想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

たまには助っ人

2009-07-30 16:54:49 | Weblog
仮植えしていたシャラの木を掘りあげる。



この木を隣人のSさんちの庭へ植える作業をした。
たまには助っ人なのだ。

穴はSさんがあらかじめ掘ってあったけど、底に大きな石があり
それをまずバックホーで取り除かねばならない。
たぶんスコップで除けなくて掘るのをここでやめたんだろうな。
石を取り出して、次はうちの敷地内から黒土をネコで運ぶこと数回、
いい土じゃないと根づかないから木のため、助っ人たちははりきって
やっているのである。



ごくろーであった、とオイラも参加。

シャラの木は宮司さんにいただいたたくさんの植木のうちの1本。
まだ居場所の定まらないものは仮植えしてある。
草も生えない庭だと嘆いているご近所のSさんちの造園作戦に一役買って出た。
他人んちの庭と言っても親分の散歩道、なわばり内なのだから自分の庭の
延長みたいなもの、美しい方がいいのである。
これも欲しいなあとリクエストされたのが西洋シャクナゲ、そうね……、
このあたりは花がないから華やかになってよいだろうねと決定。
垣根がわりで目隠しにもなるなあとSさんは喜んだ。
家の中をのぞいているヤツが防犯ビデオに毎週映ってるんだよねー、
木があればちょっと違うかなという話。
こんな僻地にくるアヤシイ奴は一軒では元がとれないのでついでの仕事を
やろうとする。隣に興味を持ったついでにこちとらにもやってこぬとは
限らないんである。防犯はみんなでやって効率アップだ。

ともあれ根付くことを願って解散、じゃなくて我々の庭へ。
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水浴び一番

2009-07-28 13:35:18 | Weblog

腹ばいになって、顔をつっこんで、ぐびぐびと水を飲む。
プハー、うめえや!



これを繰り返して一日が暮れる。
森の夏はいい。
見ている方も涼しくなるね。
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脚立に乗って

2009-07-28 02:31:16 | Weblog
同じ目線の高さから撮っていても面白くないので屋根に上ろうとしたら、
晴天の真昼! 鋼板の屋根は熱く灼けていて、手をついてへっぴり腰でしか
上れないうさこには無理なことであった。
よって、それならば脚立でいいかと、かなり目標を下げての試みとなった。
キモチ高めの目線だけど、庭がなんだかいつもより広く見えない?



こっち見なくていいの、気取っていて欲しいの、と思っても赤い舌を出して
いつもの表情のベイビー。シャッター音にごきげんである。
オイラを見てるっしょ、見てるっしょ、という感じ。

オレオレな人が苦手であるが、ベイビーのオイラ主義は別である。
ビミョウにつつしみとオイラが一番を使い分けるのである。
犬にできることが人にできない。
言葉が通じるのに理解しあえないのもオレオレ様につきものの問題である。
ベイビーが犬の姿をしているのが不思議な気になるときが度々ある。
あまりに気持ちが通じると、そこに人格がある気がして、犬のかっこうをした
長男のような弟のような歳上のダーリンのような、妙な気分になるのである。

あやまちは背負わねばならない。
スマンスマンと言いながら「食べてはいけない草」を食べる癖を直さない。
げーげー吐いて、しょんぼりしてるベイビーを叱れないのであった。
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愛は暑苦しい

2009-07-27 14:46:50 | Weblog
うさこの先生、カメは最近の流行言葉でいいますと『アラカン」ってとこですが
(年配の方、嵐寛寿郎のアラカンではないっす)そこいらの不惑四十男よりもたくましいのであります。
たくましいタイプの特長としては新陳代謝活発で体温高め、ですね?
そこへ、年中毛皮で同じく体格優れているタイプの親分がひっついています。
愛してるよ~、ってな具合。



おまえ、暑いだろ。体重かけてくるなよ、暑いよ、と言われてもかまいなしです。
そのままぐーぐーと寝てしまいました。
大雨のあと、気温が上がって夏の陽射しの一日、草刈りで汗をかきました。
親分の身体が濡れているのは、汗でなく、川で水浴びばかりしてるから。
子どもの頃、プールから帰って眠たくなったことを思いだします。


こちらは「不惑」四十男です。フワクってなんすか? と言われましたので
フワフワの動詞形と言っておきました、へへへ。納得したと思います。
分別とは無縁のフワフワでも蚊対策は完全武装で。
グラサンがオサレな四十男、どうしょもない湘南ボーイ、人生これからや~。

この後、メロンを切って食べようと用意してたら、寝ていたはずの彼が
速攻、走ってきました。
なんでわかったんだろう?

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白いヤマユリと

2009-07-26 04:48:34 | Weblog
black & white
between a smile and a tear



後光がさしてます、親分。
笑ったり泣いたり、人生は過ぎてゆくな。

行間に、一瞬よりもっと長いしあわせがある。
四十歳で死ぬだろうと詩を書いた十九歳の時のわたし。
死に損ないだと思っていた二十代、そのうち死ぬと思っていた。
まだこうして生きていて、ときどき訪れるのは死の誘惑ではなく
生きている喜び。

それはあなたと出会ったときの直感、鳥肌が立つというのは本当だと
知ったその瞬間。
忘れずにわたしのなかにあるうちは、生きていられる。
いつか死んだら、わたしはその喜びの中でふたたび生きる。
永遠にたゆたう喜びの内で。

ただ、今は一瞬より少しだけ長く感じるくらい。
けれどじゅうぶんにしあわせ、じゅうぶんに息継ぎできる。
また、笑ったり泣いたりして、年老いていくようだ。
四十歳では死ななかった。
先に死んで母親を不幸にせずに済んだのはオマケだ。
五十、六十、少しづつ息継ぎをしながら
行間に垣間見えるパステル・カラーをみつけ続ける。

原色を二つ足すと生まれる色。
白のやまゆりと、黒い犬から、
笑いと涙から、
合わせた先に、幸福がにじみだしている。

(深夜にジャズドキュメントを観た。コペンハーゲンのジャズクラブ、
今は無い「モンマルトル」での夢の共演。トゥーツ・シールマンスが出ていた!)
ニルス・ラン・ドーキー演出
DVD「モンマルトルの夜をもう一度」
彼のハーモニカの音、(ブルースハープ)はタイトルになっているbetween a smile and a tear ,
そうか、だから惹かれるのか。
でも音楽は理屈を知らなくてもいい。理屈はジャマだ。
直感で来たものだけが、残るから。
目を閉じて聴いていると、よくわかる。
リサ・ニルソンの歌声も、観ないで聴いた方が素敵だった。




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おきなわのかみさま

2009-07-24 00:15:06 | Weblog
ふつうの暮らしのなかで、神様の話をしても不自然ではない場所は
沖縄である。
沖縄には御嶽(うたき)というかみさまが降臨するという聖なる場がある。
神様にうかがいをたてる役割は祝女(ノロ)という女性で、つい最近まで
御嶽は男子禁制であった。開放された今も地元の人にとっては聖地である
ことに変わりない。
でも、おきなわの人々はかみさまを本当に信じていたのか?
いまも信じているのか? 
ただの観光資源に変えてしまってはいないのか?
そんなことを思いながら話を聞くと‥‥。


海の向こうはニライカナイである。
海に囲まれた地、島国では浄土、あの世の楽園は、いま足をつけているこの地ではなく
海の彼方にあると考えて自然であった。
そして仏教は西(インド)から東(中国を経て)へ東へ(日本)と伝わってきた。
東の果ての国から見れば西の彼方の海の向こうが極楽浄土、それは西方浄土信仰につながり
老いた僧侶が木の葉のような舟で死出の旅へと向かう。僧侶の魂は浄土をめざした。
海の向こうに浄土を見出す思想は琉球諸島だけものではない。
そう、ニライカナイ信仰は南方の島固有の宗教に思われがちだが、そうでもない。
道教、仏教、そしてアニミズムとが混然一体となった原初的な信仰である。

そして、かみさまだけでなく邪悪な鬼や病、災いもまた海からニライカナイからくると
いうのである。人々が最も畏れを抱く場、それが海であるということはごく自然なことだ。
近頃はニライカナイという言葉が一人歩きして、かみさまや理想郷といったイメージが
あるが、それは観光客用のあさはかなコピーのせいだろう。

如来の本拠地が西にある=西方浄土と考えるのは妥当だろうが、ではなぜ四方が海の
極東の国で太平洋の方角へ船出しようとしなかったか?
海流がさまたげとなったのだろうか? ザ・パシフィック・オーシャン!
そんなへ理屈を思うのは世界地図と地球儀で地球の広さを知ったつもりになっているからに
すぎないが‥‥ロマンチックとあさはかには到底ナットクできない性分だけんね。
西に沈む陽が極楽を思わせたからだろうとも思いつくが、おきなわのかみさまは仏ではない。
けれども如来信仰と同じように、ニライカナイを極楽浄土にみたて信じている。
日本人、やまとんちゅうは東からイズル朝日を拝み、ご来迎とありがたがる。
かみさまはかみさま、ほとけでも神でも同じこと、古代の人はすなおに、太陽と月とを仰ぎ、
うかがい、祈った。

そしてその形骸に立つ今の人も、湿った潮風に少しだけ現世を忘れるのだろう。
その信仰の姿がふだんの暮らしとかけはなれていない地、沖縄は那覇に降り立ったとたんに、
ふだん無信心で御利益主義な人さえ素直にしてしまうのだから。
海に、潮風に、スコールに、鳥の声に、なんだかありがたさを覚え、鎧を脱いでいく。

漁師は月を読んで船出をする。
農民もまた月の満ち欠けを数えて作付けをする。
あとは太陽が実りをもたらすのを祈り、ひたすらに励む。
暦は祝日のためにあるとばかりに朱色の日付を寄せ集め、今日がどんな日なのか
わからなくしてしまった愚か者には関係ないことだが。
いずれにしても人間だけがこの世の実在であるかのような考えを持ちようがない。
信じることは生きる術で、特別なことではない。
生きることに直結していない信仰はないということだ。
だから未来永劫、絶えることがないともいえる。ニライカナイは語り継がれる。

祈ることに比べれば、御利益を期待するのは卑しい。二つは似て非なるものなのだが、
その違いさえわからなくなっている。
かえる場所を失くして久しいやまとんちゅうは、刹那に生きているようだ。
女子高生はよい言葉だとカンチガイしてロマンチックに思っているけれど、刹那とは
時間でいえば1秒くらいのもので瞬間、だから目先のことしか考えないのが刹那に生きる
ってことなんだけどなあ。それのどこがいい?
かえる場所がないとは流浪の民ということになる。70年代にはデラシネとか言って流行
ったけれど(五木寛之センセイ)、感傷的に読み違えたか、流浪は悲劇なのに。
恵まれすぎて恵まれる喜びを忘れてしまったのなら、すべてなくしたとて悲しむことも
ないかもしれないんだけど‥子どもっぽすぎるなあ、単細胞だなあ、ミトコンドリアに
悪いなあ。(あたいは流浪はいやだなあ、同じ場で同じ月を見ていたい派だし)
そんなこんなで昨今、信仰は消え商売繁盛、生まれたのは祭りというイベントだけだ。
あと三十年もすればみんな間違いだったと気づくような気がするが、壊した奴らは
死んでいるからなあ、やるせない。



おきなわのかみさまと、やまとの神様。
どうもすれっからしになったような後者の分が悪い。

御嶽(うたき)の奥にぽっかりと空いた穴から、海が見えるらしい。
樹々に宿る精霊と戯れ森の道を歩いていると、頭上の明るさがニライカナイの空に
続いている気がする。
気持ちのよい場所、ここもまた聖地。





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石の上に四年

2009-07-20 23:20:13 | Weblog
庭の石垣の上に植えたハーブが花をつけました。
石の上にも三年、いや、このブルーの花をつけたセージは四年目です。
この香りが好きで、山梨の苗屋さんからネットで取り寄せ2株植えたけれど、
雪が吹きよせるこの場所で長いこと育ちませんでした。
もうダメなんだとばかり思って、正直忘れかけていた。
いえ、頭の隅にあってニームオイルを撒くときには必ずこの場所にも撒いては
いたけれど、あまりに伸びないし、花が咲くこともいつか諦めていたのです。



期待していなかっただけに、ゆらゆらと揺れる細く伸びた茎の青い穂を見て
訝しく近寄ったら‥‥、あまりの嬉しさに誰かに伝えたかったけれど。
高いびきで昼寝をするベイビーだけなのでありました。



庭に咲いててもらってもいいのだけれど、そばで眺めていたいので
摘んできました。
そばに咲いていた、どこからかやってきた捩り花(なぜここに咲いているのか?)と
赤いドンファンと一緒に食卓に文字通り花を添えているのであります。



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山の麓で犬と~2

2009-07-18 14:19:45 | Weblog
(続)
土地探しは誰にとっても難しいものだ。案内役がいても自らの判断基準、ものさしを
持っていなければいいのか悪いのか見当もつかないね。
かつて土地を探して歩いた時の苦い思いが蘇ってくる。なにごともケイケン、ケイケン、
地図と図面、他人の話だけではわからない。
これから山のふもとなんかで暮らしてみたいなあ、どうしようかなあと思っている
人達がけっこういるだろうから、余計なお世話なんだけどちょっとブツブツ言ってみた
んだけれど‥。

富士丸父ちゃんがアドバイスを受けたという(プロの人らしいけど)土地の造成費用の
見積もりがすごい。木を一本(大木らしいが)根っこから除くだけで何十万とかいう話
をしているのだから驚いた。それを真に受けたわけではないだろうけど、その土地を
見送る理由の一つになったことは確かだろうから、アドバイザーの影響は大きいのでは
ないだろうか。
ブログ友の「山奥で家族の楽園創ってます」のやまざるさんは自分で家を建てた人だ。
彼がこの話を聞いたら「オラにやらせろ、その半分、いや三分の一でいいべ、いやもっと
安くするべ、だいじょうぶだあ」とか言いそうだ。
実際、東京から移住した人の依頼を受けているようだし。やまざるさんは顔が広いので
(リアル顔の事ではもちろんないです、幅広い人脈というフツーの意味でございます)
あちこち連絡して下請けに丸投げなどせずにやってくれるタイプ、プロでないのがいい。
プロをあてにばかりすると家造りは妥協の産物となってしまいがちである。

えー、素人じゃできないでしょという方、その先入観が命とりです。
不動産会社と金融関係と住宅建設会社が仲良し三人組、つまりローンを組むとなると、
関係業者がぞろぞろっと現れるのでおまかせ!っとなってしまう。それを常識と思って
しまい、常識だからと頼ってしまい楽していると、あとあと悔やむことになったりする。
目を光らせて、耳かっぽじって、関係各位とつきあわねばならないのである。
家を建てた後、脱力感に襲われるというのは本当で結果が良きにつけ悪しきにつけ
そのくらい疲れるのだ。楽したくて建て売りを買っても同じことで、金に糸目はつけない
なんて成金でないかぎり、大仕事なのである。
願望を実現したいと思ったら、ああしたいこうしたい、あれが欲しいという自分の希望を
明確にしてブレナイことは、この際とても大事である。
ふだんは「私を滅す」なんて言っているわたしだが、これは決して矛盾してはいない。

「こんな場所買っていったいどうするつもりなんでしょうね?」と売り主が言ったという
その場所を伐り開いて家を建て十三年経った今、その言葉の意味するものが何だったのか
よくわかるようになった。
最初の仕事はぼうぼうと茂った草木、大木の始末であった。金とヒマが必要と最初に言った
けどそれよりなにより信頼できる仲間がいることが一番大事かもしれない。
建物とその周辺だけ刈り取って視界をよくするのに遊びながら一年かけた。キャンプ生活
に憧れるアホバカ軍団は童心をとりもどしてよく働いた。とても貴重な思い出だ。
便利なものが何もないというのが、どんなに大変かということを実感した日々である。
それとあらゆる道具は使いようであることも知った。つまり工夫の大事さである。

このあたりは別荘地ブローカーが暗躍しているので騙されて別荘を建てる人もちらほらいる。
少し離れたところにいるSさんの別荘が建ったのは三年前だった。造成中から観察していた
のだが、案の定、現在のSさんの悩みは庭に何を植えても育たないことだ。
あたりまえである。業者は木の根っこを掘り返して均した土の上に砕石を敷き詰め固めた
のである。茶色い地面がむき出しになって、毎年夏の草刈りの労力は省かれるのだが。
湿気の多い森のことだ。10日も留守にするとカビが生えてくるので新建材で建てクロス
張りにしたりすると、その家は捨てなければならなくなる。
ログハウスとは名ばかりの偽物ログ建材で壁を作ったりしても同じこと、そうした別荘が
もう一軒、放置されたままになっている。一昨年の夏、家中カビで大変と夫婦喧嘩をして
いたのだが、あれから姿を見せなくなった。もう来ないのだろうなあと荒れ果てた姿を見て
思いだすのは、完成した後しばらくして初めて挨拶に来たときの言葉である。
「いやー、アウトドアが好きなんですよ、自然っていいですよね」であった。
アホな男やなあとテキトウに挨拶したのだが、アウトドアが好きという割には最初の夏、
短パン姿でテラスで寝ていたので、なんちゃって別荘族だなあと推測しその通りであった。
安上がりに建てたログハウスの恐怖を知らないお気楽オヤジ、今はどうしているのだろう。



ある程度整備されて安心安全というお墨付きのついた土地を求めようとする気持ちも
わからないではない。そういう場所は純粋に住むだけでなく利殖を考えて購入する人もいる。
地代が多少高くついても後で売れると思うからだし、不動産屋もそう説明するからだが。
けれどそのことと、山のふもとで犬と暮らしたいという願望は両立するかどうか、そこが
問題である。欲しい物の軸足がブレてはいないか、よく考えないといけないのである。

わたしは地図にないような場所をあえて選んだ。それはわかりやすくいうと資産価値が
ないということである。
逆に、山梨や軽井沢などの別荘地は場所にもよるが利殖を念頭に求める人が多い。
しかし実際に別荘を持っている知人に聞くと、この十年ほどで様変わりしてしまい東京と
変わらなくなったと嘆く話しきりである。
なにせ利殖が念頭にあるから大きな声では言わないだけで内々の話ではそういうグチもこぼす。
人が人を呼び、周囲の景色も人が増えて変わった、山アジサイが根こそぎなくなった、
散歩道にあった野バラがいつのまにか刈り取られてコンクリートで固めた駐車場になっていた、
大型観光バスが停まって近所の隠れ家オーガニック・レストランへ人が大挙押し寄せた。
夜なのに車の往来でうるさくなった、きりがないくらいグチは続く。
別荘地は便利、けれども山の麓で暮らしたいというのとはちょっと違う感じがする。

どこからかド演歌が聴こえてくるなあと音のする方を見ていると、おじさんがやってくる。
カセットテープを流しながら歩いているのだ。熊除け?と尋ねると首を横に振る。
人除けだな、と笑いながら安心したようにヒトとイヌ一匹に挨拶して通り過ぎる。
草刈りの下請けをするので距離を測っているらしい。村人のアルバイトである。
村人が怖いと言ったのは山奥は不審者や盗人と遭遇しても一本道じゃ逃げ場がない、熊より
怖いという妄想をかきたてるからである。

字名はあるのに地図にない。地番もあるけどもちろん出ていない。そんな場所で一般的な
資産価値はない。固定資産税を取り立てるために一応評価額はあるにはあるが、世間相場
の価値より、価値を決めるのは自分自身ではないだろうか。
わたしにとって山のふもとで犬と暮らすというのは、世俗から離れること。
十牛図の中盤のように遁世求道のつもりが執着心を起すことになっては意味がない。
あまりこだわらず静かに、鳥のおしゃべりや虫の羽音に耳を澄ましたりして過ごす。
時が止まったように感じるときがある。
犬もまたいい顔をしているので、ここだと思った勘は当たっていた気がするのである。

さまざまに工夫をして山のふもとで暮らしている無名の人がけっこうたくさんいる。
それもブログで発信している人や、偶然知り合った人たちなのだが、誰かに見せびらかす
ためや商売でなく、生き方として実践している人たちだからおもしろい。
それぞれが悪戦苦闘して、ブログ上では見えない闘いを日々やっているのである。
それを厭わないなら、こんなにすばらしい生き方はないかもしれない。
何を捨て、何を得るか、そういうことがわかってきて、自分らしさが見えてくるだけでも
意味はあるような気がするのである。
ブツブツ、きりがないので終わります。
(富士丸君と父ちゃんファンの方、わたしももちろん無事うまく行く事を祈ってます!)




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山の麓で犬と暮らしたい願望

2009-07-17 14:34:38 | Weblog
富士丸君は可愛い、ほんとに可愛い。メディアに引っ張りだこになるのもわかる。
犬もいろいろだが、飼い主の愛情とその犬から放たれるオーラは比例するのでは
ないかと踏んでいるが‥‥(うちの親分は例外、オーラーララー)
富士丸君はブログランキング堂々一位をキープし続け、父ちゃんを出世させたのであるが、
今でもフリーに続行、さらに躍進中なのでまだ知らない人は「富士丸」と検索すれば
すぐにたどり着けます。



今さら富士丸君もないんだけど、ましてやうちにはベイビーがいるのによその
犬を誉めてどうする? とツッコみたいあなた、話はこれからです。
「山のふもとで犬と暮らしている」というのを歌ったり(RCサクセション)読んだり
だけでなく実現したいと思う人は世間にゴマンといるわけでごく普通の定番的な願望だ。
ただ思っているだけではなく実現するには金かヒマかどちらかが必要である。どちらも
あればなおいいが、たいていは金はあるがヒマはない。ヒマはあっても金は全然ない、
体力はあるぜ、とかいうのが現実である。だから難しい、よって願望である。

先の富士丸の父ちゃんは思うだけでなく実際に念願の「山の麓の家」を建てるべく奔走
しているらしい。(穴澤氏が連載しているレポートを読んでいる人はご存知だろう)

土地がみつかるまでの紆余曲折が綴られたレポートによると、そこそこ便利でかつ
自然に恵まれた、かつ都心から高速道路2時間余りという「理想的」なところへ
たどり着いたらしい。
父ちゃんこと穴澤氏が普通と違うのはどこかとあえていえば、普通の人はかっこつけて
隠そうとするところをさらけだしているところじゃないか? と思うのである。
そしてそれが指示され多くの共感を得てファンを獲得している理由になっている
のではないだろうか。

富士丸君を都会のアスファルトの上ではなく、風吹く気持ちのいい山道で散歩させたい
という父ちゃんの奮闘はとてもよくわかる。よし、いいぞー、頑張れーと応援したい。
ただ、普通だなあとしみじみ思うのは、そこそこ便利な場所でないと「怖い」と思う
ところだ。人里離れ過ぎた山の中に住むのは怖いらしい。
けれど隣家が見えたりするのはイヤで町の喧騒からは離れたい、そうすると別荘地しか
ない。別荘地というのは舗装道路があるし、下水上水とも整備されているので水の心配
がない。かくして父ちゃんは分譲別荘地らしき土地を選んだようである。
ただし大いなる不安要素は、崖付き土地。つまり縁にあるわけで水の通り道である。
地表には出ていなくても地中には水の道があり、崖はその出口になっている。
大雨の時はドキドキハラハラせねばならんのであるよ。
父ちゃんに誰か教えてくれと思っても今頃はもう代金支払い済みだろうから、造成に金を
かけるしかないだろうなあ。

続き明日。

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雨後のトラの尾

2009-07-16 00:13:46 | Weblog
高く伸びたどんぐりの木を伐採し、山桜だけを残し見晴らしをよくした場所に
トラの尾が群生しているのに気づいた。
以前は下草はほとんど熊笹ばかりだったのに、緑の中に白い花が咲き乱れて
ファンタジックな景色に変貌している。
雨が降り続いたあと、次々に伸びて緑から白へと変わっていった。
伐採後にカメが地面を均す作業を繰り返していたので、運ばれてきたタネが
芽吹いて増えていったのか?



どうして増えたのかわからないけど、実はこの花がとても好きである。
花屋にある瑠璃虎の尾などより、山の中で自生している白い岡虎の尾のほうが
よほどいい。シルクより木綿って感じだ。決してコットンとは言わない、もめんである。


(スカーレット、主役はあたしよ)

バラに虎の尾を添えて花束を作って差し出したら、カメがその白いのはいらないよと言った。
ふふふ、それはわかっているが押し売りである。
バラの華やかさに添えると中和されていいんじゃないかなあと思ったのだった。
事務所に持って帰ってもらいたかった。
でも断られる理由はわかっている。野生の虎の尾はすぐに弱り、散るからだ。
バラバラと床に散らばりお掃除が‥‥、少々めんどくさいオマケ。
忙しくとも自ら掃除をするカメだから掃除がいやなわけでないだろう。
ただ、持って帰ってすぐ翌日には掃除、儚いのである。
それを知っているんだなあ。

虎の尾ちゃん、いっぱい咲いたのに貰い手がないよ。
それはいらないよと言われたから摘まずにそのまま眺めてるからね、ありがとうね。
わたしは好きだからね。
しばらくそのまま咲いてておくれ。
(デモこっそりと一輪だけそっと紛れ込ませたのであった‥‥)

野山に自生する花を見ていると、肩の力が抜けていいのであります。
癒し~なんかじゃなくて、自らを知っている風情に心打たれるから。

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師(おしえびと)

2009-07-15 00:17:21 | Weblog

ハーイ、オヤブーン!とカメに駆け寄るもう一匹の親分。



シット、ステイ。言われた通りに寄り添いますね、いい子分です。



うれしそうなオヤブン、いやこの場合はベイビー。
うさこといるときとは違った意味でうれしそうな顔をしてひっついています。

このところ人と会うことが続いていて、やや消耗気味のうさこはみているだけで
芝生の上へ来いよなあと誘うベイビーにつきあう体力があっりませーんって。

教える人のことをおしえびとと思っていたらそれは違います。
おしえびとは自らをおしえびととは思っていないし、教えてはいないのですから。
模範となってもらっている側、その人に学んでいる者にとっては師はおしえびとと
いうことになるのであって、おしえびとになりたいなんて言うヤツがいたらそれは
アレか? 教員のことか?とつっこむべきであります。
教員はキョーインであっておしえびとではないのです。

でも例外もあります。
うさこの小学校のときの先生、野口先生はおしえびとでありましたね。
野口先生はもとは米田先生で野口家にお婿さんに行って名前が変わりましたので
しかたなく野口先生と呼んでいましたが、うさこの中では米田先生のままです。
先生の私的生活の事情はどんどん変わっていかれたのですが、うさこの中では
何より平等で、きさくで、明るさ爆発、どんなときもダジャレを忘れない歌の
好きなブラスバンドの好きな米田先生でした。
教えてもらったことが特にこれといってあるということではなくて(たくさん
教わってるしな)、他のオトナ達とぜんぜん違っていたのは米田先生がとても
平等だったこと。平等ということにおいて厳しかった。
うちはとてもビンボウだったのだが、そのビンボウな家に住む父さんを訪ねて
きてはオトナ同士の話をしていた。子どもだったから気にもとめなかったが
今にして思えば米田先生も父も似た者同士であったわけだ。
体制や金に惑わされない種類の人である。

三十路を過ぎてカメを師と仰ぐようになったうさこはシャーワセである。
子どもの頃もオトナになっても目の前に師がいて、道を示してくれる。
いや示されるのではなく、後ろから背中をみてついて歩く。
わからないときは尋ねる。
迷っても尋ねる。
もらった答えがすぐにわかるわけではないが、平気である。
もともとわからないから尋ねたんだから、聞いたからといってすぐにわかる
わけがないのであるよ。
歩いているうちに、一年くらいたってわかってくる。
このごろは一年とか言えるようになったから、ちょっとは進歩したと一人で
喜ぶ。昔は三年があたりまえで、三年でもまだちょこっと見えたくらいな
ものであった。

道元の侍者懐奘の記した随聞記(文庫版)の間からレシートが出てきて
あれっと思ってみると20年以上前の日付だった。
本を買ったのはどうしてなのか皆目思い当たらないが、当時のわたしは
空海を必死になって読んでいた頃だろう。
なぜ道元を知ろうと思ったのか思い出せないが、一つ確かなことは書物以外に
師と思える相手にめぐりあうことがまだできずにいたからであった。

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オレの話を聞け~♪

2009-07-12 09:34:42 | Weblog
オレの話を聞け~♪、だったっけ、そんな歌詞がたしかあったなあと思いつつ
昨夜の長電話を反芻して考えていた。
誰だか思い出した。声の主はクレイジーケンバンド、タイトルは何だったっけ。
俺の話を聞けーという箇所だけ都合よく覚えているのは、そんな場面は普段から
わりに多いから、よく言った!(歌っただけど)と思って笑えたからである。

長距離電話の主はがん患者である。知人以上友人未満の知り合いである。
友人と言わない理由は嘘くさい気もするし、相手もそれをいやがるだろう
から、だから知り合いでじゅうぶんなのだ。
乳がん、次は胃がん、そしてまだがん細胞は活動しつづけているのであり
爆弾を身体に抱えて暮らしている。どうしているかと思う日がこのところあって
電話は最初ドキッとしたが、いい話であった。
抗がん剤で癌めは小さく後退しているという。その説明を一気にしゃべり続けるので
どこで言葉をはさんでいいのかわからない。

相づち打つとまたしゃべり出すので、冒頭の「人の話を聞け~」と歌ったのである。
彼女は純真な人である。バカな人である。そしてかわいい人である。
わたしは彼女がまだとても若かった頃から見知っている。
知った風ないいわけをしないで己の馬鹿さの結末を、突っ走った時の素直さのまま
受け入れる彼女を黙って見て来たのだが、そろそろ「人の話を聞け~」と言うべき
ときがきたように思ったからである。
しかし、言うまでもなかった。
彼女はよくわかっていて、しゃべり続けていたのはわたしがどう思っているかが
わからなかったかららしい。
ご自愛くださいって言うだろ? 自分をかわいがれってことよ、少しはね。
自分のことを一番先に勘定に入れて生きなよとくどくどと言った。

そんなことを言ってあげたい人はたまにしかいない。
みんな誰もかれも自分を一番に考えてあたりまえになってしまっているからだ。
少しは遠慮しなよと言いたいが言わないという方が多いのだ。

自分を大事にしてくれ、そして長く生きてくれ、そしてわたしを喜ばせてくれ、
あんたの旦那を安心させてくれ、あんたの犬を守ってあげてくれ、そうくどくどと
言うと、彼女はそうか、そうだね、と言った。
いつ死んでもいいという気持ちは後悔の裏返しで、居直りとは少し違う彼女の深い
悔いの思いが死を近づけてしまう気がしたので、死神と闘うには悔いではない別な
自分との対峙のしかたを考えてもらいたかった。



「トマトがたくさんあってね、ゴーヤも豆も茄子もそれからピーマンもレタスも
みんなわたしが作った、それを食べてるから大丈夫、犬もトマトが大好きやし」
彼女は家庭菜園を二年前から始めたことを話しはじめた。
来年はじゃがいもを植えたいけど、根を掘るのに力が要るから無理かもねと言う。
胃が半分になってしまって食べられる物が少なくなったけど、野菜はだいじょうぶだし、
野菜食べてれば肉食べんでもええやろ、と言う。
それから、どうやったら美味しい野菜料理になるかとか菜食で脂質も取るにはどう
したらいいかとか免疫力を高めるのにはタマネギを食べんといかんとか、トマトは
煮たほうがいいとか皮を湯むきしたら消化しやすいとか、長話は続いたのである。

食べることは自愛の一歩である。
感謝して、喜んで、食べる。
安心して食べられるものを、大事な人とわけあって食べる。
その単純で平凡な生活を、彼女は長い時間をかけて病と引き換えに手に入れた。
夫君は「癌は自分の子どもだと思うたらええ、うちは子どもがおらんから、子どもやと
思うて一生つきおうていこう」と彼女に言ったそうだ。
そう言われてみても申し訳ないという気持ちが強い病人にしてみれば、居心地が定まらず
長い闘病は辛いことだろうと思った。
しみじみとエラいことをやってるなあ、がんばってるなあと泣けてきた。

毎晩一日の反省をしとるよ、と彼女は言った。そうしないと、明日新しい日が来ないもん、
そうやろ? と言った。
そうだね、今日の癌は今日殺せ、だわよ。と答えた。
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森林浴とアドレナリン

2009-07-09 01:08:56 | Weblog
森林浴もいいけど、森の暮らしは働くのがいい。っていうよりほんとは
働かざるをえないのである。
ガンガン身体を動かしてもう限界というくらいキツーイってのをがまん
しつづけているとアドレナリンが放出され身体も軽くなる。
アドレナリンは〈fight or flight〉 ホルモンと呼ばれる神経伝達物質、
身体が極限状態にあると作用する。つまり、もうキツイ限界だとなると、
いやもう少しほらもう少しこれならどうだと激励する「闘争あるいは逃走」
ホルモンであるそうな。たとえヘロヘロになってても、感じなくなる。
逆に気持ちよくなって仕事はさらにはかどるのである。
(もちろん筋肉痛は覚悟のことで)

8日は国会で漂着ゴミの対策予算が無事通過した。珍しくいい方向である。
詳細の法整備はこれからだというので骨抜きにならなければいいが、これ
までNPOや海岸のある自治体だけが自腹を切ってただでさえ苦しい地方財政
を圧迫していたのだから遅すぎるくらいである。
美しい海岸を取り戻そうというだけでなく、対岸の国と環境問題を連携する
ことの必要を迫られているのだ。最も苦手な外交と環境問題がクロスする
のである。予算枠をとって金だけの話で終わらせないでもらいたいと思う。

珍しい話題だなあと思われるむきもあるかもしれない。珍しい理由は‥ね、
先日テレビで「ワンステップ」という番組を見たばかりなのであーる。
若者が過疎地の農家で草刈りを手伝ったり、日本海のひなびた海岸集落へでかけ
海から押し寄せたゴミ(漂着ゴミ)に埋め尽くされた海岸を清掃するなど重労働
をして奉仕するという企画のようだ。
番組案内をネットで見てみたら、ボランティア(社会奉仕)番組だとあって、
知らなんだ、でも知ってなおさら率直な感想だけを、思うところを書くと‥

草刈りとゴミ拾いの時、二度しか観ていないのだが若者の中には必ずギブアップ
する参加者がいる。
「こんなはずじゃなかった、ヤバい」とか「ぶっちゃけキツい」とか言う。
茶パツであるね、ほぼ。女子はアイメイクが濃いね。男子は痩せてるか肥満度高し。
そして、クラーイ眼をしてブツブツ、彼方の方をみつめたり座り込んだりして
エスケープの理由を探している。
そこへカメラがズームして化粧の剥がれかかった顔など映すんである。
その一方には襲いくる雑草、あるいは信じられない量のゴミと格闘する若者が
いる。懸命に慣れない労働をする青年達はなぜかみな不器用である。
あまりにも単純でそういう構図を作っているのではないか、という気さえしてくる。

キツいにきまってるじゃないっすか、と誰も言わないのはどうしてでしょうか。
でも、やるしかないよな、とか言いますが。でもっていうのは変です。
あたりまえじゃないか、と言うべきところなのよ~。
そう思いながら視聴し続けて、最後までどうにか視ようと努めた。

お約束なのか、地元の老人から地味でけれども懐かしい食卓に招かれる場面があり、
感動!とか言うのである。一同、おいしーって言うのである。
ほんとかよ、と思う。働いて腹が減っているだけじゃないか?
たぶん、想像ですがふだんはファーストフード?がもっぱらで美味しいのだろうさね。
手づくりだもんね、無添加だものね、ばあちゃんは年季入ってるもんね、
でもあたりまえなのさ、特別じゃないのさ。

つまりあたりまえというのは0地点ですから、マイナスから0へ至るのがいかに難しい
かを身を以て体験する企画なのである。このレベルで社会奉仕とは笑っちゃう。
あたいだけでなく全国の70歳以上の人が見たら笑うか、ありゃなにしとるのけ?と言う
だろうな。ああ、テレビか、と納得するかもしれない。
でもテレビだからこそ、必ず年寄りは若者に礼を言います、ありがとう、ありがとう、
逆なんですわ、教えてくださってありがとうございますと若者が言え!なのだ。


(走りすぎたぜ、限界だぜ、でもいい気持ちなんだぜ~、歳とったぜ)

純粋なのかただのアホか無知か、はなはだ疑問ではあるけれど、しかしながら、
かつてそういう年頃を経てきた、おまけに人一倍間抜けなうさこにしてみれば、
笑って応援したい気もします。ほんとうです、うふふ、です。
歳を重ねてきたということは、そういうことでもあると思うからです。
くじけて逃げても若い時は許される。
なぜなら逃げたことからさえも学べるから。
うまくいかないことがあることを知り難しいのだと知る。自分の限界を知る。
だから次へとつながるわけで、それがワンステップ、若さの特権なのですね。

そこで、ワンステップから次へジャンプするかどうかカメラで追いかけたらどうなる?
カメラに追われれば、収録が終わってあとはまたダラダラ機械まかせの生活は楽チン、
楽こそ人生という暮らしに戻れないでしょう、かっこつけたいでしょうから、若者は。

歳をとって何がいけないかって図々しくなることです。
かっこつけるのを忘れてしまって、そのくせ見栄だけは張る。ラクして何が悪い?
みたいな図々しいオバハン、オッサンは修正不可能なので、若者を応援するのである。

またまた珍しいことを言い出したなあと思われるかもしれないけれど、そうです、
珍しい理由は‥‥。
混雑した電車のシートのほんのわずかな隙間にでかいお尻をつっこんでくるオバハン
を非難するギャルの言い分を他人事のように聞いていたのですが、こないだお尻割込み
オバハンが本当に目の前に現れて、お尻からくるってほんとです、びっくりした。
座ってる側からすれば、そう見えます。

隣は細いきゃしゃな女性で、わたしとの隙間が10センチほどあったのですが、
そこへ太ったお尻が突入してきて、ゴリゴリと押されてしまいました。
身体が異様にくっつくので暑苦しく気持ち悪いからすぐに立ち上がったのですが。
アンタの負け、とオバハンは思ったでしょうか?
ありがと、もうけた、と思ったでしょうか?
そのオバハンの顔をでそっとうかがうと、エスケープ若者と同じクラーイ目をして
いたのが意外でした。
別な意味で限界なのでしょう、生きることにおいて。
でもこの限界にはアドレナリンは放出されませんから、いい気持ちにはなれない。
自分のやりたいまま、したいまま、楽がいいということなんだろうけど、なのに
ダークサイドみたいな顔してるんじゃ、それが本当にいいの?と突っ込みたくなる。
脳みそも肉体も使わないと錆びつくのだから。

(我が母は中年壮年期にエラい苦労したが、老年の今、とてもとても静かで平和。
でも時々エキサイトして孫を叱ったりハッパかけたりしてくれちゃって。
サンキュー、マミー)





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風まかせ

2009-07-08 00:55:30 | Weblog
伊豆半島を横に突っ切って駿河湾方向へと向かった。
国道から逸れ海へ向かう道を行く。
どこか海を見張らせる場所はないかと磯の匂いを頼りに進んで行くと
沼津御用邸記念公園へ辿りついた。
有料駐車場と立て札があり鎖で仕切られているのを見ていたら係の人が
もう店終いなんだよなあ的な顔をしていた。
なんだかげんなりして、そのまま行き過ぎる。
海が見たいだけなんだ。
公園の敷地沿いに細い道が続いていて、海へ出られる予感がした。


(ウインドサーフィンをしている人が数人、風はまあまあ吹いていた)

あった。
防波堤へ上る石段を越えれば砂浜へ出られる場所がぽっかりと空いていた。
ボロいワンボックスカーが一台停まっていて、中にはサーフボードが積んであった。
よく見るとオンボロ小屋も建っていて、たくさんのボードが収納されていた。
日焼けした上半身裸の男の人が防波堤の方からボードを担いで降りてくる。
わたしたちも石段を上って海へ向かった。

開けた視界と潮の香りがあった。
曇り空がにわかに晴れていく。
カーナビに頼らずほんの30分ほど道をそれてみただけで仕事の疲れが吹き飛んだ。
知らない道を行くのも、時には楽しいもんだなあ。

それにしてもカメにカーナビはいらないらしい。
伊豆半島の山側からすいすいと海へ向かう最短距離を選んで走ったのには驚いた。
アナログ人間は強いのであった。いつもながら勘が冴えている。
(oh! 忍者!とか隣で叫んでいるだけのわたしは磁力の狂ったハト状態)
それにオンボロ小屋だと思ったのはサーフィンスクールで、ぽっかりと空いていると
思った場所はその私有地だったのだ。
年配の、日焼けした裸のおじさんがこっちを見ていたが、咎めるような顔でもなく
のんびり風まかせな表情をしていた。






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猫斬り。道元、一刀一断とす

2009-07-05 02:16:53 | 
『正法眼蔵随聞記』(ショウボウガンゾウズイモンキ)第一の七。
師弟の問答、その一に「不昧因果の法則に昧(くら)まさられない道理とは?」
同じく次に「因果の法則に動かされないで、どうしたら脱落ができるか?」
と次々にどうしたら? どうしたら? と弟子は尋ねている。
対して道元の答えは「一刀一断」につながっていく段の話である。

道元の教えは南泉和尚という僧が猫の子を斬ったという公案によって説かれて
いくが、説けば説くほど弟子懷奘は「とは何か?」と問い続けている。
斬るならば一刀両断でなく一断とはいかに? という具合に聞くので道元はまた
「猫児是れ」と答える。

この公案と弟子との問答を読み進んで道元がいわんとするところが見えてきて
思い出したのは、道元は学道の人であったこと。
何を学ぶかといえば、ただ一つ仏の道である。その一点から決してそれない。
そこのところを実感としてわからない側にすれば、
「いかに? どうして?」と問うてなぜ悪い、問うてあたりまえではないかと
思うのだろうけれど。

公案は〈猫の子をおいて「これを何と見るか」と問う側と問われて答えられない者
(修行僧)との二者間の結末が猫を斬り殺す〉で、話には続きがあって、そこへ別
の和尚が現れたので、あなたならどう答えたかと問うたところ、その和尚は自分の
履いていた草蛙を脱いで頭の上へ乗せて外へと出て行くのである。
この最後のところが最も重要なのだと道元は教えているのだから、はい、わかりました
とわかりそうなものを、弟子懷奘はさらに一断にこだわったのである。

問われ続けて道元は次にとても丁寧に「猫児仏心」ということを話す。
しかしながら弟子は猫を斬るということは何といおうとも罪ではないのですか?と
さらにくいさがっている。それに対して道元は「罪相なり」と答え否定はしなかった。
否定しないから肯定しているのではないことに弟子は気づいただろうか。
気づかないので、またさらに問うている。


(シマコまたの名を猫道菩薩)

この話のおもしろいところは結局のところ、言葉の意味をどこでどう理解するかという
ことに尽きる。禅の極意は只管打坐にあると教える道元に、言葉の意味を言葉でもって
尋ねる弟子とそれに答えつづける道元。
理詰めではありません、それじゃあ仏の心はわかりませんってことなのだが、
わからない者はそれはどこまでも聞く。しかたがないですよ、わからないですもの、と
いうことなんだろう。
たしかに、草蛙を頭に乗せていっちまう人は稀なのだからなあ。

罪を犯さない、つまり猫を斬ってはいけないかいいかというだけの話にとどまれば
それはいけないに決まっているが、仏行という視点で見ればそれは罪ではなくなり
猫の命によって悟らねばならないのだよと道元は一断を説明している。
一筋の道からそれるな、ということである。

いたずらに議論したり理屈で考える癖は、枝葉に気をとられ木のめざすところの
輝く青さも目に入らなかったり、木が立っている豊かな土も土中に伸びてつながっている
根の神秘にも気づかないことになる。
そんなことを同時に戒めている話である。
物事の真理に気づくというのは理屈でわかるというのと別次元であって、知ろうと
して考えているときには決してわからない。さりとて知識がいらないかというと
そうではない。考え続けてはたと止まったとき、妖精がヒラヒラと目の前を通り
過ぎて行き、その落とし物を偶然受け止めるみたいな感じでわかるのである。
キラキラとまぶしく目の前にある。
そのとき後付けとして知識が少しは役立つだけのことで、キラキラを目にした人は
多くを語らない。けっして誰彼に吹聴しようなどとは思わないものなのだ。

凡夫は言葉にとらわれがちで、そこのところがどうもわからない。
わからないから、ただ坐れと教えている。
手に持つな、足は組め、目は閉じよ、ただ呼吸のみ。
一方で公案によって言葉を鍛えられ考えることが求められる。
矛盾しているようだが、この両方が道元の教えの根幹にある。

まずは、自我の重みにうんざりすればしめたものである。







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