想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

昔日の客(関口良雄著)古書店をめぐる話。

2016-05-30 16:19:53 | 

今は亡き彷書月刊の田村さん(編集長)には
仕事の上で、ずいぶんお世話になった。
知人の紹介で会いに行った日に、カレーは
好きかい?と聞かれ、返事も待たずにカレー屋
へ誘われ、ごちそうになった。
用件の話は帰りしなにほんの数分で終わった。
神保町は昔から旨いカレー屋があって、
インクや紙の匂いとカレーの匂いは
なんだかマッチしていた。

彷書月刊は田村さん亡き後、廃刊になった。
古書界の人に通じ、本に通じた田村さんだから
できた手堅くもやわらか頭のユニークな編集を
引継ぐのは難しいことだ。
財政面での苦労もずいぶんされていたし。
しかし今手に取ってみても、捨てる気にも
売ってしまう気にもなれず月刊なのでかなりの
数だが大事にとってある。

山王書房のことなど、知っているのはおそらく
何かの座談会で出たからだろうと思う。
「昔日の客」のことも手に入れば読みたかった。
それが夏葉社から復刻されたのを買って
何度も読んだ。何度も読める本は数少ないが
読んでいるのか、山王書房主人の話を聞いて
いるのか、その空間にすっぽりと包まれて
数十分過ごす。
バッグに入れて持ち歩き、昨日は新幹線の中
で読んでいた。

タイトルの客人が、実は野呂邦暢だというのも
なんだか泣ける話だった。
四十二歳の若さで亡くなった作家の生き様が
関口氏が書かれた短いエピソードによく表れて
いるのであった。
山王書房主人は日がな古本の棚に囲まれ、
さながら人の心の海を渡るようにして、
過ごしておられたのだろう。

繊細な人である。
「父の思い出」「大山蓮華の花」が特に胸に
沁みる。

短い出会いのささいなやりとりから、
その人の一生分の一番大事な想いを掬って
受け止め、文章に紡いだ。
それは、人を見る目とかいうものとは違う、
心をそのまま受け止める才能なのだろう。

そこにはミリオンセラーで豪邸を建てた
ような作家が登場していない。
そういう本は希少本にはならず10円均の
箱行きだから商いにならないからという
ことではないだろう。

人知れず美しく咲く花のような希少本を
手に入れ、さらに高値で売ればいいものを
売らずにとっておき、最後に近代文学館に
そっくり寄贈してしまったのだから。



何が大事か、何が美しいか、本物は何か、
この本にはそのことがさりげなく書かれて
いるのだが、著者自身はそんな気負いは
さらさらなくただ書いたのだろう。
そこがまたいい。

売れてナンボの価値観とは一線を画した
世界がそこにはあって、人生捨てたもん
じゃないと思わせてくれるのである。
それが昭和28年から53年の、とうの昔の
事であっても、心は伝わってくる。

そして良き本は時代を超えて読み継がれ
人の背中を押したり手を差し伸べたり
道案内したり、役に立つものなのだと
改めて思う。
売れる本が求められるご時勢だが、良き
本の居場所がなくなったわけではない。

















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樹下山人の歌とラビッツ・ムーン

2016-05-21 09:14:56 | 
(江戸ちゃんがわたしの足音で走ってくる、
猫って耳がいいのか…犬みたいだな)



(欲張って大量買いしたラベンダーの苗、
植えるのが一苦労で、まだ半分ほど…)

一息ついて、歌集「樹下集」を手にとった。
めくってすぐに目に入った歌。

「むらくもに出で入る鳥を眺めつつ
   木樵のわれは 人を忘れむ」

「在るもののなべてはわれとおもふ日や
   泪ぐましも 春のやまなみ」

「無心よりほか知らざりきわが歌の
   恃みがたしも 誰に告ぐべき」

まだ事務の雑用がたくさん残っている
けれど、久々にゆっくりとした朝、
珈琲を飲みながら歌集をめくった。
春になると、どうしても前登志夫の吉野
ばかりが気になってしかたがないのだ。
今年はまったく動きがとれなかったので
奈良へも行かずじまいで春も終ろうと
している。
こちらの山はまだ春の気配なのだが。

最初の一首は他人事とは思えず、
次の一首は しばらく思案し、嗚呼と
思う。そして三首目である。
ひとすじ、乱れのない心、奥の奥に
あるものは、場所を変え形を変えても
湧き出てくる。
前登志夫の歌は万葉歌と同じひびきが
する。詠まれた場所のせいだけでは
ないということは、全歌集を通して
読めばよくわかる。
結局、その人のこころが何を求めたか
であるだろう。



数年前の前登志夫展で出会った小野小町と
いう忘れようのない名の小町さんと
あれから会っていないが、もうじき
彼女も新しい本を出す。彼女は劇作家
なのだが、前登志夫の門下で歌を詠む
人でもある。
六月上旬に発売、第一歌集。
「ラビッツ・ムーン」題名も
表紙もかわいらしい。

パンフに載った歌数首はどれも母として
の彼女の言葉が綴られていて、温かい。
彼女は活動的で元気、キャリアウーマン
のような印象なのだが、その心底に
こんなにやさしいものがあったのかと
驚きもし、うれしくもあった。
ご本人は「やっつけで作った」とか。
まさかのやっつけ、照れやさんすか?

小町さんの書く劇はわかりやすい言葉で
わかりやすく訴えてくる。
歌もまた深い感情を素直な言葉で詠まれ
ている。次に小町さんに会ったら言いたい、
「似合わないんだけど、しょうがないねえ
ほんとのことは出てしまうねえ、このさい
ぜんぶ出しちゃえば」と。

全部書いたと思ったが書き終われば
書き足りず次の準備で頭の中がぐるぐる
しているのはこちらも同じ。
本は読んでもらわなきゃならないので
小町さんのようにイベントでもすっかなあ
…しかし、こっちのうさぎは人見知り
なのでやっぱ、山ん中がいいのである。
















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報告のような記録のような、詩 近藤洋太

2016-05-18 14:22:31 | 
(山桜のあとには山つつじ、いま満開です)

ずいぶん長いこと、あんたメソメソしてるんだね、
もう五年経つけど、性格変わったみたいに…と
壁の声…。

本の校正のために七月堂さんへ行ったら
社長の知念さんが打ち合わせするテーブル
の上に、本を並べていた。

表紙の文字が大きくてすぐに目に飛び込んできた。
字が大きかったからか、書かれた文字のせいか、
おおーと声をあげて、それ、なんすか~と言うと
在庫の整理中なのよ、あとこれ一冊あったからと
知念さんが言う。
「保田與重郎の時代」
(やすだよじゅうろうのじだい)近藤洋太著

ホダヨ~と言って、ガンミしていると知ってるの?
と意外そうな顔をされた。
保田與重郎は、数少ないヒーローの一人である。
わたしの中の、であるが。
滅多にお目にかかれない名でもあるし、それを
タイトルにしたその本のことを知らなかった。
七月堂さんは詩集を主に扱う出版社で、近藤さんも
詩人である。保田與重郎の本を書いたとはどゆこと?
と尋ねると、いろいろ書いてあるわよ、それも入ってる。
高いわよ、と言われたが保田與重郎を語る人の
言葉は読んでみたい、すぐに買うことにして
話し込んでしまい打ち合わせそっちのけになった。

きっかけはそういうことだったが、近藤洋太の詩を
読みたくて、アマゾンで「CQ I CQ 」(思潮社刊)
を入手した。

その冒頭の詩、「動植物一切精霊」
東日本大地震から三年目の十一月三十日午前十一時
五十七分 やまびこ57号でJR郡山駅着
という書き出しで始まる。
近藤さんは案内役のB君と車で双葉町へ向かう。
双葉町から国道六号線に入り浪江町へ。
近藤さんの目に映る光景が淡々と描かれていく。

午後二時すぎ 常磐線浪江駅着。
「死の町」を通りぬけ、海岸へ。
津波襲来の傷跡をみながら、3.11へ戻る二人。
近藤さんの目的は墓参だった。
みんなが自然に作った墓。
供え物と一緒に立つ二本の卒塔婆、
「東日本大震災殉難者一切精霊」
「東電原発事故被災犠牲動植物一切精霊」
書かれた二行が、そのまま詩であった。

近藤さんの詩をまだこれから読むのだが、
思いがけない冒頭のこの詩で、
一気にメソメソが爆発してしまった。

熊本の被災には家族や知人のこともあって
心配はきりがないが、五年前の、自分も
関わる土地のこの悲劇は、たんに地震では
なかった。津波、そして原発事故と三重苦、
次に政府の棄民かと疑うしかない対応で
四重苦。出口のないままに時間が過ぎて
人々に忘れさせようとする力が強く
働いていることも感じる今。

この詩は近藤さんの現地ルポであり、
詩として書かれた記録であり、
その魂の雄叫びは、人が人であることの
証ではないか。そして…
行き場を無くした精霊を、書くことで
弔った詩人の行為は誰かに似ている。

保田與重郎は日本浪漫派を代表した作家、
歌人、批評家であったが、その心は常に
歌にあった。そして時代を疑い、世相に
おもねらず、孤高に生きた人である。


(利休梅が初めて咲いた、後でジョリコが昼寝)




(二本一緒に植えたのに、なんだか
花びらが違うように見える、なして?)

遅れに遅れて明日ようやく校了になる予定。
そのために我ながら驚くほどに余裕がなくて
ブログの更新が月1になってしまった。
ここは気晴らしに書こうと始めたのだが、
すっかり滅入る話ばっかりになって早五年だ。
それでもぷ~ちゃんがいたころはまだよかった。

表紙もまだ見ていないのでお知らせも
できないが、古の心をたくさん入れた本になった。
これを機に、いいかげんメソメソを閉店したいと
思うばかりなり。








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