想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

フクシマを福島へと願う人々

2020-05-27 17:23:08 | Weblog
(放射能数値がとても高かった辻、九度目の
若葉、あわあわとした緑色が風にそよいで
いたが、心中のモノクロの景色と重なり、
ここを通るたびに、そのことを思いながら
ハンドルを切る)

福島市在住の中村晋さんの第一句集、
「むずかしい平凡」からの抜粋。

「燕来るフクシマに田を棄てぬ人に」
「桃捨ててふくしまをなお愛すなり」



中村さんは高校教師だ。約26年の
俳句歴で俳誌「海程」(金子兜太主宰)で
新人賞、以後、海程賞を二度受賞。
この句集は福島原発事故以前と当時と、
その後の三部で構成されている。
タイトルが、原発事故後に直面せざるを
えなかった日常の、望まぬ感慨であろう
ことは福島の人には容易に想像できる。

「フリージアけっこうむずかしい平凡」

中村さんは夜学の先生で、働きながら
通学する生徒を思う句がいくつもある。
自分の家族を思うのと同じくらいに
他者へ、教え子に注がれている眼が
俳句のなかにあり、やさしさや不条理に
胸を痛める様が伝わってくる。

「八月や屋根も柱もない国家」

コロナ渦をリーマンショックより打撃だと
いうが、福島はあれ以来、今日なお失い
続けている。
「国家」を信じてきた人を裏切り続け、
暴政の正体は今、さらにはっきりと姿を
現してきた。
経済、金融を基準にして物事を計るのを
当然と考え、それ以外のことがすっぽりと
抜け落ちて想像できない人が賢いふりを
している。それがまかり通るのは、この国
が本当に豊かではない何よりの証拠だろう。

あちこちで、田に重機が入り土を掘り返し
ダンプで運ばれた赤黒い土でまた埋められ
て、砂利で固められていく。何をやっている
のか告知板もないのでわからないが、、
環境省が進める放射能汚染土の再利用と
いう愚策を受け入れた場所なのだろう。
近隣に住宅があり、県道、村道が通る傍、
通学の子どもや散歩する老人。



福島は、この三十数年の歳月をかけて
果樹や酪農、米作りの技術を高め、
ブランド育成も力を入れてきた。
自然の豊かさもあわせて美しまふくしま
のコピーで観光客も増えた。
移住者はようやく収穫できるように
なり定着しようかという矢先のこと、
原発事故で中断した。

土地を去る人、去らざるをえない人、
被害を訴えれば、風評被害を煽るなと
住民同士で対立もしながら、元は一つ
同じ故郷なのだから。



育てた土を捨てて、また一から土を作る、
木の皮を剥ぎ、枝を伐り落とし、
また育てなおして、低い価格でも出荷する。
雀の涙の補償金では失ったものと引き換え
になりようがない。
失った者にしかわからないというのでは
あまりに寂しく辛いことだ。

土に生きることを忘れない人がいて
国土は保たれてきた。
むかしも今も、それは同じだ。
土に立ち、風を読み、考え、耕す。
売り買い以前のこの営みを尊重せず、
物を動かし暴利を得る仕組みで支配
する。それが権力とつながっている。
種苗法改正案を閣議決定した政府は
誰のための政府か。
改正案ではなく、根こそぎ農業をダメ
にしてしまう改悪である。

今、生産者の立場に立った仕組み作りに
しようと若者たちが、知恵を絞っている。
自分たちの未来のために、
そしてボーダーレスの世界のために。
それは、少しだけ明るい希望だ。

世界中にフクシマの悲劇はある。
コロナ後の世界は、どこへ向かうか。

中村晋句集 「むずかしい平凡」
本体価格1400円 (税・送料別)
お求めは下記まで。
bonekobooks@gmail.com






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文春砲は何故今なのか

2020-05-21 00:27:11 | Weblog
18日に見送られた検察庁法改正案
そして20日の文春砲。
賭けマージャンでは検察内に残る
ことさえ難しいだろうと思うが、
それにつけても文春はいつから
マンションをマークしていたのか
気になるところだ。

人間、身の丈以上に登りすぎると
傲慢になり、ワキも甘く口も滑り
がちになるものだが、黒川氏を
売ったのは産経記者ではないか
という推測を聞いて、なーるほど
なあと頷いた。
この砲弾はいったい誰を狙った
ものか、よくみないと喜ぶのは
早い気がする。
一番の巨悪にはまだ届いては
いないのだから。

「世間に存在する悪は、大半が
つねに無知に由来する。明識
がなければ、よい意志も悪意と
同じほどの多くの被害を与える
こともあり得る。」Camus
思い込みは禁物、
ぬか喜びせずに、
絶望と闘おう。



闘う夜にしたこと。
らっきょう1kgを塩もみし、
よく洗って熱湯で消毒して
ガラス瓶に入れて、
甘酢を注ぎ、漬けました。
唐辛子も忘れずに。
身の丈の暮らしが大事なん。


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三大弊害を克服するチャンス

2020-05-19 18:47:33 | Weblog
(ずっと見張ってるニャ by fuku)

忘却、あきらめ、知らぬふり 
これが日本国民の三大弊害だと
作家の保阪正康氏が語った。
そして今こそこの三大弊害を克服
するチャンスだと。
(本日5/19東京新聞こちら特報部)
あらためて深く反省し、納得した。
政治から目を背けてはいけないと。

#検察庁法改正案に抗議します
#検察庁法改正案の強行採決に反対します
ツイッターデモには様々な人が参加
して抗議の声を上げ、法案は見送られた。
そして三権分立を侵す現政権は国民は
そのうちに、夏が来れば忘れる、
そう思っている。
#検察庁法改正案を廃案にしよう
7月も8月も9月も忘れずに抗議し続け
廃案になるまで忘れないでいよう、
原発のことと同じ、忘れたら終わり
だからだ。

政治の話を素人がするなという議論
も飛び交って、それは暴論だろう。
すべての国民が主権者として政治に
参加しているのが民主主義国日本だ。
どんな仕事をしていようと無職だろうと
政治に関わりのない者はいない。
たとえ出家してもそれは同じ、それが
人間社会だ。


(忘れたようで忘れないニャ)

日本国憲法を掲げた法治国家のはずが、
法の意味するところを現政権は「解釈」で
ねじ曲げてきた。最も記憶にあるのが
安保法制の自衛隊海外派兵の容認だ。
武器を携行し外国部隊と共同参加する
ことができる。
憲法に明記された戦争放棄、非戦と
専守防衛の定めを解釈で破った。
国会は夜通しの強行採決だった。

昨日はこの数年間初めて正しい声が
一つの形になった日だ。
そのまとめ記事が載った新聞を
切り抜かずにそのままとっておく。

60年前、1960.5.19は岸信介首相
率いる与党が国会に警官隊を導入し、
国会延長を可決し、翌20日未明に
新安全保障条約を本会議で承認した。
これは、国民の怒りに油を注いだ。
しかし強行採決は岸首相の勝利とは
ならず約一ヶ月後に退陣している。

野党のみならず安保反対の国民の声は
高まりデモ隊の人数は膨れあがり、
東大生樺美智子さんが犠牲になったが……



60年安保闘争を境に以後の日本は、
70年代の高度経済成長期を経てバブル
経済、バブル崩壊、リーマンショックと
続き、なにやらわけのわからない
竹中平蔵の新自由主義やらグローバル
経済が幅をきかせ、公共サービスが減り
知らぬまに終身雇用は非正規になり、
町工場のある町は消え、消えた年金は
戻らないままである。
百年安心と言ったのは公明党だったか。
病床が減らされたツケで目下、コロナ対応
できる病院が限りなく少ないことを
ひた隠しにする始末。

今、安保闘争を知らない人が多いが、
今回はコロナ禍で国民があえいでいる
最中の「火事場泥棒」法案だ。
多くの人が逼迫し生活に窮している。
そして「おうちにいる」しかないから
スマホを見る機会も増えた。
そこへ、ツイッターデモだ。


(肥後シャクヤク)

検察庁など自分は犯罪とは無縁だから
関係ないなどと無知無関心の人もいた。
権力のてっぺんにいる悪人を逮捕する、
つまり政治家や財界人の不正と闘う
のが検察庁のお仕事である。
逮捕して起訴する。

それがどうだろう、この十数年、地検も
高検もさっぱり働かなかった。
無関心にもなるはずだ、事件がないから
ニュースにもならなかった?
否、森友学園、加計学園があったな、
大事件だった、桜を見る会と同じに。

あったはあったが……揉み潰し、
消されてしまうから人はあきらめ、
そして忘れる。
そしてなた何かあっても、知らぬふり
色々思っていて知らないふり。
権力の悪事ほど胸くそ悪いものはない。
だから憂鬱で見たくも考えたくもない。



薔薇の香り……
浸っていたい、
恋歌でも歌ってたい、
お笑いで笑ってたい、

それが人情だから、猫に慰められ
犬と遊んでもらいディズニーランドで
大人なのに遊園地ではしゃぐ。
(あたしは行ったことないけど、たぶん)
ところが今、嬉しくないお休み、
ステイホームなのだ。見たくもないものを
多くの人がマジで見てしまった。
で、とりあえず今国会では見送られた……

忘れてくれれば悪党は万々歳だろう、
カジノつくってギャンブル狂、借金漬け
増えても知らん顔してればいい。
作るまでがボロ儲けなんだから。
カジノくらいいいじゃん、とか言ってた
無関心の人、ハマってしまえば怖いのが
ギャンブル、薬中毒と同じだ。
嵩む借金でホームレスくらいならまだ
いい、命があるから。
その前に、臓器売買に強制労働、果ては
警備会社という名の傭兵部隊、春を売る
世界へと、醜悪な闇のコースもしっかりと
用意されている。
映画やドラマの話ではないのである。
くれぐれも罠にハマって堕ちないように。



検察庁法はとりあえず改正はいらない。
黒川氏は自主的に辞め国民に喝采して
もらうがいいと思う。
わたしは三大弊害をぼんやりとではなく
積極的に克服することにした。














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死のむこうがわ

2020-05-05 18:07:55 | Weblog
三日前から蕾がほころびはじめ
午前中にすこし開きかけていたのが
午後は、陽ざしを浴びて花びらが
すっかり開いた。
あたりぜんたいが明るく輝いている。
放たれた桜の光に照らされて
なにもかもがやさしく映る。

樹を数えるのは、桜にかぎって無粋な
ような気がする。
数えたいが数えない。
森庭にある桜のだいたいの数は記憶に
あるが、自慢になるから書かない。
(と、自慢している、誰に?)
なんという幸せ。自分に言い聞かせて
いるのである、おまえは幸せだよと。
ほんとうは母さんに見せてあげたい。

この季節、森は桜色でぼんやりと明るい。
まだ若葉もうすみどりの新芽だから
あわあわとしている。
どうしたものか、気持ちが華やぐ。
ろくなことはない日々なのだが、
桜の樹から伸びた枝の、ほんのりと
した薄もも色を下から見上げていると
薄いベールに包まれているようで
守られているここち、なんだか、うれしい。



歩いていたら、小さな花。
どのくらい小さいか、花びらを置いた。
ぽつ、ぽつ、とある。
名前は知らないけど、名乗らないのが
ここのいいところ。

小さなせせらぎのそばに、りんどうもどき
が増えていた。名前を知らない、あるいは
忘れた。だけど、大事にしている。
ずいぶん増えたなあ。





若い頃から読んでいるメイ・サートンは
「独り居の日記」に始まり「82歳の日記」で
サートンが亡くなる前の年まで書かれた。
その日記をまた読んでいる。
節目節目にこの本を取り出すのは、
迷いのなかから自分を取り戻すための
ようだ。

今日は山暮らしをやめて海辺へ移った
2年間を書いた「海辺の日記」を取り出した。
そこに書かれていたこと。

死はあまりにも美しい…
サートンはテレビである女医が話すのを
聞いて、ラザロの像をみたときのことを
思い出す。(ラザロはイエスの奇跡によって
死から蘇った)帰ってこなくてはならない
とはなんとおぞましいことだろう、と
サートンは想像したのだ。

女医は死線を越えて戻ってきた人から
聞いた話として「死の世界は美しい」と
話したのだった。

私もしばしば目を瞑って、夢想する。
そのときまぶたの裏側にあるのは
白く明るい光であり、調べだ。
しばし、安らいで戻ってくる。
戻りたくはないと言うわけにはまだ
いかないからだが、ときどきあっち側
へ行きたくなる。
目を瞑り、行ったつもりになり、つかの間
煩わしさから逃げるのだ。
身体が軽くなり、輪郭が周囲に融けて
しまったようになったら、戻ってくる。

サートンが信じているのは、蘇りではなく
死の先にある美しき旅路のことだ。
死んでしまったら何もかも消えてなくなり
肉体活動の終わりが存在の終わりだと
いう考えは、芸術家サートンを苦悩させる。
たとえ自分の生命は終わっても、作品は
長く読まれるかもしれないという希望が
詩人の創作意欲と理性をかろうじて
支えているからだ。

サートンは死が虚無ではなく新しい旅の
始まりだと語る女医の話に「血管を流れる
酒のように確かなさわやかさを肌に感じた」
と書いている。
覚醒の感覚を得たサートンは同時に
それまで自分がひどい気鬱だったことを
自覚したのだ。

目を瞑りあちらがわへ行きたがるからと
いって、今起きていることから目をそむけ
たがっているのではない。私は、生きる力
をすこし分けてもらいたくて目を瞑る。
あちらがわにある、澄んだ明るい気で
己を充満させて、こちらがわの闇の中で
闘える力にするためだ。

友人の知人がコロナ感染症で亡くなった。
突然のことだから友人はショックを受けていた。

死を身近に感じると、自身のことが不安になって
当然だろうと思った。
今できることは何だろうか、何もかも
止んでいる日々に、不安以外に考える
ことは何か。そんなことを話していた。

死の訪れかたは様々だけれど、
死の先にあるものはそう多くない。
実は、二つしかない。二つにひとつ
明るいか、暗いほうへか。

明るいほうへ行ける練習をする時間、
生きている時に与えられたこの時間を
有効に使いたい。
どのような死に方をしても、行く先は
二つに一つだから。
感染症流行の前から変わりなく、
もう長いこと練習生だ。

死はひとつの区切り、新たな門である。
今できることは、魂を汚すものを
遠ざけることかな。
自らの生き方が問われる時間。
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