想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

倒木のいのち

2015-03-27 13:11:28 | Weblog

突風で折れた高いところの枝があちこちに落ちて
いました。



近づいてみると、新芽がにょきっと出ている。
瑞々しいので不思議に思って観察していると
なんのことはない、枝の折れた先が小川の水に
浸かっていたのでした。



十年くらいまえに同じ場所に桜の木があって、
それは幹から倒れたのですが、水に浸かった
まま、春には若葉を出し、花をつけたのです。

なんだか片づけるわけにはいかないなあと思い
そのままにしておきました。
もうベイビーが川で遊ぶこともないし、誰も
邪魔にはならないだろうから…
(今は猫の水飲み場だけど、彼女たちは跳ぶ
から大丈夫なのね)



しょぼい感じだけど、大事にしているマンサクが
咲いた。



ややしょぼだけど、ろう梅も咲きました。
みんな元気でうれしいです。

遅くなりましたが「かかか」に八紘一宇とは何かを
アップしました。
日本書紀からの引用をアレンジした言葉ですが、
書紀ではなく旧事紀の神武天皇紀の該当部分を
引用してあります。一部ですが原文を見たことの
ない方はぜひお読みください。

明日はツバキを植えます~楽しみです。
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春めいてきました、と、八紘一宇

2015-03-21 16:42:40 | Weblog
月曜日まで雪に被われていた庭が3日ぶりに戻るとすっかり
春めいて風もやわらかく驚いた。
四月にまた降ることもあるが、積もるほどではない。
雪の季節が終わったことにとりあえずほっとする。

春がくるたびに、ああ春だと思う。
樹々の新芽が膨らんで、土が起き上がり、雪の下にあった枯れ草
の間から新芽がのぞいて、緑色が見える。
忘れていた春の匂いは、毎年のことなのに、初めてのように
嬉しい。



縁側ではジョリとジョリの子がひなたぼっこしている。
少し歩こうと表に出ると、ジョリがナニナニと顔を上げ
縁側から降りた。



ついてくんじゃねえーよとジョリパパはジョリの子に。



しかし自分は…頼んでもいないのについてくる。
ジョリは子犬のようだ。ベイビーの身代わりかっちゅうの。



あたしも、とジョリの子がついてくる。



ジョリは足下にまとわりついてスリスリする。
撫でるとごろんちょして、さらにゴロゴロ言っている。
オヤツの時間には早すぎるので、催促でもゴマスリでもない
純粋なスリスリだと思いたい。



ちょっと~、お父さん何してんの~とジョリの子が近づいてくるが



ジョリパパはさらにゴロゴロ甘えて、ジョリの子はあたしも~と
小さな声で鳴いている。



ジョリの傷がだいぶ癒えて、新しい毛がうっすら生えてきた。
春だかんね、もうじき治るよ。
神さま、ありがとう。
古代のヒトが春を言祝ぎ、神を祀った意味が自然に触れていると
理屈でなしに、沁みるように感じられる。



ついでに言うと、国会で自民党議員が発言したことで話題になって
いる「八紘一宇」について、ついでで悪いが大急ぎで言うと…
「世界を一家族に」と解釈するのは間違いでありますね。

八紘の八は末広がりで縁起がいいなんて意味でも使われているが、
周囲すべてをさし、広がる様や網羅することをいい、また一宇は
為宇で、天が下、神のもとにという意味である。
天地の意味を正しく知らなければ違う解釈になる。
田中智學は仏教者であるけれど儒教的素養で記紀を解釈している。
儒教での天地と神道における天地は全く意味が異なるからだ。

原文の八紘為宇の前の、「下則弘皇孫養正之心」が重要である。
それに続いて、しかるのちに、こうしようという志を宣うている。
家族云々という語釈ならば儒教思想なので日本書紀の神武天皇紀には
当たらない。
天(神)の意を受け継ぎ徳の恵みに感謝し、正(かたよらない)心を
養うよう人々に広め、しかる後に地を平かにし都を開き天地一つとなす
という詔なので、政の基本姿勢、基本精神のありようを示したものだ。
戦争を正当化するためにアジア諸国を「大東亜」などと一括りにした
詭弁とはほど遠いもので、また国体という意味でもない。

ごく普通に考えればわかることなのだ。
他国と戦をして、一つにまとめ(征服)して栄えようというのは
侵入された民族にしてみれば奪略であり暴力である。
かたよらざるを徳とするのが天の意である。
それを正といい、まさごとと読む。
この原則は古代倭の思想にあるもので、その厳しさは神といえどもと
いうくらい大切なこととして書かれている。
それを外して天皇の詔勅にするなどあり得ない…。
真の天皇ならば、だが。

明治政府以降、いろいろとおかしなことをやってみて、
昭和の御代で、その結果はすでに出たわけである。
八紘一宇と国家総動員法で国じゅうを駆り立てた戦争は敗北した。
国じゅうが焼け野原となり、大勢の民の命を失った。
国は滅びたといってもいいくらいの敗北である。

滅びなかったのは、天皇は象徴という立場を了承し、現在の憲法下
にあって本来の天皇のあるべき姿に戻られたからである。
そして、日夜、国民と国の安寧を祈っておられるわけだ。
それを亡者のようなやからが、敗北に負け惜しみを言い、八紘一宇
などと死語を持ち出してきた。バカにもほどがあるが、誰かが
つぶやいていた「覚悟をしたバカほど恐ろしいものはない」に同感だ。

万葉集や記紀を出典として、帝国陸海軍は標語や軍歌を作り戦意
昂揚に使った経緯がある。
古典は一般には身近でないので卑俗な意図をもって、切り取って
用いる、そんなことができるのだろう。
祭政一致の時代だからこそ成り立っていた言葉を、政治が人の利害
に堕した世の中にあってことさらに持ち出す。悪用である。
先人に申し訳ないことだ。
しかし、学者がその手先になっていることにもさほど驚きはない。
残念ながら。

なぜなら、3.11以降、原発事故以降、放射能被害をめぐる発言で
信用に値する学者の数は、片手で足るくらいしかないからである。

古伝の言葉を知るには、その御代の心を察する謙虚さと敬いが
なければならないと思う。

詳しくは「かかか」の方に書きます。

ともあれ、芽吹きの春を迎えられたことに感謝。



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だんだん好きになっていく、みちのく

2015-03-12 00:53:33 | Weblog
3.11 四度目の今日はもうじき終わる。長い一日。
でも福島の本当の苦しみは、12,13,14,15 …と
津波だけでは終わらなかった。
全電源喪失は隠され、何も知らされないまま、避難指示が
遅ればせで届いたわけだ。
身の回りのものだけ、身一つで家を出てきた人々は、
家も故郷もそのとき失ったのだと、いまだに思い切る
ことはできないでいる。

人の死もまた、あきらめきれない。

それはなぜか。

政府のせいか。東電か。

うちがなぜ、わたしがなぜ、なんの因果かと。
いっしょうけんめいはたらいて建てた家。
ごせんぞさまから受け継いだ大事な土地。

人々の恨みは、どこへ向ければいいのか。
おとなしく従順だと評される東北人だが、それはいつも
都人に蹂躙されてきた歴史があるからだ。
千年以上も昔から、東北は西からの脅威に屈服してきた。

おそらくこの二十年くらいが、もっとも希望に満ちて
いたのではなかろうか、2011年春までは。
自分たちの力で、自分たちの土地を豊かにしていける
そういう確信をもってきたのではなかろうか。

東北のことを考えていると、光の集まる中央の裏側が
見えてくる。
それは戦後だけでなく、さかのぼって明治維新、徳川幕府
さらに東夷と呼ばれた中世に至って、同じ構図である。

九州と決定的に違うのが、搾取と貧困と忍従の長い歴史だ。
その民衆の記憶は子々孫々繰り返し、伝わり、生き様にも影
を落とすだろう。

復興の進まない福島に住む人の心境は、どちらも生殺しの
沖縄の年寄になら理解してもらえるかもしれない。
多くの人が同情はしているだろうが…わかってはいない。
愚かしく見えているかもしれない。
しかし、人は、あきらめるというのは、ほんとうはない。
知る、だけなのだ。

だから小賢しい権力者は、真実を隠し翻弄し相手がくたばるのを
待つ。いつの時代もそうであったように、今も行われている。

これでまた統一地方選で自民党が勝ったりするのなら、
地獄だなあ、ほんとうに。



ゆうべ夢を見た。
夢だと気づくのにちょっと時間がかかった。
人が訪れたので出ていくと、四、五人の男女がいた。
顔見知りなような、そうではないような…わからない。
ベイビーがわたしのそばをすり抜けて来訪者の前に
立ちはだかっている。
大きな犬だなあ、とびっくりしている。
シッポをバンバン振ってからだをおしつけていく。
男の人が笑いながら後退りしている。
するとベイビーはそのままデンと伏せをした。

何か御用ですか。
ざわざわと話している…がよくわからない…
ベイビーを見ると、今度はごろんちょ、仰向けになった。
何してんの~と言うと起きあがり、そばにいる。
来訪者が、それで、あの、と話しかけてくる。
ベイビーがまた前へ進もうとするので、押さえようとして
やっと気づいた。

ああ、これは夢かと。
ベイビーのからだをひきもどそうと抱きかかえようとして
気づいた。大きな、あたたかい、どっしりとしたからだ。

疲れた時によく見る夢は、見知らぬ人が訪れる夢。
たいていの場合、緊張でからだ全体が強ばるので目覚める。
ベイビーがつきそってくれたのは初めてだった。
いっしょにいるから緊張しなかった。
いっしょにいてくれたから、怖くなかった。
目覚めてだんだんわかってきて、そうか、と思った。
来てくれて、サンキュ、ベイビー。


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土の匂い 四度目の春

2015-03-08 23:20:57 | Weblog

遠く北米の自然のなかにいると、人の気配がなくていい。
とつぶやいている人がいた。雄大な森林の写真を添えて。
都会に憧れたり、自然に憧れたり、ヒトはわがままである。

で、ここはというと、東北の一番南の端っこであるが、
けっこう北国の風情もあって、夏は涼しくて避暑にいい。
そして何よりも、人の気配がない、それがいいのである。
北米まで行かずとも、静かで人知れずな場所はあるだろう。
たまにならいいが、そこに居続けるのを望む人は少ないからだ。

wifi電波届かず、コンビニ無し、遅れて届く郵便物、
注文しにくいネット通販。恐ろしく降る雪となかなか来ない除雪車。
そういうのに慣れれば、幸せなところだ。
ああ、こないだはハヤブサが迷子になってやってきた。
野生のではなく通信機をつけたハヤブサだ。
あとでやってきた不審人物は受信機を持った動物園の職員だった。
裏山や周辺をしばらく歩き回っていたが、あきらめて帰って行った。

で、…ここはうち捨てられた土地なので、人気はなくて当然である。

満州開拓団の引揚者が政府から割り当てられ住んだそうだ。
だが、気候が厳しすぎて作物が育たたなかった。
日照時間が少ないし、開墾するには傾斜が多くて広い畑はできない。
炭焼きするほどの山でもない。
みな下の方へ降りてしまった。

ある日、駅前からタクシーに乗った。
道案内もせずにすいすいと山道を行くので、どうしてわかる
のだろうかと変な気がしていた。
運転手さんは、ここ、ここ、おいらの畑があったとこさ、
急に指さして言ったのである。びっくりした。
そこは雑木林がいったん途切れ、樹木の高さがそこだけ低い。
だから日当りがよくて、雪解けも早い場所だ。といっても
まだたくさん残っているが。

そのおじさんは、他の人とは違うことを言った。
こんなとこさ、よく住むねと言われることは多いのだが、
いいとこだべ、川があるっぺ、広かったぺ、水が澄んで、
と懐かしそうにしばらく眺めていた。
運賃メーターを途中で止めて。

うちの裏に流れる小さなせせらぎは、昔はもっと幅があった
そうだ。水量も多かったという。
土砂が崩れ埋まり、片側は浸食して蛇行し、幅1mくらい
になっている。周辺は湿地だから夏になると溢れてくる。
水の流れは途中、道を横切り、おじさんの畑だったところまで
ずっと続いている。今では川とはわからないが。

作物が育たないので、小さな集落はやがて誰もいなくなった。
便利なところに移り住み、半世紀が過ぎ、ようやく老後を
楽しめる時が来たわけだが。
放射能が降ってくるとは思わなかっただろう。
海辺からこんなに遠くまで。

集落は兼業農家が多い。
庭先に、野菜畑とバラの花畑が隣あっている家が点々とある。
道路沿いは、春から一斉に花が咲き乱れる。牧草地の緑。
そこを走って家へ帰る。
自慢したいような景色だった。

どの家の庭も、山砂を撒いた黄土色と除染なかばの、ひっくり
返した黒い地面しか見えなくなった。
通るのが苦痛である。
ほんとうに苦しくなる。
大げさでなく、辛い、胸が痛くなる景色になってしまった。
また、元に戻るさ、戻すべ、とおじさんは言ったが。



山に戻ると、樹の根元にきれいに円を描いて土が顔を出していた。
土はすこしは生き返ったろうか。
樹は元気を取戻したろうか。
もうじき春がくるね。




仮置き場のフレコンバックを中間貯蔵施設へ早く移動させて
欲しいと思うけれど、双葉や大熊町の人々は土地を失う。
そのことをすまないと思う。
石原元環境大臣があとは金の話と言ったが、そうじゃない。
金ではなく、心の問題なのである。
心の問題を金で片付けるのはとても難しいのだ。
そんな大事なことを知らない者が背広を着て、握手をして、
未来を語る。我欲のために嘘をつく。
いやらしい奴ら。
わかりやすすぎる嘘なのに、と思うのだが…

黙っているとひとでなしに国も土地もくいつぶされてしまう。
黙ってないんだかんな、と歌う友川かずきの歌声が、応援歌
のように聴こえる。





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