の日には、また兎の子が遊びにくるかもしれないなあ、待っているよ。

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ゴルドベルク変奏曲・グールド55年モノラル版

2010-05-26 10:26:46 | Weblog
眠れない夜に、目覚めの悪い朝に、何を聴いても自分を取り戻せないときに、
この一枚を取り出してかけます。
最初の数秒、ピアノの澄みきった音色とともに、わたしは起きだすことができるから。

ベイビーの調子が悪いので、とたんに気鬱になったのでした。 
一週間前から見当たらないと気にしていたスカーフ(たかがスカーフだけどさ)が
やっとクローゼットの奥にひっかかっていたとわかって夕べは苦笑いしてたんだけど。
今朝のウンチを見て、ベイビーの顔を見て、うーん、どうしてなんだろうね‥と脱力。

これが続くともっと力がなくなっていくから、ブラッシングをしたあとベイビーの
痛い痛いの場所にそっと手をあてておまじないをしました。
犬だってわかるんである。ベイビーは身をもたせかけて、じっとまるまって腕の中。
ほんの数分。
ベイビーはガバッと立ち上がって水飲みに行きました。

うさこは自分とベイビーのためにグールドを聴こうと思い立ち、迷わずこの一枚を
手にとりかけました。
少し、気持ちが落ち着いて、ざわざわとしたものが去っていきます。
ベイビーは今、グーグーを寝息を立て始めました。

神さまの調べが降りてきて人の指先に乗っているような気がします。
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グラン・トリノ

2010-05-25 00:11:03 | Weblog
こんにちは、ぼくです。
とか言いそうな、ごきげんな顔であるが、彼は70歳すぎた爺さんだ。



爺さんも「こんにちは、ぼくです」でけっこういいんじゃないか、いっちゃあおかしい
ってほうはないだろ?

しかしこののち、疲労が足にきて一歩も外に出てこない。
はりきって走りすぎた。

アンチエイジングと表記されたサプリメント、化粧品は売れに売れる。年齢に抗いたい
気持ちはビジネスになる。
一方で、歳に抗わず、自然にと言い、「健康ならいい」と言う人もいたりして。

健康って、別にからだが丈夫で病気しないというわけじゃない。
美しいというのは、健康のベース。美しくないなら本当の健康は得られない。
美の意味、ビではなく、ヨイということ。
爺さんがぼくと言って似合う時、彼が美しいから、なんですねー。
実際は言わないけどね、ワタシ、っていうだろうなあ男も女も。

じき、みんな歳をとって爺さん婆さんになる。
美しく、かっこよく、賢く、若いもんに媚びたりしない老人になる。

ところで、クリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」は何度観ても胸に沁みる。
若いやつらがみんな愚かで腐ってて、古いものが若々しい。すてきで悲しい。
湖に沿った道路を走るグラン・トリノの流線型の完璧なスタイルと、バックに流れる歌声。
枯れた声はクリント・イーストウッドのものとすぐにわかる。
深い水底をくぐった、たましいをそっと撫でるような声、他にはいないから。

知っている若造と話をしたときのこと、ザンネンすぎる会話。
「グラン・トリノ、良かったですよ、見ましたか?」
「見たよ、見たの? どうだった?」
「いやー、最後に仲直りするとこ、よかったです」
「そんなシーンあったっけ?」
「年寄りと若者が仲良くなるじゃないですか、いい話ですよね」
「おばかさんだねえ、君。アメリカ現代史を学んでからもいちど見なさい」
「えー、歴史関係ないでしょ。それにボク、世界史取ってたんですけど一応」
「うーん、わかんないか。でも仲直りしない話だぜ、アレ」
「‥‥そうでしたか?」
バカすぎる若者と話をしても何の益もない。益など求めていないのにさらにカスカスな気分。
カスカスが過ぎると、懐に右手を入れてみたくなる。

生は死にあり、単純かつ複雑な主題。






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待たせたな、と咲きました

2010-05-22 13:57:04 | Weblog
昨春、宮司さんにたくさんいただいたうちの一本、やまぶき。
去年やってきたときよりもたくさんの花をつけた。
ここに落ち着いたんだね。



玄関前にシンボルツリーとしておおでまりが植えてある写真を
ネットで見て、あまりに素敵だったのでさっそく苗木を買って
まねっこして植えました! でもぜーんぜん育たずがっかり…。



花がつかずなかなか葉も増えず無理かなと心配していた。
去年ほんの少し花がついたので、もう少し待ってみようと思っていた。
まだ細い幹だけど、ぼんぼりみたいな花をつけて撓んでいる。
シンボルツリーにはまだ遠い道のりなので、その役目は庭中央の山法師に
譲るとして。

山つつじの淡い赤。
清楚の白。欲張ったわけじゃないんだけど、四方八方咲いている。
ありがとうありがとうありがとう。



隣の別荘におすそ分けした西洋しゃくなげも見事に咲いて主を喜ばせている。
通販で「木登りセット」を買ったという話もついでに聞いた。
笑える。木と遊んで気を養うんだな。

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変なジジイ現る

2010-05-21 15:47:31 | Weblog

4、5日で緑濃くなった森。
桜が終わった庭にはつつじが咲き乱れている。




花や木々、草や野鳥は物言わず安らぎをくれる。
いい気持ちで歩いていたら…闖入者。



大声でわめきちらすジジイが現われた。大きなレンズをつけた
カメラと背中にはリュック。軽乗用車を敷地前へ止めたので何か
用事かとたずねた。

鳥を撮りにきたのさと言い、カメラをわたしの方へ向けた。
おまえを撮ってバラマクぞ、とか言っている。
声がひび割れて、痩せて小さな身体を揺すって、怒っている。

ま、尋常ではないと見て、即刻110番した。
やがてパトカーがやってきて、その後ろから単車組の警官も
追っかけやってきて、逃げたジジイを追った。
車を川淵に止め川を挟んだ向こう岸へ渡ったジジイに警官が
呼びかけると、俺は何十年も前からここらへんは知ってんだぞ、
家なんか建てやがって邪魔スンナ、道に立ってて何が悪い、
警察が何の用だと噛み付いたらしい。

警官は、あのー川の水が深くて渡れないですよ、車のナンバー
控えたから人物は特定しました、ちょっとオカシイかとは思います
けど、ま、また何かあったら電話くださいと言うのであった。
ご苦労さまでした、と返すしかない。大人数でやってきてね…。

鳥を観に来ただけと言いつつ喚いていたジジイ、警官より怖い
もんがあるのを知らないなあ。
森の精に叱られるよ、ここで毒気を撒き散らすと…、
天罰下るけんね。
庭の草むしりをしながら、うさこはカメに言ってやろと思ったので
あった。



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生活とロマン

2010-05-20 19:02:54 | Weblog
採集生活の前にあこがれの、とつけたわたくしであるから、実際には
採集生活はしていない、というかできていない。
だから、憧れである。

ぜんまいか、わらびか、わからんと書いたので、それは食べない種類と
ご指摘いただいたりしている。危機一髪である。
上の写真、おいしそうに見えるでしょう? 少量だけど美味しそうでしょ?

タラの芽は裏山への道にある木から急ぎ取ったもので、翌日山菜取りの
里人が同じ道を急ぎ上っていくのをフフンと鼻歌で見送りいい気分だった。
逆のがっかり気分を昨年味わったので、今年は多いに満足である。

しかし、この少量のタラの芽の10倍くらい、箱いっぱいがカメの事務所へ
届いたものを分けていただき、すでにたらふく食べた後ということも満足、
余裕の理由である。
なのに、採集生活とか言って何かと口に入るものはないかと採ってみようと
するわたくしは、これは何だ? 卑しいのか? 
それとも、ロマンか?

腹いっぱいでロマンとか言うやからを、いつも蔑んでいるわたくしである。
卑しいのほうを選んでおいたほうが無難かもしれん、でもロマンと思いたい
気がないではない。むむむむ、むずかしいなあ。

カメは多くの人の生きる上でのもろもろの相談ごとを聞いてくださるが、
カメがほんとうに聞き、また語り合いたいとのは、宇宙の☆や月や命の
神秘のことである。命の神秘はしらんどうでもええが、腹が減っては困る、
金がなくてはどうすべえという話ばかりだとつまらんだろうなあ。
実利とはかけはなれすぎている気がするロマン、でもお掃除ロボット
だって火星探査のロボットから生まれたんだから、ロマンなくして便利も
ないんだもんな。

やっぱ、採集趣味はロマンです、はい。落ち着きました(単純)、すっきりした。
ではまた。

ps:シマコ姫は赤ちゃん産んだ模様、おなかスリムになって現れました。
どこに隠してるか、まだ不明です。カメは赤ん坊を連れてきていいぞーと
シマコにやさしい声で言い聞かせてましたなあ。
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あわあわと芽吹き

2010-05-18 09:02:29 | Weblog
森ぜんたいが淡い薄緑色。山桜の薄桃色があちこちに混じって明るさを増す。
こんな景色、あったんだなあと見渡しながら歩く。
忙しく通りすぎて季節の大きな節目しか感じなくなっていて、細かな変化に気づかない。



見落としていることはたくさんあって、知らないことが知らないままに
そっと過ぎていくので気づかないのであった。
1メートルほどに育った苗木に、あんた誰? と聞いてみたりして
鳥が食べて落ちた種が根付いて育っているのにも、人の手など借りたりしていない。
みんな気づかれないまま、そっとそれぞれを生きている。

知らなかったのはわたしのほうである。
森にいると小さくなれて、気持ちがいい。
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曇っているのは鏡か、心か。

2010-05-17 23:52:50 | Weblog
処世術から生じてくる言葉は脳みそのはたらきである。
気持ちがそのまま言葉になるのが心のはたらきである。
ここんとこがよく「わかんなーい」人はざっくりとした話しかしない。

情緒がないなあ、しみじみ。
都合だけ思ってオシマイ、はい出来上がり?
それでなにがいいんだろうか。
なにがありがたいんだろうか。
ありがとうございます、お辞儀ばっかりしてる人。
「おじぎいっちょう、ナシつけた」と歌った人がいた。




心が痛いととからだが傷む。
他人の心はどうでもいい、まず自分のこころがわからないといけない。
でも他人ばかり気にしているから自分のことは棚上げだ。
棚上げだから埃まみれ、カビが生えてるんだけど気にしない。
見えないからである。

気になる他者に自分が映る。
外界でいろいろ不都合やらラッキーやら起きる。ほぼぜんぶ映っている。
そこに映ったことをどう解釈するか。
つまりどう見えているかで自分の正しさ加減を判断する。
安心が大事、だいじょうぶかどうか、判断基準はとりあえずそれのみ‥。
結果さえ見ようとしない思い込み。リスクマネジメント無し。めくらへびおじず。
「に」省いたほうがぴったりだ。



不満ばかり抱いているほうがまだましかもしれん。
まだ欠けたものを探すという未来の余白がある分、幸せなんじゃないかなあ。

こころはごはんをたべません、からだはごはんがひつようで、ごはんを食べます。
くるしくなるほど食べたりしますと、こころを意識できなくなります。
あとで、あとで、と言いながら楽々寝てしまい、もう考えません。
おなかがいっぱいで、かみさまから遠のいています。
こころはかみさまへの入り口、いまちゃんと開いているか? 
そうカメが講演で話していた声が、リフレインしている今夜。

わかっていることが、なかなか出来ない。人間って賢き生きものではないことは
知っているけど、なあ、しみじみ、さみしいことよなあ。
な、親分。君はいっつもおんなじだねえ、まっすぐに生きるしかないという姿。
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花びら舞う昼下がり

2010-05-16 15:11:10 | Weblog

昨日は気温が上がらず風が冷たかった。
花はゆっくりと開き、まだあちこちでいい眺めだ。
そして今日はやっとあたたかな春らしい陽が射し、やわらかな風が
吹き抜ける。
カメラを構えると風は止む。花吹雪の風情、残すのはあきらめて
ゆったりと眺めるだけでよしとしよう。

でも近くでバタバタしているのがいるな…。


だーれだ?


はい、着地! オイラだよん。
先週木曜日の診察で、このまま様子見ですねとドクターに言われた。
なんだか喜ばしい気持ちになったんだが、ベイビーはヒトの話を
理解したのか、いやはや活発すぎてドクターに「君って大げさ君だねえ」と
あきれた顔をされたが大げさなんじゃなくて、大ぶりなんです、元々。
ほそーく、ながーく、しずかーに(ではなく騒々しいが)生きててくれ。

先日用事で会った知人から聞いた変な話。
「存在感が薄れたね、きてた事に気づかなかった」とあなたに言われた
って喜んでましたねえ、彼女。すごくうれしそうにそう言ってた。
謙虚になったんだわとか言ってたなあ、それ言う?自分で。ね?

?…。

ハハーンと気づいて、ああそういうことあったなあと思い出した。
そして思い違いされていることに気づいて言った。
「だって彼女、絶対的に気にならないことがないって感じでしょ、
はっきり言って目障りなくらいでしょ、だから居たのにびっくり
したわけ。ぜんぜん気づかなかったから。で、ついそういうこと
言ってしまったんだけど。
でもそんくらいでフツー、平均ってことかなあ。あたりまえかも。
だけど話のとりかた、解釈がやっぱ彼女らしいねえ、自分のいい
ようにしか取らないもんね、メゲナイんだよねー常に。
その辺がやっぱスゲーっ、バリバリだぜって感じィー?
ちっとも薄くないよねー、ブアツイぜって感じ?」

二人でガハハハハと笑って、じゃあねと別れたけど、知人の背中が
やたら薄くはかなげに見えたのであった。
隅っこでもいいから、元気でいてほしいなあ、ずっと。
そんで、いつか花見に来てヘラヘラ笑っててほしいなあ。




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物語を観る力

2010-05-14 09:05:53 | 
つい先日のこと、知人と話しているうちに伊丹十三のことが話題になった。
トウキョウソナタの監督、黒沢清の話から伊丹十三に飛んだのだったが、
それはあまりいい飛び方ではなかったことは確かだ。
大ファンであるわたしは伊丹プロ相手に訴訟を起こしていたかつての黒沢清を
こころよく思っていなかった。広い世の中、その反対のことを思った人も当然
のことながら大勢いただろう。

縁のない相手だというのに、そういうキモチが強く自分にあったことを思い出した。
ファン心理の典型的なものでしょうもない感情である。
そのせいか黒沢清が独立して有名になっていくのを横目に作品は観ずにきたのであった。
いや全然観ないなら知りようもないから、観たは観たが快く観なかったということで
最初から批判的にとらえていたように思う。先入観というヤツ。

だが不思議なことであると思う。
黒沢清の撮ったトウキョウソナタに伊丹十三の片鱗、幻影を感じたのである。
それまでは若い人が黒沢清を持ち上げるほどには感じるものはなくスルーしてきた。
裁判は結果はたしか最高裁で伊丹側の勝訴ではなかったろうか、喪失感が大きすぎて
詳細などどうでもよかったことを覚えている。
もうこの世にいない、次の作品に出会えない、声が聞けないということ。
広い世の中、同じ嘆きがたくさん聞こえていた。



死んだ子どもの代わりに表れる、置いていかれる、あるいは生まれてくる子どもを
取り替え子と言うが、師から弟子へ、兄から弟へ、引き継がれて取り替え子が
現れる。現れた子をこれはあの人の取り替え子じゃないか?と期待する思い。
その気持ちは切ない。

大江健三郎の「言いがたき嘆きもて」をなんとなく本棚の隅から手にとりページを
めくり、やはり「取り替え子」の章を選んだ。
ここにある取り替え子は大江健三郎の同名の作品とは別なものだが、大江氏の
心の深いところにある切なさが短い文章に綴られているのだ。
切なさが限りないと、それがそのひとなりの勇気にもなり、他者へと届き
力となって表れる。

取り替え子とは、不思議な物語だ。
生まれ変わりというのとは違って、人の思いを受け継いだものが別な形をもって
美が醜くなったりもしながら、けれど深部にある美を抱えて現れる。
美がそこに現れたと感じ取れる人のために、現れるのである。
感じ取れる人とは、深い嘆きを知っている人である。
そういう人にだけ見えるものがある。

誰にでもわかるようにかかれても、誰にでもわかるとは限らない。
他者の心を我がものとして感じ取れる才能が物語を見透し、引き寄せる。
おもいやり、この言葉があるが、これがなぜこんなにも軽々しくなってしまったのか。
章の最後の数行に大江氏への単純な愚問に対しての作家の返答がある。
幾度読んでもそれが胸を深く突き刺すので、またこれを書いた。
忘れないように。




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オイラの具合

2010-05-12 09:49:22 | 親分




カメにステイと言われ、即したがうのはもちろん指先を注視しているから。
小さなビスケット一個なのである。
大小に関わらず歓迎だけんね、というのがモットー。
さらにステイを続けたが効きめがないので、方法を変え得意ワザごろんちょを披露。
しかし、写真を撮られただけでヒトたちはさっさと仕事に戻ったのでオシマイ。
体重比でオヤツをもらいたいもんである。あのビスケットは猫用ではないか?


(新人、床下在住のシマコの子。まだなついていないのでコソ泥的である)

おかげを持ちまして犬の加減は悪化もせずに現状維持で、みかけはこの通り元気.
出血はあいかわらずあり、薬の効果がみられない。
効いていると思われるのはサプリメントのΒグルカンの方で、肝臓の数値が改善
してから、緩慢だった動作が元通りになった。
特に山にいると東京での態度が芝居してたかオマエ?と思うほど溌溂としている。
お気遣い感謝申し上げます。
一日一日を大事に、一緒にいられることをとても嬉しく思っています。


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さくら咲く

2010-05-11 09:01:49 | Weblog
タンポポ軍団に占領されつつある芝生。
くんくんに精が出る、出る、山では少し元気回復しています。
おかげさまで、ありがとうございます。一進一退の症状ですが健闘してます!

背景に桜がぼわ~っとあるけど、目で眺めたとおりに撮るのに苦心しています。
桜は光のかげんが難しいんですね、アップで撮ったのが多いのもなんとなく理由が
わかります。
山桜は枝振りや花の淡い色あいが自然で手つかずの様子が風情があるのですね。
先週金曜日午後から開花して、土日で五分、七分咲きくらいでした。



みわたすかぎり、桜の淡い色でふわっと浮いたようにやさしいおだやかさに
包まれています。
こんなふうに桜に囲まれているのを、花が咲いて再確認。

「すべて花よりぞ木の実とはなる」(六根祓)、です。
いつも風に落ちた実を拾うばかりであったので喜びました。
喜びはしばらく続きふわふわしていました。
そして、長い冬があって感じることなんだよというカメの言葉で
やっと我に帰りました。



虫に指を刺されひどく腫上がって皮膚科へ直行。
リンデロンと抗生剤を処方され、毒の脅威にややビビリ、目が覚めた次第。
虫も眠りから覚めたと見える。活き活きと生けるものの季節である。
一寸どころか、姿も見えないような虫に背中を押されたうさこであります。



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あこがれの採集生活

2010-05-06 13:38:19 | Weblog
山桜のつぼみもはじけてきたので、あと数日で開花する模様。
庭と裏山、山桜の木が周辺に集まるようにある。
でも満開時に遭遇するのは難しく、留守の間の一日二日くらいに咲き
あっという間に散る。
毎年地面を淡色に染めた花びらや、風に舞う姿を眺めているのである。
だから今年はこうして見張っているのだが、それを知ってかじらすなあ。

親分は毛皮が熱くなっているので水浴びばかりする。
そして水辺にて発見、これは蕨か?ぜんまいか? わからんなあ。



熱意がないのである。子どもの頃から何度聞いたかしれない。
これどっち? どっちね、ぜんまいとわらび、どっちね?
もう聞かない。採集は人まかせである。
そのくせ蕨もちに執心した過去(近々の)を思い出したりする。



蕨餅は根っこを掘って使うものであるらしい。
春に芽や葉と食べ、秋に根っこを掘って粉にして練って固めて食う。
もしそういうことならば、なんとまあすばらしく役立つことか。
採集生活なんてことを現代人が真似たがるが、腹の足しにしようと
して春夏秋と山のなかを歩き回るのは、なかなかしんどいことで
あろうかと思う。その知恵と根気に脱帽、尊敬する。



母の実家は大百姓(今風に言うと大規模農家とか地主っつうの?)、
父のご先祖は武家である。よって半分は百姓の血が入っているはずだのに
わたしはからきし身体を使って働くことがダメである。
そこで考えてみたが、母方のご先祖は落ち武者であったのではないか。
そんでもってあんな山ん中の痩せた土地を開墾したのではなかったか。
とかなんとか、DNAごっこで妄想して遊ぶ。

己のふがいなさは棚上げにしないと楽しく考えられないので
しばし棚にほうり上げ、忘れる。
そして、わらび一掴みに時空はるかかなたのご先祖の苦労を偲ぶ。

明日から再び下り坂で雨模様らしい。
乾いた土にちょうどいい恵みになるだろうなあ。
でも桜、雨でも見せておくれよ、花を。









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