想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

心に沁みる詩人のことば

2021-12-30 13:00:00 | Weblog
「万象」八木重吉

人は人であり
草は草であり
松は松であり
椎は椎であり
おのおの栄えあるすがたをみせる
進歩というような言葉にだまされない
懸命に 無意識になるほど懸命に
各各自らを生きている
木と草と人と栄えを異にする
木と草はうごかず 人間はうごく
しかし うごかぬところへ行くためにうごくのだ
木と草には天国のおもかげがある
もううごかなくてもいいという
その事だけでも天国のおもかげをあらわしている
 といえる
…………………………………………

十代おわり頃に買った普及版の
定本「八木重吉詩集」が今では薄茶色に
なった。元はクリーム色の
柔らかな和紙のような表紙と、
箱入りだった。時を流れを感じる。
そのだいぶ後に買った上製本の定本は、
パラフィン紙で被い、大事にして
綺麗なままだ。
わたしの後は誰の手元へ行くのか
なあと、たまに思ったりする。



第一詩集「秋の瞳」にある
「草に すわる」は若い時分、
とても沁みた詩だ。

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

三行の言葉が意固地を棄てさせた。
まちがいばかりしてきたこと、
気づいても遅い、改めようにも
どうにもならないことがある。
悔しさではなく、ひきずってきた
重荷を降ろし偽りない気持ちに
戻っていく
自意識からの解放と、
すなおに詫びる気持ちだ。
誰に向けてでもなく自分自身を
偽らなくていい安堵、
うちに還った子どものような
はだかの自分になることだ。
三行の詩がそう教えてくれた。

本の扉の後や雑誌に載せたことが
何度かあった。
作品にも当時の自分の気持ちにも
しっくりと合う言葉だった。
反対する人がいなくてよかった。
八木重吉を知らない人がいいねと言った。

難しいことばは使われていない。
けれどそこへたどり着くのは
むずかしい、とてもとても。
数行の言葉を読み終え、わたしは
新たな気持ちに、もといに、
戻る。
そのために開くようなこともある。



八木重吉の作品は29才までの数年間に
三千作余り書かれ、二人の幼子と
七歳下の妻を遺して逝った。
神へ向かう透徹した心を託した詩は
キリスト教徒でなくとも
神を想う者、仏の慈悲を想う者、
また心の奥底で善人たらんとする者に
沁み透る深い言葉ではないだろうか。

批判や皮肉、歎きを濾過して除き
無条件の無垢の美しさを視ていた人、
その喜びを覚っていた人。

「私」
人が私を褒めてくれる
それが何だろう
泉のように湧いてくるたのしみのほうがよい

こういう人が生きて在ったことが
文学やら詩人やら関係なくただただ、
人として嬉しい。そして、尊い。
最も大事なことかと思う。
いうまでもなく妻登美子と後の夫
歌人吉野秀雄の尽力のたまものである。














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朝霜の

2021-12-29 10:38:38 | Weblog
12月8日記
冬はいつかいつかと思っているうち
唐突にやってくるよねと話していたら、
数日後、やってきた。
まだ雪虫も見ていないのに、だ。

寒くて目覚めた朝、庭は一面銀色だった。
とーぜん、ガウンを羽織って裸足のまま
サンダルはいて庭へ。
雪が降った時と同じ、見に行くのである。
それに朝霜のは消にかかる枕詞、
急がねば消えてしまう。



朝霜の消なば消ぬべく思いつつ
いかにこの夜を明かしてむかも
(柿本人麻呂)

思考をコントロールする訓練がある。
瞑想はその基本なので、効果はあるが
本当に思いを整理しきれるかというと、
そう簡単ではない。
しかし思いをひきずっていると睡眠が
浅くなり、昼間もどうかすると勘違いや
物忘れをしたり判断が鈍るという悪い
兆候が表れ、ろくなことはない。



冷たい夜から光満ちる時へ移りゆき
陽の光はささっと霜を溶かしてしまう。
霜は水滴になり土に滲み通り沈んでいく。
その土に立ち、歩を前へ一歩。
忘れるのではなく
消すのではなく
新しい一歩を、歩む。
思いあぐねた結実、もう溶けていい。

人の現実はそうはいかないけれど
執着の居場所などない自然は
眩しくて気持ちよい。

この十日後に本格的に雪が降った。






















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過信を悔いて

2021-12-28 21:12:13 | Weblog
大きな犬が駆けてくる
足どりは若くはないが
それでもたったっと駆けて
尾を揺らしくるくると廻り
そばにすり寄って横たわった
黒い毛の わたしの
ベイビーと呼んだわたしの
わたしの わたしの

幻灯のなかの犬
もう抱きしめられないことに
気づいたとき
愛の量が足りなくて
わたしの という過信
愛している という過信
与えられた分を返すことなど
できないものを



くるくると廻りそばにいる
君とのすき間が確かにあって
それはヒトと犬という差ではなく
愛の量
君がわたしを見ていたように
わたしは君を感じていたか
そこにいるという過信
眠れぬ夜に現れた幻
君が去った雪の日を想う










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母に会いに

2021-12-04 18:47:28 | Weblog
コロナ感染対策の面会制限が引き続き
行われている介護医療院へ向かう。
先月行く予定だったが母の病状悪化で
延期になって待ち遠しかった。



羽田空港へ向かうモノレールは普通、
各駅停車だった。マスク無しで談笑
する男女数人の大声。
朝8時半だがまだほんのり朝焼けが
残る空と静かな水面を眺めた。

老夫婦は降りる駅を間違え一つ手前
で降りた。声をかけなかったことを
悔やんだ。
人生いろいろ、数分待てば次がくる。
だけど数分間の悔しさが旅の始まり
なら気の毒ではないか。
悔いること多き日々、己を恥じる。

母は表情が硬くなっていた。
2週間の入院生活が及ぼした影響は
想像以上だった。
病状は落ち着いたようだが年齢より若く
見えていた母は年相応に老いが進んだ。
そして言葉は私への心配ばかりで、
いつもよりさらに重く切実に聞こえた。
沈んだ雰囲気を変えようと冗談を言うと
ちょっと間を置いて笑った。
やっと、すこしだけ笑った。

ガラス越しにスマホでの会話し面会は
すぐに時間になった。
車椅子に乗った背中を見送った。
ほんとうに、小さくなってしまった。



夕刻、有明海に面した百貫港灯台へ。
夕陽には間に合わず、残照が
尾を引く海原を眺めた。
島原半島、普賢岳のシルエットが
対岸に浮かぶ。



母は海を見たがっていた。
もう連れていってあげられないのが
とても悔やまれた。
あの時、あの日、あの時間、、、、
どうして行かなかったのかと思う。

母が海を好きなのだと知ったのは
数年前だった。
海岸線を車の窓から眺めたことは
あったが、母は疲れて眠っていた。
ほんとうは海辺に座りたかったのだと
思う。ずっと飽きるまで眺めて‥‥

海に突き出したコンクリートに座り
暗い波を眺めながら思った。
身体が冷えて立ち上がったけれど、
名残り惜しかった。
もっと居たいと思った。



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