想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

七里ケ浜へ

2014-11-29 07:51:23 | Weblog

ちょっと息抜きしたくなったので、海を見に行った。
どうしても海が見たかった。
湘南辺りはいつも混んでいそうだが、平日の午後ならいいかと
出かけた。
それに翌日から雨になるというから、今のうちだと思って。

サーファーが波のまにまに浮いたり沈んだり、時どき立ち上がって
波に乗って岸の方へ来る。
波はさほどではないからすぐに終わって、また戻って、とゆらゆら
楽しそうだ。
隣に、海からあがったウェットスーツの男が二人、休んでいる。
よく見ると白髪のおヒゲが渋い年配サーファーだ。
海に憑かれた人、なんとなく気持ちがわかる気がした。



遠くに江ノ島が見える。
砂浜にぽつぽつと人がいた。歩いたり、しゃがみこんだり、
じっとしている人もいた。

静かな海を見ていると、仕事の疲れが抜けていくのがわかる。
開放感というより、やさしく撫でられている感じ。
昔ならそれしか思わなかっただろうが、今はもう違う。
海が猛り、人々と町と、命を、一気に飲み込んだことを、
静かな海を見ながら、思い出していた。

bills も今日は空いているだろうと行くと、そうでもなかった。
一つだけ空いたテラス席にかけて、海を眺めた。
ここは特等席らしいが、海を感じるには遠いと思った。
建物の中にいる人間は、海を見下ろして、海に触れない。
そして、きれいな海だけを見るのだろう。
海の声や息づかいからは遠すぎる。



下の道を、サーフボードを抱えた少年のような人が行く。
海と一つになって、生きものである自分の身を感じた人の
言葉になる以前の喜びを想像した。
そりゃあ、やめられないだろうなあと、ちょっとうらやましい。

人もうらやむ山暮らし、なんだから隣の芝生みたいな話して
なんだか勝手なことだが、自然はぐんぐんと中に入らないと
見ているだけではわからないのだ。
そして、中へ入れてもらうには、人の傲慢を捨てること。
捨てると楽になって、元気になれる。

風を感じない暮らしかたでは、物事の善悪がただの理屈に
なっていく。
目も耳も、肌も、鈍感になってしまう。
だから、言葉に言霊が消えてしまったのだろうと思う。

自然へ自然へと、心が向いてしまうが、このごろは火山も噴火して
地津神さまから叱られていることをひしひしと感じ、畏れ入っている。
気象庁のお役人が「たいしたことないが観察を続ける」と言う、
そのしたり顔が歪む日が来たとしても、どうしようもないほど
人は悪くなってしまった。

ただただ、畏れいる。

あ、そうそう、店を出てまた海辺の方へ戻る途中、犬に会った。
散歩中のシェパードと、その子らしき雑種の二頭、計三頭。
後ろから来る彼らを振り返り、振り返りしていたら信号待ちで
しばし近くで見ていることができたのである。
犬はやっぱり、とても賢い、いい目していた。
彼らの方がずっと神さまに近い。
三頭をひき連れている女の人は、凛々しい顔で、凪いだ海の
ような
風情で立っていた。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常連さん

2014-11-12 14:00:00 | Weblog
食堂オープンまであと何分すか。

いや、さっき食べたから、まだまだですよ。
と、知らんフリしても、ついつい甘い顔をしてしまう我。



団子です。猫です。
シャッター音で顔、あげなくていいです。
寝ててください。

しつこいですよ。

猫はマモノといいますが、確かに、と思います。
でも人の魔物より、いいです。
猫に騙されても、傷つきませんし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さみしくはないさ

2014-11-12 02:26:08 | Weblog
紅葉は先月後半が一番美しく、さささっと終わった。
もう晩秋の風情である。
どうだんつつじの紅い葉が、雨に濡れると、まだいい感じだ。


(一番きれいだった10月下旬頃に撮ったもの)

11月は「さみしい月」であった。思春期から20代まで
ずっとそうだった。
それが変わったのは、ベイビーとこの山で過ごすように
なってからだ。人並みにというか、モミジ、木の実、食欲、
と目の前の喜びを素直に味わえるようになって、秋の意味
が変わったのだった。

しかし…そのはずだったが。
昨年は何をして過ごしたか、時が止まったような妙な感覚、
ブログを見れば原発再稼働反対と米軍基地問題、時事問題に
ふれ、思うことなどを書いてはいた。
今年になってからはそれも余りしなくなった。
更新が間遠になった。
つまり、無口なのがブログにも感染して更新マバラ~。

週刊金曜日の最新号の表紙を見て気づいた。
今号の特集は「安倍首相と戦争」だ。
「10月26日、航空自衛隊百里基地での防衛相・自衛隊
60周年記念航空観閲式、米兵の案内でMV22
オスプレイを見学する安倍晋三首相(提供/AP・AFLO)
モーニング姿の首相とそばで語りかける米兵が写って
いた。キナ臭さが全面にあった。

表紙を正視できず、裏返して、テーブルに置いた。

自分が傷ついているなんて言うのも恥ずかしい気がする
けれども、とても恐れ、不安で、そして重いさみしさ。
気づくと愕然とするけれど、事実である。
しようがないわたしだ。
誰も見ていないと、過剰反応していて、
かろうじて、叫ばないだけ、な感じ。

あまり遠くないところでダンプが作業しているらしく、轟音
が風に乗って聴こえてくる。
除染後の廃棄物を仮置きする場所が村内のあちこちに目立つ。
裏山をずーっと歩いて行くと、かつて美しかった牧草地は
鮮やかな青一色になっていた。
風下の憂鬱。



ベイビーが、たよりないおっかあを現実から連れ出して
励ましてくれていたことを、今も忘れない。
だから、そもそも自分は弱いと知っている。
子ども時分からの秋嫌いが復活したのも、しようがない。
放射能の後の世界は、私をすっかり打ちのめし、
見ず知らずの人々の悲しみと共振する。
ニュースが嫌でたまらない。

「殺される側の人間」そういう表現をした人がいたが、
そんな鈍い表現は見当違いだと思う。
面従腹背でいつの時代も庶民は生き延びていく、などと
いう言い方も同じだ。
そんなふうに一からげに見る視線、痛みを知らない者の
言葉ではないの? と思う。

どのような立場も、立つ位置を選ぶのは自らであるから
人を語る目線は、その人の本質があらわになってしまう。
それに敏感な人じゃないなら信じられない。

もう、世界は終わっている。
青い奴らのバンド名じゃなくて、本当にとっくの昔。
それでも生きているじゃないか、生きているのだよ、と
自ら反駁し。
で、世界ってなんだ? と問い返す。

肉体は磐坂であり、魂は神籬、私自身が砦である、という
究極の、捨て身の生き方を、学んできたのは終わった後を
生き延びるためである。
秋嫌いなど、もうどうでもいい。
秋はすぐに去り、冬将軍がグアングアンとやってくる。

痛みを抱えた人が地上のあちこちにいて、
十五夜の煌々と澄んだ夜空を、同じ月を、見ていた。
その事実のほうを、わたしは忘れずにいよう。

弱い者が負けるとは限らん。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須賀敦子のてがみ

2014-11-09 01:09:16 | Weblog
雑誌「つるとはな」の創刊号を買った。
須賀敦子の手紙が掲載されると知ったからだった。

表参道の四つ角そばにある山陽堂書店に予約しにいったら、
今日はうちでトークショーがあるわよ、と言われた。
でも発売は明後日だからまだ、今日だったらトビチさんに
行けばあるよ、とあっちの方を指さして言った。
商売抜きの親切であったが、いや飛び地にまでは行けません、
こっちがいいです、予約していいですか、と言ったら店の
レジに座った店主のおばちゃんの方が、もちろん、ありがと、
と笑ってくれた。
予約して10日もたって取りに行った。

おねえさんもおばちゃんも覚えていてくれたのか、すぐに
出してくれて、ついでといっちゃなんだけど、と上に座って
読めるようにしてあるからどうぞ、トークアバウトなんかも
置いてありますから、と予想外のおススメをしてくれた。

だいたい青山界隈でゆっくり歩いたり座ったりしていること
はまったくないこの十数年であるが、この時、ふいに座りたく
なって、言われるまま、ありがとございますーと三階にある
ギャラリースペースへ上がっていった。



ほうほう、こんな具合ね。
さっき買った雑誌を取り出して、さっそくめくってみる。
よそ様でゆっくり読む、なんて久しぶりだ。
表紙がいいなあ、ああ、写真、多めでいいなあ。
紙質がいいなあ、タイトル小さくていいなあ。
書体もいいなあ。ああ、なんかひさびさに力が抜ける雑誌。
宣伝臭がどこにもなくて、こんなんで雑誌作ったんか?と
まっとうさに驚きつつ、誰にでもなく頭を下げる。



須賀敦子のてがみ、折りたたみ式のエアメールにびっしり
と書かれた文字が生々しくて、見入ってしまった。
じっと見て、読むのはとっておくことにした。
本文の方も、なんだか、読まずに持ってかえりたくなった。
これが知りたいばかりに買ったのだけれど、
好物は最後にとっておく主義…ではなく先に食べる派なのに
雑誌を閉じて、三階から見る青山通りをしばらく眺めて
ふうっと息をして、帰り支度をした。

ここを出ると現実だわさ、と思った。

(須賀敦子の未発表の書簡続きは次号に掲載とのこと)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする