想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

されど本、時を超える読書

2015-04-16 01:40:38 | Weblog
読書より、愛が足りない。
というのは他でもない本は大好物だから読書を否定
したわけではない。
本とのつきあいかたのことだったが言葉足りずで
わかりにくい話だったと反省、ごめんなさい。

知らないと思われたり言われたりするのが嫌で本を
読む。それはわからなくはないけど、ドンピシャで答を
出してくれる本に出会えばいいがそれが難しい。
逆にそういう読み方では本は答えてくれないのではないか。

ネットで検索するような感じで読み流し、何かを知った
と思うならそれまでのこと。
そこから先、そこから奥へと進んでいくのには考える力
がいる。また、そこを刺激してくれる本がいい。

考える力がなければ、愛はみつからない。
愛は感じるだけではない。
人は考える生きものだから、感じて、考えて、さらに
感じてを繰り返し、ある時、行間に著者の息づかいを
感じ、理解する。その瞬間、時の壁が消える。

本は歩きながら、山道を上ったり下ったり、険しい道を
行きながらそばにあるものだと思う。
書斎から出よ、と賢人たちが言う意味は肉体と情緒と
そして知性がつながって一つになることを目指せということだ。
頭でっかちの言葉は薄っぺらくて、その薄い汁には滋養は
ないのだ。

カメに出会ったばかりのころ、本を片手に質問を繰り返し
叱られたことがあった。君の言葉で問えと。
「君の言葉で」は私自身という意味がわからず黙った。
自分自身に向き合う日々のはじまりの頃のことだ。

自分のことがわからないのに、他人の経験ばかり
読んだり聞きかじったりで後追いしてもしょうがない。
自分で歩いた分だけ道標ができる。



保田與重郎は戦後、公職追放の憂き目に会ったとき、
田んぼで米作りをした。保田が他の評論家とは全く異なる
のはこの点である。
田を耕し稲を育て米を作る。
日本人の原点であることを身を以て行った人の語る万葉集は
万葉集を通じて日本の源流を示している。
当然、古事記の世界をも関連する。
旧事紀の研究をしていても共感するところが多い。
これは稀なことである。

古代人の心に寄り添う保田の言葉は的確で、単なる古典の
素養といった知識の領域を超えて力強い。
西郷信綱の古事記注釈は学術的に評価されるかもしれないが
保田は文芸である。
国学の先人の跡を丁寧に踏襲しつつも、自らの血を通わせた
言葉で語る力強さを、国粋主義と片付ける傾向は未だにある
ので、愛国と戦前の国粋主義を混同しないだけの古典の
正しい素養がなければ保田を座右に置くには勇気がいるだろう。
そしてこれは本だけ読んでいる人にはわからない世界だとも
いえる。

また、両者はどちらも戦中戦後を生きた人だ。
その違いは、田んぼと書斎。
共通点は歌詠みだが、伝統的和歌と現代短歌に別れる。
それは歌詠みと歌を解析する人、そういう違いでもある。
どちらも体制寄りではなかったことも同じだ。

西郷信綱氏は「9条科学者の会」呼びかけ人という経歴。
戦前の保田は日本浪漫派の旗手として脚光を浴び活躍したが
政府よりの復古思想とは根本的に異なるものだった。
昭和20年に招集される寸前まで保田宅には特高の見張りがいた。
要注意人物とされた。結果、重篤な病身のまま、終戦間際に
徴兵されて、戦地北支の病院で過ごし、そこで玉音放送を聴いた。

保田は過激な左派ではない。正当な保守派である。
祝詞を自費で印刷製本し戦地へ赴く学徒や若者に持たせた。
国粋主義的な煽動活動でも右翼のそれでもない。
命を賭して戦地へ行く者への餞として送られた。
それをなぜ餞とするか、それを理解するには古事記、古伝を
どう解釈するかによる。

戦後の批判の多くは「戦後」であり、戦中ではないことに
留意すべきであるし、保田自身は一貫して変わっていない。
祝詞出版は日本の古層にあった思想を理解し尊んだゆえの
行動である。命を尊ぶがゆえの計らいであった。
国に命をささげよとは言わなかった。逆である。
この行動力が戦後に公職追放された際に、田んぼで米を作れば
よしという日々につながっている。

古伝を学ぶから古伝に学ぶようになるには、
全身全霊をもって上古日本の声に、地に耳を澄ますことだ。
座って、字面を追うだけでは難しい。
日々の生活と、人との交わり、自然に身を委ね
一喜一憂する人としての自覚に、目の前の事実に正直で
なければならない。その違いが表現に顕われる。

少年の頃から古伝に凝縮された智恵に興奮し、深く理解し、
安堵していた保田は、田んぼで働くことは胸中に蓄積してきた
モノをなぞる行為であったはずだ。
そして自分が感じたことを確信した。

読者と著者の間にある長い時の壁が取り払われる瞬間に、
古びた本の文字に魂が宿る。
語りかけてくれる言葉が聴こえるようになる。
これは古伝も現代の新しい本も同じだろう。

この学び方の違いをカメに教わってきたわけだが、
カメは理屈を語ったわけではない。
保田を読んでいた私に
「その人は田んぼで自分で米作ってたんだから信用できる
よねえ、そこが違うんだよ、大方の学者なんかと」と
言われたことがあった。これも理解するのに数年かかった。

自ら行うことでしか仁も恵みも実感できない。
本に頼っていると、歴史という文字につまづいてしまい、
先に進めない。利口な人ほどその穴に嵌りやすいのだ。
先人の心にまで辿りつくのは容易ではない。

さて、漢字「愛」と訳した言葉には「仁智義礼信」の五つ
の心が含まれている。
漢字で表された五つだが、古代人の真心といってもいい。
(音読みではなくやまとことばで読む)

英語圏では愛は一般に感情の世界として使われるLOVE、
老成した人なら英米の人にとっても同じく、わかるはずだ。
日本人のいう「愛」も彼らの愛も深く普遍のことをさしていて、
それこそが人の生きる力であり、術となるということ。
それを本のなかに見いだせる人は、あらかじめ愛を知っている。

だから、読書より、愛こそが足りない。


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読書より、愛が足りない

2015-04-14 02:18:39 | Weblog
2011年の代々木反原発集会だったか、電気は足りてる
愛が足りないと書いたぜっけんを思い出す。
つけてた中年くらいの男性カメラマンになんだかよく
似合ってて、愛を知ってる人のように見えた。

若い人と話していると、自分が若かった頃と比較しても
理解不能なことが増えてきた。
どう話せば通じるのか、家に戻りひとりになったときに
考えこむ。

別にもめたわけではない。意見が合わないわけでもない。
そもそも向こうは話を聞いているだけなのである。
自分の意見というほどの考えは持っていないのだから。
持つべきは金、くらいしか頭にないようで、方法ばかり
聞きたいようだ。

それで方法を話しているのだが、それをそれと気づかない。
で、何と言えば通じるか、となる。
通じていないことがわかるからである。
そういうとき、昔なら、バカだなあと言えばいいのだが、
バカなんて言葉を使えば即それに反応して感情的になる
自己愛というか、自意識ばかり肥大したような顔なので
バカは禁句、アホやねんも禁句。
褒められたり、だいじょうぶと言われたがたる。

ただ、やたらとメモをとる。
メモはスマホに打ち込む。打ち込んで検索している。
目の前にいる話した当人に聞けばいいのに…
自分で調べるのだそうだ。
それは自分で、といえるのだろうか。
ネットで検索する、電子辞書を持ち歩く、それで何が
わかるのだろうか、と思った。

本は「情報」を提供してくれるが、情報を活かすのは
読者自身である。本はきっかけにすぎない。
必要なのは、自らが行い、感じたことであり、それを
編集するよりも、さらに感じることを深めることが優先だ。
たくさんの言葉も記号も要らない。

「歩くといいよ。東京の名所じゃない場所、どこでも
いいから路地や町なかの、なんてことない道を歩く、
それだけでも、いろいろと染み付いて感じられるよ」
若い人が閉じこもらないように、そう別れしなに言った。



ある著名な編集者が作った本を若い頃にずいぶん読んだ。
そしてその人自身の著作も読んだ。その頃よりも今の方が
需要が増えて、よく目にする作家になった。
だが、その人は作家ではなく編集者である。
スーパー編集者の視点は斬新で面白く、ずいぶんと目を
見開かされたものだが、旧事紀を学ぶようになってパタっと
手にとらなくなった。

理由をとりたてて考えたことはなかったのだが…
そこに愛があるか、といえば、愛が足りない。
再び手に取らない理由をそういうふうに感じている。
情熱と愛を取り違えるほど若くはなくなった今、
その線引きこそが最も難しく、それが著作に顕われて
しまうという厳格さを感じている。

他人の情熱に伴走するには、その人に思い入れがなければ
できない。思い入れするには、その志に共鳴できなければ
ならない。けっきょく、そこに志があるかどうかだ。
伝播し着火するほどの熱がそこにあるかどうかだ。



わたしはここでカメと呼んでいる師にめぐり会い、
その縁で、旧事紀を編纂し注釈した宮東博士に会った。
旧事紀の学びから、埋もれていた古事記に光を当てた宣長大人を
知ることとなった。
旧事紀と古事記、どちらも一生をかけるに相応しい書物なのだ。
宮東博士も宣長さんも人生をかけた。
カメ先生然りで、現在進行形だ。
偉大な実績を後世の者が単に「情報」として用いている様を
目にすると、怒りを覚えたこともあったが今はちょっと違う。

宣長さんも宮東博士も、表現が激烈である。
「神のつくりし大御国」という文章は、戦後の研究者は何を
バカなことをと受け流す。すばやくそう反応する。
(この際、やたらと肯定する輩はまた別で論外である)
西郷信綱氏は古事記伝を下敷きに古事記注釈を書いたが
そこで用意周到に宣長さんと一線を画する旨を述べている。
「先祖返り的な後退でないことを示すためにも、直毘霊の
説くところを手厚く埋葬する責任があると考える」と。
くどいほどこの件が述べられている。
この残念さ…。西郷氏はいい研究者だと思うだけに残念だ。

直毘霊をどう読むかが、宣長さんを肯定するか否定するか
別れるところのはずだが、個々の言語解釈において古事記伝
を活かしながら、先人の意志の根幹ともいえるものを埋葬
するという。その理由をさらに後の世代であるわたしは、
知っているので責める気にはなれない。怒りもしない。

戦争で負けた国である祖国の、その古えを知ろうとするとき、
戦争を忘れてはできないであろう。
けれど、宣長さんの目は何を見、何をとらえていたかを
知ることができないと、その言葉の雰囲気に戦後の人は
過敏になる。そしてギリシア神話など持ち出してきて、
違う方向へとひた走る。
あるいは民俗学という方法へと逃げてしまった学者もいた。
時代の空気に萎縮した、もっとも残念な理由である。

宣長さんはおおらかで、素直で、古伝に向き合った。
そして喜んで逝った。墓には山桜の樹をと書き遺して。



囚われずに生きる。
抗って生きる。
それもいい。
もっといいのは、愛を深く。愛をもって生きること。
それにほんとうは言葉はいらないのではないかとさえ
思っている。

古伝に溢れる「神」という記号の意味するところ…

愛なんて簡単に言うな、ごはんちょうだい、と猫めに
催促されるオチ。
そうね、愛がいちばんむずかしい、されど、愛です。



























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原発と春の楽しみ山野草

2015-04-09 15:29:15 | Weblog

四月十日前後に雪、例年通りに降りました。
先週植えた椿が雪を被って、ちょっと心配しましたが
元気なようです。






カメが盆栽から植え替えて育ててくれた梅が今年は
ずいぶんたくさん蕾をつけていたのですが、
う~ん、やっぱり寒いよね、かわいそうだわ。
根元の水仙も花を開いてるのに、春雪の洗礼は何の
意味があるのか…作物は知ってるんでしょう。
意味を考えてしまうと森の精に笑われるのでやめて
ヒト的には風邪などひかんようにするだけです。



新しく植えたラベンダーの苗が心配で見回りしてたら
くっついてきました。
いえ、くっついているのはお二方で、私には付かず離れず。



この行動にも意味はないんでしょ。
庭を歩いていると近くへ来てにゃ~と声かけしてくれます。
いえ、呼んでませんが。まあ、来てくれてありがとねと
本音ではうれしがる、ヒトは完全に支配されとります。

フェンスの外に数十分前から停車したままの車があるので
見に行くと、近くの別荘管理人のおじさんと、その関係者風
の男性でした。なにやら難しい顔をしてるので、大声で
チハ~と声かけしました。

ああ、天気悪かったねえ、とおじさんが返事してくれて
もう一人の男性は去っていきました。

おじさんとしばし世間話。
この道曲がって上ったところにタラの芽がいっぱい出る
からよ、それ去年採って食ったんだよ、なんともないべ。
どうせ百年生きるわけじゃあるめえし、よ。とおじさん。
ああ、おなかの中でチカチカと光ってるねえ、と笑いながら
言うと、そんなこたああるめ、といいつつ、そうかあ、と。

で、よ、ついこないだ、そこのちょい先でよ、ふきのとうの
芽がちょこっと出たばかりの、あんときが一番うめえからよ、
採って帰ったさ、だいじょうぶかあと事務所の奴らは言って
たよ、だから分けてやらねで全部天ぷらにして食った、
うまかった~とほんとに満足そうに言った。

そう、そんなら、みそ汁とか古漬けのつけものとか乳酸菌が
いっぱい入ったのをばんばん食べて、押し流すといいね、
まだチカチカしてるかもしらんよ、ツブツブだかんね、
セシウムちゃんは。心臓に流れて行くまえに押し出してね、
おじさん、長生きしないと、とわたし。

山野草採りは楽しい。採って売るわけでなし、採って食べる
のが只だからというわけでもなし、採ってる最中から楽しい。
おじさんの気持ちはよくわかる。
わたしは何度も測ってダメだから諦めてるよ、しょうがないよ
と言うと、おじさんは、そうだ、知ってるよ、役場で測るよな、
と本当はわかっていると言った。

けど、しまいには、もういかん、もうやめるべ、
奥さんがそういうなら、もうあきらめるべ、どうせ死ぬさと
思ってたけど、そういうならやめるべと神妙な顔になった。
そして、そんでもなあ、惜しいことしたなあ、原発がなあ、
と堪えていたように言った時の顔にほんとの気持ちが表れて
いました。

奥さんじゃないし…とはあえて言わずそこはスルー(笑)










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椿はむかしむかしからあるね

2015-04-07 20:15:08 | Weblog
つばき、植えた日の写真です。
いえ、上のはジョリの子の昼寝です。
下が椿、わかってるよ、とツッコンんでくださいww



四海波(しかいなみ)という白とピンクの花びらと
エリナという変わった種類の椿を植えました。




エリナは中国産で小さな花をつけるそうです。
葉も普通の椿の葉の肉厚の緑色ではなく、小さめです。

つばきの木は旧事紀の地神本紀に登場します。
むかしむかしからあるんですなあ。

若い頃は椿なんて、と思ってました、実は。
椿愛に目覚めたのは近年のことです。
つややかな濃い緑の葉と、花。白も赤もどちらも
好きですね。
別の場所にヤブツバキを植えていますが花つきが悪くて
どうにかしてあげないとと本気出しています。
椿の北限は東北南部らしいので、雪深いこのあたりは
ちょっと厳しいのかもしれない…とか悩みながらですが。

でも椿をもっと増やしたくて、新たに若木を買いました。
友人が土壌改良剤を開発製造していまして、ここで試して
くれるというので植え込みに使いました。
ドキドキ、だそうです。
だって枯れたりしたらヤバイ、だそうです。
だいじょうぶに決まっとるよ、と言いながらジャバジャバ
使います。(すでに他所でテスト済みと知ってるからね)
造った当人は謙虚なんですわ。



デイジーも植えました、球根類は小鳥に狙われるので
土をなるべくかぶせています。
去年はチューリップの芽を全部食べられたので。
GW頃にいろいろと一斉に咲きだすので楽しみなんですが。



この子はもう一才になりましたよ。
昼寝場所までお母さんの江戸を真似て、こんな感じです。
子猫はなんでも親の真似をして覚えていくのですな、
見ていておもしろいですが、そこ、真似るんかい、と
覚えなくてもいいことも身につけます。
オヤツのねだりかたなど、そっくりな鳴き方をして
目配せしてきます。
そしてヒトはかわいいなあ、なついたなあ、と騙されて
しまうことになるのです。

猫好きには猫神さまが見えるらしいですが…
うちにはまだお見えになっていません、ただの猫たちが
ふんぞりかえっています。
たぶん、犬神の子分なんだろうと寛大な気持ちでご接待
しているわけです。
にぎやかしにちょうどいいですから。

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犬と暮らした日のこと

2015-04-07 00:44:03 | Weblog
自分で思っている以上に、たいていの人はわがままである。
そんで、善い人なんかじゃないのだ。
そのたいていの人のうちの一人である。ま、自分を通してしか
人間を知るなぞということはできんわけだから当然であるが。

そんで、おまえはけっこう自分勝手だぞと教わった相手は
犬でありますよ。
これは何度もここで書いたことだけど。

犬と暮らす、暮らすというのは飼うことをいうのではないのです。
暮らすというのは、なにもかもいっしょであるということです。
人間が暮らすのと、犬が暮らすのを分けていないというです。
飼っているだけだと、犬から教われることはしれています。
よく喰うとか案外に猫っぽいとか腹を出して寝るのは常なんだな、
とか、そんなことくらいです。
これならほぼ観察の領域で、知り合いや親戚の家の犬を見るだけ
でわかることですね。

いっしょに暮らすと、生活は犬中心になります。
それが困るんじゃないかと想像して飼わないという人いますね。
それは賢明なことです。考えもせずにかわいいだけで飼って
都合が悪いとポイ捨てする人が多いのですから、想像してみる
ということはとても大事なことです。

で、実際に暮らすようになると、想像は想像にすぎないことが
わかってきます。想定外がほとんどなのです。
いや、想定内で片付いているという場合は、それは人の都合を
優先した生活をしているからなのですが…。
想像以上に楽で、想像以上に大変、その両方のことが起きます。

かわいがっているつもりが実は犬には迷惑、なんてことは
初心者がよくやることです。ずーっとそれを犬の一生分続ける
人だっています。犬とうまくいってないのに気にしないからです。
自己中な行動は人同士なら関係がぎくしゃくします。
犬だって同じなのです。犬は人の勝手に従ってはいません。
ただ、そこで生きることを優先し、状況に折り合いをつけます。
つけられないほど酷い状況に置かれると、犬も人と同じです。
弱ったり、抵抗したり、傷ついたり、病んだりします。

ベイビーが1歳から2歳にもうすぐなろうとする頃、わたしは
自分がわがままを押し付けていたのだということに、突然気づき
ました。その時から、ベイビーとわたしは対等になりました。
うちのベイビー(爺さんになってもベイビーと呼んでました、
愛しいという意味なのねん)は、目線が同じになって思いが伝わる
ようになると、とても静かなおだやかな性格だとわかりました。
いろんな面で、ずいぶんとヒトよりも秀でていることもです。
それで、いろいろと教われることがありましたね。
ま、鏡のような存在です。

毎日を規則正しく暮らしました。
同じ時間に起き、散歩をし、ごはんを食べる。ベイビーは昼寝
わたしは仕事。ベイビーは遊び、わたしも遊び。散歩、ごはん、
遊び、お話。仕事。寝る、寝る、寝る。こんな具合です。
出かけるときは車に乗って、いっしょに行きいっしょに仕事、
みたいなもんでした。行く先々で人気者でした。
犬がほめられてるのに自分のことみたいに気をよくしていた
ことが今になって可笑しく懐かしく思います。
なごやかで、おだやかに過ごせるように、ベイビーが空気を
変えてくれるのでした。

用心棒でもあったわけですが、実はみかけほど勇敢な犬かどうか
それは試したことがないのでわかりません。
ただ、人間はみかけで判断するので、図体がデカク黒々として
牙がちょろっとはみ出していたりする(アクビのあと)のを
見て怖れたりします。それでじゅうぶん役立ちました。
どや、デカイ犬やろ、みたいな態度はとらなくても人に避けらます。

強くて元気な時、わたしも元気だった。
歳をとってシナシナのぷーちゃんと呼ぶようになった頃、
わたしももう中年もいいとこなんだわ、と気づかされて。
そして、先にどんどん老いていくベイビーを見ていました。
ころころしていた赤ん坊、逞しい青年期、成熟し落ち着いた顔、
あごひげが白くなってきて、ゆっくり歩くようになってきた
その姿に、自分のこれまでとこれからを重ねるように見たのでした。

受け入れ難い老いを、じっと耐えている感じ。
耐えて、自力で立つ姿。
愚痴ったりしないし、弱音も吐かない。
じっとしているのに、そこのあたりが、ぽっかりとあたたかくて
やさしい塊があって、もう犬なんだか
「やさしい」という種なんだか、
その鏡にいつも照らされて暮らしました。

自分の狭量さ、底意地の汚さ、欲深さ、そんなものがあることを
鏡に見いだして、シッポでパンパンとハタキをかけてもらい、
だんだんとすっきりとしていき、「元気」になりました。



人の作った環境に左右されながらも、犬の本質は生きることに
まっすぐ、それだけです。
犬が地神(くにつかみ)のふところの中に生きていることを
晩年のベイビーを見ながら覚っていきました。自然に生き、
自然に還るという意味をです。
生きることに迷う人間にとっては、一筋縄ではいかないことが
犬には簡単で、それは選択肢を持たないからだといえます。
持てないからではなく。

選択肢が多いほどいいと勘違いすると、多くなればなるほど
原点から遠ざかっていることに目がいかなくなります。
周り道だと気づかない、枝分かれした先から戻り道がないことも
わからなくなります。すっと一筋ということの大事さを忘れも
します。

野生は野蛮ではない。
なのに野生を文明の対極に置くことで、人は身体を超越しようと
してきました。
身体の境界が機能しなくなれば、外界との交通がうまくいかず
おのずと人は自己中心的な感覚しか持ち得なくなります。

自分からの発想、自分からの目線、自分の価値観、そして
自己満足で自己完結し、自分にとっていいか悪いかだけ。
それしか結論にならない閉じた世界です。
逆に、外界とつながり一つに一筋にとろけあっていられれば、
個の理も全体の理も矛盾しない世界があるのですが。
何を怖れて閉じているのか、と考えたことがありましたが、
怖れではなく、強欲が原因なのですね。欲は欲を呼びますから。

目はものを見ず、
耳は声を音を聞かず、
口は心を語らず、
鼻は悪に利かず、
陰は見境なく、
充満した汚れに占拠されてしまった身体。
足る事を得ず、飢え、どこまでも貪ります。
善悪の境界もありません。

そういうモノに、動物はすばやく、めざとく反応し、避けます。
犬の鼻は目に見えないものにも敏感でした。
わたしはベイビーに愛される価値があるか、時として自信がなくなり、
だからいっしょに遊んでくれると、いつも嬉しかった。
あたりまえとは思わなかった。
ねえ、つきあってくれてんじゃないの、しょうがねえなあって、
と疑うときも、ままあったりして。

ずっと甘えていたのだと思います。
そして、こころから、やさしさを教えてくれたことがわかります。
ゆったりと、おだやかで、怒るときも静かで、おおらかでした。
神さまのお使いでしたね、わたしにとっての犬は。

神さまのお使いが、神さまのところへ帰ってしまって
しばらくは悲しいのかさみしいのか何もかも調子が狂ってしまい
もう元へ戻れないのか、元がなんなのか、混乱の極みでした。
犬の里親探しの告知があると、見学に行ったりしましたし
一日ボランティアで犬の世話をしたり、気晴らしとわかっていて
勝手もしました。
それで気持ちが晴れるわけではなかった、当然です。

ある日ひとり、ぷ~ちゃんの円墳と名づけたお墓の前でぶつくさと
話しかけていたのです。
ねえ、ねえ、ねえ、と。
まだまだ、涙は乾かないのでそのうち鼻水が出てきます。
ねえねえねえも言えなくなって黙っていました。

目を閉じてじっとしていると、ふわっと暖かい風に撫でられて
気持ちが落ち着いてきました。
つぶつぶの粒子になったベイビーが遊んでいる、シッポを振って
上目使いで見ている。
妄想です、でも気配はベイビーでした。

長いあいだ離れていたやさしいふんわりした気配がそばにいて
久しぶりに安心したのでした。

愛されると人は優しくなれます。
そして愛すると哀しみを知ります。
もっと愛すると強くなっていくことを、最後に教えてくれました。

犬はふしぎです。
人はあまり不思議ではない存在になってしまったけれど
犬はふしぎなまま、むかしと変わらずにいます。
そのことに人はなかなか気づかないけれど。

犬と暮らすということは、うまれたてのまだ汚れのなかった頃の
喜びを人に思い出させてくれることではないでしょうか。

あの楽しかった時間を思い出すと、今も幸せです。
(なんだか人に失望することの多い日々、彼を思い出し
自分のために書いたようなものです、読んで下さって
ありがとうございました)


















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