ちょっと息抜きしたくなったので、海を見に行った。
どうしても海が見たかった。
湘南辺りはいつも混んでいそうだが、平日の午後ならいいかと
出かけた。
それに翌日から雨になるというから、今のうちだと思って。
サーファーが波のまにまに浮いたり沈んだり、時どき立ち上がって
波に乗って岸の方へ来る。
波はさほどではないからすぐに終わって、また戻って、とゆらゆら
楽しそうだ。
隣に、海からあがったウェットスーツの男が二人、休んでいる。
よく見ると白髪のおヒゲが渋い年配サーファーだ。
海に憑かれた人、なんとなく気持ちがわかる気がした。
遠くに江ノ島が見える。
砂浜にぽつぽつと人がいた。歩いたり、しゃがみこんだり、
じっとしている人もいた。
静かな海を見ていると、仕事の疲れが抜けていくのがわかる。
開放感というより、やさしく撫でられている感じ。
昔ならそれしか思わなかっただろうが、今はもう違う。
海が猛り、人々と町と、命を、一気に飲み込んだことを、
静かな海を見ながら、思い出していた。
bills も今日は空いているだろうと行くと、そうでもなかった。
一つだけ空いたテラス席にかけて、海を眺めた。
ここは特等席らしいが、海を感じるには遠いと思った。
建物の中にいる人間は、海を見下ろして、海に触れない。
そして、きれいな海だけを見るのだろう。
海の声や息づかいからは遠すぎる。
下の道を、サーフボードを抱えた少年のような人が行く。
海と一つになって、生きものである自分の身を感じた人の
言葉になる以前の喜びを想像した。
そりゃあ、やめられないだろうなあと、ちょっとうらやましい。
人もうらやむ山暮らし、なんだから隣の芝生みたいな話して
なんだか勝手なことだが、自然はぐんぐんと中に入らないと
見ているだけではわからないのだ。
そして、中へ入れてもらうには、人の傲慢を捨てること。
捨てると楽になって、元気になれる。
風を感じない暮らしかたでは、物事の善悪がただの理屈に
なっていく。
目も耳も、肌も、鈍感になってしまう。
だから、言葉に言霊が消えてしまったのだろうと思う。
自然へ自然へと、心が向いてしまうが、このごろは火山も噴火して
地津神さまから叱られていることをひしひしと感じ、畏れ入っている。
気象庁のお役人が「たいしたことないが観察を続ける」と言う、
そのしたり顔が歪む日が来たとしても、どうしようもないほど
人は悪くなってしまった。
ただただ、畏れいる。
あ、そうそう、店を出てまた海辺の方へ戻る途中、犬に会った。
散歩中のシェパードと、その子らしき雑種の二頭、計三頭。
後ろから来る彼らを振り返り、振り返りしていたら信号待ちで
しばし近くで見ていることができたのである。
犬はやっぱり、とても賢い、いい目していた。
彼らの方がずっと神さまに近い。
三頭をひき連れている女の人は、凛々しい顔で、凪いだ海の
ような
風情で立っていた。