雪村周継筆の竜虎図の虎さまである。
虎さまというよりとらちゃんである。
室町時代(16世紀)
根津美術館絵はがきより
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8f/f5b78475323b29380aa91865a4668d5c.jpg)
先週まで東京青山の根津美術館で
「禅僧の交流」と題した墨蹟と水墨画
の展示があり、もっとも大きな作品が
六曲屏風一双の龍虎図であった。
中央寄りの右手に龍、左手に虎。
両端に浪と竹が描かれている。
龍虎は迫力がある描かれ方が定番だが
この虎は虎というより猫に近くない?
とらちゃんは、どこを見ている?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/9b/08386f7fc4044b6aeb1385c82e8a2138.jpg)
うちの猫も狙われる小鳥にとっては
獰猛な虎も同然、しかしこのように
かわいい顔でくつろいで人を欺く。
雪村はかような虎になぜ描いたか、
気になるが、とんと知らない。
龍はここには載せていないが、まあ
神秘的なそれらしい龍に描いてあり
勢いと異次元の雰囲気を醸していた。
それに比べて、このとらちゃんは、
いかにも、俗世で悟りきらぬ愚僧の
ようではないか。
愚僧けっこう。
そのままそのまま。
愚も極めるところ、龍の尾くらいは
触れるかもしれない……し、
触れずともよし。
高きを望まず、水の飛沫を浴びて
滑らぬように前足ふんばって。
川に落ちぬよう…
生きておれ、ということか。
生きて、生き続ける。
それだけで、じゅうぶん、難儀な
ことなのだから。
それをまっとうせよと、いうことか。
美術館から茶室と石仏が配置された庭園
へ出て少し歩いた。ちょうど雨が降って
きて、葉や苔の緑がいい色合いになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/07/68fed99e52c4e365c992b0eb8fb7d9d2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/7a/63a69a86a06f0e85b3d160789ea3d288.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a2/612a667bcd65c3562015653c5f87a9fb.jpg)
禅は仏教の他の宗派のように死後の
極楽や功徳を説いていない。
死も生も分かたず、今の平安を求め、
仏を求める。そのための自己の探求
が自他の境界を消し、それが仏への
道へつながる。
只管打坐と茶は密接である。後に茶道
となったが茶は座禅時に眠気を覚ます
薬であった。茶を持ち帰ったのは栄西、
その茶を土産に戴いた明恵上人は
草庵のある山に茶の木を植えた。
その種を分けてもらい宇治茶は始まった。
栂尾の上人は若き日、禅を栄西に学び
生涯を座禅三昧で過ごし大王大臣に親しく
せずと自戒し、清貧質素を貫かれた。
それは道元と同じである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/81/d942123254b29cf833d874008d75d034.jpg)
高山寺は京都の市街から外れた山の方、
深山幽谷という形容がふさわしい。
今とちがって昔は訪ねるのも苦労な場所
であっただろう。
座禅するしかないところ、
修行にぴったしである。
明恵上人を慕う女人たちはその庵を訪ね
たという。結界もまたわが胸に、という
事がわからぬ者は女人結界などと看板を
建てねばならないが。
茶と同じく水墨画もまた宋から明の代に
かけて留学した僧と、次々に来日した
高僧が遺した。それを模写するところ
から次第に独自の画風が生まれた。
出展の多くが鎌倉、京都両五山からで
あった。水墨画に添えられた賛を読む
と五山制度下、禅僧も官僚化した時代
にあって、詩や画は俗世と一線を画し
ている。
幽谷深山また胸中にあり、という感じ
なのだろうか。
古い物に触れて心が和んだが、
とらちゃんとの出会いが一番であった。
しばしの間、正面に置かれたソファで
座って眺めた。
こんなに長く水墨画を眺めたのも
初めてであった。
虎さまというよりとらちゃんである。
室町時代(16世紀)
根津美術館絵はがきより
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8f/f5b78475323b29380aa91865a4668d5c.jpg)
先週まで東京青山の根津美術館で
「禅僧の交流」と題した墨蹟と水墨画
の展示があり、もっとも大きな作品が
六曲屏風一双の龍虎図であった。
中央寄りの右手に龍、左手に虎。
両端に浪と竹が描かれている。
龍虎は迫力がある描かれ方が定番だが
この虎は虎というより猫に近くない?
とらちゃんは、どこを見ている?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/9b/08386f7fc4044b6aeb1385c82e8a2138.jpg)
うちの猫も狙われる小鳥にとっては
獰猛な虎も同然、しかしこのように
かわいい顔でくつろいで人を欺く。
雪村はかような虎になぜ描いたか、
気になるが、とんと知らない。
龍はここには載せていないが、まあ
神秘的なそれらしい龍に描いてあり
勢いと異次元の雰囲気を醸していた。
それに比べて、このとらちゃんは、
いかにも、俗世で悟りきらぬ愚僧の
ようではないか。
愚僧けっこう。
そのままそのまま。
愚も極めるところ、龍の尾くらいは
触れるかもしれない……し、
触れずともよし。
高きを望まず、水の飛沫を浴びて
滑らぬように前足ふんばって。
川に落ちぬよう…
生きておれ、ということか。
生きて、生き続ける。
それだけで、じゅうぶん、難儀な
ことなのだから。
それをまっとうせよと、いうことか。
美術館から茶室と石仏が配置された庭園
へ出て少し歩いた。ちょうど雨が降って
きて、葉や苔の緑がいい色合いになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/07/68fed99e52c4e365c992b0eb8fb7d9d2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/7a/63a69a86a06f0e85b3d160789ea3d288.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a2/612a667bcd65c3562015653c5f87a9fb.jpg)
禅は仏教の他の宗派のように死後の
極楽や功徳を説いていない。
死も生も分かたず、今の平安を求め、
仏を求める。そのための自己の探求
が自他の境界を消し、それが仏への
道へつながる。
只管打坐と茶は密接である。後に茶道
となったが茶は座禅時に眠気を覚ます
薬であった。茶を持ち帰ったのは栄西、
その茶を土産に戴いた明恵上人は
草庵のある山に茶の木を植えた。
その種を分けてもらい宇治茶は始まった。
栂尾の上人は若き日、禅を栄西に学び
生涯を座禅三昧で過ごし大王大臣に親しく
せずと自戒し、清貧質素を貫かれた。
それは道元と同じである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/81/d942123254b29cf833d874008d75d034.jpg)
高山寺は京都の市街から外れた山の方、
深山幽谷という形容がふさわしい。
今とちがって昔は訪ねるのも苦労な場所
であっただろう。
座禅するしかないところ、
修行にぴったしである。
明恵上人を慕う女人たちはその庵を訪ね
たという。結界もまたわが胸に、という
事がわからぬ者は女人結界などと看板を
建てねばならないが。
茶と同じく水墨画もまた宋から明の代に
かけて留学した僧と、次々に来日した
高僧が遺した。それを模写するところ
から次第に独自の画風が生まれた。
出展の多くが鎌倉、京都両五山からで
あった。水墨画に添えられた賛を読む
と五山制度下、禅僧も官僚化した時代
にあって、詩や画は俗世と一線を画し
ている。
幽谷深山また胸中にあり、という感じ
なのだろうか。
古い物に触れて心が和んだが、
とらちゃんとの出会いが一番であった。
しばしの間、正面に置かれたソファで
座って眺めた。
こんなに長く水墨画を眺めたのも
初めてであった。