想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

たまにしか会えないと

2020-06-18 00:29:33 | Weblog
お、いたね、卑弥呼ちゃん。
ひーちゃん。
とても久しぶりだね
おばちゃんを覚えてる?
かがみこんでiphoneを向けたら
水飲みをやめて振り向いた。
まぶしいね、
元気だったかい

ひーちゃんはゆっくりと立ち、
玄関ポーチの脇から家の裏の方へ
入っていった。
隣家との間は猫道。
よそ様の玄関なのだが通るときに
つい覗き見るようになった。
名前を知ってしまうと、ゆきずりの
野良猫ではなくなった。
やっと会えた、ずいぶん久しぶりに。

2月半ばから、会いたいからといって
すぐには会えるわけではないという
ことが当たり前になってきた。
緊急事態宣言は解除されたがすぐに
元どおりにはなるわけではないし、
「元」には戻らず新しいスタイルをと
言われ始めた。



会う、会えない、会いたい、会いたくない。
会えないとき、会いたい。
会いたくないときに会わねばならない。
会う、meet / see / get together

いつも思っている こころのなかで
会えるよ 
いつも思っている いつも会いたいと
見て触れて抱きしめたいと
二つの会いたいが対立する。
生きているから目で見て肌で感じられる
それは亡き人ならば、違うのか

遠く会えない人の声を、電話で聞く
亡き人に語りかけ、思い出をなぞり
なぞりながらその感触を思い出す
声音はないが何かに揺さぶられ、感じる。

生者と死者と、会いたいときの感触を
比べながら、考えた。
会うということについて。
それは現実か空かではなくて
思いの強さなのだと思った。

会えない時間、この世とあの世のと
どちらも濃密につながり、感じた。
与えられた温もりに慰められた。
まるで初めてかのように強く感じた。

母の慈しみ
父のいのち
ふたりに包まれて、抱かれて
ようやく私はさみしがらなくなった。
すごく時間がかかった。

人にやさしく、人に親切に
そう教えてくれたのに、わたしは
悪い子でした。
とても恥ずかしい。
あれこれ思い出すと、
取り返しがつかないことばかりだ。
とても悪かった。



母は父が生きているときも死後も
我慢強く生きてきたので、人を頼ること
ができない。
長生きして、良いことばかりではない。
身体が思うように動かせなくなった。
心臓も弱った。

「介護」というお手伝いに頼ることが
できなくて、身の回り全般を自分で
どうにかしてやろうとしていた。
介護の人は、がんばりなさるから手が
出せないと言い訳する。
システムどおりにはうまく回らない。
車椅子に乗り換えトイレに自分で行く。
母はなんども倒れ、
何度も死にかかった。

私はお金を払ってお願いしているから
頼んでいいよ、頼まないといけないよ
となんども言った。
そんな言葉は無駄だった。

「排泄介助を初めてしてあげました、
お礼にと言って、お母様がお茶の
ボトルをあとから追いかけて
持ってこられましたから、
ありがたくいただきました」
スタッフからそう聞いた。

母は、もう楽をしていいのだと
会えない時間に学んだ。
長い長い長い、忍耐と頑張りの果てに
嬉しかっただろうと思う。
やさしさに身を委ねることができて。

できないことがたくさんある。
詫びたいことがたくさんある。


















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バラの香りと詩と

2020-06-08 09:13:42 | Weblog
酔ってしまいそうな香りがあたりに
漂って、いい気持ちになる。
ペネロープがたくさん花をつけた。
ムスクのようで、もっと甘い香り。

イギリスの田舎道によく咲いている
そうだ。
やわらかな花びらが
風になびき しなだれて
道行く人を慰めてくれる。
棘があるから手折りはしないだろう
けれども、秋につく赤い実を持ち帰り
家の庭で育てたりするかもしれない。



雨上がりの森
みどりが襲ってきそうだ
わかばの色が濃くなってきた
人の気より樹の勢いが勝っていて
居心地がいい 極上の場所



先週から仕事のあとは詩集を読んで
いる。 詩人の名は細田傳造。
ツイッターで話題になっていた。
細田氏の最新詩集「みちゆき」である。
選考会が延期になっているH氏賞の
候補になっている。
そういうことは、後で知った。

いろいろと知らずにまず読んで
びっくりした。
あまりに素晴らしくて。

すばらしいというのはこの詩集に少しも
似合わない褒め言葉なんだが、すごい
というのも変で、なんといえばいいのか、
心打たれてしまった。
それで、他の詩集も取り寄せた。
既刊詩集6冊が次々に届いたので、
「水たまり」を次に読んで、さらに
ガツンときた。
いま味わっている最中なので詳しくは
書けない。

ただ、細田氏にバラを贈りたい。



絹花 とあった。
「わたしの五月へ」という詩、
最後の行
「今年も五月の絹花があればと思う」
絹花はバラのことか、五月だから。
五月を待ち望んでいるのだから。

花の名前、人の名前、地名、
固有名詞が頻出する。
抽象的な感覚ではなく、すぐそこに
見えるように伝わるのは固有名詞の
はたらきだろう。

歴史を知らない者にはここで初めて
より生々しい歴史をかいまみることに
なり、周知された歴史よりもよほど
わかってしまうことになるだろう。
大きな歴史より個人史の方が肉薄
して伝わり考えさせられる。

隣のなんとかちゃんの話や担任の
先生に起きた事のほうが、説得力が
あってわかりやすいのと同じだ。
固有名詞が書かれているのは
珍しくないが、主体でありながら、
ごく自然に現れ、際立っている。
観念ではなく肉体を持つ名前と
風景がまざまざと目に浮かぶ。

そういう詩がぎっしりで、どれも休まる
ことはない。
けれども、沈鬱な重さではなく、
明るい軽みでもない、
何か空に抜けていくような
自由を勝ち取った人の言葉であった。

固く縛られた縄目を解き、縄をうち遣り
走りたいが、走らず歩いている。
そんな風だ。 
怒り、悲しみはどこへ遣ったか。

悲しみに慰められる。
私が多くを知らないせいもあろうが
こういうバランスの詩に初めて
出会った。
驕らない人はいい。
それが本当の自由人だから。
まだこれからじっくりと読めるのが
うれしい。 よく考えたい。

細田傳造 詩集
「みちゆき」 書肆山田2019.5
「アジュモニの家」思潮社2018.3
「かまきりすいこまれた」2017.6
「水たまり」 書肆山田2015.1
「ぴーたーらびっと」書肆山田2013.5
「谷間の百合」書肆山田2012.6
























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