想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

足早にやってきた冬ですが

2012-11-29 02:45:00 | Weblog
最後の赤をあの人へ
奥の楓の木(イロハモミジかヤマモミジか定かでないけど、うちではモミジちゃんでいいことになってる)もうすっかり葉は落ちてしまった。今年も美しかった。ありがとう、楓たち。...



朝陽に照らされて、霜が融けるように心もやわらぐ。


しかし今年の初雪は3週間も早いのだ。なにがどうなったん?

唐突に、解散します、ぼかあ嘘つきじゃありませんって野田氏
が意地を張ったので選挙戦が始まった。
と思っていたらあれよあれよと一夜明けるごとに新党が新党に
なり、「日本未来の党」が生まれた。
脱原発の勢力を結集しようということだ。
原発問題は原発のみ(シングルイシュー)ではなくその他諸々
のTPPや増税や脱官僚支配なども含んでいる。だから脱原発で
結集していいのである。

オレがオレがの性分や目立ちたがりがあたりまえの政治の世界、
一つにまとめるのは大変なことなのだが、さすがに小沢氏辣腕、
まとまってしまった。
嘉田滋賀県知事を党首に結成された新党へ、消費税増税に反対
して民主党を離党して成った「国民の生活が第一」(小沢代表)
は解党し、新たに入党という手続きを踏んだ。
これは簡単なようでそうそうできることではない。党首や代表
、幹部という立場にしがみつく人間が多いのであるからして、
小沢氏は民主党鳩山代表の時もそうだったがそこに固執しない。
まず何よりも政権奪取し、政策を実現するために行動する。

志をどこに置くかという点で、小沢氏の筋の通しかたは今の
日本に失われつつある美徳である。残念なことに志ではなく
利害だけでぶら下がる者が多すぎて民主党の時は分裂した。
その醜さをこれでもかとみせつけられてきた国民が、再び
新・新党に期待を寄せるというのはいささか複雑な境地だ。
維新などと嘘ぶいている連中はこの新党に吹き飛ばされ、
我らも脱原発だなどと迷走しているが石原慎太郎は極右だ。
原発どころか核兵器のシュミレーションをしろなどと言って
いるので考えるまでもない、害虫は選択肢に入れなくていい。

政治など好きではないといいながら、この選挙の成り行きを
見ぬふりはできないという人が周囲に少なからずいる。
彼らの話の共通点は小沢氏の大胆な新党戦略の明暗について
である。
民主党政権が人の裏切りをあまりにもあからさまにし、偏向
した報道がテレビから毎日垂れ流されたこの2年間。
明るい未来というより厳しき未来、それでも進むしかないと
いう意味での応援をしている。

選挙には行くけれど、私に投票権のある選挙区にはろくな
候補者はいない。民主党中枢で内閣にいたバカ野郎がまた
出る他は共産党と自民党から女性候補者。
期待の日本未来の党は候補者が立つかどうかまだわからない。
今回の選挙では投票したいと思う人がいない地区があちこち
あるのではなかろうか。もともとそれで棄権する人が多いの
だろうけれど、今回ばかりは選挙に行くべきである。
小選挙区でなくとも比例区で党名を書けばいいわけだから。




(11月11日雨の中、国会大包囲の日)

左手には抗議に集まる人波、お堀側には雨に濡れて走る
皇居ランナーの群れという風景、走るより抗議だろと思った)

昨年から官邸前デモ、反原発大集会と脱原発の運動は大きく
前進し、日本人の8割が脱原発を希望する段階まできた。
そして、脱原発を旗印に結党しそこへ他党から結集するという
想像だにしなかったことが起きた。
これだけ考えると捨てたもんじゃないという気もする。
あとはそこから目をそらさず主権者として市民は監視する役目
を怠らないことだ。そのために選挙へ行かねばならない。
原発は命の問題、あらゆる命の問題なのである。
いざ、カマクラである。

葉を落とした樹々を眺め、スマンスマンと謝っている。
ええよ、だいじょうぶよ、と聞こえる。
勝手で意地悪なのは人間だけである。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クレオールとオキナワと大和

2012-11-15 15:22:46 | Weblog
(紀伊国屋書店と在日フランス大使館共催企画の第一回目)
「文学の力」と題して語ったのは大江健三郎とパトリック・
シャモワゾー、そして司会進行役は堀江敏幸。
ぜいたくな組合せなので期待を胸に時間ギリギリに小走りで
新宿南口へ向かった。外は寒かったのだが大汗かいてしまった。
紀伊国屋書店サザンシアター入口には満員御礼の札、盛況だ。

日本ではあまり馴染みのない作家であろうクレオール文学の騎手、
P.シャモワゾーが自著「カリブ海偽典」の作品世界をまず語った。
大江健三郎がユーモラスにシャモワゾー氏との出会いを話し始め、
そこにはすでに作品の持つ秘密が込められていて、最初から引き
込まれる内容であった。

la voix ヴォワ、声、言語ではなく声、声によって綴られた文章
を記憶したと大江氏は言った。
クレオールを単に植民地主義の産物と定義づけてとらえると過去
の遺物でしかない。しかしカリブ海から東洋の島々へとつないで
クレオールを理解するのは日本人には容易なことだ、今なお続く
オキナワの植民地支配を思えばいい、あれこそクレオールなのだと。
さらには尖閣問題を考えよと、日本人に身近な問題として解説した。
クレオールの指し示すものはエキゾチックな西インド諸島のかなた
の話に限ったことではないのだと。
植民地として支配する側と支配される側がある。一方でその壁を
超え生きていく人々の暮らしが文化を育む。クレオールの人々は
境界を持たず融合し、新しく洗練していくのだ。
シャモワゾーの物語は水平に展開していく、そのことが未来への
展望を示している、これからの時代はそこへ向かうのだと大江氏は
繰り返し言った。



白人世界は他者を排除する。排除しすべてを征服せずにはおかない。
クレオールはただそこにあるものをあるがままに、そこへ融けて
いく。そしてシャモワゾーは自己自身の内側へと入っていくことが
他者を見るということだ、そう語った。対立の逆である。

ずいぶん端折って説明してしまったが、わかりやすい話だった。
なぜなら、ふだんから思考していること、特に最近のカメの講義に
出てきた「大和のこころ」そのものだったからだ。
対立して争うのではなく中庸と融和。「私」を持たない世界の
広がりが根底にある思想だからだ。

大和魂などといつから間違って使うようになったのか訝しく思い
ひもとくと、江戸時代に勃興した国学者が漢学を敵視するあまり
偏り(本居宣長を除いて)さらに明治に入り国策である富国強兵
に都合のいいように用いたという経緯がある。

ヤマトダマシイなんつって中国と一戦交えようなんつって都知事
辞めた人がいるが、大江氏はクレオールから学ぶ最も直近な問題
とし尖閣国有化問題を挙げた。
昔から島付近で漁を生業とした漁民は先祖代々、台湾も中国もなく
漁民同士として共生してきた。目と鼻の先の沖縄も同じだ。
それを今新たに境界を引き、占有し、対立するのは間違っていると。
未来へ向けて私達がとるべき方法は人間性に基づいた世界を作る
努力ではないか、それは可能なのだと。
クレオールの逆それはグローバリズムです、皆さん知っている
でしょう、グローバリゼーションで世界を一色になんてできない、
このことを皆さん考えて下さいと大江氏は繰り返した。

ここで大事なキーワードとしてヴォワ、声がある。
声はカメの言葉で置き換えると「響き」だ。そしてそれはカタチ
ではなく気配である。大江氏もシャモワゾー氏も共通しているのは
不確かなものを描くという点である。
目に見えないもの、だが、確かにそこにあって生きている者を支え
それなくしては逆に生きていけないだろう、不確かなもの。

(声、響きの対極に言語を置くとすれば言語は国境を作ってきた
カタチだ。母国語を超えて植民地で生まれたクレオール語、境を
飛び越えた新しい言葉はまた人種の境界を超える道具でもある。
この道具はカタチであるがカタチに留まらない力を備えている)

カメが教えてくれる魂の力、その不確かだが在るものを感じ取る心、
それは大和にいにしえから伝わって、そこここに在り続けている。

合間、大江健三郎氏は今年はずっと反原発のことで日本のあちこちへ
忙しく動き回って、もう年寄りですからくたびれます、家に戻って
小説を書くどころじゃないんです、でも今また最後の小説、最後に
なろうかといつも思いながらですが、取り組んでいます、そこに
書こうとしているのもヴォワのようなことなんです、と語っていた)
ユーモア溢れ、かつ力強く、挫けない人の言葉であった。
(付け加えると大江氏は中上健次が生きていたらシャモワゾー氏の
ような物語を完成したはずだと語った。)

文学の力、人間の可能性を学ぶ力、それが人の営みを明日へと
つなげていく、そのことを再認識した日であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こころとココロと心

2012-11-11 13:30:33 | Weblog
どれかな。

ぷーちゃんはひさしぶりに芝生の上。
でも風があまりに強いので‥‥。


よっこらしょ、と自力で立ち上がろうとして‥
その目はなーに? かわいいって知ってますよ。
でもたまには写真撮らせて。
迷惑そうだったが、無理無理にステイしてもらった。
ワルカッタ。



心と軽くいうけれど、心は思いではないよ。
心は整っているので、心を整えるというのはちょっと
違う。そもそも心から離れているから整えなければ
ならなくなる、それは感情のこと。

こころを込めてって、「私」情をいっぱい詰め込んで
ということになってることが多々有ります。
バレてても、ま、いいかと通用する世間様に甘えて流されて
世間様が相手の「私」ですな‥。
ま、そんなもん、どうでもいいことですよ、ゴミみたいなもん。

心はどこでやすらぐのでしょうか。

(自動更新セットしたので更新してる頃は霞ヶ関か日比谷
あたりをうろついておりますよー。雨降らなきゃいいんだけど
降ってもいいぞー、みんなといっしょだから。負けないぜ。
11.11 1000000 人 国会大占拠)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬はだ

2012-11-05 11:25:03 | Weblog
あったかいのが気持ちよい季節に突入したね。
人肌ならぬ犬はだがここちよいですよ、もふもふ。



冒頭写真は昨年の秋いまごろので、今年はまだあの
場所まで歩けていないんです‥乳母車みたいな犬用
カートに乗せていくかとも思います。
ただ、ベイビーは子どものころ、そり遊びをした時
そりを引かずに前からそりに一緒に乗り込んできた
過去があります。乗っては飛び降り、また乗ろうと
繰り返し、結局は走行妨害にしかならないアホな子
の前科が。老いたりといえどもカートに大人しく
乗ってくれるかどうか思案中。
あとひと月もすれば雪一面になるしなあ‥。
カートの車輪は埋まるだろうから、そりにするか?

カメの講義は「黄泉本紀(よもつほんき)」纏め、
でした。あまりの面白さに興奮しましたぜ。
そうとう難しい、これは基礎の五鎮道を踏まえている
と理解できるかと思います。要約するにはもうちょっと
うさこも反復横跳び、いや、反復復習してから。

大人になってからの勉強は楽しい。本当に知りたい
ことを自ら求めて学ぶからだと思います。
でもカメは自己満足にならんようにと戒めておられ
ました。利己ではなく利他を第一に学べと言う事。
さすれば、めぐりめぐって自分もよくなるでしょう、
ということなんですね。

そういえば、悪いヤツって当人ではなく周囲に迷惑を
かけて自分はのうのうとしてるもんね、逆にいい人って
本人の周囲が喜んで、喜んでいる人を見て喜ぶ当事者と
いう図。ひとりだけでしあわせにはなれない。
もふもふの季節、独りきりではないよ。

11.11(日)は風の谷から出て東京日比谷公園へ行きます。
東京の知人たちも100万人の一粒になりにくることでしょう、
みんなで勢いをつけて脱原発を加速したいですね。
デモは大勢の集まって怖いと思っている人、そうでもないんです。
反原発デモは過激派のデモではなく市民デモですから
真摯で、熱い。そんな雰囲気でした、これまでのところ。

















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明るきことは

2012-11-03 17:32:35 | Weblog
いい子にしてたよ
どうだんつつじの赤と、ベイビーの黒。ステキなコントラストではないでしょうか!って失礼、でもこのポーズは元気の印なのでお許しを。動物病院に預けられてたベイビー、やっぱり我が家が...


 おかげさまでぷーちゃんこと親分は元気でいます。
過ごしやすい季節になってよく食べ、よく寝て、かわいい瞳で
おやつの催促などいたしております。
歩くのは用足しするときだけですが、外にいて空気に触れて
風の匂いを嗅いでいたいようで、しばし立ち止まっています。
立ち続けがつらいので、よっこらしょと座りこんでしまいますが。
ほとんどヒトの年寄と似たようなしぐさで……ナットクです。
あちきもいずれそうなるなあと教えられています。
いやなに外ウンチはしないんだけど…。

こうして無事でいるのをみていると、夏場はほんとうにヤバい
状態であったわけで、その峠を乗り越えてくれたのがわかり
ます。歩けなくなって数日で亡くなったという知り合いの犬の
話をまた聞いて、君は強いねと話しかけます。
よくがんばったんだなと。
命について考えさせられる時間が多くなりました。


「自分の影を追いかけ、何かやっているつもりになっているが、
そのうち不安にさいなまされて、自分の影に怯え逃げ回る。
逃げても逃げても自分の影だから逃げられっこないのさ。
影が怖いんだからお天道様の下には出てこれない。
美しい月夜の晩だって出てこれない。
一生ぐるぐる、同じことをやってるだけ。自分勝手というのは
そういうものさ。人間、「私」を捨てるのがまず先だってこと。」
カメが笑いながら言った言葉。

捨てるという言葉に過敏に反応し、「捨てるなんてできない」
と即座に内心で応じている人にはわからない。
「人間は何と人間らしからぬ沢山の望みを抱き、とどのつまり
は何んとただの人間で止まる事でしょうか。」(小林秀雄)

そう、人間は学ばずして人に成ることはできないという、道の
あることを古今東西の賢者が言ってきた。
昨今は、我が道などと言う者がいて自信を持とうなどと言う。
行くべき道は真っ直ぐ明るきところなのだが、わざわざ外して
横道に逸れて行き詰る人のなんと多いことか。パッと明るく
見えたのは目先のほんのちょこっとだけで、暗い闇の中では
歩けない。

自信など生きて歩くのにいるものだろうか。
惑わされて邪魔にしかならないと思うのだが。
闇は光、ということがわかるには自信ではなく他のものだから。

そこいくと、動物は素直でしあわせであるなとしみじみ思う。
たとえペットなどとヒトが見下したことを思っていても、あちら
はそんなことは露とも思わず、ただ生きている。自信家でもない。
虐められる動物もまた、虐められるままに虐める愚かなヒトを
じっと見つめ、死んでいく。少なくとも我が道などといいながら
勝手をやる者より崇高な生きものではないか。

崇高って、そんだけ神様に近いってことだかんな。

PS:11月11日は東京100万人大占拠です。
出発点の日比谷公園使用についてまだ不明なことがある
ようですが、デモは行きますけんね。
こちらでご確認を。




















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする