想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

秋の予感は

2008-08-31 02:02:43 | Weblog

    桜の葉が色づいて散り始め
    雨が続いたまま、夏が終わるのだろうか。
    季節の狭間に目を凝らして
    去り行くものと、来るものとが行き交う瞬間を
    とらえたい。
     ねずみ師みたいに、「あ、そろそろね」
    とか言って、風を読んでみたいものだ。



    裏庭に生えているニシキギが紅く色づき、
    笹の緑に映えている。
    後ろの山百合の橙色が差し色で。
    混ざり合って規則正しくないような、正しいような
    自然の色は、人社会の杓子定規、でも矛盾だらけという
    あってなしの法則と異なり、曲線を描きひも状に羅列されて
    美を創っている。

    今年の紅葉は、あまり期待しないほうがよさそうな予感。
    でもあるがままを、そうかと眺め、秋を愛でます、たぶん。
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小さくひそやかな存在

2008-08-29 23:15:38 | Weblog
  豪雨で高速道路も速度規制され、そうでなくとも
  雷と雨、両方に見舞われながら走るのは正直シンドイ。
  というわけでしかたなく森へ帰るのが一日遅くなった。
  東京の風景などアップしても、おもしろくもないぜ、と
  いう声が聞こえてきそうだったが、どこにいてもうさこ、
  どこにいてもくんくん親分ではある。



  家までの道は水浸し、道路といっても舗装されていない山道
 みたいなものだから雨量が多いと即、川となる。
  チョロチョロと昨夜の雨が染み出して流れている。
  先週敷いたばかりの砂利にくぼみができ、もうガタガタ道に
  戻ってしまった。砂利代、嵩むばかりなり。

  だからといってアスファルトで舗装すると、水の逃げ場がない。
  排水路をつけた道を山の中に無理して作り(林道事業等)
  水脈が変わり、土砂崩れの原因になったりするから
  ここはこのままでいい。

  毎年、せっせと砂利を敷き、ねずみ師が重機で均します。
  うさこは車の運転が、少しづつ上達します。
  訪れる人は、いまどきこんなところに住むのかという
  感動(呆れるのも度を越すと感動となる)できます。

  ともあれ、あー、戻った、戻ったと、親分がくんくんしながら
  走りまわり、うさこは静けさのなかで、耳を澄ましている。

  東京の空に渦巻いているのは、憎しみや嫉妬や裏切り。
  それらがざわざわと混じり合い、欲望を希望と混同し
  あるいは言い換え、悲しみは遠のき、凝縮された思いが
  暴れている。
  それらは重く層をなし連なり、皮膚近くまで押し寄せて
  くるので息苦しい。

  怒りの籠った声、刺を含んだ意地悪な声、偽りに慣れた声が、
  空中に飛散している街なか。
  そんなものに慣れなければ暮らしはできないか。
  耐えた先にあるものはなんだろうか。

  この場所へ逃れきたことを確かめるよう、しばし耳を澄ます。
  静寂を聴く。
  なんにもない、混じりけのない、人の気配のない静けさ。

  帰ったぞー(嬉しい、ほんとに)、静寂を壊すのは我らか。

  いや融けいってしまうだけである、小さくひそやかな存在として
  力を蓄えるのである。
  
  
  
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ねこ時間、chiezoh's world

2008-08-29 02:50:58 | Weblog

   仕事場のほど近くにあるギャラリーYUI。
   ポーチにおいてある案内板に架けられた絵に
   思わず目を止めてしまった。
   いつもなら横目に見て通り過ぎるのですが。
   急いでいたので、行きは通り過ぎ…

   用事を済ませて戻る途中、やはり気になって
   ちょっとおじゃましてみました。
    雨が降り出しそうでポツポツと落ち始めていたし…
    (傘を持っていなかったのです)空は重く雲が垂れ込めて
   いたけど。



   作者の島袋千栄さんは、後姿美人、前からはすごく美人。
   セツ・モード出身の方はオシャレな方が多いんだけど
             (狭い我が世間での情報ではあるが)
   モデルさんがちょっとお茶しに寄ってます~な感じで
   静かに笑ってらして紹介されないと作家だとは
   思わなかった。(偏見である)

   作品ももちろん、ピンときて入ってみてハズレではなかった。
   (ま、好みの問題ではあるが、いい!と思いました)

   chiezoh君という猫のさまざまな表情が描かれ、ストーリー性の
   ある絵です。欲しいなあというのが2点ほど、ありました。
   「明日は会えるかな」というタイトルのとか。

   なにせ、つっかけサンダル履きご近所スタイルなので
   ちょっと手持ちが…ない。
   靴に履き替えても…ないか…

   そんなに高価でもないので、気に入ったかたはぜひ
   お求めになるといいと思います
         (って営業?いやいや頼まれてない)
   悲しすぎるニュースを聴いた日に、
   ちょっと気持ちをほぐしたい時に、「あると思います」な絵。
   
   また次の機会にも観たいなと思いつつ後にしました。



島袋千栄展「ねこ時間」
        彼らの世界で流れる時間は
        心地よく、まったりとして、ゆる~い。
               (invitation cardより)
   会期:30日までだよ(11:00~19:00)
   会場:東京都港区南青山3-4-11-1F
SPACE YUI
  

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留守番用

2008-08-28 11:13:51 | Weblog

    雨でも晴れでも、関係なくベイビーは留守番があります。

    でかける前にガムをくれ~!
    と催促し、それを食べている間におっかあは出かける。
    けれどもドアがしまる前に、すでに催促しに走り寄る。
    この早さが年々増しているので、留守番をおやつでごまかす
    ことはできない。
    
    他所に預けられると、食欲をなくすのであるが、
    自宅なら留守番など、平気のへいざである。



    これは押すとで~る、の魔法のビン。
    とにかく何処でも押す、叩く、何度でも‥
    うまくレバーにヒットしたら、カリカリが出てきます。
    2歳の頃から使ってます。
    いまでは留守番じゃなくても、雨の日、退屈しのぎに
    レバーをバシバシして遊んでます。
    中にカリカリを入れるとメタボになるので、入ってない‥

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雨の中のバラ

2008-08-27 00:43:19 | 

   「あんたが あんたの一本のばらの花を
   とても大切に思っているのはね
   そのばらの花のために時間を無駄にしたからだよ」
    「星の王子様」の狐が言ったそうだ。

  茨木のりこの「わたしの叔父さん」は摘蕾の話をする。
  大きな花を咲かせるために、と。

  わたしのバラは、小さな蕾も惜しがって愛おしがって摘まないから
  大きな花をみることはできない。

  一本に望みを託すという大志のないわたしに、
  狐はなんと言うんだろう。

  「バラに惹かれるのは、凡人だからなんだよ
   犠牲のないバラは、バラじゃないのさ」とでも言うか?

  黄色い蕾をつけ、雨に打たれているマルコポーロ、
  縁側から見える場所にあり、
  意外に打たれ強いのに少し驚きながら眺めています。

  バラは雨の多い土地には向かないのです。
  この夏は二年ぶりによく降っていて、ここのバラにとっては
  初めての試練。
  腐らせないようにと、見回るのですが、雨がやまないから
  しようがない‥‥

  このまま寒くなったりしたら、来年の花が見れるかどうか心配です。
  やるだけのことはやろうと、葉を落としてしまったバラの前で
  思案しています。
  


  この方は、退屈で退屈で‥‥うらめしげです。
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一日のいのち

2008-08-25 15:26:32 | Weblog

   午前9時、さてわたしの命はあと何時間だろうか。

   今日一日かぎりのいのちを、どう過ごすか? という問いより
   残りの十数時間をどう生きるか? と問いなおし

   考えてみるまでもなく、わたくしはわたくしの延長として
   ここにいる。そして終わりがくる。

   終わり‥
   長いトンネルは暗いだろうか。
   闇に包まれた夜の森のように、
   静かに何かの息づかいを探ろうとして進み
   目を凝らしても何も見えないか。

   愛しい人のことを考え、会っていないことに気づき
   電話をかける。
   手紙を書く。
   言い残したことはないか、考えるときりがないくらいで
   多すぎることは無に等しいことに気づき、書くこともない。
   愛していると書くと、あとは白い余白が残る。

   余白を読んでくれる人であるならば
   会わずともわかりあえる。

   今日のいのちをどう生きるか?
   いつもと同じです、という答え。
   それしか思いつかなくなったのは
   死は、いつも隣合わせ、皮一枚で続いているという感覚。

   トンネルが終わると、開ける世界。
   そこにわたくしの新しい一日がある。

   


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雨、雨、雨

2008-08-25 11:31:59 | Weblog
   土日、二日とも一日じゅう、雨。

   夕刻から小降りになったら、緑が靄に被われて
   白く幻想的。
   肌寒く、まだ夏なのに長袖シャツと上着を羽織り
   暖房を入れている。

   外の仕事ができない日は、たまった仕事を片付けるのに
   いいわけがなくて、ちょうどいいかなあ。

   追記/写真、窓から雨が降り続く森を撮ったのと差し替えました。
      陽射しを浴びるワイルドフラワーでは、ちょっとピンとこないと
      思い直して。


   ※ ふるごとじゅく更新しました。
     未然本紀と黄泉本紀より、2つほど。
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無為の為

2008-08-22 00:19:58 | Weblog


   東京の空、エレカシの歌のタイトルではありません。
       (知っている人は知ってる野音ライブ版がグーな曲)
   東京の空も日に日に狭くなってきます。

   数年前、この場所から見えていたのは東京タワーと、羽田へ飛来する飛行機だった。
   そこへ、デブッちょな森タワーが幅をきかせるようになって
   殺風景になりました。
   それからミッドタウン、赤坂、とどんどん高層ビルが‥
   六本木、乃木坂あたりを歩きまわる人、ほぼ観光客。
   それから外資ファンドで働いているだろうとおぼしき金持ち外人。
   白人とは限らない。

   歩く人は増えたけど、なんとなく華やかさがないのはなぜだろう?
   リッツ・カールトンなんてあるのに、以前のほうが都会的だった気がする。

   なーんて、この眺めを見ているのはほんのちょっとの間、仕事をし雑用を片付け、
   とっとと急ぎ森へと帰るから最近の東京、道は歩かないのです。
   歩いて楽しい場所も少なくなった。ぶらりと歩ける青山界隈はなくなりました。

   東京もけっこう好きだったんだけどなあ。過去形で言ってしまうこのごろ。
   たぶん空気のせい。空気感というほうがあってるかなあ。
   
   

   網膜に緑色が焼きついて、いまではどこにいても森の中と同じ。

   二つの場所を行ったり来たりして月日が流れ、
   移動が大変でしょう? と時々言われるが、移動中は考える時間だ。
   部屋で考えるか、車の中で考えるかの違いだけ。
   もっと歳をとったら電車に乗り換えるか、運転を誰かに頼むか‥
   いずれにしても、考える時間をあいだに挟んで、行ったりきたりする。
   これを長くやっていたら、旅へ出たいという気持ちがずいぶん薄れてきた。
    (昔から旅好きでありました、これも過去形‥)

   もう一つの質問は、そこで何をしますか? である。
   「何もしない」をするのであるね。読書とか園芸とか木工とか木こりとか
   忙しく働くこともできるが、基本は「何もしない」をする。
   しなくとも考えることは続くので、それを深く沈めていくのである。
   本を読むには最適の場所、コーヒー一杯でねばれる喫茶店みたいに。
   でも、たまにしか来ない人はどうも落ち着かないらしく、なにかと忙しく
   働く。ぼーっとするのをすすめても、ほとんどの人がぼーっとはしない。
   おかしいね。わからなくはないけど‥‥ね。
   温泉宿へ行き、せっかくだからと何度も湯につかり、
   湯あたりして疲れてしまう。あんな感じに似て、興奮さめやらぬうちに
   もう帰る時間ね、となるようで。
    
   さて、雨が上がったら、ベイビーと水遊びしよう。
   あと少しで森の夏は終わるから。

   

   ps:夏が終われば紅葉‥、今年はどう染まるかな。
     

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ソフトボール、追想

2008-08-21 09:40:22 | Weblog
     えーっと、狙ってますが‥



     腰を低くして、飛びます。
     いや、飛んだつもり。

     届かない‥ ぼくのお菓子‥くれよ!
       



    延長12回戦4:3でオーストラリアに勝利したソフトボール。
    勝つ試合はいいですねえ。
    めずらしくオリンピックを観たのは理由があって‥。
    
    うさこは中学生一年生の時、ソフトボール部に入りました。
    新学期にではなく他部をうろちょろした挙げ句に不純な動機で入部した。
    それはどんな理由? すぐには言えないわ~。

    バッテリーは親友同士で部の中心でした。
    ピッチャーのおめめぱっちりの女の子が誘ってくれたけど、
    相方のキャッチャーの方は、皮肉屋で勉強がよくできる女子。
    対照的だったけど、ふたりはとても仲良しで、部活以外でも一緒でした。
    皮肉屋のユーコちゃんに「なんで、あんたが入ったわけよ」とことあるごとに
    言われ続け、でもうさこはぼーっとしてるか、へらへらと応じてました。

    遅れて入ったけどなぜか肩が強くてコントロールがいいのでレギュラーに。
    最初はライト、次にファースト。
    打順は1番。
    ひそかにピッチングの練習などしていたのを、社会人コーチのおじさんが
    見つけてくれて、リリーフ投手に。

    さて、肝心の試合はというと‥ 練習試合ではいい感じなのに
    勝ったことがありません。
    うさこの暴投、ここぞというときにコントロールがきかないんだ、これが。
    勝つはずの試合をよくダメにしてました。エラーで負ける、負ける。
    大きな大会ではいつも初戦敗退でした。
    キャッチャーの女子は実はうさこの従姉妹だったんだけど、
    あんたなんかもう知らんとばかりに皮肉られまくってました。当然です。

    いつも部内で浮いているのに、なぜか応援団ができて、彼らが練習を
    見に来てファーストのそばに並ぶので、なおさら浮いてました。
    なんであんなことになっていたのか今では不思議ですが、うさこを好きな男子が
    いて、その男子に取り巻きの子分がいて、団体さんでやってくるのでした。
    部室で孤独なのに、そのせいかますますもって浮いてました。

    試合に負け続け、勝つということを知らないままの部活。
    それでも、うさこはその二年間が楽しかったのでした。
    それは、実は、とてもいいにくのだが‥応援の男子には目もくれず
    顧問の先生に恋していたからでした。国語の先生。

    入部する前から放課後になるとバックネットにへばりつくようにして
    その先生を見つめていたわけです。
    それをビッチャーの信代ちゃんが気づいて、誘ってくれたのでした。
    ソフトボールを好きなのだと思ったわけではないと思います。
    みんなに冷やかされても、ぜーんぜん、平気な14歳の初恋であったね。

    先生はカブ号で通勤していたので、部活の後、後ろに乗っけてもらって
    家の近くまで送ってもらったことがありました。
    先生が将来の夢を語っていたのを、あまり意味もわからず聞いていた、
    オトナの先生の話を聞いているのが幸せなのでした。

    うさこ達が受験を前に部活を止めたのち、先生は突然結婚しました。
    びーっくりして、急に熱が冷めてしまった。
    それからのうさこは、ふてくされ青春時代に突入し、
    どんどん冷めた子になっていきました。
    失恋のせいか? いや、いろいろなものを失って、はしゃいだり、へらへらしたり
    の子供から脱皮していったのだと思います。
    
    グローブとボール、今もあります。
    ソフトボール用じゃなく野球ボールだけど、キャッチボールが好きです。

    人とも犬とも、投げ返してくれる相手がいるのは楽しいね。
    暴投癖は今もあまり変わらない。
    受けてくれる人のやさしさで、生きています。
    投げ返されたのは、どんな球でもとろうとします。
    くんくん親分の真剣眼と同じ、飛び上がったり走ったり、全力でキャッチします。
    独りじゃないのは、しあわせです。

    追記/アメリカとの試合は今日なのですね、楽しみです。
  

    


 
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木の仕事

2008-08-20 02:14:12 | Weblog
      先週の晴れた日、どんぐりの木を倒しました。
      うさこが「畑をつくる」と言い出したので、ねずみ師たちが場所を
      確保するために伐採してくれたのです。ドサッと音がして
      書斎から表へ出てみて、びっくり!
      えええええっ、ほんとに作る? 畑、作るっすか? と。

      うさこはバラ栽培で園芸の味をしめたのですが、畑は単に食い意地から
      思いついたまでのこと。
      自給自足100パーセントをめざすうらべにさんとは大違い。
      どっちかというと、遠慮しないこっちの方に近い。この方は人徳でなんでも
      届くようですが、うさこは誰かくれないか? と言っても森にはウサギや
      猫やキツネがいるくらいなもので、鳥の大好きな木の実くらいしかないねえ。
      で、ならば畑作る、なんちゃって。
      ちょっと言ってみただけなのにー、行動的な人がそばにいると
      背中押しまくられの人生であるよ。

      さて、畝をつくらねばならぬわけだから、まず畑の土をどうすっかなあ。
      たぶん、M社長が兄さんの畑から運んできてくれるとして、
      誰が耕すんだろ? さ、人材確保だわ。
      自らやるより企画専門である。
      



      行動する面々は、木を倒したあと、棚作りにいそしんでました。
      棚は洗面台の下の収納に使うため。
      ねずみ師はササっと仕上げたいのでしょうが、
      手伝うN・つよし君は、金槌と釘に無縁の人生を歩んできた人だし~。
      一人で黙々やってるもう一人は元はゼネコンでならした若年寄なので
      放っておいても大丈夫らしいですが‥。
      棚、ほんとに出来るのか? と思ってましたけど、 
      出来ました。ぴったりハマってます。
      



      丸太は雷に打たれた赤松の大木を倒して伐ったものです。
      歩き疲れて、ちょっと休むときにいい感じに置いてあります。
      でも、親分がすぐに走り出すので、ちょっと休むことはほとんど
      ありません。
      今のところ座るためにすわる、って感じの装置です。

      
      
      

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須賀敦子の魅力

2008-08-19 01:30:43 | Weblog


読み出したら、止められない。
須賀敦子全集第3巻収録「ユルスナールの靴」

「そういうことをちゃんと覚えているのが苦手なのだ。」
この一行を、何度も読む。
一行が他のすべてを補足する文章。

そういう一行が散りばめてあるので、読むのを止められない。
どんどん読み進む。ギリシア・ローマ時代という西洋の背骨、
西洋古典などほとんど無縁なわたしには知らないことばかり出てくるが
それはそれでおもしろい。
他の人が書いたもので、そう思えるかどうか‥

朝の忙しい時間に手にとってしまって
ベイビーの散歩が10分、20分と遅れてしまい
そばでクンクンと啼きだすまで止められなかった。

悪かったね、ベイビー。
でも全8巻の全集だから始まったばかりなのだよ。
ベイビーも一緒にそばで読むといいよん。
美と愛に憑かれた人、その人にまた憑かれた人が紡ぐ言葉は
崇高で気持ちがよい。
突然現れて一気にファンを獲得したこの作家の仕事は
「生き方」について、あらためて考えさせてくれます。

話題になるたびに気になっていたけど、手にとるのが今になって
それもちょうどよかった気がします。
もっと前だったら共感しなかったかも、とも思う。
めぐりあわせ、というのはむずかしくて、時のめぐりではない
用(まどき)のめぐりを外さないことだ。

そういう意味でも、須賀敦子は流されて「用」の中に生きた人であると
思う。流されるのもまた才能である。
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ゴーヤチャンプル

2008-08-16 11:10:10 | Weblog


  ニガウリを縦に割り、ワタと種をスプーンなどを
  使ってとりだします。横にしてキュウリを切るように
  薄くスライスしていきます。

  フライパンに豚細を少量でいいですから、炒めます。
  油はこの際、入れなくても豚の油が出ますので気に
  しなくてよろしいです。で、塩コショウ少々振って
  油が出ていい感じの色になってきたら、水切りして
  おいた豆腐(絹より木綿がいいけど、お好みね)を
  一丁を八等分くらに切ってフライパンへ入れます。

  フライパンの中は、豚肉と豆腐がいい感じで混ざり
  豆腐にちょっと焦げ目がついたくらいまで炒めます。
  豆腐の角へ頭ぶつけて死んでまえ~とか歌っている
  うちに豆腐は崩れて汁気も出て豚に混ざり合います。

  そこへスライスしておいたニガウリを入れます。
  苦いのが苦手の人は軽く下茹でしておくと苦味が
  薄まります。苦くなきゃゴーヤじゃねえだろ、だろ?
  ということもなくて、ビタミンも繊維もたっぷり
  残ってて、苦いだけが取りえというのは早とちりよ。
  いーや、苦いのがいいんだ、オレの人生甘くねえんだ
  というお方は勝手に一人で苦労したらいいのよ。
  そのまま炒め続け、火が通ったなと思えてきたら
  しょうゆを少し、お酒も少し、入れて味を見ましょう。

  お好みでみりんとか砂糖とか、入れてもいいけど、
  塩としょうゆが基本ですね。

  そこへ溶き卵を二個分ほど、流しいれます。
  さささっと混ぜ混ぜして、ちょいと味を見ます。

  おいしいですかー?
  ちょっと塩が足りない? でしょ?
  塩はいっぺんに入れないのがコツです、入れすぎると
  減らせないからねー。料理やったことない頃は
  およそこの塩加減で失敗したものです。

  失敗の数だけ、料理はおいしくなっていくと思いますよー。

  まぜまぜしてチャンプルーになったら、さあ、
  ソーメンもしくは、ひやむぎと一緒に食べましょう。
  みょうがの千切り、葱、生姜、など薬味をケチらないのが
  おいしくヘルシーにいただくポイントね。
  大根おろしもあったら最高です。

  以上、すべて妄想中継である。
  雨が断続的に降って、「お庭で昼ごはん」という
  人もうらやむ「別荘の夏」的昼飯にはならなかったのである。

  うちは別荘じゃないから晴れてても、ただの昼飯ではあるが。

  東京都心部はお盆のあいだ静かだが、ここもなんだか静かです。
  雷はほぼ真上あたりで太鼓叩いて大暴れしてる鬼が目に見える
  ようで、そりゃあすごい音です。
  バリバリドンドコドコドコドン!

  親分の様子を見に行くと、真横に伸びてぐーすか、
  寝てました。
  
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日本のいちばん長い日と天皇

2008-08-15 17:42:14 | Weblog
   「日本のいちばん長い日」とは昭和20年8月15日
   国民へ向けて戦争の終結を宣言する天皇陛下の詔
   玉音放送を流すまで一日を、前日14日の御前会議から
   24時間、命がけの一日を再現した映画である。
   三船敏郎など俳優が演じている点ではフィクションだが、
   史実に基づいてドキュメンタリーとして描かれている。
   橋本忍脚本、岡本喜八監督作品。若造必見の映画。
   
   ということは知っていた、20代前半に観たので。
   その後、何年おきかに二、三度観ている。
   若造だけでなくおばちゃんもおいちゃんも必見だと
   思うので、今日はテレビでまた観ました。
   そして今日はこれまでで一番、よくわかりました。
   わかる、というといい感じに聞こえるので訂正すると
   胸に突き刺さってきたということです。

   宮中へ近衛兵師団が軍靴をとどろかせてなだれ込むシーン、
   玉音放送を録音したレコード盤を奪取すべく探しまわり、
   女官の部屋までも踏み込み、衣装行李を開け着物が散らかし、
   放り投げるの乱暴狼藉ぶりに、神話世界を思い出しました。

   スサノオの乱暴に便乗して暴れまくる眷属、八十千部の
   (ヤソチべ)の荒神、悪鬼が高天原を蹴散らして悪行の
   限りをつくす場面です。
   国体国体国体を護持せよーと叫びながら、天皇を擁した
   ワレワレが決起することを誰も止められないのだーと、
   止まりません。一人の上官の思い込みに千の兵が従って
   宮内省の文官を締め上げます。

   大宅壮一(クレジットではそうだけど実は半藤一利作)
   が書いていなければ63年後の今日、この日に
   命を賭した人、けじめをつけた人、守るべきを守った人の
   ことを誰が知ることができただろうと、思いました。
  半藤作品では「ノモンハンの夏」も圧巻、戦争と日本
   がよくわかります。

   旧事本紀を学ぶ前にも観たけれど、今のほうがより深く
   理解できました。それは、マスコミや教科書で知る歴史とは
   違うもっと根源的なことを学んだから。

   昨日はイッセー尾形が力演している「太陽」を観て
   これは三度目ですが、これもなぜか今回が一番よくわかった
   と感じたわけです(桃井かおりが…ちょい変? ファンなので
   前回はたぶんに贔屓目で観たと思うなあ)

   これも終戦処理にあたる天皇と周辺を描いている作品ですが、
   ロシアの監督がなぜこうも天皇という存在を深く理解し
   またそれを作品にまで昇華することができたのか。
   「歌」の意味、それをわかっている日本人が少ないというのに。
   芸術家(監督)は偉いもんだとしみじみしました。

   外国人にわかるのを、日本人がわからないのはそれは生活が
   かかっているからではないかと思うのです。
   この場合の生活とは、食うことであります。

   天皇は食う以前の精神、を表す存在でありますね。

   しかれども臣下が愚かであれば、国は滅ぶということで、
   国体とはなんぞやという議論ばかりしていても、
   命令だからしゃあないと言う者に、では罪はないかと
   振り戻す勇気がないのだから、戦後の一歩が遠いのだと
   思うのです。
   死んだものが浮かばれないというのは、そういうことでは
   ないかと考えました。
   
   母と電話で「命令なら殺すか、喰らうか」という重い話を
   長々としました。誰にも言えなかったこと、言わなかったことを
   マイクを向けられてやっと話したという人ばかりじゃが。
   墓場まで持っていくのも勇気じゃなあ、人は自分を守りたい
   一心でなあ道を外すということじゃ。
   あんたならどうするかい? と聞かれると
   う~む…、うなるばかりのわたくしでありました。

   
   
   
   

 
   
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冷却中

2008-08-14 09:12:41 | Weblog
          冷たい水のなか、腹這いになって冷却中の親分さん。


   世の中、なんかこう画一的な感じがしないか?
   何か一つのことが話題になる、流行る、するとどこいっても同じような
   話、話題、テーマが取り上げられていて、なんで今それなのよ? という
   問いを投げる隙はないのである。
   びっしり、ぎっしり、つかの間だけど染まってるから。

   たまたまそれにぶつかったということもあるだろうけど、
   なーんだみんなおんなじでつまんない、という声はよく聞く。
   テレビ、新聞、雑誌、メディアに登場するものは季節、旬の野菜みたいに
   同じものが出回ってるよなあ。
   オリンピックやたとえば総選挙、なんてことを言ってるわけではないんである。

   気になっているのが、仏教。
   それも親鸞。なぜ浄土真宗? 真言宗じゃだめか?
   信者の主張というわけじゃなく、ほかにもあるだろ、曹洞宗とか。
   高村薫が書いた「リア王」なんてすごいよ、曹洞宗、
   そこらの禅ボウさんより作家高村薫はつぶさに詳しい。
   南木桂?士の「阿弥陀堂だより」に出てくる婆さん、ほとんど観音様である。
   でも世間では親鸞ばかり人気者である。

   親鸞を研究したり尊敬したり興味を抱く文化人が多いんだなあ、なんでやろ?
   その話を聞いたり読んだりしてみると、興味を抱いている箇所が似ている。
   っていうか、同じなのである。
   悪人正機、いわんや悪人をや、とか破戒の親鸞ってことなんだなあ。

   親鸞は実践せず机上で考えてわかるほど、易くはない。
   すくなくとも修行者としてのつつしみを持った人に論じ、考えたことを
   発言してもらいたいものである‥、されど本当の行者は論じたりしないから、
   表に出てこない。
   学者が仏教を論じる場合は範疇というものがあるし、分というものもある。
   悟ってもいないのに悟りについて話すのって、どういう心境なんだろう?   



   後世のわれわれが好き勝手に話の材料、あるいは飯のタネにしている。

   衆生済度、他人を救済するという思想が仏教の根本にある。
   しかし、その前に己を知ることが前提。
   そうでなければ溺れるお地蔵様になっちまう。
   学者の先生はそのことは承知なのか、どうもこうも、
   みていて恥ずかしい人ばかり、表に出てくるように思うのはあたいだけかい?

   そんな話に耳を傾けるより、藤枝静男の「欣求浄土」を読んでお盆を過ごすほうが
   よほど有意義、スカッとして生きる元気が出てくると思うんだけどなあ‥

  
   

      
   
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夏顔と夏服

2008-08-13 11:44:14 | Weblog
            夏顔です。


    夏服、というのは女子の言葉のような気がする。
    いえ、もちろん男子にも男性にもあるにはあるが
    女の子にとって夏服は特別なものではないだろうか。

    白いレース飾りのついたブラウスなど、わたしは滅多に着ない。
    オーガンジーの柔らかな服より糊の効いた麻や木綿のシャツを
    夏でも脱がないジャケットの下に着ているというのが、わたしの
    仕事着だからだ。
    レースや透ける素材のふわりとした生地で縫われた服を
    あんなものを着ているという眼で見ていた時期が長かった。

    クローゼットの中に、白いオーガンジーのブラウスがぶら下がっている。
    袖口、襟元、そして胸元を合わせたところが縦にずっと、花びらのように
    レースで被われている。
    わたしが自分で買ったものである。
    まだ若かった頃、高くて無理をして手に入れたのだと思う。
    大事にして着ないまま、季節ごとクリーニングにだけ出していた。

    スーツを仕事着にするようになってから、そのレースのブラウスは
    ほとんど省みられなくなり、奥へ奥へとしまわれ、クリーニングにも
    出されなくなった。そのうち、白い色は黄ばんでクリーム色に変わってきた。

    白いシャツブラウスが好きである。
    ほとんどが木綿、麻でシルクが一枚だけある。
    毎年一枚か二枚ずつ新しく買って増えてきたが、着古して捨てた記憶がない。
    クリーニングから返って吊るされているシャツやブラウスの向こうに、
    先日気づいたのだ。
    ああ、このオーガンジー、どうしようかと。

    これは夏服というわけではなく冬でも華やかな装いをするときには重宝する
    類のものだ。けれども、もう着る機会はなくなった。こんなに黄ばんでしまって。
    どうして着なかっただろうか、それさえ思い出せない。

    今年はやわらかな、ふわりとした女の子らしいシルエットの服が流行りのようだ。
    流行はめぐってくるので、今ふたたびということだが、ふたたびといって
    とりだせるような形の服を、あいにく持ち合わせていないのだ。

    クローゼットの中をどう見渡しても、
    直線的で無駄のない、シンプルこのうえない形の身体の線にあった
    シャツやブラウスだけがしまわれている。白と黒がほとんど。
    稀にケンゾーの極彩色が混ざっているが、出番はない。

    流行とは無縁なわたしの、白はとりあえず女子らしい夏服だろう。

    まだ少女だったころ、母がブラウスにアイロンをかけてくれていたことを
    思い出す。着た服を脱いで、また選びなおして着直すという女の子だった。
    母はそれにつきあってくれて、隣の部屋から父のたしなめる声が聞こえてくる。
    その日は夏だったのか、記憶はあいまいだが
    白い色と若かった母のピンクで張りのある頬を、鮮明に思い出す。

    「強がっていたのだろう、たぶん」

    レース飾りやふわふわが好きなのに、着なかったわたしは普通の女子である。
    たぶんこれからも着ないが、夏の陽射しの下を歩きながらそう思った。


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